「ラジカルの安定性は第三級 > 第二級 > 第一級 > メチル」——教科書に必ず出てくる順序です。ではなぜそう言えるのでしょうか。カルボカチオンと違って、ラジカルには電荷がありません。安定性を議論する根拠はどこにあるのでしょう。

答えは測定値にあります。結合解離エネルギー(BDE)という実測量が、ラジカルの安定性をそのまま数値で示してくれます。順序は理屈から導いたものではなく、測った結果です。

さらにBDEは、反応が発熱か吸熱かの見積もりにも使えます。この記事では、この数値の読み方と使い方に絞って扱います。ラジカルがどう生まれ、どう連鎖するかはラジカルを参照してください。

この記事で学ぶこと
・BDEの定義(何を切るときのエネルギーなのか)
・C–H結合のBDEがラジカル安定性を映す仕組み
・BDEの引き算で反応熱を見積もる手順
・塩素化と臭素化で選択性が違う理由

BDEとは——「均等に切る」ときのエネルギー

結合解離エネルギーとは、結合を均等開裂(ホモリシス)させるのに必要なエネルギーです。電子を1個ずつ分け合って、2つのラジカルにします。

均等開裂(ホモリシス)   A–B  →  A· + ·B     ← これがBDE
不均等開裂(ヘテロリシス) A–B  →  A+ + B−    ← 別の量(イオン化)
混同しやすい点
・BDEは均等開裂だけの値。イオンができる切り方には使えない
・気相での値。溶液中では溶媒和の影響で変わる
・エンタルピー変化(ΔH)であって、活性化エネルギーではない

均等開裂(ホモリシス、ラジカル生成)と不均等開裂(ヘテロリシス、イオン生成)の違いを比較した図解。結合解離エネルギーは均等開裂を基準に定義される

C–H結合のBDEがラジカルの安定性を映す

いろいろな C–H 結合のBDEを測ると、次のようになります(単位 kJ/mol)。

切る結合 BDE できるラジカル 安定性
CH3–H 439 メチル 最も不安定
第一級 C–H 421 第一級  
第二級 C–H 410 第二級  
第三級 C–H 400 第三級 安定
ベンジル C–H 375 ベンジル 共鳴で安定
アリル C–H 369 アリル 最も安定
ビニル C–H 465 ビニル 非常に不安定
読み方はこれだけ
・BDEが小さい = 切れやすい = できるラジカルが安定
・同じ「H」が外れるので、差はすべて残された炭素側の安定性の差
・アリル・ベンジルが低いのは共鳴で不対電子が広がるから
・ビニルが高いのは、sp2炭素上の不対電子が安定化されないから

つまり「第三級ラジカルが安定」という順序は、400 < 410 < 421 < 439 という測定値そのものです。理屈で覚えるのではなく、数値の裏づけがあると理解しておくと、初見の構造でも判断できます。

C−H結合解離エネルギーとラジカル安定性の関係。第三級ほどBDEが小さく安定なラジカルができることを示す棒グラフ

BDEから反応熱を見積もる

BDEの本領はここです。切れる結合と、できる結合を引き算するだけで、反応のエンタルピー変化が概算できます。

ΔH ≈ (切れる結合のBDEの合計) − (できる結合のBDEの合計)

  結合を切るにはエネルギーが要る(+)
  結合ができるとエネルギーが出る(−)

計算例:メタンの塩素化

メタンの塩素化の反応式。CH4とCl2からCH3ClとHClが生成する

切れる: CH3–H  439  +  Cl–Cl  243  = 682
できる: CH3–Cl 351  +  H–Cl  431  = 782

ΔH = 682 − 782 = −100 kJ/mol   →  発熱反応

この計算に必要なのは表を引く作業だけで、実験も難しい理論も要りません。合成を計画するとき、その変換が熱力学的に無理筋でないかを確かめる最初の道具になります。

選択性がBDEで説明できる——塩素化と臭素化

ラジカルハロゲン化では、塩素は水素をどこからでも引き抜くのに、臭素は第三級の水素を選んで引き抜きます。この違いもBDEから出てきます。

連鎖成長の第1段階、ハロゲンラジカルによる水素引き抜きだけを取り出して計算します。

引き抜く相手 Cl·(H–Cl 431) Br·(H–Br 366)
メチル C–H(439) +8 kJ/mol +73 kJ/mol
第三級 C–H(400) −31 kJ/mol +34 kJ/mol
性格 ほぼ発熱=簡単 どれも吸熱=難しい

ここでハモンドの仮説が効きます。

選択性の説明
・塩素化=発熱的 → 遷移状態は反応物に似る → ラジカルの安定性差がまだ現れていない → 非選択的
・臭素化=吸熱的 → 遷移状態は生成物(ラジカル)に似る → 安定性差がそのまま速度差になる → 選択的
・だから「臭素化は第三級を選ぶ」。これは暗記事項ではなくBDEとハモンドの帰結

反応が難しいほど選択性が高くなる——直感に反しますが、遷移状態がどちらに似るかで考えると必然です。

BDEでわからないこと

  • 反応の速さは分からない。 BDEは熱力学量(ΔH)であって、活性化エネルギーではありません。発熱でも遅い反応はあります
  • イオン反応には使えない。 均等開裂の値なので、極性反応の議論には向きません(そちらはpKaを使います)
  • 溶液中の値ではない。 気相の測定値なので、溶媒和が効く系ではずれます
  • エントロピーを含まない。 分子数が変わる反応では ΔG と乖離します

使いどころは明確で、ラジカル反応の熱力学的な当たりをつけるときです。イオン反応にはpKa、ラジカル反応にはBDE——道具を使い分けてください。

大学院入試での問われ方

  • 「BDEの表を用いて次の反応のΔHを求めよ」……切れる合計 − できる合計
  • 「ラジカルの安定性の順序をBDEの観点から説明せよ」……BDEが小さいほど安定
  • 「臭素化が塩素化より選択的である理由を述べよ」……吸熱+ハモンド
  • 「アリル位のC–H結合のBDEが小さい理由を述べよ」……共鳴による非局在化

まとめ

この記事のまとめ
・BDE=均等開裂に要るエネルギー。イオン開裂の値ではない
・BDEが小さいほど、できるラジカルが安定。順序は測定値そのもの
・アリル369・ベンジル375が低いのは共鳴、ビニル465が高いのは安定化がないため
・ΔH ≈(切れる結合の合計)−(できる結合の合計)で反応熱を概算できる
・臭素化が選択的なのは吸熱でハモンド的に遷移状態がラジカル似になるから

ラジカルの生成と連鎖反応はラジカル、カルボアニオン(カルバニオン)の安定性はカルボアニオンの安定性で扱っています。

よくある質問

結合解離エネルギーはどんな切り方を指していますか?

結合電子を1個ずつ分け合う均等開裂、すなわちホモリシスを指します。生じるのは2つのラジカルです。片方が電子対を持ち去ってイオンになる不均等開裂は別の現象で、その値をBDEと呼ぶことはありません。そのためBDEはラジカル反応の議論には使えますが、イオン反応の有利不利を論じる目的には適しません。

BDEが小さいほどラジカルが安定と言えるのはなぜですか?

どのC-H結合を切っても外れるのは同じ水素原子なので、BDEの差はすべて残された炭素側のラジカルの安定性の差を反映するからです。第三級のC-H結合が400kJ/molとメチルの439kJ/molより小さいのは、生じる第三級ラジカルのほうが安定でエネルギーが低いためです。アリル位が369kJ/molとさらに小さいのは、共鳴によって不対電子が非局在化するからです。

BDEから反応熱を求める手順を教えてください。

切れる結合のBDEをすべて足し、できる結合のBDEをすべて足して、前者から後者を引きます。結合を切るにはエネルギーが必要で、結合ができるとエネルギーが放出されるためです。たとえばメタンの塩素化では、切れる側が439と243で682、できる側が351と431で782となり、差し引き−100kJ/molの発熱反応と見積もれます。

臭素化が塩素化より選択的なのはなぜですか?

臭素ラジカルによる水素引き抜きが吸熱的だからです。吸熱反応ではハモンドの仮説により遷移状態が生成物すなわちラジカルに似た構造をとるため、ラジカルの安定性の差がそのまま反応速度の差となって現れ、安定な第三級ラジカルを与える経路が選ばれます。塩素化は発熱的で遷移状態が反応物に似るため、安定性の差が速度に反映されず非選択的になります。

BDEから反応の速さは分かりますか?

分かりません。BDEはエンタルピー変化を表す熱力学量であり、反応の速さを決める活性化エネルギーとは別の量だからです。発熱的な反応であっても活性化障壁が高ければ遅くなります。またBDEは気相での測定値なので、溶媒和が大きく効く溶液反応ではずれが生じ、分子数が変化する反応ではエントロピーを含まないぶん自由エネルギー変化とも乖離します。

カズ塾有機化学 第1巻「基礎編」第9章 炭素の反応中間体
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