糖やアミノ酸の立体化学を扱う場面では、くさび形の立体構造ではなく十字型の平面図が使われます。フィッシャー投影式です。

この表記の厄介なところは、見た目が平面なのに立体情報を持っている点にあります。約束を知らないまま紙の上で回すと、いつのまにか別の化合物にすり替わります。実際、90度回すと鏡像体になってしまいます。

逆に言えば、約束さえ押さえれば強力です。不斉炭素が4つも5つもある糖でも、立体を一目で比較できます。この記事ではその約束と、許される操作を扱います。

この記事で学ぶこと
・「横は手前、縦は奥」という約束と、書くときの並べ方
・90度回転が禁止で180度なら許される理由
・投影式のままR/Sを判定する近道
・D/L表記が R/S とも旋光の符号とも別物であること
・例題4問でR/S判定・同一/鏡像の見分け・D-グルコースと酒石酸メソ体の書き方

約束——横は手前、縦は奥

フィッシャー投影式では、十字の交点が不斉炭素です。そして4本の線の向きが、そのまま立体を表しています。

読み方の約束
・横線(左右)=紙面から手前に出ている(自分のほうへ)
・縦線(上下)=紙面の奥へ引っ込んでいる
・交点の炭素は書かない
・つまり蝶ネクタイを正面から見た形
        CHO          ← 奥(最も酸化された炭素を上に)
         |
  H ————— OH     ← 左右はどちらも手前
         |
        CH2OH        ← 奥

フィッシャー投影式の読み方。横線が紙面の手前・縦線が奥を表す約束と、最下部の−OHの左右によるD/L判定

書くときの並べ方

  • 主鎖を縦に置く
  • 最も酸化された炭素を上にする(アルデヒド・カルボキシ基など)
  • 不斉炭素が複数あれば、縦に積み重ねる

この並べ方が決まっているおかげで、別々の人が書いた投影式をそのまま比較できます。糖の系統的な整理が可能になったのは、この約束のおかげです。

回転・入れ替えのルール——ここが最重要

平面図なので自由に動かしたくなりますが、許される操作と禁止される操作があります。

操作 結果 可否
紙面内で180度回す 同じ化合物 してよい
紙面内で90度回す 鏡像体に変わる 禁止
2つの基を1回入れ替える 鏡像体に変わる 禁止(意図的なら可)
2つの基を2回入れ替える 同じ化合物 してよい
1つを固定して残り3つを回す 同じ化合物 してよい
紙から持ち上げて裏返す 鏡像体に変わる 禁止
なぜ90度回すといけないのか
・90度回すと、手前だったものが奥、奥だったものが手前になる
・立体の前後がまるごと入れ替わるので、鏡像体になる
・180度なら、手前は手前・奥は奥のままなので変わらない
・「入れ替えは偶数回なら同じ、奇数回なら鏡像」と覚えると統一的

この規則はエナンチオマーの判定にそのまま使えます。2つの投影式を見比べて、偶数回の入れ替えで一致すれば同じ化合物、奇数回なら鏡像体です。

投影式のままR/Sを判定する

立体構造に描き直さなくても、投影式のままR/Sを決められます。

判定の手順
・① 4つの基にCIP順位則で順位をつける
・② 最下位(多くは H)がどこにあるかを見る
・③ 最下位が縦(奥)にあれば、1→2→3 の回り方をそのまま読む
・④ 最下位が横(手前)にあれば、読んだ結果を反転させる

フィッシャー投影式のままR/Sを判定するコツ。最低順位の基が縦線(奥)ならそのまま、横線(手前)なら反転させて読む2パターンの比較図

理由は単純です。R/Sの定義は「最下位を奥に向けて残り3つを見る」なので、最下位がすでに奥(縦)にあれば条件を満たしています。手前(横)にあるときは見る向きが逆になるため、結果を裏返します。

この近道が効く場面
・糖のように不斉炭素が4つ以上ある化合物
・立体構造を描き直す時間がない試験中
・手順が機械的なので、慣れれば数秒で判定できる

例題で確かめる——手を動かさないと身につかない

手順を読んだだけでは試験で止まります。4問だけ、実際に読んでみてください。

例題1:D-グリセルアルデヒド

        CHO
         |
  H ————— OH
         |
       CH2OH

順位づけ:–OH(1)> –CHO(2)> –CH2OH(3)> –H(4)。–CHOと–CH2OHはどちらも炭素ですが、–CHOの炭素は(O, O, H)、–CH2OHの炭素は(O, H, H)なので–CHOが上位です。

判定:最下位の–Hが横(手前)にあるので、読んだ結果を反転させます。1→2→3 は右→上→下で反時計回り(S)。反転してRです。

D-グリセルアルデヒドは(R)-グリセルアルデヒド。これがD/L体系の基準物質そのものなので、ここだけは覚えておく価値があります。

例題2:L-アラニン

       COOH
         |
 H2N ————— H
         |
        CH3

順位づけ:–NH2(1)> –COOH(2)> –CH3(3)> –H(4)。

判定:–Hが横(手前)なので反転。1→2→3 は左→上→下で時計回り(R)、反転してS。天然のアミノ酸がL型でありほぼすべてS配置なのは、この並びだからです。

例題3:L-システイン(引っかかるのはここ)

       COOH
         |
 H2N ————— H
         |
      CH2SH

並びはL-アラニンとまったく同じです。しかし答えはSではなくRになります。

順位づけ:–NH2(1)> –CH2SH(2)> –COOH(3)> –H(4)。–CH2SHの炭素は(S, H, H)、–COOHの炭素は(O, O, O)。比較はいちばん大きい原子から1つずつなので、まずS(16)とO(8)を比べた時点で–CH2SHの勝ちが決まります。

判定:1→2→3 は左→下→上で反時計回り(S)、–Hが横なので反転してR。つまりL-システインは (R)-システインです。

「L型=S配置」は暗記してはいけない。L-システインが唯一の例外になるのは、硫黄が酸素より原子番号が大きいという一点だけが理由です。順位則を毎回当てはめる習慣がついているかを試すのに都合がよいので、院試でもよく出ます。

例題4:同じ化合物か、鏡像体か

    A              B

   COOH            CH3
    |               |
 H ——— OH     HO ——— H
    |               |
   CH3            COOH

Bは、Aを紙面内で180度回したものです(上下が入れ替わり、同時に左右も入れ替わっている)。180度回転は許される操作なので、AとBは同じ化合物です。

入れ替えの回数で数えても同じ結論になります。「上下の入れ替え」と「左右の入れ替え」で2回=偶数回だからです。

ちなみにAは(R)-乳酸、すなわちD-乳酸です。例題1と並べると、D-グリセルアルデヒドは(+)でR、D-乳酸は(−)でR——D/Lと旋光の符号が対応しないという後述の話が、ここで実物として出てきます。

D/L表記——R/Sとは別の体系

糖やアミノ酸では、R/Sとは別にD/L表記が使われます。これは歴史的な約束で、グリセルアルデヒドを基準にした相対的な表記です。

D/Lの決め方
・糖では、最も下の不斉炭素に注目する
・その炭素の –OH が右にあれば D、左にあれば L
・アミノ酸では –NH2 の左右で判定する
・見るのは1か所だけ。分子全体の立体を表しているわけではない

天然の糖はほとんどがD型、天然のアミノ酸はほとんどがL型です。生体がこれほど徹底して片方だけを使っていることが、エナンチオマーが生体内で別物として扱われる理由になっています。

3つの表記を混同しない

表記 何を表すか 決め方
R/S 各不斉炭素の絶対配置 構造から規則で決まる
D/L 基準物質との相対的な関係 最下部の不斉炭素1か所だけ
(+)/(−) 偏光を回す向き 実測するしかない
対応関係はない
・D型が必ず (+) になるわけではない。 D-グリセルアルデヒドは (+) だが、D-乳酸は (−)
・D型が必ず R になるわけでもない
・3つは独立した情報。名前に併記されるのはそのため

旋光の符号そのものについては比旋光度の求め方で扱っています。

糖の投影式——D-グルコースを書けるようにする

フィッシャー投影式がいまも使われている最大の理由が糖です。アルドヘキソースは不斉炭素を4つ持つので立体異性体が24=16種あり、くさび形で16個を並べて比較するのは現実的ではありません。

      D-グルコース        D-マンノース       D-ガラクトース

        CHO                CHO                CHO
         |                  |                  |
  H ——— OH         HO ——— H          H ——— OH     C2
         |                  |                  |
 HO ——— H          HO ——— H         HO ——— H      C3
         |                  |                  |
  H ——— OH          H ——— OH         HO ——— H      C4
         |                  |                  |
  H ——— OH          H ——— OH          H ——— OH     C5
         |                  |                  |
       CH2OH              CH2OH              CH2OH

D-グルコースは–OHが上から右・左・右・右。ここを押さえておけば、C2だけ違うのがD-マンノース、C4だけ違うのがD-ガラクトースと、差分で覚えられます。

糖の投影式で見る順番
・いちばん下の不斉炭素(C5)→–OHが右なのでD型
・C2→グルコースとマンノースを分ける(C2だけ違う関係=エピマー)
・C4→グルコースとガラクトースを分ける
・C3→D系列のヘキソースでは左(アロース・アルトロースを除く)

1か所だけ立体が違うジアステレオマーをエピマーと呼びます。環状構造(ピラノース)やアノマーへの展開は炭水化物(糖質)の完全解説で扱っています。

メソ化合物が一目で分かる

フィッシャー投影式の実用的な利点として、メソ化合物の判定が視覚的にできる点があります。

投影式を書いたとき、上下の真ん中で折り返して重なる(鏡映対称になる)なら、その化合物はメソです。分子内に対称面があるため、不斉炭素をもつのに分子全体としてはアキラルになります。

酒石酸で見比べるのがいちばん速いです。2つの–OHが同じ側ならメソ、反対側ならキラルです。

    メソ酒石酸            (2R,3R)-酒石酸
     (アキラル)            (キラル)

       COOH                  COOH
        |                     |
  H ——— OH           H ——— OH
        |                     |
  H ——— OH          HO ——— H
        |                     |
       COOH                  COOH

  ← 上下の折り返しで      ← 折り返すと重ならない
     ぴったり重なる
     (2R,3S)

左は、横線の中央を通る面で上半分と下半分が鏡像の関係になっています。C2がR、C3がSで、分子の中で打ち消し合っているため旋光性を示しません。

右は折り返しても重ならないので対称面がなく、(2R,3R)と(2S,3S)がエナンチオマーの対になります。そしてメソ体とこれらはジアステレオマーの関係です。

投影式が強いのはここ。くさび形や立体構造式では「対称面があるか」を頭の中で回転させて確かめる必要がありますが、投影式なら紙の上で折るだけで判定できます。不斉炭素が2つの化合物では、まず投影式に直すのが定石です。詳しくはメソ体とは:内部対称性と光学不活性へ。

投影式をくさび形に直す

試験では「投影式で与えられた化合物をくさび形で書け」という逆方向も問われます。約束をそのまま使えば、考えることはありません。

変換の手順
・① 交点を不斉炭素として、そこから4本の結合を出す
・② 横にあった2つ→手前なので実線のくさび(太い三角)
・③ 縦にあった2つ→奥なので破線のくさび
・④ 不斉炭素が複数あるときは、1つずつ同じことを繰り返す

逆向き(くさび形→投影式)に直すときだけ注意が必要です。最初に主鎖を縦にし、最も酸化された炭素を上に持ってくる向きへ直してから投影します。この「置き直し」の段階で結合を回す操作が入るので、回しているのが単結合まわりの配座なのか、それとも配置そのものを変えてしまっているのかを意識してください。配座は回してよく、配置は回してはいけません。

大学院入試での問われ方

  • 「次のフィッシャー投影式で表される化合物のR/Sを答えよ」……最下位の位置で場合分け
  • 「2つの投影式が同一化合物かエナンチオマーか判定せよ」……入れ替えの偶奇
  • 「フィッシャー投影式を90度回してはいけない理由を述べよ」
  • 「D-グルコースの投影式を書け」……最下部の–OHが右
  • 「メソ酒石酸と(2R,3R)-酒石酸の投影式を書き、関係を答えよ」……–OHが同じ側か反対側か
  • 「L-システインの絶対配置を答えよ」……SがOより上位なのでRになる

まとめ

この記事のまとめ
・横は手前、縦は奥。交点が不斉炭素で主鎖は縦・酸化された炭素を上に。そのまま横は実線くさび、縦は破線くさびに置き換えればくさび形になる
・180度回転と偶数回の入れ替えは同じ化合物、90度回転と奇数回は鏡像体
・R/Sは投影式のまま判定できる。最下位が縦ならそのまま、横なら反転(–CH2SHを持つL-システインだけはRになる)
・D/Lは1か所だけを見る相対表記。R/Sとも旋光の符号とも対応しない
・上下で鏡映対称ならメソ——酒石酸は–OHが同じ側ならメソ。D-グルコースは–OHが上から右・左・右・右

R/S判定の原理はキラリティー、順位づけの規則はCIP順位則とE/Z表記で扱っています。

参考文献

  • E. Fischer, Ber. Dtsch. Chem. Ges. 1891, 24, 1836–1845. DOI: 10.1002/cber.189102401311
  • M. A. Rosanoff, J. Am. Chem. Soc. 1906, 28, 114–121. DOI: 10.1021/ja01967a014
  • R. S. Cahn, C. Ingold, V. Prelog, Angew. Chem. Int. Ed. Engl. 1966, 5, 385–415. DOI: 10.1002/anie.196603851
  • E. L. Eliel, S. H. Wilen, L. N. Mander, Stereochemistry of Organic Compounds, Wiley, 1994.

よくある質問

フィッシャー投影式の横線と縦線は何を表していますか?

横線は紙面から手前に出ている結合、縦線は紙面の奥へ向かう結合を表します。交点にある炭素は省略されて書かれません。平面に描かれていますが立体情報を含んでおり、この約束を知らずに図を動かすと別の化合物にすり替わってしまいます。手前と奥が交差した蝶ネクタイのような形を正面から見ていると考えると理解しやすくなります。

フィッシャー投影式を90度回してはいけないのはなぜですか?

90度回すと、それまで手前にあった結合が奥に、奥にあった結合が手前に移ってしまうからです。立体の前後関係がまるごと入れ替わるため、得られる図は元の化合物の鏡像体を表すことになります。180度の回転であれば手前は手前、奥は奥のまま保たれるので、同じ化合物を表したままです。

投影式のままR/Sを判定する方法はありますか?

あります。まず4つの基にCIP順位則で順位をつけ、最下位の基がどこにあるかを見ます。最下位が縦線すなわち奥にあれば、順位1から3へたどった回り方をそのまま読んで構いません。最下位が横線すなわち手前にある場合は、読み取った結果を反転させます。R/Sの定義が最下位を奥に向けて見ることになっているためです。

D/L表記とR/S表記はどう違いますか?

D/Lはグリセルアルデヒドを基準とした歴史的な相対表記で、糖なら最も下の不斉炭素のヒドロキシ基が右にあるか左にあるかという1か所だけで決まります。一方R/Sは各不斉炭素について構造から規則的に決まる絶対配置です。分子に不斉炭素が複数あっても、D/Lは1か所しか見ないため、分子全体の立体を表しているわけではありません。

D型の化合物は必ず右旋性ですか?

違います。D/Lは構造の分類であり、旋光の向きは実際に測定してはじめて分かる物理的性質です。D-グリセルアルデヒドは右旋性ですが、D-乳酸は左旋性を示します。同様にD型がR配置になるとも限りません。D/L、R/S、旋光の符号は互いに独立した情報であり、そのため化合物名にはこれらが併記されます。

メソ化合物かどうかをフィッシャー投影式で見分ける方法はありますか?

投影式を書いて、上下の真ん中を通る水平な線で折り返してみてください。折り返して完全に重なるならメソ化合物です。酒石酸であれば、2つのヒドロキシ基が同じ側に並んでいるものがメソ体で、反対側に分かれているものはキラルな(2R,3R)体または(2S,3S)体です。くさび形では分子を頭の中で回転させないと対称面を確認できませんが、投影式なら紙の上で折るだけで済みます。

L型のアミノ酸は必ずS配置ですか?

ほぼすべてがS配置ですが、L-システインだけはR配置です。システインの側鎖は–CH2SHで、ここに含まれる硫黄の原子番号16がカルボキシ基の酸素の8より大きいため、側鎖がカルボキシ基より上位になって順位が入れ替わります。「L型=S配置」と暗記せず、毎回CIP順位則を当てはめる習慣をつけるべき典型例です。

D-グルコースのフィッシャー投影式はどう書けばいいですか?

アルデヒド基を上、–CH2OHを下にして主鎖を縦に置き、間の4つの不斉炭素のヒドロキシ基を上から順に右・左・右・右に書きます。いちばん下の不斉炭素(C5)のヒドロキシ基が右にあることがD型であることを示しています。C2だけ入れ替えるとD-マンノース、C4だけ入れ替えるとD-ガラクトースになります。

カズ塾有機化学 第1巻「基礎編」第12章 配置とキラリティー
・この章のほかの記事:キラリティー/E/Z表記とCIP順位則/異性体
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