R/S表記の説明では、たいてい「CIP順位則で優先順位をつける」の一言で済まされます。ところが実際に問題を解くと、順位がつけられなくて止まります。イソプロピル基とビニル基はどちらが優先か、即答できるでしょうか。

CIP順位則は、R/SとE/Zの両方で使う共通の道具です。そして本当に難しいのは「どちらの側にあるか」の判定ではなく、順位をつける作業のほうです。

この記事では、順位則そのものを手順として固め、それをE/Z表記に適用します。R/S判定への使い方はキラリティーで扱っています。

この記事で学ぶこと
・シス・トランス表記では足りなくなる場面
・CIP順位則の4段階(原子番号 → 外側へ → 複製原子 → 同位体)
・二重結合・三重結合を「複製原子」として数える方法
・シスとZが一致しない例と、アルケン以外への適用

シス・トランスでは決められなくなる

二重結合をはさんだ立体配置は、古くはシス・トランスで表されてきました。同じ置換基が同じ側ならシス、反対側ならトランスです。

この表記は、各炭素に同じ置換基がある場合にしか使えません。たとえば次のような化合物では手が止まります。

Br、CH3、Cl、Hの4つの置換基がすべて異なるアルケンの構造式。シスともトランスとも言えず、E/Z表記が必要になる例

そこで「同じもの」ではなく「優先順位の高いもの」で比べることにしたのがE/Z表記です。置換基がすべて異なっていても、順位さえつけば必ず決まります。

CIP順位則——4段階で順位をつける

順位づけは次の順に進めます。上の段階で決着したら、そこで止めます。

手順
・① 直接ついている原子の原子番号を比べる。大きいほうが優先
・② 決まらなければ1つ外側へ。その原子についた3つを大きい順に並べて、頭から比較
・③ 多重結合は「複製原子」を置いて数える
・④ それでも同じなら同位体。質量数が大きいほうが優先

① 原子番号——まずこれだけ

I > Br > Cl > S > F > O > N > C > H     ← 原子番号の順そのまま

ここで注意したいのは、比べるのは「基」ではなく「直接ついている原子」だという点です。–CH3 も –CCl3 も、最初の原子はどちらも炭素なので、この段階では決まりません。

② 決まらなければ外側へ——3つ組で比較する

最初の原子が同じなら、その原子についている3つの原子を大きい順に並べ、相手の3つ組と頭から比べます。

–CCl3    炭素についているのは (Cl, Cl, Cl)
–CH3     炭素についているのは (H, H, H)
                最初の比較で Cl > H  →  –CCl3 が優先

–CH2OH   (O, H, H)
–CH2CH3 (C, H, H)
                O > C  →  –CH2OH が優先
ここでの誤りが最も多い
・数の多さでは決まらない。(O, H, H) と (C, C, C) なら、最初の O > C で前者が勝つ
・頭から1つずつ比べ、差がついた時点で決着。合計や平均ではない
・決まらなければ、さらに外側へ同じ操作を繰り返す

③ 多重結合は「複製原子」で数える

ここが最大の山場です。二重結合は、同じ原子がもう1つあるものとして数えます。三重結合なら2つ増やします。

–CH=CH2(ビニル)    その炭素は (C, C, H)   ← 二重結合の相手を2回数える
–CH2CH3(エチル)    その炭素は (C, H, H)
                       → ビニル基のほうが優先

–CHO(アルデヒド)      その炭素は (O, O, H)
–CH2OH               その炭素は (O, H, H)
                       → –CHO のほうが優先

–COOH                 その炭素は (O, O, O)   ← 最も優先度が高い炭素置換基のひとつ
–C≡N                  その炭素は (N, N, N)

CIP順位則で二重結合の相手原子を重複させて数える例。ビニル基−CH=CH2の炭素はエチル基−CH2CH3の炭素より高順位になる理由の図解

複製原子は実在しない「幽霊の原子」で、順位づけのためだけに置きます。置いた複製原子には結合の手がない(原子番号0の原子がついている)と考えます。

よく出る順位(覚えておくと速い)
・–COOH > –CHO > –CH2OH > –C≡CH > –CH=CH2 > –CH(CH3)2 > –CH2CH3 > –CH3
・フェニル基 –C6H5 は (C, C, C) なので、イソプロピル (C, C, H) より優先
・迷ったら3つ組を書き出す。頭の中だけでやると必ず間違える

④ 同位体——最後の手段

原子番号が同じなら、質量数の大きいほうが優先です。重水素 D は H より優先されます。プロキラリティーの判定で片方の水素を D に置き換えるのは、この規則を利用しています。

E と Z の判定

順位がつけば、あとは機械的です。

判定のしかた
・二重結合の左右それぞれの炭素で、2つの置換基に順位をつける
・優先度の高いものどうしが同じ側なら Z(zusammen=一緒に)
・反対側なら E(entgegen=反対に)
・ドイツ語の頭文字。Zは「同じ側」と覚える

E/Z表記の判定図。高順位の基が同じ側ならZ、反対側ならEになることを示すアルケンの比較

名前に書くときは、二重結合の位置番号とともに (2Z)- や (3E)- のように示します。二重結合が複数あれば、それぞれについて指定します。

シス=Z とは限らない

ここが試験で狙われます。シス・トランスとE/Zは判定の基準が違うため、一致しない場合があります。

E/Z判定の例の構造式。一方の炭素ではBrがHより高順位、もう一方ではエチル基がメチル基より高順位で、高順位どうしが反対側にあるためE

左の炭素: Br > H          → 高順位は Br(上)
右の炭素: CH2CH3 > CH3   → 高順位は エチル(下)
高順位どうしが反対側  →  E

※ メチル基どうしに注目すれば「シス」に見える配置
使い分けの原則
・シス・トランスは、同じ置換基が2つあるときだけ使える簡易表記
・置換基が3種類以上ならE/Zしか使えない
・迷ったらE/Z。常に一意に決まる

アルケン以外にも使える

E/Zは「回転できない二重結合まわりの配置」を表す記法なので、炭素–炭素二重結合に限りません。

対象 判定のしかた
オキシム・イミン(C=N) 窒素側は孤立電子対を最下位として扱う
アゾ化合物(N=N) 同様。アゾベンゼンのE/Zは光で異性化する
環状化合物 環では慣用的にシス・トランスを使うことが多い

オキシムのE/ZはBeckmann転位の生成物を決めるので、単なる命名の問題ではありません。どちらの置換基が窒素の反対側にあるかで、できるアミドが変わります。

大学院入試での問われ方

  • 「次の化合物にE/Zを付して命名せよ」……左右それぞれで順位づけ
  • 「ビニル基とイソプロピル基の順位を比較し、理由を述べよ」……複製原子
  • 「シス体がZ体とは限らない例を挙げよ」
  • 「オキシムのE体とZ体でBeckmann転位の生成物がどう変わるか」

順位づけの問題では、3つ組を必ず書き出してから比較すること。途中式として残せば、結論が違っても部分点になります。

まとめ

この記事のまとめ
・シス・トランスは同じ置換基が2つあるときだけの簡易表記
・CIP順位則=原子番号 → 外側へ → 複製原子 → 同位体の4段階
・多重結合は相手を複製して数える(ビニルは (C, C, H))
・比較は3つ組を大きい順に並べて頭から。数の多さではない
・高順位どうしが同じ側ならZ、反対側ならE。シス=Zとは限らない

同じ順位則をR/S判定に使う方法はキラリティー、平面の投影式から立体を読む技術はフィッシャー投影式、異性体全体の分類は異性体で扱っています。

よくある質問

シス・トランス表記とE/Z表記はどう違いますか?

判定の基準が違います。シス・トランスは同じ置換基どうしが同じ側にあるかどうかで決めるため、二重結合の各炭素に同じ置換基がある場合にしか使えません。E/Zは優先順位の高い置換基どうしの位置関係で決めるので、4つの置換基がすべて異なっていても一意に決まります。置換基が3種類以上ある場合はE/Zを使う必要があります。

CIP順位則で最初の原子が同じときはどうしますか?

1つ外側へ進み、その原子についている3つの原子を大きい順に並べて、相手の3つ組と頭から順に比較します。差がついた時点で決着し、以降は比べません。たとえば(O, H, H)と(C, C, C)では、最初の比較でO>Cとなるため前者が優先されます。原子の数の多さや合計で決めるのではない点に注意が必要です。

二重結合をもつ置換基の順位はどう数えますか?

二重結合の相手原子がもう1つあるものとして数えます。これを複製原子と呼びます。たとえばビニル基の炭素は、二重結合の相手の炭素を2回数えて(C, C, H)となり、エチル基の(C, H, H)より優先されます。アルデヒド基の炭素は酸素を2回数えて(O, O, H)、カルボキシ基は(O, O, O)になります。三重結合なら相手を2つ増やします。

シス体は必ずZ体になりますか?

なりません。両者は判定の基準が異なるためです。たとえば二重結合の一方の炭素に臭素と水素、もう一方にメチル基とエチル基がついた化合物では、メチル基どうしに注目するとシスに見えても、優先順位では臭素とエチル基を比べることになり、それらが反対側にあればE体と表記されます。迷った場合は常に一意に決まるE/Zを使います。

E/Z表記は炭素の二重結合以外にも使えますか?

使えます。回転できない二重結合まわりの配置を表す記法なので、オキシムやイミンの炭素窒素二重結合、アゾ化合物の窒素窒素二重結合にも適用されます。窒素側では孤立電子対を最も優先順位の低いものとして扱います。オキシムのE体とZ体の区別はBeckmann転位の生成物を決めるため、命名だけの問題ではありません。

カズ塾有機化学 第1巻「基礎編」第12章 配置とキラリティー
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