構造式を描く無料ソフト・サイト比較【ChemDraw無料版の有無・SMILES変換】
レポートに構造式を1つ入れたいだけなのに、ChemDraw は研究室のパソコンにしか入っていない。自宅で課題を進めようと「構造式 フリーソフト」「構造式 書く サイト」と検索すると、ChemSketch や MarvinSketch を勧める記事がたくさん出てきます。ところが、この2つは2026年に無料での提供のしかたが変わりました。
ACD/Labs は2026年1月に Revvity Signals(ChemDraw の開発元)に買収され、ChemSketch Freeware の公式ページは「Discontinued(提供終了)」と表示しています。Chemaxon の製品を扱う Certara は、2026年5月に Chemaxon(Marvin を含む)の無料の個人向けアカデミックライセンスの終了を発表しました。数年前の「おすすめ無料ソフト」の情報は、そのままでは使えなくなっています。
この記事では、2026年11月時点の各公式サイトの記載を確かめたうえで、いま無料で使える構造式の描画ソフトとブラウザで描けるサイトを比べます。あわせて、ChemDraw を無料で使えるのか、SMILES と構造式をどう変換するのかも整理します。
構造式を描く無料ソフト一覧(2026年11月時点)
次の表は、2026年11月7日に各公式サイトで記載を確かめた結果です。「無料の範囲」の列には公式に書かれていることだけを載せ、書かれていないことを推測で埋めてはいません。ソフトの提供条件は買収や方針の変更で変わるので、使い始める前に一度、公式サイトで確かめてください。
| ソフト・サイト | 使い方 | 無料の範囲(公式の記載) | 向いている用途 |
|---|---|---|---|
| Ketcher(EPAM Systems) | ブラウザ | Apache License 2.0 のオープンソース。公式デモをブラウザで使える | 2D の構造式・反応式を描き、SMILES・MOL・画像で書き出す |
| PubChem Sketcher(米国国立衛生研究所 NIH) | ブラウザ | 公開データベース PubChem の構造描画機能 | 描いた構造で化合物を検索する。SMILES・InChI から構造を出す |
| JSME(P. Ertl・B. Bienfait) | ブラウザ | BSD ライセンスの無料エディタ | 手早く描いて SMILES・Molfile を得る。スマホ・タブレットでも動く |
| ChemDoodle Web Components(iChemLabs) | ブラウザ | ライブラリは GPL とプロプライエタリの2種類のライセンス。デモの一部機能には無料の利用回数の上限がある | ブラウザで描いて MOL 形式で保存する |
| Avogadro | インストール(Windows・macOS・Linux) | BSD 3-clause の無料のオープンソース | 3D の分子モデルを組む。量子化学計算の結果を見る |
| BKChem | インストール(Python) | 自由ソフトウェア。公式サイトの最新は2010年のプレビュー版 | 更新が止まっており、新しく使い始める選択肢にはしにくい |
このほか、以前は無料の定番だった ACD/ChemSketch Freeware と MarvinSketch は、2026年に提供の条件が変わりました(後の節で扱います)。スマホ・タブレットのアプリ(KingDraw など)と、描いた構造を3Dで表示する MolView は、有機化学を学べるおすすめアプリ10選で紹介しています。
構造式ソフトは「絵」ではなく「分子のデータ」を描く
ソフトを比べる前に、構造式エディタが何を記録しているかを押さえておくと、選ぶ基準がはっきりします。構造式エディタで線を引くと、画面には線が出ますが、ソフトの中には「炭素原子が2つあり、その間に単結合が1本ある」という原子と結合のつながりの表が記録されます。PowerPoint の図形で描いた構造式は線と文字の集まりにすぎませんが、エディタで描いた構造式は分子そのもののデータです。
データとして持っているから、ソフトは価数を数えられます。たとえばオープンソースのケモインフォマティクスライブラリ RDKit に、5本の結合を持つ炭素を含む SMILES を読ませると、「価数が許容される数を超えている」というエラーを出して読み込みを止めます。同じ理由で、分子式や分子量を計算したり、SMILES や MOL 形式で書き出して別のソフトやデータベースに渡したりできます。ChemDraw でも仕組みは同じで、詳しくはChemDraw(ケムドロー)の使い方の最初の節で説明しています。
つまり、構造式ソフトを選ぶときに見るべきなのは「線がきれいに引けるか」だけでなく、どの形式で書き出せるかです。主な形式の違いを表にまとめます。
| 形式 | 中身 | 原子の座標 | 主な使いみち |
|---|---|---|---|
| SMILES | 原子のつながりを1行の文字列で書いたもの | 持たない | データベースの検索、プログラムへの入力、ソフト間の受け渡し |
| MOL(Molfile)・SDF | 原子の一覧と結合の表 | 持つ(2D または 3D) | 描いた配置ごと別のソフトに渡す |
| InChI・InChIKey | 規則で一通りに決まる識別子 | 持たない | 同じ化合物かどうかの照合 |
| CDX・CDXML | ChemDraw の文書形式(CDXML はテキスト形式) | 持つ | 図の体裁ごと保存する |
| PNG・SVG | 画像(SVG は線の情報で描くベクター画像) | — | レポート・スライドに貼る。構造としては編集できない |
SMILES が座標を持たないことは、後で SMILES から構造式を出すときに効いてきます。SMILES を貼り付けると、ソフトは原子の並べ方をその場で計算し直すので、教科書と同じ向きで出てくるとは限りません。
ブラウザで構造式を描けるサイト
インストール不要で、構造式を書くサイトとしてすぐ使えるのがブラウザのエディタです。大学のパソコンのように自分でソフトを入れられない環境でも使えます。
Ketcher:描いて SMILES や画像に書き出す
Ketcher は EPAM Systems が公開しているオープンソースの Web 構造式エディタで、低分子だけでなく生体分子や反応式も描けます。ライセンスは Apache License 2.0 です。公式のデモページをブラウザで開けば、そのまま描き始められます。
公式の対応形式の一覧には、Molfile(V2000・V3000)、SDF、SMILES、SMARTS、InChI に加えて、ChemDraw の CDXML も入っています。描いた図は PNG と SVG で書き出せます。レポートやスライドに貼るなら SVG を選ぶ理由があります。PNG は点の集まりなので拡大すると線がぼやけますが、SVG は線の位置と太さを数値で持つベクター画像なので、拡大しても結合の線が崩れません。
PubChem Sketcher:描いた構造で化合物を調べる
PubChem Sketcher は、米国国立衛生研究所(NIH)が運営する化合物データベース PubChem の構造描画機能です。米国国立医学図書館(NLM)の講習資料によると、PubChem のトップページの「Draw Structure」から開き、上部の入力欄に SMILES・SMARTS・InChI を貼り付けて構造を出せます。描いた構造は「Search for this structure」で検索にかけられ、Export 機能で画像も作れます。
このサイトの強みは、描いた構造がそのまま化合物データベースにつながることです。検索して化合物のページに行けば、その化合物の名前や分子式、SMILES・InChI などの識別子を確かめられます。「自分が描いた構造は、本当に狙った化合物になっているか」を確かめる用途には、描くだけのエディタより向いています。
JSME:軽く、スマホでも動く
JSME は Peter Ertl と Bruno Bienfait による JavaScript の分子エディタで、BSD ライセンスで無料公開されています。Java アプレットだった分子エディタ JME を JavaScript に移植したもので、公式ページはパソコンに加えて iPhone・iPad・Android のスマホとタブレットでも動くとしています。描いた分子は SMILES と Molfile で書き出せます。公式サイトのJSME のページからデモを試せます。
ChemDoodle Web Components:2D Sketcher のデモ
ChemDoodle Web Components は、iChemLabs が提供する JavaScript の化学描画ライブラリで、デスクトップ版の ChemDoodle から派生したものです。公式サイトには GPL とプロプライエタリ(商用)の2種類のライセンスのページがあります。デモの「2D Sketcher」は主要なブラウザで動き、Save File で描いた構造を MDL MOLFile として表示できます。ただし、iChemLabs のサーバーを使う一部の機能には無料で使える回数の上限があり、超えるとライセンス購入の案内が出ます。
デスクトップ版の ChemDoodle 2D は有料で、Windows・macOS・Linux に対応しています。2026年11月時点の公式ストアでは、ChemDoodle 2D・3D・Mobile をまとめたサブスクリプションが月額29米ドル、年額199米ドル、買い切りの Lifetime ライセンスが999米ドル(いずれも税別)です。14日間の無料トライアル(一部機能に制限あり)があり、アカデミック割引は機関向けのサイトライセンスにだけ設けられています。
インストールして使う無料ソフト
Avogadro:3D の分子モデルを組む
Avogadro は無料のオープンソースの分子エディタ兼可視化ソフトで、ライセンスは BSD 3-clause、Windows・macOS・Linux に対応しています。2026年11月時点の公式サイトではバージョン2.1が公開されています。2D の構造式を清書するソフトではなく、分子を3Dで組み立てて眺めたり、量子化学計算(GAMESS・Gaussian・ORCA など)の結果を読み込んで表示したりするためのソフトです。
SMILES から3Dモデルを作るには、公式ドキュメントのとおり Build > Insert > SMILES… を選んで文字列を入力します。3D の座標は、Avogadro が使っているオープンソースの変換ツール Open Babel が生成します。ここで覚えておきたいのは、SMILES には座標が無いということです。ソフトは結合の長さや角度の標準的な値から原子の位置を組み立て、力場(原子間の力を近似した計算式)で形を整えます。得られる形は計算で作った配座の1つで、いちばん安定な配座とは限りません。配座の考え方は立体配座とは?ニューマン投影といす形シクロヘキサンで扱っています。
BKChem:更新が止まっている
BKChem は Python で書かれた自由ソフトウェアの構造式描画ソフトで、無料のソフトとして名前が挙がることがあります。ただし、公式サイトに載っている最新版は2010年8月12日の 0.14.0-pre2(プレビュー版)で、動作には Python 2.5 以降が必要と書かれています。Linux 向けの配布サイト Flathub では「no longer maintained(保守されていない)」と表示されています。これから新しく使い始めるなら、上の Ketcher や JSME を先に試すほうが無難です。
スマホ・タブレットで描くなら
スマホ・タブレットで構造式を描くアプリ(KingDraw、ChemGraphic 2)は、価格や対応 OS を含めて有機化学を学べるおすすめアプリ10選にまとめています。ブラウザで動く JSME も、スマホでの簡単な作図には使えます。
2026年に無料での提供が変わったソフト
「構造式 フリーソフト」で検索すると、今でも ChemSketch Freeware や MarvinSketch を無料の定番として紹介する記事が多く出てきます。どちらも2026年に条件が変わったので、古い記事の手順どおりに入手しようとしても、同じようにはいきません。
ACD/ChemSketch Freeware
ACD/Labs の公式サイトによると、ACD/Labs は2026年1月に Revvity Signals(ChemDraw の開発元)に買収されました。2026年11月時点の ChemSketch Freeware のページは「ChemSketch Freeware Discontinued」と表示し、構造式を描くソフトを探している人には ChemDraw の無料トライアルを案内しています。すでにインストールしている人は、適用されるライセンス条件に従って使い続けられると書かれています。ACD/Labs のサイトは revvitysignals.com へ移行中とされています。
公式の配布が終わったソフトを、公式以外のダウンロードサイトから入手するのは避けてください。ライセンスの条件を確かめようがないうえ、配布元が分からないインストーラーには改ざんされている危険があります。
MarvinSketch・Marvin JS(Chemaxon)
Chemaxon の製品ページは、現在は Certara のサイトに移っています。Certara は2026年5月21日の告知で、Chemaxon のアカデミックプログラムの見直しとして無料の個人向けアカデミックライセンスを終了すると発表しました。既存のライセンスは2026年7月31日まで有効で、その後は使用許諾契約に従って利用できなくなります。代わりに案内されているのはブラウザで使う Marvin Cloud で、14日間の無料トライアルのあとは有料のサブスクリプションです。なお、2026年11月時点の公式ページでは、Marvin Cloud のオンライン決済の対象地域は米国・EU・英国・スイスと書かれており、支払いはカードのみです。アカデミック向けには、機関と非営利の研究に対する割引があるとされています。
製品ページによると、デスクトップ版の MarvinSketch(Marvin Desktop Suite)は引き続きサポートされています。Web アプリに組み込む Marvin JS は機能追加を終え、2027年12月31日までの長期サポートのみです。大学や研究室が機関として契約していれば使える場合があるので、MarvinSketch を使いたい人は所属機関に確認してください。
| ソフト | 2026年11月時点の公式の記載 | 使いたいときは |
|---|---|---|
| ACD/ChemSketch Freeware | 提供終了(Discontinued)。既存のインストールはライセンス条件に従って使用可 | 新規には上の無料ソフトを使う |
| MarvinSketch | Chemaxon(Marvin を含む)の無料の個人向けアカデミックライセンスは終了(既存分は2026年7月31日まで)。MarvinSketch 自体のサポートは継続 | 所属機関の契約を確認する |
| Marvin Cloud | 有料のサブスクリプション。14日間の無料トライアル | 試用はできる。日本からの契約可否は公式に確認する |
| Marvin JS | 機能追加なし。2027年12月31日まで長期サポート | — |
ChemDraw は無料で使えるか
結論から言うと、2026年11月時点で ChemDraw を無料で使う公式の方法として確かめられたのは、15日間の無料トライアルです。続けて使うには有料のライセンスか、大学などが契約しているライセンスが必要です。
公式の15日間無料トライアル
Revvity Signals のトライアル申込ページによると、トライアルでは ChemDraw Desktop、ブラウザで使う ChemDraw+、Chem3D、ChemDraw for Excel などをまとめて試せます。条件として次のことが書かれています。
- 期間は15日間で、ソフトをインストールした日ではなく、試用システムへのアクセスを受け取った時点から数える
- トライアルを受けられるのは申し込んだ本人だけで、同じメールアドレスで2回以上申し込むことはできない
- 期間が終わると Signals ChemDraw のログインが無効になる。終了前に cdxml 形式で作業データを書き出せる
- 延長したい場合はサポートに依頼する
期間がアクセスを受け取った時点から数えられるので、申し込む時期が大事です。卒業論文の図をまとめる週など、実際に集中して使う時期に合わせて申し込むと、15日間を無駄にしません。終了前には、使い続けるソフトで開ける形式に書き出しておきましょう。
大学のライセンスは所属機関に確認する
大学や研究機関が ChemDraw(または ChemOffice)のライセンスを契約していて、学生も使えることがあります。ただし、契約の有無、使えるエディション、自分のパソコンに入れてよいかどうかは機関ごとの契約で違います。まずは所属先の情報基盤センター・図書館・研究室のいずれかに確認し、案内された手順でインストールしてください。エディション(Prime・Professional)による機能の違いはChemDrawショートカット一覧の後半で扱っています。
「ChemDraw ダウンロード」は公式の経路で
ChemDraw を入手する経路は、所属機関の案内ページか、Revvity Signals の公式サイト(トライアルの申込を含む)です。検索結果に「ChemDraw 無料ダウンロード」とうたう公式以外のサイトが出てくることがありますが、使わないでください。ライセンス違反になるおそれがあるうえ、改ざんされたインストーラーでパソコンが被害を受けるおそれがあります。価格は契約の種類によって違い、この記事の確認時点では公式サイトで一律の価格表を確かめられなかったので、ここでは扱いません。
ChemDraw を使えるようになったら、描画・保存・Word への貼り付けはChemDraw(ケムドロー)の使い方、巻矢印や遷移状態の描き方はChemDrawで反応機構を描く手順にまとめています。
SMILES と構造式の変換
SMILES(Simplified Molecular Input Line Entry System)は、分子の構造を1行の文字列で書く記法で、1988年に D. Weininger が発表しました。データベースの検索やプログラムへの入力に広く使われていて、構造式ソフトの多くが読み書きできます。規則は少なく、構造式との対応が分かれば数分で読めるようになります。以下、規則は Daylight 社の SMILES の解説に従います。
SMILES は原子を一筆書きでたどった文字列
SMILES は、分子の中の原子を一筆書きのようにたどり、出会った順に元素記号を並べたものです。たどり方の約束は次の6つです。
- 水素は書かない:B・C・N・O・P・S・F・Cl・Br・I(有機サブセット)は角括弧なしで書け、通常の価数に足りない分は水素で補われる。
CCOは C2H6O のエタノールになる - 枝分かれは丸括弧:主鎖からの枝を括弧に入れる。
CC(=O)Oは酢酸、CC(C)=Oはアセトン - 結合の記号:単結合は書かず、二重結合は
=、三重結合は#。CC#Nはアセトニトリル - 環は数字で閉じる:環のどこか1本の結合を切って鎖として書き、切った両端に同じ数字を付ける。
C1CCCCC1はシクロヘキサン - 芳香族は小文字:芳香環の原子は小文字で書く。
c1ccccc1はベンゼン - 角括弧の中は全部書く:電荷を持つ原子や有機サブセット以外の原子は角括弧に入れ、水素の数と電荷を明記する。
CC(=O)[O-]は酢酸イオン、[NH4+]はアンモニウムイオン。つながっていない成分はドットで区切る(CC(=O)[O-].[Na+]は酢酸ナトリウム)
水素を書かなくてよいのは、線構造式で炭素に付いた水素を省略できるのと同じ理由です。炭素なら結合が4本、窒素なら3本、酸素なら2本という価数が決まっているので、書かれた結合の本数から水素の数を逆算できます。逆に、電荷を持つ原子では通常の価数が当てはまらないので、ソフトは水素の数を推測できません。そのため、角括弧の中では水素の数を必ず書く約束になっています。
環を数字で閉じるのも、文字列が一列にしか並ばないからです。環はどこかで切らないと一筆書きにできないので、切った結合の両端に同じ数字を付けて「ここはつながっている」と示します。
| 化合物 | SMILES | 読み方のポイント |
|---|---|---|
| エタノール | CCO |
水素は価数から補われる |
| 酢酸 | CC(=O)O |
カルボニル酸素は括弧の枝 |
| シクロヘキサン | C1CCCCC1 |
1番目と6番目の炭素が「1」でつながる |
| ベンゼン | c1ccccc1(C1=CC=CC=C1 でも可) |
小文字の芳香族表記と、二重結合を書くケクレ表記 |
| トルエン | Cc1ccccc1 |
メチル基から書き始めて環に入る |
| アスピリン | CC(=O)Oc1ccccc1C(=O)O |
エステルの O から芳香環に入り、隣の炭素にカルボキシ基 |
立体の書き方:@・@@ と / ・\
不斉炭素の立体は @ と @@ で書きます。不斉中心の直前に書かれた原子の側から不斉中心を見たとき、残りの3つの原子が書かれた順に反時計回りに並ぶなら @、時計回りなら @@ です。[C@@H] のように角括弧の中に書いた水素は、不斉中心の直後に書かれた原子として順番に数えます。例外として、不斉中心が SMILES の先頭にあって直前の原子が無いときは、角括弧の中の水素が「見る側」の原子になります。
たとえば L-アラニン(S 配置)は C[C@@H](C(=O)O)N と書けます。メチル基の側から見ると、水素 → カルボキシ基 → アミノ基が時計回りに並ぶので @@ です。同じ L-アラニンを C[C@H](N)C(=O)O と書くこともでき、こちらは @ になります。カルボキシ基とアミノ基を書く順番を入れ替えたので、回る向きの表し方も逆になったわけです。@・@@ は書く順番に対する向きで、CIP 順位則で決める R/S とは別物だと分かります。逆の例もあります。L-アラニン N[C@@H](C)C(=O)O は S ですが、同じ並びで書いた L-システイン N[C@@H](CS)C(=O)O は R です。システインでは側鎖の CH2SH が硫黄を持つためカルボキシ基より順位が上になり、同じ @@ でも R/S が逆になります。R/S の決め方はキラリティーとは?R/S表記と鏡像異性体で確認してください。
二重結合の E/Z は、二重結合の両側の結合に / と \ を付けて表します。C/C=C/C は (E)-2-ブテン、C/C=C\C は (Z)-2-ブテンです。この例のように置換基を二重結合の前と後ろに書いた場合、2本の斜線の向きがそろっていれば置換基は反対側(トランス)、逆向きなら同じ側(シス)に来ます。E/Z の決め方はE/Z表記の決め方にまとめています。
1つの分子に SMILES が何通りもある理由
SMILES は一筆書きなので、どの原子から書き始め、どの順にたどるかで文字列が変わります。エタノールは CCO とも OCC とも C(C)O とも書けます。ソフトは決まった規則で1つに整えた「カノニカル SMILES(正準 SMILES)」を出しますが、その規則はソフトごとに違うので、同じ分子でもソフトが違えば文字列が一致しないことがあります。
2つの構造が同じ化合物かどうかを文字列で照合したいときは、SMILES ではなく InChIKey を使います。InChIKey は同じ構造なら同じ文字列になるように規格で決まっていて、エタノールなら LFQSCWFLJHTTHZ-UHFFFAOYSA-N です。ChemDraw での SMILES と InChIKey の扱いはChemDrawショートカット一覧で扱っています。
無料ソフトでの変換のしかた
SMILES と構造式の変換は、次の表のように行います。各ソフトの公式ページで確かめられた範囲だけを書いています。
| ソフト | SMILES → 構造式 | 構造式 → SMILES |
|---|---|---|
| PubChem Sketcher | 上部の入力欄に SMILES(SMARTS・InChI も可)を貼る | 描いた構造で検索し、化合物ページの識別子で確かめる |
| Ketcher | 対応形式に SMILES があり、読み込める | SMILES・MOL・InChI などで書き出せる |
| JSME | —(公式ページは書き出しを明記) | SMILES・Molfile で書き出せる |
| Avogadro | Build > Insert > SMILES…(3D 座標は Open Babel が生成) | — |
| ChemDraw(参考) | Edit > Paste Special > SMILES(Windows は Alt+Ctrl+P) | Edit > Copy As > SMILES(Windows は Alt+Ctrl+C) |
SMILES から構造式を出すと、原子の配置はソフトがその場で計算します。SMILES には座標が無いので、教科書と左右が逆だったり、環の向きが違ったりするのはこのためで、変換の誤りではありません。必要なら回転や整列で向きを直してから使います。
ピロールの例は、小文字の芳香族表記の仕組みから説明できます。小文字で書かれた環を読み込むとき、ソフトは単結合と二重結合を交互に置いた構造に割り振り直します。5員環の5つの原子をすべて小文字で書くと、二重結合を2本置いたあとに、どちらの二重結合にも加われない原子が1つ残ります。その原子が水素を持つのかどうかが文字列に書かれていないので、RDKit などのソフトは構造を決められずにエラーを出します。ピロールでは窒素の孤立電子対が6π電子系に加わっていて、その窒素には水素が付いています。[nH] と書けば「この窒素は二重結合に加わらず、水素を持つ」と決まるので、割り振りが一通りに定まります。芳香族性の条件は芳香族性とは?ヒュッケル則(4n+2)と条件で扱っています。
くさびの描き方の約束は有機化学の構造式の描き方にまとめています。ソフトはくさびと破線から立体を読み取るので、立体を区別したい構造は、くさびを描いてから SMILES に変換してください。
用途別の選び方
ここまでの内容を、やりたいことから選べるように表にまとめます。迷ったら、インストール不要で書き出しの形式が多い Ketcher から試すのが手早い選び方です。
| やりたいこと | まず試すもの | 理由 |
|---|---|---|
| 課題やノートに構造式を1つ入れたい | Ketcher | インストール不要で、PNG・SVG で書き出せる |
| 描いた構造の名前や分子式を確かめたい | PubChem Sketcher | 描いた構造からデータベースの化合物ページにつながる |
| SMILES が欲しい・SMILES から描きたい | Ketcher、JSME、PubChem Sketcher | いずれも公式に SMILES の入力か出力を明記している |
| 3D の形を見たい・計算の入力を作りたい | Avogadro | 3D で組み立て、力場で形を整えられる |
| 卒論・発表の図をそろえたい | 研究室で標準にしているソフト | 結合の長さ・線の太さ・文字の大きさを全図でそろえられ、共同で編集できる |
| たくさんの SMILES をまとめて処理したい | RDKit(Python のライブラリ) | プログラムで読み込み・描画・計算ができる |
卒業論文や発表の図で研究室の標準ソフトに合わせるのは、図ごとに結合の長さや文字の大きさが違うと、並べたときに読みにくくなるからです。ChemDraw には文書の設定(たとえば ACS Document 1996)で体裁をそろえる仕組みがあり、研究室が ChemDraw を使っているなら、図は ChemDraw で描くのがいちばん手戻りが少なくなります。実験レポートの構成は実験レポートの書き方、引用の書式は参考文献の書き方を参照してください。
RDKit はオープンソースのケモインフォマティクスライブラリで、Python と C++ から使えます。このサイトの反応式の図も、SMILES を RDKit に読ませて構造式を描いています。手で描くより、原子の配置や結合の角度がそろった図になります。
試験勉強で構造式ソフトを使うときのコツ
定期試験や院試では、構造式も反応機構も白紙に自分の手で書きます。ソフトに描かせて終わりにすると、その力は身につきません。ソフトは「答え合わせの相手」として使うと効果があります。
- 分子式から不飽和度を検算する:自分で組み立てた構造をソフトに描き、表示される分子式が問題の分子式と一致するかを見る。一致しなければ、環や二重結合の数を数え直す。不飽和度の計算は不飽和度(DBE)の求め方で扱っています
- 命名の答え合わせをする:先に自分で IUPAC 名を付けてから、PubChem Sketcher で構造を描いて検索し、化合物ページの名前と比べる。PubChem の IUPAC 名はソフトで自動生成された名前なので、教科書の慣用名や命名の選び方と違うことがある点に注意する。命名の手順はIUPAC命名法とは?にまとめています
- 立体の描き忘れに気づく:くさびを描いた構造を SMILES に変換し、
@や/が入っているかを確かめる。入っていなければ、ソフトから見て立体が指定されていない
ただし、反応機構の巻矢印はソフトが考えてくれるわけではありません。巻矢印の書き方は巻矢印の書き方とは?で、紙に書いて練習してください。
まとめ
よくある質問
2026年11月時点で、Revvity Signals の公式サイトで確かめられた無料の使い方は15日間の無料トライアルです。期間はソフトのインストール日ではなく、試用システムへのアクセスを受け取った時点から数えます。続けて使うには有料のライセンスが必要で、大学などが契約していれば学生も使える場合があるので、所属機関の情報基盤センターや研究室に確認してください。
2026年11月時点の ACD/Labs の公式ページは、ChemSketch Freeware を提供終了(Discontinued)と表示しています。ACD/Labs は2026年1月に Revvity Signals に買収されました。すでにインストールしている人は、適用されるライセンス条件に従って使い続けられるとされています。公式以外のサイトから旧版を入手するのは避け、新しく始めるなら Ketcher や JSME などの無料ソフトを使ってください。
Chemaxon の製品を扱う Certara は、2026年5月に Chemaxon(Marvin を含む)の無料の個人向けアカデミックライセンスの終了を発表し、既存のライセンスは2026年7月31日までとなりました。ブラウザ版の Marvin Cloud は14日間の無料トライアルのあと有料で、2026年11月時点の公式ページではオンライン決済の対象地域が米国・EU・英国・スイスとされているため、日本から契約できるかは公式に確認してください。大学や研究室が機関として契約していれば使える場合があるので、所属機関にも確認してください。
無料で使える方法なら、PubChem Sketcher の上部の入力欄に SMILES を貼り付ける方法が手早く、Ketcher も SMILES を読み込めます。3D のモデルにしたいときは、Avogadro の Build メニューの Insert から SMILES を選んで入力します。SMILES には原子の座標が無いので、出てくる構造式の向きはソフトが計算したもので、教科書と違って見えることがあります。
あります。EPAM が公開している Ketcher はブラウザで動くオープンソースのエディタで、描いた構造式を PNG と SVG で書き出せます。PubChem Sketcher にも画像を作る Export 機能があります。レポートやスライドに貼るなら、拡大しても線がぼやけない SVG が向いています。
参考文献
- D. Weininger, “SMILES, a chemical language and information system. 1. Introduction to methodology and encoding rules”, J. Chem. Inf. Comput. Sci. 1988, 28, 31–36. DOI: 10.1021/ci00057a005
- Daylight Chemical Information Systems, “SMILES — A Simplified Chemical Language”, Daylight Theory Manual.
- W. D. Ihlenfeldt, E. E. Bolton, S. H. Bryant, “The PubChem chemical structure sketcher”, J. Cheminform. 2009, 1, 20. DOI: 10.1186/1758-2946-1-20
- B. Bienfait, P. Ertl, “JSME: a free molecule editor in JavaScript”, J. Cheminform. 2013, 5, 24. DOI: 10.1186/1758-2946-5-24
- M. D. Hanwell, D. E. Curtis, D. C. Lonie, T. Vandermeersch, E. Zurek, G. R. Hutchison, “Avogadro: an advanced semantic chemical editor, visualization, and analysis platform”, J. Cheminform. 2012, 4, 17. DOI: 10.1186/1758-2946-4-17
- 各ソフトの公式サイト(ACD/Labs、Certara/Chemaxon、Revvity Signals、EPAM Ketcher、JSME、iChemLabs ChemDoodle、Avogadro、BKChem)。いずれも2026年11月7日に確認
