水はなぜ折れ線なのでしょう。酸素に水素が2つ付くだけなら、まっすぐ 180° でもよさそうです。ところが実際は約 104.5° に折れ曲がっています。

この形を、たった一つの原理——電子群は互いにできるだけ離れたがる——から言い当てるのが VSEPR(原子価殻電子対反発則)です。分子模型を暗記しなくても、数を数えるだけで形が出てきます。

そして VSEPR の本当の価値は、水やメタンのような簡単な分子ではなく、SF4 や ClF3 のように「なぜその形になるのか」が直感では出てこない分子にあります。この記事では、そこまで届く手順として整理します。

この記事で学ぶこと
・電子群の数え方と、AXnEm という書き出し方
・電子対の配置と分子の形が別物であること(最頻出の誤り)
・三方両錐で孤立電子対が必ず赤道位に入る理由
・結合角を細かく動かすもの(電気陰性度・中心原子の大きさ)
・VSEPR が外れる場面

原理は1つだけ——電子群は離れたがる

中心原子のまわりにある電子は、負電荷どうしで反発します。だから互いにもっとも離れた配置をとる。VSEPR はこれだけです。

ここで数える単位を電子群(電子ドメイン)と呼びます。数え方に3つの約束があります。

電子群の数え方
・単結合 1本=1群
・二重結合・三重結合も、まとめて 1群(電子の数ではなく、伸びている方向を数える)
・孤立電子対 1組=1群。ラジカルの不対電子 1個も、ほぼ 1群として扱う

多重結合を 1群と数えるのは、二重結合の 2組の電子が同じ方向に伸びているからです。反発を決めるのは電子の個数ではなく、電子が占めている方向の数です。

電子群が2個・3個・4個のときに、互いにもっとも離れる配置としてそれぞれ直線・平面三角形・正四面体が現れることを立体的に示す

手順——AXnEm に書き出す

形を答えるまでの流れを、4ステップに固定してしまうのが確実です。

① ルイス構造を書く                     → 孤立電子対の位置が分かる
② 中心原子の電子群を数える             → 立体数(SN)が決まる
③ SN から電子対の配置を決める       → 骨格が決まる
④ 孤立電子対を"消して"見える原子だけを読む → 分子の形が決まる

  表記:AXnEm   A=中心原子、X=結合している原子、E=孤立電子対
  例:H2O は AX2E2(SN = 4)、SF4 は AX4E(SN = 5)

ルイス構造の書き方そのものはルイス構造の描き方で扱っています。

電子対の配置と、分子の形は別物

ここが最大のつまずきどころです。①②③ で決まるのは電子対の配置であって、答えるべき分子の形ではありません。

形の名前は「見える原子」で呼ぶ
・水 H2O の電子対の配置は四面体。しかし分子の形は折れ線
・孤立電子対は反発には参加するが、形の名前には入らない(X線でも見えない)
・×「水は四面体形」…… ○「水は四面体配置の折れ線形」

同じ四面体の電子対配置から、孤立電子対の数に応じて正四面体(AX4)・三角錐(AX3E)・折れ線(AX2E2)という別々の分子の形が出てくることを、孤立電子対を薄く描いて対比する

立体数ごとの全パターンを一覧にします。院試で問われるのはほぼこの表の中です。

SN 電子対の配置 型 分子の形 結合角 例
2 直線 AX2 直線 180° CO2・HC≡CH
3 平面三角形 AX3 平面三角形 120° BF3・カルボカチオン
3 平面三角形 AX2E 折れ線 < 120° SO2・一重項カルベン
4 四面体 AX4 正四面体 109.5° CH4
4 四面体 AX3E 三角錐 約 107° NH3・カルボアニオン(カルバニオン)
4 四面体 AX2E2 折れ線 約 104.5° H2O
5 三方両錐 AX5 三方両錐 120° / 90° PCl5・SN2 の遷移状態
5 三方両錐 AX4E シーソー形 < 120° / < 90° SF4
5 三方両錐 AX3E2 T字形 < 90° ClF3
5 三方両錐 AX2E3 直線 180° XeF2・I3−
6 八面体 AX6 正八面体 90° SF6
6 八面体 AX5E 四角錐 < 90° BrF5
6 八面体 AX4E2 平面四角形 90° XeF4

XeF4 が平面四角形になるのに注目してください。2組の孤立電子対は、八面体の”上と下”という正反対の位置に入ります。互いに 180° 離れれば反発が最小になるからです。

反発の強さには順位がある

すべての電子群が同じ強さで反発するわけではありません。孤立電子対は、核ひとつにしか引きつけられていないぶん空間的に広がっており、強く反発します。

電子群が4つで骨格は同じ四面体でありながら、孤立電子対の数が増えるにつれてメタン109.5度・アンモニア107度・水104.5度と結合角が狭まっていく比較図

孤立 – 孤立  >  孤立 – 結合  >  結合 – 結合

  多重結合も単結合より太いので、単結合をやや押しのける
  例:H2C=O の H−C−H 角は 120° より狭い(約 116°)

この順位が効いてくるのが立体数 5(三方両錐)です。三方両錐には赤道位(3か所・互いに 120°)と軸位(2か所・赤道面に垂直)という質の違う席があり、孤立電子対はどちらに入るのかを決める必要があります。

三方両錐において、孤立電子対が軸位に入ると90度で接する相手が3つ、赤道位なら2つになることを数え上げて示し、赤道位が選ばれる理由を説明する図

90° で接する相手を数えるだけで決まる
・孤立電子対を軸位に置くと、90° で向き合う相手が3つ(赤道位の3本)
・孤立電子対を赤道位に置くと、90° で向き合う相手は2つ(軸位の2本)
・反発がきついのは 90° の接触なので、少ないほうが勝つ → 孤立電子対は必ず赤道位

だから SF4 はシーソー形、ClF3 は T 字形、XeF2 は直線になります。3つとも「孤立電子対を赤道位に詰めていく」という同じ一手から出てきます。暗記する必要はありません。

結合角を細かく動かすもの

基本の角度(109.5° など)からのずれは、2つの要因で説明できます。

要因 効き方 例
置換基の電気陰性度 結合電子が中心原子から遠ざかる → 反発が弱まり角度が狭くなる NH3 107° > NF3 102°
中心原子の大きさ 原子が大きいと結合が長く、置換基どうしが離れる → さらに狭くなる NH3 107° > PH3 約 93.5°

PH3 の 93.5° は、ほとんど直角です。「第3周期以降では混成がほとんど起こらず、p 軌道をそのまま使っている」と解釈されます。周期表を下に降りるほど VSEPR の基本角から外れていくわけです。

有機化学でどう使うか

反応中間体の形は、そのまま反応の立体化学を決めます。

化学種 型 形 結果として何が起きるか
カルボカチオン AX3 平面三角形 両面から攻撃されてラセミ化
カルボアニオン AX3E 三角錐 錐が速く反転するので通常は立体が保てない
一重項カルベン AX2E 折れ線(約 102°) アルケンへ立体保持で付加する
SN2 の遷移状態 AX5 三方両錐 求核剤と脱離基が軸位 → 立体反転

SN2 で立体が必ず反転するのは、三方両錐の軸位が 180° 離れているからです。形の話が、そのまま立体化学の答えになっています。関連はカルボカチオンの安定性・カルボアニオンの安定性で扱っています。

VSEPR が外れるとき

この規則が効かない場面
・共鳴がある場合:アミドの窒素は AX3E なのにほぼ平面。孤立電子対がカルボニルへ非局在化して、独立した電子群として振る舞わなくなるため
・遷移金属錯体:d 電子の効き方が違うので、この規則では形を出せない
・重い原子の化合物:CaF2 は AX2 なのに気相で折れ曲がっている
・VSEPR は形を当てる経験則であって、なぜそうなるかを軌道の言葉で説明するものではない

アミドの例は、有機化学ではむしろ主役級の”例外”です。ペプチド結合が平面で回転しにくいという、タンパク質の構造そのものを決めている性質が、ここから出てきます。共鳴については共鳴を参照してください。

大学院入試での問われ方

「SF4 の構造を図示し、孤立電子対の位置を示せ」
      → 三方両錐の赤道位に孤立電子対。分子の形はシーソー形

「H2O の電子対の配置と分子の形をそれぞれ答えよ」
      → 配置は四面体、形は折れ線。2つを区別して書く

「NH3 と NF3 の結合角を比較し、理由を述べよ」
      → NF3 のほうが狭い。F が結合電子を引き、反発が弱まるため

「アミドの窒素が平面になる理由を述べよ」
      → 孤立電子対が C=O へ非局在化するため。VSEPR の単純適用が破れる例

まとめ

この記事のまとめ
・原理は1つ。電子群は互いにもっとも離れる配置をとる
・多重結合は 1群、孤立電子対も 1群。数えるのは電子の個数ではなく方向の数
・電子対の配置と分子の形は別物。形の名前は見える原子だけで呼ぶ
・反発は 孤立–孤立 > 孤立–結合 > 結合–結合。だから孤立電子対は三方両錐の赤道位へ
・電気陰性度の大きい置換基、大きい中心原子は、どちらも結合角を狭める
・共鳴・遷移金属・重い原子では外れる。VSEPR は経験則である

ここで決めた形が、そのまま分子の極性を決めます。その極性を「値」として扱い、構造決定に使う話は双極子モーメントへ、同じ形を軌道の言葉で説明する話は混成軌道へ続きます。

よくある質問

VSEPRとは何ですか?

中心原子のまわりの電子群が反発によってできるだけ離れた配置をとることを利用し、分子の立体的な形を予測する経験則です。結合電子対と孤立電子対の総数から電子対の配置を決め、そこから孤立電子対を除いて見える原子だけを読むことで分子の形が得られます。単結合も多重結合もそれぞれ1つの電子群として数える点が要点です。

電子対の配置と分子の形はどう違いますか?

電子対の配置は孤立電子対を含めた電子群全体がつくる骨格で、分子の形は結合した原子だけを見たときの並び方です。水を例にとると、電子群は4つあるので電子対の配置は四面体ですが、孤立電子対は形の名前に入らないため分子の形は折れ線になります。試験では両方を区別して答えることが求められます。

三方両錐で孤立電子対が赤道位に入るのはなぜですか?

90度で向き合う相手の数が少なくて済むからです。孤立電子対を軸位に置くと赤道位の3本と90度で接しますが、赤道位に置けば軸位の2本としか90度で接しません。反発がきついのは90度の接触なので、接触の少ない赤道位が選ばれます。この一手だけで、四フッ化硫黄がシーソー形、三フッ化塩素がT字形、二フッ化キセノンが直線になる理由がすべて説明できます。

アンモニアより三フッ化窒素の結合角が狭いのはなぜですか?

フッ素の電気陰性度が大きく、窒素との結合電子を自分の側へ引き寄せるためです。結合電子対が中心の窒素から遠ざかると、結合電子対どうしの反発が弱まります。その結果、強く反発する孤立電子対に押し込まれて結合角が狭くなり、アンモニアの約107度に対して三フッ化窒素は約102度になります。

アミドの窒素が平面になるのはVSEPRに反しませんか?

反しているように見えますが、これは前提が崩れている例です。VSEPRは孤立電子対が独立した電子群としてふるまうことを前提にしていますが、アミドでは窒素の孤立電子対がカルボニルへ非局在化してしまい、窒素上に局在した電子群として存在しません。そのため三角錐ではなくほぼ平面になります。ペプチド結合が平面で回転しにくいのも同じ理由です。

カズ塾有機化学 第1巻「基礎編」第4章 分子の形と物性
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