ハロゲン化物イオンの求核性を強い順に並べよ——この問題には正解が2つあります。水やアルコールの中では I− > Br− > Cl− > F−。ところがDMSOやDMFの中では、この順序が丸ごとひっくり返ります。

同じイオンなのに、溶媒を変えただけで強さの順が逆になる。この現象は、溶媒を「反応が起こる場所」としか見ていないと理解できません。溶媒は反応に参加しているのです。

説明に必要な考え方は1つだけ、陰イオンの溶媒和です。この記事ではそこから出発して、溶媒の選び方まで一本の線でつなぎます。

この記事で学ぶこと
・溶媒の3分類と、その境目が何で決まるのか
・陰イオンの溶媒和という1点から求核性の逆転を説明する
・SN1とSN2それぞれに向く溶媒
・実験で溶媒を選ぶときの判断基準

溶媒は3つに分かれる

分類の軸は2つだけです。極性があるか、そして水素結合を与えられる水素をもつか。

分類 特徴 代表例
極性プロトン性 極性があり、O–H や N–H をもつ
水素結合を与えられる
水、メタノール、エタノール、酢酸、アンモニア
極性非プロトン性 極性はあるが、O–H・N–H をもたない
水素結合を与えられない
DMSO、DMF、アセトン、アセトニトリル、THF、HMPA
無極性 極性がほとんどない ヘキサン、トルエン、ジクロロメタン、四塩化炭素
分類でつまずく点
・「プロトン性」は水素をもつかではなく「水素結合を与えられる水素をもつか」
・アセトンには水素があるが、炭素についた水素は水素結合を与えられないので非プロトン性
・DMSOは S=O の酸素で水素結合を受け取れるが、与えることはできない

この「与えられるかどうか」が、あとの話の全部を決めます。

溶媒の3分類(極性プロトン性・極性非プロトン性・無極性)と求核性への影響の早見図

鍵は陰イオンの溶媒和ひとつ

求核剤の多くは陰イオンです。溶液中でその陰イオンがどう扱われるかで、反応性が決まります。

プロトン性溶媒は陰イオンを包み込む

水やアルコールは、O–H の水素を陰イオンに向けて水素結合で取り囲みます。これを溶媒和と呼びます。囲まれた陰イオンは安定化されますが、同時に身動きが取れなくなります。攻撃するには、まずこの殻を破らなければなりません。

ここで重要なのは、小さく電荷が濃い陰イオンほど強く囲まれることです。

F−   小さい・電荷が濃い  →  ぎっちり囲まれる  →  動けない  →  求核性が低い
I−   大きい・電荷が薄い  →  ゆるく囲まれる  →  動ける    →  求核性が高い

非プロトン性溶媒は陰イオンを裸のまま放置する

DMSOやDMFは、陽イオン(Na+ など)は分子の負に帯電した酸素で包み込めますが、陰イオンを包む手段をもちません。水素結合を与えられないからです。

結果として、陰イオンは溶媒和されずむき出しのまま残ります。これを「裸の陰イオン」と呼びます。裸の陰イオンはエネルギーが高く不安定なので、猛烈に反応します。

陰イオンの溶媒和の比較図。極性プロトン性溶媒は水素結合で陰イオンを包み求核性を弱め、極性非プロトン性溶媒は陰イオンを裸のまま強く保つ

だから求核性の順序が逆転する

極性プロトン性溶媒(水・メタノール)
   I− > Br− > Cl− > F−    ← 溶媒和の強さが効く(大きいほど自由)

極性非プロトン性溶媒(DMSO・DMF)
   F− > Cl− > Br− > I−    ← 本来の塩基性の順がそのまま出る
ここが本質
・非プロトン性溶媒での順序が、その陰イオンの本来の求核性
・プロトン性溶媒では、溶媒和という足かせが本来の順序を打ち消している
・つまり逆転しているのはプロトン性側。非プロトン性のほうが「素の姿」

なお柔らかい求核剤が SN2 で速いというHSAB則の話は、プロトン性溶媒中での順序をさらに強調する方向に働きます。溶媒和と硬さ・柔らかさは別の要因で、両方が同じ向きに効いているだけです。

反応ごとに向く溶媒が違う

溶媒の選択は、その反応の律速段階で何を安定化したいかで決まります。

反応 向く溶媒 理由
SN2 極性非プロトン性
(DMSO・DMF・アセトン)
求核剤を裸のまま保ち、攻撃力を落とさない
SN1 極性プロトン性
(水・アルコール・ギ酸)
生じるカルボカチオンと脱離基の両方を溶媒和して安定化する
E2 非プロトン性、または塩基の溶媒 塩基性を落とさない
Grignard・有機リチウム エーテル・THF プロトン性溶媒は厳禁。試薬が即座に分解する

SN1の律速段階はイオン化なので、電荷が生まれる過程を助けてくれる溶媒が効きます。SN2は求核剤の攻撃力が勝負なので、求核剤を邪魔しない溶媒が効きます。同じ「極性溶媒」でも働き方が正反対です。詳細はSN1・SN2で扱っています。

実験で必ず守ること
・強塩基・有機金属試薬にプロトン性溶媒を使わない。 溶媒が先に反応して試薬が死ぬ
・NaHやLDAをメタノール中で使うのは、試薬を捨てているのと同じ
・DMSO・DMFは沸点が高く(189 °C・153 °C)、反応後に留去しにくい。後処理を考えて選ぶ

溶媒を選ぶときの手順

順 確認すること
1 試薬を壊さないか(強塩基・有機金属ならプロトン性は除外)
2 基質と試薬が溶けるか
3 律速段階で安定化したいのは電荷か、求核剤か
4 必要な温度域に沸点・融点が合うか
5 後処理で除けるか

大学院入試での問われ方

  • 「ハロゲン化物イオンの求核性の順を、水中とDMSO中それぞれについて答えよ」……逆転する
  • 「SN2反応に極性非プロトン性溶媒が適する理由を述べよ」……陰イオンが溶媒和されない
  • 「SN1反応で極性プロトン性溶媒が有利な理由を述べよ」……イオン化を助ける
  • 「アセトンが非プロトン性に分類される理由を述べよ」……C–H は水素結合を与えられない

どの問いも、「陰イオンが囲まれるか、裸のままか」の一言に還元できます。溶媒の名前を暗記するのではなく、この1点から毎回導いてください。

まとめ

この記事のまとめ
・分類の軸は「極性があるか」と「水素結合を与えられる水素をもつか」
・プロトン性溶媒は陰イオンを包んで動けなくする。小さいイオンほど強く縛られる
・非プロトン性溶媒では陰イオンが裸のまま残り、本来の求核性が出る
・だからハロゲン化物イオンの求核性の順は溶媒で逆転する
・SN2は非プロトン性、SN1はプロトン性。安定化したい相手が違う

脱離基の良し悪しは脱離基の強さの順、求核剤と求電子剤の見分け方は求核剤と求電子剤で扱っています。

よくある質問

プロトン性溶媒と非プロトン性溶媒はどう見分けますか?

水素結合を与えられる水素をもつかどうかで見分けます。酸素や窒素に直接ついた水素があればプロトン性、なければ非プロトン性です。アセトンやDMSOには水素がありますが、いずれも炭素についた水素なので水素結合を与えられず、非プロトン性に分類されます。単に水素をもつかどうかで判断すると誤ります。

ハロゲン化物イオンの求核性の順が溶媒で変わるのはなぜですか?

プロトン性溶媒中では陰イオンが水素結合で取り囲まれて動けなくなるためです。小さく電荷が濃いフッ化物イオンほど強く囲まれるので、実際の求核性は最も低くなります。一方、非プロトン性溶媒は陰イオンを包めないため裸のまま残り、本来の塩基性の順序がそのまま求核性に現れて、フッ化物イオンが最も強くなります。

SN2反応に極性非プロトン性溶媒が適するのはなぜですか?

求核剤である陰イオンを溶媒和せず、攻撃力を保ったままにできるからです。DMSOやDMFは陽イオンを包み込めますが陰イオンには水素結合を与えられないため、陰イオンは裸のまま高いエネルギー状態で残ります。この状態の陰イオンは反応性が非常に高く、SN2反応の速度が大きく向上します。

SN1反応に極性プロトン性溶媒が有利なのはなぜですか?

律速段階であるイオン化を助けるからです。SN1では脱離基が外れてカルボカチオンと陰イオンが生じますが、プロトン性溶媒は陽イオンを酸素の非共有電子対で、陰イオンを水素結合で、それぞれ同時に安定化できます。電荷が生まれる過程が安定化されるため活性化エネルギーが下がり、反応が進みやすくなります。

Grignard試薬にアルコールを溶媒として使えないのはなぜですか?

アルコールのヒドロキシ基の水素が、Grignard試薬の炭素アニオンによってただちに引き抜かれてしまうからです。目的の求電子剤と反応する前に試薬が炭化水素へ変化して失活します。同じ理由で水や酸も使えず、こうした試薬にはエーテルやテトラヒドロフランのような、酸素をもちながら酸性の水素をもたない溶媒を用います。

カズ塾有機化学 第1巻「基礎編」第17章 反応を左右する脇役
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