水の中の鉛やカドミウムを、mg/L からさらに下の濃度まで測りたい。溶液を炎に吹き込むと、炎の熱で金属は原子になります。そこに、その金属だけが吸う波長の光を通すと、炎の中の原子がその光を吸って、出てくる光が少し暗くなります。暗くなった分から濃度を割り出すのが原子吸光分析です。

高校の炎色反応は「熱で原子を光らせて色を見る」方法でした。原子吸光分析は逆に、光らずに残っている大多数の原子に光を「吸わせる」方法です。この逆転がなぜ有利なのか、なぜ光源に元素ごとの専用ランプを使うのかを説明できると、装置の構成も、干渉の対策も、ICP との違いも、一本の理屈でつながります。

この記事の答え
原子吸光分析は、試料中の目的元素を原子の蒸気にし(炎・電気加熱・化学反応)、基底状態の原子が元素固有の波長の光を吸収する量(吸光度)から濃度を求める方法です。光源には通常、目的元素の輝線を出す中空陰極ランプを使います。
この記事で学ぶこと
・基底状態の原子が大多数である理由(ボルツマン分布の見積もり)と、吸収が温度に鈍い理由
・ランベルト・ベールの法則との関係と、検量線が曲がりやすい理由
・中空陰極ランプを使う理由(吸収線の幅と光源の幅)
・フレーム・黒鉛炉・水素化物発生・冷蒸気の原子化法と、干渉・バックグラウンド補正
・検量線法と標準添加法の使い分け、ICP 発光分析・ICP-MS との違い
Contents
  1. 原子吸光分析とは——原子にして、固有の波長の光を吸わせる
  2. なぜ基底状態の原子がほとんどなのか——ボルツマン分布で見積もる
  3. ランベルト・ベールの法則との関係
  4. 中空陰極ランプを使う理由——吸収線の幅と光源の幅
  5. 原子化法——フレーム・電気加熱(黒鉛炉)・水素化物発生・冷蒸気
  6. 干渉——分光干渉・物理干渉・化学干渉とイオン化
  7. バックグラウンド補正——重水素ランプ・ゼーマン・自己反転
  8. 定量法——検量線法と標準添加法の使い分け
  9. ICP 発光分析・ICP-MS との違い
  10. 原子吸光分析の歴史:Walsh の発想
  11. 用途
  12. まとめ——試験で書く答えの骨格
  13. よくある質問
  14. 参考文献
  15. 関連記事

原子吸光分析とは——原子にして、固有の波長の光を吸わせる

JIS K 0121(原子吸光分析通則)は、原子吸光分析を次のように定義しています。

「原子吸光分析装置を用い,試料中に含まれる分析対象元素を,フレーム(炎),電気加熱又は化学反応によって基底状態の原子とし,その原子蒸気層の吸光度を測定することによって,分析対象元素の濃度を求める方法。」(JIS K 0121 3 a)

この定義には、方法の要点が3つ入っています。①試料中の目的元素を原子にする(分子やイオンのままでは測らない)、②その原子は基底状態にある、③測るのは吸光度である。以下、この3つを順に「なぜ」から説明します。英語では atomic absorption spectrometry(AAS)と呼ばれ、日本薬局方では一般試験法〈2.23〉「原子吸光光度法」として収載されています。

なぜ「原子」にするのか:吸収線がとても細いから

溶液の紫外可視吸収(ランベルト・ベールの法則の記事で扱った分子の吸収)は、幅の広い山になります。分子では電子のエネルギー準位に振動や回転の準位が細かく重なっているので、電子遷移に少しずつ違うエネルギーが上乗せされ、吸収が幅をもつからです。

ばらばらになった原子には振動も回転もありません。電子のエネルギー準位はとびとびの値しかとらないので、吸収はその差に当たる、ごく狭い波長にだけ起こります。これが原子吸収線です。ナトリウムなら 589 nm 付近(D 線)、亜鉛なら 213.9 nm、銅なら 324.8 nm のように、波長は元素ごとに決まっています。この「線の細さ」が、原子吸光分析の強み(ほかの元素と重なりにくい)と弱み(光源を選ぶ)の両方の出発点です。

なぜ基底状態の原子がほとんどなのか——ボルツマン分布で見積もる

炎は 2000 °C を超えます。これほど熱いなら原子はどんどん励起されそうですが、実際には励起されている原子はごくわずかです。熱平衡にある原子の集団では、励起状態の原子の数 N1 と基底状態の原子の数 N0 の比はボルツマン分布で表されます(Harvey §10.7 の式)。

N1 / N0 = (g1 / g0) × exp(−ΔE / kT)

g1, g0:励起状態・基底状態の統計的重み(縮退度)
ΔE:2つの準位のエネルギー差 k:ボルツマン定数 T:絶対温度

計算例:ナトリウムを 2500 K の炎に入れたとき

ナトリウムの 589 nm の吸収は、3s(基底状態、g0 = 2)から 3p(g1 = 2 + 4 = 6)への遷移です。ΔE は光子1個のエネルギー hc/λ(h:プランク定数、c:光速)で求めます。

ΔE = hc / λ = (6.626 × 10−34 J s)(2.998 × 108 m s−1) / (589 × 10−9 m) = 3.37 × 10−19 J
kT = (1.381 × 10−23 J K−1)(2500 K) = 3.45 × 10−20 J
ΔE / kT = 9.77
N1 / N0 = (6 / 2) × exp(−9.77) = 3 × 5.7 × 10−5 ≈ 1.7 × 10−4

励起されているのは1万個に2個にも届きません。残りの 99.98% は基底状態にあります。同じ式に NIST の原子スペクトルデータベースの準位エネルギーを入れて、温度と元素を変えると次のようになります(筆者が計算。有効数字2桁)。

温度 Na:3p / 3s(589 nm) Zn:4s4p 1P1 / 基底(213.9 nm)
2000 K 1.5 × 10−5 7.5 × 10−15
2500 K 1.7 × 10−4 6.2 × 10−12
3000 K 8.8 × 10−4 5.5 × 10−10

亜鉛は ΔE がナトリウムの約2.8倍大きい(波長が短い)ので、指数の中が約2.8倍になり、比は桁違いに小さくなります。亜鉛には 213.9 nm の上の準位より低い励起準位(4s4p 3P)もありますが、それを足しても 2500 K で約 6 × 10−8 です。ΔE が kT の10倍以上あると、熱で励起される原子は無視できるほど少ない。これが、炎の中の原子が「ほとんど基底状態」である理由です。

ただし、基底状態のすぐ近くに微細構造の準位(副準位)をもつ元素では、熱で原子がその副準位にも分かれます。NIST の準位から計算すると、2500 K で Al は最低の 2P1/2 に約35%、112 cm−1 上の 2P3/2 に約65%、Fe は最低の a5D4 に約45% で、残りは 1000 cm−1 以内の4つの副準位に分かれます。分析線はこれらの副準位のどれか1つから出発するので、その準位にいる原子だけが吸収に使われます。それでも、数万 cm−1 上にある共鳴線の上の準位まで熱で上がる原子は、ナトリウムや亜鉛と同じくごくわずかです(Fe でいちばん近い 6900 cm−1 台の準位群でも約2%)。

吸収は温度に鈍く、発光は温度に敏感

この偏りは、測定のしかたを決めます。発光の強さは励起状態の原子の数 N1 に比例し、吸収の強さは基底状態の原子の数 N0 に比例します。

  • 発光:Harvey §10.7 によれば、温度が 10 K 上がるだけで Na の 3p 励起状態の割合は 4% 増えます(上の式で 2500 K と 2510 K を比べても 4.0% になる)。炎の温度のわずかな揺らぎが、そのまま信号の揺らぎになります。
  • 吸収:N0 はもともと全体の 99.98% なので、同じ 10 K の変化で動くのは 0.001% 未満です。

近代的な原子吸光分析を始めた一人である Walsh は、まさにこの点に注目しました。数の少ない励起原子の発光を測るより、圧倒的に多い基底状態の原子の吸収を測るほうが理にかなっている、という発想です(後の「歴史」の節)。

言い切りすぎに注意
・「原子吸光は温度に影響されない」は言い過ぎ。鈍いのは基底状態の割合だけ
・炎の温度やガスの比は、原子になる割合・酸化物のでき方・イオン化の程度・線の広がりを変える
・だから標準液と試料は同じ条件で、並行して測る(JIS K 0121 9.1 は検量線の作成を試料の測定と並行して行うとしている)

ランベルト・ベールの法則との関係

原子吸光分析で装置が測っているのは、溶液の吸光光度法と同じ吸光度です。入射光の強さを I0、原子の層を通ったあとの強さを I とすると、A = log10(I0/I) です。光の通り道にある基底状態の原子の数密度を N0、炎の中を光が通る長さを l とすると、薄い層ごとに同じ割合が吸収されるというランベルト・ベールの法則の考え方がそのまま使えて、

A = log10(I0 / I) ∝ N0 × l

となります。違うのは、溶液の測定のように「濃度の決まった溶液をセルに入れる」のではない点です。試料溶液中の目的元素の濃度(この記事では C と書きます)と炎の中の原子の数 N0 の間には、霧にして炎に届く割合、原子になる割合、酸化物やイオンにならずに残る割合が挟まります。条件を固定すればこれらは一定なので A は C に比例しますが、比例定数を理論から計算することはできません。モル吸光係数を表から引いて濃度を出す使い方はせず、必ず標準液で検量線を作るのはこのためです。

吸光度は光路長に比例するので、長い光路ほど感度が高くなります(Harvey)。フレーム用のバーナーの口が細長いスロット状で、光をその長い方向に通すのはこのためです。

検量線が曲がりやすい理由

JIS K 0121 は、原子吸光分析の検量線は一般に低濃度では直線性がよいが、高濃度ではさまざまな原因で直線にならない、としています(8.3.1 e)。Harvey も、原子吸光の検量線の多くは非直線か、限られた濃度範囲でしか直線にならないと書いています。理由の1つは、ランベルト・ベールの記事で見た「多色光による負のずれ」と同じしくみです。

法則は単一の波長について成り立ちます。光源の輝線にも幅があり、その幅の中で吸収の強さが違うと、吸収線の中心の光ほど早く吸い尽くされ、裾の光は吸われずに残ります。濃度を上げても裾の光が残るので、吸光度は頭打ちになります。また、ランプが出すほかの線(同じ元素の別の線や封入ガスの線)がスリットを通ると、それは吸収されない光として迷光と同じ働きをします。LibreTexts の教材は、スリット幅は光を通すためにできるだけ広く、かつこうした迷光を除くのに十分なだけ狭くする、と説明しています。

中空陰極ランプを使う理由——吸収線の幅と光源の幅

溶液の分光光度計は、重水素ランプやタングステンランプのような連続光源の光を分光器で切り出して使います。原子吸光分析で、連続光源の光を通常の分光器(実効バンド幅 約 1 nm)で切り出して使うと、ほとんど何も測れません。理由は幅の比です。

もの 幅の目安
連続光源を通常の分光器に通したあとの実効バンド幅 1 nm 程度
炎の中の原子吸収線の実効的な幅 0.002 nm 程度
線光源(中空陰極ランプ)の輝線の幅 0.001 nm 程度

(値は LibreTexts の教材 §9.3 による桁の目安。Harvey §10.4 も、連続光源の実効バンド幅は原子吸収線のおよそ1000倍と書いています。)なお、連続光源そのものが使えないわけではありません。JIS K 0121 5.2.1 はキセノンランプを「対象元素の分析用」の光源にも挙げており、連続光源の光を高分解能の分光器で分けて原子吸収線の幅まで細かく見る方式もあります。

光源の幅で、見える吸光度がこれだけ変わる

1 nm の帯の光のうち、原子が吸えるのは幅 0.002 nm の部分だけです。吸収線の中心で光の 90% を吸う(中心での吸光度が 1)ほど原子が多くても、帯全体で見れば暗くなるのは約 0.25%(吸光度で約 0.001)で、Harvey の言うとおり透過率はほぼ 100%、吸光度はほぼ 0 になります。逆に、光源の線が吸収線より細ければ、光源の光のほとんどが吸収線の中心付近に入るので、吸光度は中心の値に近くなります。

原子吸光分析で光源の幅が見かけの吸光度を決める理由の図。幅1 nmの連続光源では幅0.002 nmの原子吸収線が帯のごく一部しか吸わず吸光度は約0.001、幅0.001 nmの中空陰極ランプの輝線では大部分が吸収線の中心に入り吸光度は約0.87になる

図1の値は、筆者が単純なモデルで計算したものです。モデルの条件は次のとおりです。

  • 吸収線はガウス形(半値全幅 0.002 nm)で、中心での吸光度を 1 とする
  • 中空陰極ランプの線はガウス形、連続光源は幅 1 nm の矩形(帯の中で強さが一定)とする

この条件で、ランプの線幅が 0.001 nm なら見かけの吸光度は約 0.87、吸収線と同じ 0.002 nm まで広がると約 0.61、連続光源では約 0.001 です。光源の線が太いと吸光度が下がるだけでなく、検量線も曲がります。ランプの線幅が 0.002 nm のとき、中心の吸光度を 0.1 から 2 に20倍しても、見かけの吸光度は約 0.070 から約 1.00 へ14倍にしかなりません。前の節の「多色光による負のずれ」を数字で見たものです。

吸収線の幅はどこから来るのか

原子のエネルギー準位はとびとびでも、吸収線の幅は0ではありません。LibreTexts の教材は、原子吸収線の 0.002 nm 程度の幅をドップラー広がりと圧力広がりによるものとしています。炎の中の原子は熱運動で光源に近づいたり遠ざかったりしているので、ドップラー効果で吸収する波長が少しずつずれます。原子が速く動くほど(温度が高く、原子が軽いほど)幅は広がり、ガウス形の半値全幅は Δλ = λ√(8kT ln2 / mc2)(m:原子1個の質量、c:光速)で見積もれます。2500 K で計算すると、Na の 589 nm で約 0.004 nm、Zn の 213.9 nm で約 0.001 nm です(筆者計算)。大気圧の炎では、ほかの粒子との衝突でも線は広がります(圧力広がり)。どちらにしても、桁は上の表の「0.002 nm 程度」と合います。

中空陰極ランプのしくみ

中空陰極ランプは、ガラス管の中に陽極と、くぼんだ形の陰極を入れ、ネオンまたはアルゴンを封入したランプです(JIS K 0121 図2)。LibreTexts の教材はこのガスを低い圧力で封入するとし、SFU(サイモンフレーザー大学)の講義資料は 1〜5 torr としています。電極間に電圧をかけると封入ガスがイオン化し、陽イオンが陰極に衝突して陰極の表面から金属原子をたたき出します(スパッタリング)。たたき出された原子が励起されて、陰極をつくっている金属に固有の線を出します。

この方式の利点は2つあります。

  • 波長が自動的に合う:陰極を目的元素でつくれば、出てくる線は目的元素の吸収線とまったく同じ波長にあります。試料の原子が吸う波長を、光源の側で用意できるわけです。分光器は、ランプが出すたくさんの線の中から分析に使う1本を選べれば足ります。
  • 線が細い:ランプは炎より低い温度で動作します(LibreTexts)。SFU の講義資料は、光源の線を吸収線より細くするには光源の温度を原子化部より低くしてドップラー広がりを小さくする、と説明しています。ガスの圧力も大気圧の炎よりずっと低いので、衝突による広がりも小さくなります。

ただし、元素ごとに専用のランプが要るので、測れるのは基本的に一度に1元素です。Harvey は、波長とランプを自動で切り替えて複数の元素を順に測るようにプログラムできる装置もある、と書いています。

炎の発光を消す:光源の変調

炎の中の原子の一部は熱で励起されて光っています。この熱による発光(炎色反応と同じしくみ)のうち、分析線と同じ波長の成分が検出器に入ると、「透過光が多い=吸光度が小さい」と読み違えます。そこで、ランプの光をチョッパーで周期的に遮ったり、ランプの出力そのものを変調したりして、検出器は点滅している成分(ランプの光)だけを拾います。炎の発光は点滅しないので区別できます(LibreTexts §9.3)。

原子化法——フレーム・電気加熱(黒鉛炉)・水素化物発生・冷蒸気

試料を基底状態の原子の蒸気にする部分を原子化部と呼びます。JIS K 0121 の定義にある「フレーム(炎),電気加熱又は化学反応」の3つの道が、それぞれフレーム方式、電気加熱方式、水素化物発生・冷蒸気方式に当たります。装置全体の並びと、原子化法ごとの違いを図2にまとめます。この節の温度・量・倍率は、断りがなければ Harvey §10.4 によります。

原子吸光分析装置の構成と4つの原子化法。中空陰極ランプ、原子化部、分光器、検出器の順に並び、原子化部はフレーム(アセチレン・空気2100〜2400 °C、アセチレン・一酸化二窒素2600〜2800 °C)、電気加熱の黒鉛炉(乾燥 約110 °C、灰化350〜1200 °C、原子化2000〜3000 °C)、水素化物発生(As・Se・Sb・Bi)、冷蒸気(Hg)から選ぶ

フレーム方式

試料溶液をネブライザーで霧にし、細かい粒子だけを燃料ガス・助燃ガスと混ぜてバーナーのスロットから炎に送り込みます(予混合バーナー。JIS K 0121 5.3.1)。炎の中では、霧の溶媒が飛んで固体の微粒子になり、微粒子が気化し、気体の分子が解離して原子になります。

この方式は簡単で再現性がよい反面、効率は高くありません。試料の最大 95% は炎に届かず、炎に入った分も大量の燃焼ガスで薄まります。連続噴霧には 2〜5 mL ほどの試料が要ります。

炎の種類は、目的元素の原子のなりやすさで選びます。

炎(燃料・助燃ガス) 温度(Harvey 表10.4.1) 使う元素の例(Utrecht 大学の実習資料)
アセチレン・空気 2100〜2400 °C Na・K・Cu・Zn・Cd・Pb・Fe・Ni など
アセチレン・一酸化二窒素(N2O) 2600〜2800 °C Al・Si・Ti・V・B・Be など(Ca・Cr・Mo などは両方の記載)

Al や Si は、炎の中で金属と酸素の結合が強い酸化物(耐火性酸化物)になりやすく、アセチレン・空気の温度では原子に解離しきれません。Utrecht 大学の実習資料は、一酸化二窒素の炎は空気の炎よりずっと熱く、Al や Si のような耐火性の元素の定量には欠かせない、と書いています。同じ資料によれば、燃料を多めにした炎ほど還元性が強くなり、これも酸化物から金属原子を取り出す助けになります。

炎の中のどの高さに光を通すかも結果を変えます。炎の中に長くいるほど原子になる割合は上がりますが、酸素と結びついて酸化物になる機会も増えます。酸化されやすい Cr はバーナーのすぐ上で原子の濃度が最大になり、酸化されにくい Ag は高くなるほど原子が増えます。

フレーム方式の安全上の注意(JIS K 0121 10 b))
・燃料にアセチレンを使うとき、銅・銀・水銀などを多量に含む溶液を噴霧しない。チャンバー内に爆発性の金属アセチリドが析出するおそれがある
・アセチレン・一酸化二窒素は、まずアセチレン・空気で点火し、アセチレンを指定流量まで増やしてから空気を一酸化二窒素に切り替える。消火は逆の順
・燃焼中は炎を直視しない。必要なら遮光板・保護めがねを使う

電気加熱方式(黒鉛炉)

黒鉛(または耐熱金属)の小さな管に試料溶液を 5〜50 μL 注入し、電流で管を加熱します。加熱は3段階です(JIS K 0121 8.3.3 も同じ3段階を規定)。

  • 乾燥(約 110 °C):溶媒を除く。液滴が飛び散らない温度と時間にする
  • 灰化(350〜1200 °C):共存する有機物・無機塩類などを除く。目的元素は蒸発させない
  • 原子化(2000〜3000 °C まで急速に昇温):目的元素を原子の蒸気にする

3段階で合計 45〜90 秒ほどかかります。管の酸化を防ぐため、アルゴンなどの不活性ガスを流します。信号は一瞬だけ立ち上がるピークになり、その高さか面積が、注入した目的元素の絶対量に比例します。

蒸気中の目的元素の濃度は、フレームの最大約1000倍になります。Harvey は、気体になった目的元素を黒鉛管の小さな体積の中に閉じ込めることを理由に挙げています。フレームの弱点(試料の大部分が炎に届かない・燃焼ガスで薄まる)の裏返しと考えると覚えやすいでしょう。その代わり、精度は下がります。相対標準偏差はフレームで 0.3〜1%、電気加熱で 1〜5% です。また、マトリックス(目的元素以外の成分)による干渉は電気加熱でとくに問題になりやすい、とされています。

感度の差を、Harvey が引用している「吸光度 0.20 を与える濃度」で比べると次のとおりです。値が小さいほど感度が高い、という読み方をします。

元素 フレーム(mg/L) 電気加熱(mg/L)
Na 0.3 0.00023
Zn 0.3 0.00071
Cd 0.6 0.001
Cu 1.5 0.012
Pb 5 0.080
Al 40 0.015
As 40 0.050
Hg 70 0.52

(Harvey 表10.4.2 から抜粋。原典は Varian Cookbook, SpectraAA Software Version 4.00 Pro。)同じ表は、どちらを選ぶかの判断にも使えます。Harvey は、試料が 1〜10 mg/L の Zn を含むならフレームを選ぶ、としています。濃い試料を感度の高すぎる方法で測ると、希釈の手間と誤差が増えるだけだからです。表の As と Hg がフレームでは感度が低いことは、次の水素化物発生方式と冷蒸気方式が別にある理由になっています。

電気加熱で使うマトリックスモディファイヤー(JIS K 0121 では干渉抑制剤の一つ)は、硝酸パラジウム(II)・硝酸マグネシウム・アスコルビン酸などです。灰化の段階で目的元素が逃げるのを抑えたり、共存成分を先に飛ばしやすくしたりします(JIS K 0121 9.4 b)。

水素化物発生方式

As・Se・Sb・Bi・Ge・Sn・Te・Pb などは、酸性の溶液中で水素化ホウ素ナトリウム NaBH4 と反応して、揮発性の水素化物(たとえば As から AsH3)になります。不活性ガスでこの水素化物を溶液から追い出し、炎か加熱した石英セルに送って原子化します(Harvey、JIS K 0121 5.8 d)。

溶液を霧にして炎に吹き込むのとは違い、目的元素を気体にして溶液から抜き出すので、塩類などのマトリックスを溶液に残したまま、目的元素を測定セルに集められます。上の表で As はフレームだと 40 mg/L でようやく吸光度 0.20 なので、こうした元素ではこの方式が役に立ちます(ヒ素についてはヒ素の元素図鑑も参照)。JIS K 0121 5.8 の備考は、ひ素とアンチモンの5価を3価に予備還元する機構を付けた装置もある、と書いています。水素化物にする前に酸化数をそろえるための機構です。

冷蒸気方式(水銀)

水銀だけは、加熱しなくても原子になります。試料中の水銀を塩化スズ(II) SnCl2 で金属の水銀に還元すると、揮発性の Hg が不活性ガスで運ばれ、加熱しない測定セルで測れます(Harvey)。

Hg2+ + Sn2+ → Hg(0) + Sn4+
(生じた Hg の蒸気をガスで追い出し、石英窓のセルで 253.7 nm の吸収を測る)

金属の水銀は常温でも蒸気圧があり、蒸気は単原子なので、原子化のための熱が要りません。JIS K 0121 は冷蒸気原子吸光分析を「試料溶液を還元気化,又は加熱気化して得られた原子蒸気を原子吸光分析する方法」と定義しています(3 f)。上の還元剤を使う方式が還元気化、試料を加熱して水銀を原子の蒸気として追い出す方式が加熱気化です(3 h)。加熱気化した水銀を金アマルガムの捕集管にいったん集めて濃縮し、捕集管を加熱して放出させてから測る方式も定義されています(3 n)。光源には 253.7 nm の共鳴線を強く出す低圧水銀ランプを使い(3 d)、水銀だけを測る専用の装置もあります(3 m)。水銀の性質は水銀の元素図鑑を参照してください。

干渉——分光干渉・物理干渉・化学干渉とイオン化

試料の吸光度が、目的元素の濃度以外の理由で変わることを干渉と呼びます。JIS K 0121 9.3 は干渉を分光干渉・物理干渉・化学干渉などに分け、イオン化による吸光度の低下を化学干渉の一つ(9.3 c) 1))として扱っています。Harvey など英語の教科書では、イオン化干渉(ionization interference)を独立した項目にすることがあります。分け方が違うだけで、指している現象は同じです。

干渉 何が起きるか 吸光度 主な対策
分光干渉(近接線) 分析線がほかの線と分離できない 感度が下がり、直線範囲が狭くなる 別の分析線を使う
分光干渉(バックグラウンド) 分子による吸収、霧・固体粒子による散乱 見かけ上大きくなる バックグラウンド補正
物理干渉 粘性・表面張力の違いで噴霧効率が変わる 変わる 標準液と試料の組成をそろえる、標準添加法
化学干渉(解離しにくい化合物) 目的元素が共存成分と解離しにくい化合物をつくる 下がる 解放剤・保護剤、より高温の炎
イオン化(JIS では化学干渉) 原子がイオン化して基底状態の原子が減る 下がる イオン化抑制剤(K・Cs)

(表の「何が起きるか」と「吸光度」は JIS K 0121 9.3、対策は JIS K 0121 9.4 と Harvey による。)

JIS K 0121 9.3 c) 2) は、電気加熱炉に特有の化学干渉も挙げています。目的元素が共存成分と沸点の低い化合物をつくり、灰化の段階で蒸発して失われる場合です。前の節のマトリックスモディファイヤーは、これを抑えるためにも使います。

化学干渉:カルシウムとリン酸、ランタンを加える理由

例として、リン酸イオンやアルミニウムを含む試料のカルシウムを考えます。Harvey は、この干渉を揮発しにくい Ca3(PO4)2 の粒子や Al–Ca–O の酸化物ができるためとしています。炎の中で原子にならないカルシウムが増えるので、吸光度が下がります。LibreTexts の教材には、5 ppm の Ca2+ の溶液に 100 ppm の Al3+ を加えると、吸光度が 0.50 から 0.14 に下がった例が載っています。

対策の1つが解放剤(releasing agent。JIS K 0121 では干渉抑制剤の一つで、解除剤とも呼ばれる)です。Harvey の定義では、解放剤は妨害成分と優先的に反応して、原子化のときに目的元素を解放する物質で、カルシウムの定量には Sr2+ や La3+ を使います。ランタンを過剰に加えると、リン酸はカルシウムより先にランタンと結びつくので、カルシウムは原子になれる状態で残ります。JIS K 0121 9.4 b) も、カルシウムの定量でりん酸塩の干渉を除くためにストロンチウムを加え、りん酸塩と優先的に反応させる例を挙げています。

もう1つは保護剤(protecting agent)で、目的元素と安定で揮発しやすい錯体をつくり、妨害成分と出会わないようにします。Harvey は EDTA を例に挙げています。また、炎の温度を上げる(より高温の炎に替える)ことでも、揮発しにくい化合物はできにくくなります。

JIS K 0121 は、解放剤・保護剤・イオン化抑制剤などをまとめて干渉抑制剤と呼び、「解除剤,保護剤などとも呼ばれる」としています(9.4 b)。用語が資料によって違うので、試験では「何と優先的に反応させて、何を自由にするのか」を説明できるようにしておくのが確実です。

イオン化干渉と抑制剤:カリウムやセシウムを加える理由

炎の熱で原子が電子を失うと、イオンになります。

M ⇌ M+ + e−

イオンになった M+ は、原子の吸収線を吸いません。JIS K 0121 は、イオン化によって基底状態の原子の数が減り、吸光度が下がること、イオン化エネルギーの低いアルカリ金属・アルカリ土類金属で起こりやすく、高温ほど著しいことを書いています(9.3 c) 1))。アセチレン・一酸化二窒素の高温の炎に替えると、化学干渉は減っても、こちらが強まる場合があるということです。

対策は、目的元素よりイオン化しやすい元素を多量に加えることです。Harvey によれば、イオン化エネルギーが低いのでカリウムやセシウムがよく使われます。NIST のデータでは、第一イオン化エネルギーは Na 5.14 eV、K 4.34 eV、Cs 3.89 eV です。K や Cs が炎の中でイオン化して電子を大量に放出すると、上の平衡は電子の濃度が高い側から押し戻され(ルシャトリエの原理)、目的元素は原子のまま残ります。JIS K 0121 9.4 b) は、ナトリウムの定量にカリウムを加えると、カリウムの方が先にイオン化するのでナトリウムのイオン化が抑えられ、ナトリウムの吸光度が増加する、という例を挙げています。

干渉抑制剤は「両方に同じだけ」
・解放剤もイオン化抑制剤も、試料溶液と検量線作成用溶液の両方に一定量加える(JIS K 0121 9.4 b)
・片方だけに入れると、感度が違う2つの溶液を比べることになる
・加える試薬は、目的元素を不純物として含まず、分析線付近にバックグラウンド吸収を示さないものが望ましい(同)

物理干渉

試料の粘性や表面張力が標準液と違うと、ネブライザーで霧になる割合(噴霧効率)が変わり、炎に届く量が変わります(JIS K 0121 9.3 b)。たとえば濃い酸や塩類を含む試料と、薄い酸で作った標準液とでは粘性が違います。JIS は標準液と試料の組成をほぼ同じにすれば除けるとしており、そろえられなければ標準添加法を使います(後の節)。

バックグラウンド補正——重水素ランプ・ゼーマン・自己反転

分析線の波長では、目的元素の原子だけでなく、炎や炉の中にできた分子も光を吸い、霧や微粒子も光を散乱します(JIS K 0121 9.3 a) 2))。これをバックグラウンド吸収と呼びます。原子の吸収と違って幅の広い吸収なので、吸光度に上乗せされて結果を高く見せます。JIS K 0121 5.7 は補正方式を、連続スペクトル光源補正、ゼーマン分裂補正、非共鳴近接線補正、自己反転補正の4種類としています。ここでは前の2つと、自己反転補正を説明します。

原子吸光分析のバックグラウンド補正の2方式。重水素ランプ法では幅の広い重水素ランプの光はほぼバックグラウンドだけに吸われ、中空陰極ランプの細い光は原子とバックグラウンドの両方に吸われるので差を取る。ゼーマン法では磁場で原子吸収線が中央のπと両側のσに分かれ、平行偏光は原子とバックグラウンド、垂直偏光はバックグラウンドだけを測る

重水素ランプ法(連続スペクトル光源補正方式)

中空陰極ランプの光と、重水素ランプの連続光を、同じ光路に交互に通します。

  • 中空陰極ランプの光:幅が極めて狭いので、原子の吸収とバックグラウンドの吸収の両方を測る
  • 重水素ランプの光:分光器のバンド幅いっぱいに広がっているので、幅 0.002 nm 程度の原子の吸収はほとんど効かず、バックグラウンドの吸収だけを測る

前者から後者を引けば、原子の吸収だけが残ります(JIS K 0121 5.7.1 の説明と図11、Harvey)。図1で見た「通常の分光器で切り出した連続光源では原子の吸収がほとんど見えない」という弱点を、逆に利用しているわけです。JIS は、分析線が 180〜350 nm なら重水素ランプ、350〜800 nm ならタングステンランプが多く用いられるとしています。

この方法には前提があります。Harvey が指摘するように、バックグラウンドの吸収が分光器のバンド幅の中で一定でなければなりません。分子の吸収帯に細かい構造があって、分析線の位置だけ強かったり弱かったりすると、重水素ランプが測る「帯の平均」と、中空陰極ランプが測る「分析線の位置の値」がずれ、補正が合わなくなります。

ゼーマン分裂補正方式

原子を磁場の中に置くと、エネルギー準位が分裂し、吸収線が何本かに分かれます(ゼーマン効果)。JIS K 0121 5.7.2 が例として示す、光軸に垂直に磁場をかける方式では、吸収線は次のように分かれます。

  • 中央の線(π):もとの波長のまま。磁場と平行に偏光した光(P//)だけを吸収する
  • 両側の線(σ+・σ−):波長が少しずれる。磁場と垂直に偏光した光(P⊥)だけを吸収する

バックグラウンドの吸収は分裂せず、偏光による違いもありません。光源の光を偏光子で P// と P⊥ に分けると、どちらももとの波長の光です。P// は中央の π 線に吸われるので「原子+バックグラウンド」を、P⊥ はもとの波長に吸収線が残っていないので「バックグラウンドだけ」を測ります。差を取れば原子の吸収が求まります(JIS K 0121 5.7.2)。

この「π がもとの波長に1本だけ残る」きれいな分かれ方は、Zn 213.9 nm のような一重項どうしの遷移(電子の正味のスピンが0)で起こる正常ゼーマン効果の場合です。スピンが0でない遷移では異常ゼーマン効果になり、π も σ もさらに何本かに分かれますが、「原子の吸収は磁場と偏光で切り替わり、バックグラウンドは切り替わらない」という原理は同じです。

磁石には永久磁石と交流磁石があり、交流磁石では磁場を光軸に平行にかける方式と垂直にかける方式があります(JIS K 0121 5.7.2)。磁場の方向に進む光には π 成分が現れないので、光軸に平行な交流磁場では、磁場をかけていないときに「原子+バックグラウンド」、かけたときに「バックグラウンドだけ」を測ります。重水素ランプ法との違いは、補正用の測定も、分析線とまったく同じ波長で、同じ光源の光を使って行う点です。測っているのは分析線の位置の値そのものなので、「バンド幅の中で一定」という前提が要りません。

自己反転補正方式

中空陰極ランプに高い電流を流すと、ランプの中の原子の蒸気が自分の出した共鳴線を吸収し(自己吸収)、中心が弱く周りが強い、やや広がった線になります。この状態の光では原子の吸収がほとんど効かず、主にバックグラウンドが測られます。通常の電流と高電流を交互に流して差を取るのが自己反転補正方式で(JIS K 0121 3 l)・5.7.4)、英語の教科書では Smith–Hieftje 法の名前で紹介されます。

定量法——検量線法と標準添加法の使い分け

検量線の考え方そのもの(内挿で読む、切片を0に固定しない、など)は検量線法の記事で詳しく扱いました。ここでは原子吸光分析に固有の点だけを整理します。

検量線法

JIS K 0121 9.1 a) は、濃度の異なる4種類以上の検量線作成用溶液で検量線を作り、試料の濃度が内挿になるように濃度を選ぶとしています。注(11) は、試料溶液と検量線作成用溶液の組成が似ていることが望ましく、似せられない場合は標準添加法を使うとよい、としています。原子吸光分析では、酸の種類と濃度、干渉抑制剤の量を標準液と試料でそろえることが、組成を似せる第一歩です。

標準添加法

同じ試料溶液を4個以上等しく取り、1個を除いて目的元素の標準を段階的に加え、横軸の切片から濃度を求めます(JIS K 0121 9.1 b)。試料そのものの中で感度を測るので、試料と標準液で感度が違うタイプの干渉(物理干渉や、感度を一定の割合で下げる化学干渉)を打ち消せます。

ただし JIS は、この方法はバックグラウンド吸収が無視できるか補正されていて、かつ検量線が良好な直線性を保つ場合にだけ有効だ、としています(9.1 b の備考)。理由は、標準添加法が打ち消せるのは「掛け算でかかる誤差」だけだからです。バックグラウンドのように「足し算で上乗せされる誤差」は、添加量に関係なく全部の点を同じだけ持ち上げるので、そのまま x 切片の読み違いになります。また、x 切片は直線を延長して読む外挿なので、曲がった検量線ではずれます。

計算例(計算練習用の仮の数値)

粘性の高い試料の中の銅をフレームで測るとします。試料溶液を4つに等分し、銅の濃度が 0、0.50、1.00、1.50 mg/L だけ増えるように標準を加えて(最終体積はそろえる)、吸光度を測りました。試薬ブランクの吸光度は差し引き済みとします。

添加した濃度(mg/L) 0 0.50 1.00 1.50
吸光度 0.097 0.155 0.217 0.275

最小二乗法で直線を引くと、傾き 0.1192 L/mg、切片 0.0966 です。吸光度が0になる点(x 切片)は −0.0966 ÷ 0.1192 = −0.810 なので、測定溶液中の銅は 0.810 mg/L です。これは測定溶液中の値なので、もとの試料の濃度に直すには、試料を測定溶液にするまでの希釈倍率を掛けます。

同じ試料を、水で作った標準液(傾き 0.1596 L/mg、切片 0.0010)の検量線で読むと、(0.097 − 0.0010) ÷ 0.1596 = 0.602 mg/L になります。試料の中での感度が水の中の約75%しかない(0.1192 ÷ 0.1596)ので、約26% 低く出たわけです。

次に、補正していないバックグラウンド吸収 0.030 が4点すべてに乗っていたとします。傾きは変わらず、切片だけが 0.1266 になるので、x 切片から読む濃度は 0.1266 ÷ 0.1192 = 1.06 mg/L となり、約31% 高く出ます。標準添加法でもバックグラウンド補正が欠かせない理由が、数字で見えます。

内部標準法が挙がっていない理由

JIS K 0121 9.1 の定量方法に挙がっているのは、検量線法と標準添加法の2つです。JIS は理由を述べていませんが、内部標準法は目的元素と内部標準物質の信号を同時に測って比を取る方法なので、1本のランプで1元素ずつ測る一般的な装置の構成とは相性がよくないためと考えられます。

ICP 発光分析・ICP-MS との違い

金属元素の定量には、原子吸光分析のほかに、ICP 発光分析(ICP-OES。誘導結合プラズマで原子やイオンを励起し、発光を測る)とICP-MS(プラズマでイオンにし、質量分析計で m/z ごとに数える)があります。ICP-MS の原理と多原子イオン干渉の対策はICP-MS の記事で説明しています。原子吸光分析と比べると次のようになります。

項目 原子吸光分析 ICP 発光分析 ICP-MS
測るもの 基底状態の原子による光の吸収 励起された原子・イオンの発光 イオンを m/z で分けて数える(1元素の複数の同位体も測れる)
熱源の温度 炎 約 2400〜3100 K、黒鉛炉 約 2300〜3300 K(Harvey の °C を換算) アルゴンプラズマ。底部で最大 10000 K、コイルの上 15〜20 mm で 6000〜8000 K
多元素 基本は1元素ずつ(ランプを替える) 同時に測れる(試料中のすべての元素が同時に励起される) サーベイスキャンで含まれる元素を一覧できる
検量線の直線範囲 非直線か限られた範囲 4〜5桁 約6桁
主な干渉 化学干渉・イオン化・バックグラウンド 化学干渉は一般に小さく、イオン化干渉もアルゴンの電離による電子で小さくなる 同重体(40Ar と 40Ca)、多原子イオン(40Ar16O+ と 56Fe)、マトリックス効果

(原子吸光は Harvey §10.4、ICP 発光は Harvey §10.7、ICP-MS は LibreTexts §9.7.3 による。)

違いを生んでいるのは温度

3つの違いは、前半のボルツマン分布で説明できます。炎の温度では励起状態の原子がほとんどいないので、発光を測ると信号が小さく、温度に敏感です。だから炎では、多数派の基底状態の原子の吸収を測るのが得策でした。プラズマは炎よりずっと熱いので、Harvey が書くように、原子になる効率も励起状態の割合も上がります。Na の 3p / 3s 比を同じ式で 7000 K について計算すると約 0.09 で、2500 K の約530倍です。ただし、Harvey が近似の条件とする 5000 K 未満を超えているうえ、プラズマ中では原子のイオン化も進むので、この値は2つの準位の比の目安として見てください。こうなると発光を測る方が有利になり、すべての元素が同時に光るので多元素を一度に測れます。プラズマの温度では原子はイオンにまでなるので(LibreTexts §9.7.3)、そのイオンを質量分析計に送れば ICP-MS になります。質量分析そのものの考え方は質量分析の記事を参照してください。

選び方は、測りたい元素の数・濃度・試料の量と、装置が手元にあるかで決まります。少数の元素を mg/L 程度で測るならフレーム原子吸光、少量の試料で低濃度を測るなら黒鉛炉、多元素を一度に測るなら ICP 発光分析、さらに低い濃度や同位体比が要るなら ICP-MS、というのが基本の考え方です。

原子吸光分析の歴史:Walsh の発想

原子による光の吸収そのものは古くから知られていました。Harvey によれば、Kirchhoff と Bunsen は 1859 年と 1860 年に、原子発光とともに原子吸光を使っています。ただ、分析法として広く使われるようになるのはずっと後で、Harvey は近代的な原子吸光分析の始まりを1955年ごろとしています。

転機をつくったのは、オーストラリアの CSIRO にいた物理学者 Alan Walsh(1916–1998)です。オーストラリア科学アカデミーの伝記(P. Hannaford)によれば、Walsh は1952年3月のある日曜日の朝、それまで測っていたもの(発光)が間違いで、測るべきは吸収だと気づきました。基底状態にある膨大な数の原子を使えること、熱で作った原子の蒸気なら吸収は温度にほとんどよらないことが理由でした。前半で計算した、ボルツマン分布の偏りそのものです。

もう1つの鍵が光源でした。同じ伝記によれば、Walsh は高分解能の分光器を作る代わりに、吸収線よりかなり狭い線を出すランプを使うことにし、中空陰極放電が非常に鋭い線を出すことに目をつけました。仮特許の出願は1953年11月17日、最初の公開実演は1954年3月です。論文 “The application of atomic absorption spectra to chemical analysis” は 1955 年に Spectrochimica Acta(7巻、108ページ)に載り、ほぼ同じ時期に Alkemade と Milatz も独立に同じ考えに到達していました。CSIRO の許諾を受けた Hilger & Watts が、1958年2月に最初の市販装置を販売しています。

用途

Harvey は、原子吸光分析で 60 を超える元素を μg/L 以下の濃度で分析できる、としています。たとえば、工業用水・工場排水の金属の試験方法を定める JIS K 0102-3:2022 には、銅・亜鉛・鉛・カドミウム・マンガン・鉄・クロムのフレーム原子吸光分析法と電気加熱原子吸光分析法、ひ素・セレンの水素化物発生原子吸光分析法、水銀の還元気化原子吸光分析法・加熱気化原子吸光分析法などが、ICP 発光分光分析法・ICP 質量分析法と並んで入っています(環境省の告示改正資料の箇条対応表で確認)。カドミウムについてはカドミウムの元素図鑑も参照してください。

有機化学の研究室では、遷移金属触媒を使った反応のあとで生成物に残った金属を測る、といった場面で、ICP 系の方法とともに候補になりえます。どの方法を使うかは、上の比較のとおり、元素・濃度・試料量で決めます。

まとめ——試験で書く答えの骨格

原子吸光分析の要点(記述式の答えの骨格)
・基底状態が大多数:N1/N0 = (g1/g0)exp(−ΔE/kT)。Na 589 nm・2500 K で約 1.7 × 10−4。だから吸収は温度に鈍く、発光は敏感
・中空陰極ランプ:吸収線(約 0.002 nm)は通常の分光器のバンド幅(約 1 nm)よりはるかに狭い。目的元素の陰極から、同じ波長のより細い線を得る
・原子化:フレーム(アセチレン・空気/アセチレン・一酸化二窒素)、黒鉛炉(乾燥→灰化→原子化。少量・高感度だが精度は下がる)、水素化物発生(As・Se など)、冷蒸気(Hg)
・干渉と対策:Ca とリン酸 → La・Sr(解放剤)、Na のイオン化 → K・Cs(抑制剤)、粘性 → 組成をそろえるか標準添加法、分子吸収・散乱 → 重水素ランプかゼーマンで補正。抑制剤は試料と標準の両方に入れる
・ICP との違い:吸収か発光か、温度、多元素同時測定、直線範囲、干渉の種類

原子吸光分析の理屈は、「励起されている原子はほとんどいない」と「吸収線はとても細い」の2つに集約されます。前者から「吸収を測る」が、後者から「元素ごとの細い線の光源」が決まり、干渉の対策もバックグラウンド補正も、この2つの延長で説明できます。記述式では、装置の名前だけでなく、この「なぜ」まで書けるかが要点です。

よくある質問

原子吸光分析とICP発光分析の違いは何ですか?

原子吸光分析は、炎や黒鉛炉で作った基底状態の原子が、中空陰極ランプの光を吸収する量を測ります。ICP 発光分析は、6000〜8000 K のアルゴンプラズマで励起された原子やイオンが出す光を測ります。炎の温度では励起状態の原子がごくわずかなので吸収を測るのが有利で、プラズマのように熱いと発光を測る方が有利になります。ICP 発光分析は多元素を同時に測れ、検量線の直線範囲も4〜5桁と広い一方、原子吸光分析は基本的に1元素ずつ測ります。

原子吸光分析で中空陰極ランプを使うのはなぜですか?

原子の吸収線の幅が 0.002 nm 程度と非常に狭いからです。連続光源の光を通常の分光器で切り出すと幅は 1 nm 程度あり、原子が吸える幅はその数百分の1にすぎないので、吸光度はほぼ0になります。中空陰極ランプは陰極を目的元素でつくってあり、目的元素の吸収線と同じ波長で、吸収線より細い線(0.001 nm 程度)を出すので、光のほとんどが吸収される位置に入り、吸光度を測れます。なお、連続光源を高分解能の分光器と組み合わせて測る方式もあります。

原子吸光分析で基底状態の原子がほとんどなのはなぜですか?

励起状態と基底状態の原子の数の比はボルツマン分布 N1/N0 = (g1/g0)exp(−ΔE/kT) で決まり、炎の温度では ΔE が kT よりはるかに大きいからです。ナトリウムの 589 nm の遷移では、2500 K で ΔE/kT が約 9.8 になり、比は約 1.7 × 10−4 です。波長の短い亜鉛の 213.9 nm の遷移では、2500 K で上の準位の割合は 10−11 以下になります。このため、吸収を測る原子吸光分析は、温度の揺らぎの影響を受けにくくなります。

カルシウムの定量でランタンやストロンチウムを加えるのはなぜですか?

リン酸イオンなどが共存すると、炎の中でカルシウムが揮発しにくい化合物(Ca3(PO4)2 など)になり、原子にならないので吸光度が下がるからです(化学干渉)。ランタンやストロンチウムを過剰に加えると、リン酸がそちらと優先的に結びつき、カルシウムが原子になれる状態で残ります。このような試薬を解放剤(JIS では干渉抑制剤の一つで、解除剤とも呼ぶ)と呼びます。ナトリウムのイオン化を抑えるカリウムやセシウム(イオン化抑制剤)と同じく、試料溶液と検量線作成用溶液の両方に同じ量を加えます。

原子吸光分析で標準添加法を使うのはどんなときですか?

試料の粘性や共存成分のせいで、試料の中での感度が標準液の中での感度と違い、しかも組成をそろえられないときです。試料そのものに標準を加えて検量するので、感度の違い(掛け算でかかる誤差)を打ち消せます。ただし、バックグラウンド吸収のような上乗せ(足し算でかかる誤差)は消せないので補正が必要で、x 切片を外挿で読むため検量線が直線であることも前提です。JIS K 0121 もこの2つを有効である条件としています。

参考文献

  • JIS K 0121:2006 原子吸光分析通則(日本規格協会)
  • JIS K 0102-3:2022 工業用水・工場排水試験方法—第3部:金属(日本規格協会)。箇条の確認は環境省「JISから引用する箇条の変更」別紙1による
  • D. Harvey, Analytical Chemistry 2.1, §10.4 Atomic Absorption Spectroscopy・§10.7 Atomic Emission Spectroscopy(LibreTexts)
  • LibreTexts, Instrumental Analysis(CHEM 311, Sewanee)§9.3・§9.4・§9.7.3、Instrumental Analysis(LibreTexts)§9.2
  • P. Li, Chem 316 “Atomic Spectroscopy”(Simon Fraser University 講義資料)
  • NIST Atomic Spectra Database(Energy Levels・Ionization Energies)
  • P. Hannaford, “Alan Walsh 1916–1998”, Biographical memoir(Australian Academy of Science)
  • A. Walsh, “The application of atomic absorption spectra to chemical analysis”, Spectrochim. Acta 1955, 7, 108.

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