アッペル反応の反応機構とは?立体が反転する理由と光延反応との違い
アルコールをハロゲン化アルキルに変えたい。思いつくのは濃塩酸や臭化水素酸ですが、強酸を使うとカルボカチオンが生じて骨格が転位したり、脱水してアルケンができたりします。せっかく組み上げた分子が、最後の1工程で壊れる——合成の終盤では致命的です。
アッペル反応の鍵は、OH 基をそのまま押し出すのではなく、リンに渡して「外れやすい形」に作り替えてから置換するという考え方にあります。この記事では、その作り替えが4つの段でどう進み、各段がなぜその向きに進むのかを順に追います。
アッペル反応とは
トリフェニルホスフィン(PPh3)と四ハロゲン化炭素(CCl4・CBr4 など)を使い、アルコールをハロゲン化アルキルへ変換する反応です。
名前は、ボン大学で PPh3/CCl4 系を系統的に研究した Rolf Appel に由来します。よく引かれるのは、この試薬系を塩素化・脱水・P–N 結合形成の反応剤としてまとめた1975年の総説(Angew. Chem. Int. Ed. Engl. 1975, 14, 801)です。なお、PPh3/CCl4 でアルコールを穏やかに塩素化する方法そのものは、1966年に Downie・Holmes・Lee も報告しています。
全体の式を、原子の行き先が分かる形で書くと次のとおりです。
R–OH + PPh3 + CCl4 → R–Cl + O=PPh3 + CHCl3 OH の O → リンへ(O=PPh3) OH の H → CCl3 の炭素へ(CHCl3) Cl 1個 → アルキル基へ(R–Cl)
この式は機構を読む手がかりになります。酸素はリンに、水素は炭素に行き着いていて、HCl のような強酸はどこにも出てきません。「中性で進む」という性質は、この収支から読み取れます。
前提:なぜ OH はそのままでは置換できないのか
アルコールにハロゲン化物イオンを加えるだけでは、何も起こりません。置換が起こるには OH がHO− として抜ける必要がありますが、HO− は強い塩基で、抜けた後の状態が不安定だからです。脱離基の強さは「抜けた後の化学種がどれだけ弱い塩基か」でほぼ決まり、HO− は最悪の部類に入ります。
そこで OH を何かに作り替えてから外すことになります。その作り替え方で方法が分かれます。
| 作り替え方 | 抜けるもの | 代償 |
|---|---|---|
| 強酸でプロトン化(HCl・HBr) | H2O | 2級・3級ではカルボカチオンを経由しやすく、転位・脱離・ラセミ化 |
| スルホン酸エステル化(TsCl) | TsO− | 工程が1つ増える |
| リンに結合させる(アッペル反応) | O=PPh3 | 当量の O=PPh3 が副生し、除去が面倒 |
アッペル反応は3つ目の道です。酸を使わずに OH を「中性の安定分子として抜ける形」に変えられる点が、強酸法との決定的な違いになります。アルコールのハロゲン化全体の見取り図はアルコールの反応(脱水・ハロゲン化・トシラート化)にまとめています。
アッペル反応の反応機構——OH を「外れやすい形」に変えてから置換する
教科書で標準的に書かれる機構は4段です。各段について「何が起こるか」と「なぜその向きに進むか」をセットで見ていきます。
① リンが四塩化炭素の「塩素」を攻撃する
PPh3 のリン上の孤立電子対が CCl4 の塩素を攻撃し、ホスホニウム塩 [Ph3PCl]+ とトリクロロメチルアニオン CCl3− が生じます。両者は溶液中で密着したイオン対として存在すると考えられています。
なぜ炭素ではなく塩素を攻撃するのか。CCl4 の炭素は四方を塩素で囲まれていて、SN2 に必要な背面からの通り道がありません。外側に突き出ているのは塩素です。しかもリンは大きく分極しやすい(やわらかい)求核剤で、ハロゲンを直接引き抜く攻撃を起こしやすい性質があります。こうして塩素がリンへ「陽イオンとして」移り、炭素側に電子対が残ります。
CCl3− が生じうるのは、炭素に付いた3つの塩素が誘起効果で負電荷を引き受けるからです。ふつうのカルボアニオン(カルバニオン)よりずっと安定ですが、それでも塩基として働く力は十分に残っています。これが次の段で効きます。
② 生じたアニオンがアルコールを脱プロトン化する
CCl3− が塩基として働き、アルコールから H+ を奪ってアルコキシドを作ります。このときクロロホルム(CHCl3)が副生します——反応後に CHCl3 が検出されるのは、この段があるからです。
この段が「中性で進む」理由の核心です。アルコールの水素は最後に炭素(CHCl3)に収まり、HCl のような強酸としては系に出てきません。塩基を外から加えているわけでもなく、反応自身が必要なだけの塩基を内部で作って、内部で使い切っているのです。
③ アルコキシドがリンに結合する
アルコキシドが [Ph3PCl]+ のリンを攻撃し、アルコキシホスホニウム中間体 R–O–PPh3+(オキシホスホニウム塩とも呼ぶ)ができます。塩化物イオンが遊離します。
リンが攻撃されるのは、正電荷を帯びた求電子中心だからです。加えて、リンは酸素と強く結合する性質(酸素親和性)をもちます。リン上の Cl が O に置き換わるのは、より強い P–O 結合へ乗り換える向きの変化です。
ここが反応全体の山場です。もとの OH は、いまや –O–PPh3+ という形になっています。これが外れるとき、生じるのは中性で安定なトリフェニルホスフィンオキシド(O=PPh3)です。つまり悪い脱離基(HO−)が、極めて良い脱離基(中性の O=PPh3)に変わったことになります。
④ ハロゲン化物イオンが SN2 で置換する
遊離した Cl− が炭素を背面から攻撃し、O=PPh3 が抜けます。背面攻撃なので立体は反転します。
Cl− はリンを攻撃して③を逆戻りさせることもできるはずです。それでも反応が炭素側で決着するのは、炭素を攻撃した場合にだけ P=O 結合ができるからです。P=O 結合は非常に強く、一度できると戻りません。この最終段が反応全体を生成物側へ引っぱる駆動力になっています。
なぜ立体が反転するのか
1級・2級アルコールでは、④の段がSN2で進みます。ハロゲン化物イオンは脱離基の反対側から近づくので、不斉中心の立体配置は反転(ワルデン反転)します。SN2 の背面攻撃そのものはSN1・SN2 反応で詳しく扱っています。
見落としやすいのは、①〜③の段では不斉炭素の結合が一度も切れていないことです。②で切れるのは O–H、③で新しくできるのは O–P で、どちらも炭素の外側の話です。立体が動くのは④の1回だけで、そこが背面攻撃なので、結果は1回の反転になります。
この例では、OH と Br がどちらも CIP 順位で1位、エチル基が2位、メチル基が3位なので、空間的な反転がそのまま R → S の記号の変化になります。順位が入れ替わる基質では記号が変わらないこともあるので、記号ではなく空間配置で判断するのが安全です。
この性質は、キラルな2級アルコールから配置を決めてハロゲン化物を作りたいときに重要です。塩酸や臭化水素酸を使う方法ではカルボカチオンを経由してラセミ化しやすいのに対し、アッペル反応なら反転した生成物が得られます。立体反転の典型的な出題例は東大院試2023の SN2 問題でも確認できます。
臭化物・ヨウ化物を作るには
ハロゲン源を変えるだけで、同じ機構で別のハロゲン化物が作れます。①でリンが引き抜くハロゲンが変わり、④で炭素を攻撃するハロゲン化物イオンも同じものになるからです。
| 欲しいもの | ハロゲン源 | メモ |
|---|---|---|
| 塩化アルキル | CCl4 | 古典的な条件。ただし下記のとおり使用は減っている |
| 臭化アルキル | CBr4、臭素 | 現在よく使われる条件。LiBr を臭化物イオン源として加える変法もある |
| ヨウ化アルキル | CI4、ヨウ素 | ヨウ化物は反応性が高く、次の置換反応につなげやすい |
ヨウ化物では、PPh3/I2/イミダゾールの組み合わせもよく使われます。Garegg と Samuelsson が糖のヒドロキシ基をヨウ素に置き換える方法として報告したもので(1979〜1980年)、1級・2級のヒドロキシ基が立体反転を伴ってヨウ素に置き換わります。CI4 の代わりに I2 がリンにヨウ素を渡し、生じる HI はイミダゾールが受け止めます。四ハロゲン化炭素を使わないので厳密には「アッペル型」の条件ですが、リン→アルコキシホスホニウム→SN2 という骨格は同じです。
光延反応との違い——同じ中間体、違う「活性化剤」と「求核剤」
アッペル反応と光延反応は、どちらも PPh3 でアルコールを活性化し、アルコキシホスホニウム中間体を SN2 で開いて立体を反転させる反応です。立体反転の理由はまったく同じで、違いは「リンを活性化する相手」と「最後に攻撃する求核剤がどこから来るか」にあります。
| アッペル反応 | 光延反応 | |
|---|---|---|
| リン試薬 | PPh3 | PPh3 |
| リンを活性化する相手 | CCl4・CBr4(ハロゲンを渡す) | DEAD・DIAD(アゾジカルボン酸エステル) |
| 系内で生じる塩基 | CX3− | ベタイン(ヒドラジン部の窒素アニオン) |
| 共通の中間体 | アルコキシホスホニウム | アルコキシホスホニウム |
| 最後の求核剤 | 試薬由来のハロゲン化物イオン | 外から加える酸性の求核剤(カルボン酸・フェノール・イミド・HN3 など) |
| 生成物 | ハロゲン化アルキル | エステル・エーテル・アジドなど |
| 立体 | 反転 | 反転 |
| リン以外の副生成物 | CHX3(ハロホルム) | ヒドラジンジカルボン酸エステル |
なぜ光延反応では求核剤に酸性度の条件が付くのか。光延反応で生じるベタインは、外から加えた求核剤の H を奪って、その陰イオンを作る役を担います。H を奪えるほど酸性でない求核剤(目安は光延反応の記事の pKa 13〜15 以下)では、この段が回りません。アッペル反応ではハロゲン化物イオンが①の段で試薬から直接供給されるので、そうした条件は要りません。「何を入れたいか」で選ぶと整理できます——ハロゲンならアッペル、酸素・窒素の求核剤なら光延です。
副生成物のトリフェニルホスフィンオキシドはなぜ除きにくいのか
この反応の実務上いちばん面倒なのは、トリフェニルホスフィンオキシドの除去です。理由は3つ重なっています。
1つ目は量です。O=PPh3 は触媒の残りではなく、アルコール1分子につき1分子できる化学量論的な副生成物です。しかも分子量が大きいので、重さでは生成物を上回ることも珍しくありません。
2つ目は極性です。前述のとおり P–O 結合は P+–O− の性格が強く、O=PPh3 はかなり極性の高い中性分子です。一方で3つのフェニル基のおかげで多くの有機溶媒によく溶けます。結果として、極性のある生成物とシリカゲル上で溶出位置が近くなりやすく、カラムクロマトグラフィーで分けにくくなります。
3つ目は化学的に安定すぎることです。酸でも塩基でも壊れず、水洗いで水層に移すこともできないので、抽出操作で取り除く手がかりがありません。
対策は、この性質の裏を突くものになります。
・結晶として落とす:O=PPh3 はヘキサンなど極性の低い溶媒に溶けにくいので、濃縮後に低極性溶媒を加えて析出させ、ろ過する。
・金属塩と錯体にして沈殿させる:酸素がルイス塩基として働くことを利用し、ZnCl2 を加えて錯体として沈殿させる方法が、極性溶媒でも使える手順として報告されている(Batesky・Goldfogel・Weix, 2017)。
・リンを固定化する:高分子担持型のホスフィンを使えば、副生するオキシドも担体ごとろ過で除ける。
・リンを触媒量にする:触媒的アッペル反応には2つの系統がある。1つは、ホスフィンオキシドをリン(V)のまま回す系で、オキサリルクロリドがオキシドをクロロホスホニウム塩に戻して再び活性種として使う(Denton ら, 2011。副生物は CO と CO2)。もう1つは、ホスフィンオキシドをシランで系内還元してホスフィンに戻す系で、ジベンゾホスホール系の触媒が使われた(van Kalkeren・Rutjes・van Delft ら, 2011)。どちらも当量の O=PPh3 の副生そのものを減らせる。
SOCl2・PBr3 との使い分け
アルコールをハロゲン化物に変える方法はほかにもあります。選ぶ基準は基質が何に弱いかと、副生成物をどう除くかです。
| 方法 | 条件 | 向いている場面 |
|---|---|---|
| アッペル反応 | 中性・室温付近 | 酸に弱い基質・保護基がある。立体を反転させたい |
| SOCl2 | 塩基(ピリジン)併用が多い | 単純な基質。副生成物が気体で抜ける利点が大きい |
| PBr3 | 低温 | 1級・2級の臭化物。安価 |
| トシル化→置換 | TsCl/塩基、その後ハロゲン化物塩 | 脱離基を単離してから、別の求核剤と反応させたいとき |
SOCl2 と PBr3 も、OH を硫黄やリンに結合させて脱離基に変えるという点ではアッペル反応と同じ発想です。違いは副生成物で、SOCl2 では SO2 と HCl、PBr3 では亜リン酸系の酸が出ます。酸が出るので、酸に弱い基質には塩基の併用やアッペル反応が選ばれます。逆に、SOCl2 は副生成物が気体で抜けるので、O=PPh3 の除去に悩まずに済みます。ハロゲン化アルキルの作り方全体はアルキルハライドの合成を参照してください。
院試・定期試験での問われ方
アッペル反応が試験で問われるときは、反応名そのものより機構の論理が問われます。出題の型は次の3つに分けられます。
・生成物の立体を答える:キラルな2級アルコールに PPh3/CBr4 を作用させた生成物をくさび表記で書かせる。答えは反転体。
・機構を巻矢印で書く:①〜④の順番、特に「リンが塩素を攻撃する」「CCl3− が塩基になる」の2点が要所。
・条件の比較:HBr で処理した場合との違い(カルボカチオン経由のラセミ化・転位)を説明させる。
PPh3/CBr4(アッペル反応)では、アルコールがアルコキシホスホニウム中間体を経て、臭化物イオンの背面攻撃(SN2)で置換されるため、(S)-2-ブロモブタンが得られます。C–O 結合が切れるのは SN2 の1回だけなので、立体は1回反転します。
HBr で処理すると、OH がプロトン化されて水として抜ける過程で2級カルボカチオンを経由しうるため、ラセミ化(および基質によっては転位や脱離)が起こります。両者の違いは「カルボカチオンを経由するかどうか」にあります。
まとめ
OH を直接押し出すのではなく、リンに渡してから押し出す。この「一度つないで、外れやすくする」発想は有機合成の至るところに出てきます。機構を丸暗記するより、どの段で脱離基が作り替えられているかを追えるようにしておくと応用が利きます。ほかの人名反応は人名反応の一覧から引けます。
参考文献
- R. Appel, Angew. Chem. Int. Ed. Engl. 1975, 14, 801–811. DOI: 10.1002/anie.197508011
- I. M. Downie, J. B. Holmes, J. B. Lee, Chem. Ind. (London) 1966, 900.
- P. J. Garegg, B. Samuelsson, J. Chem. Soc., Perkin Trans. 1 1980, 2866–2869. DOI: 10.1039/P19800002866
- R. M. Denton ほか, J. Org. Chem. 2011, 76, 6749–6767. DOI: 10.1021/jo201085r
- H. A. van Kalkeren, S. H. A. M. Leenders, C. A. Hommersom, F. P. J. T. Rutjes, F. L. van Delft, Chem. Eur. J. 2011, 17, 11290–11295. DOI: 10.1002/chem.201101563
- D. C. Batesky, M. J. Goldfogel, D. J. Weix, J. Org. Chem. 2017, 82, 9931–9936. DOI: 10.1021/acs.joc.7b00459
よくある質問
1級・2級アルコールでは SN2 で進むため、不斉中心の立体配置は反転します。ハロゲン化物イオンがアルコキシホスホニウム基の反対側から攻撃するためです。それより前の段では不斉炭素の結合は切れないので、反転は1回だけです。3級アルコールでは立体障害で SN2 が進みにくく、SN1 的な経路が混ざるため、ラセミ化や骨格の転位が起こることがあります。
濃塩酸や臭化水素酸を使う方法では、OH がプロトン化されてから水として抜け、カルボカチオンを経由します。その結果、転位や脱水によるアルケン生成が起こります。アッペル反応は中性条件でアルコキシホスホニウム中間体を作り、ハロゲン化物イオンが直接 SN2 で置換するため、カルボカチオンを経由しません。アルコールの水素はクロロホルムに収まり、強酸として系に出てこないことも穏やかさの理由です。
トリフェニルホスフィンが四塩化炭素を攻撃したときに生じるトリクロロメチルアニオンが、アルコールから水素イオンを引き抜くためです。CCl3− が CHCl3 になり、アルコールはアルコキシドになります。反応液からクロロホルムが検出されるのは、この脱プロトン化の段があることの裏づけになります。
極性の低い溶媒(ヘキサンなど)を加えて結晶として析出させ、ろ過で除くのが基本です。カラムクロマトグラフィーでも分離できますが、生成物と溶出位置が近いと手間がかかります。塩化亜鉛と錯体にして沈殿させる方法で除去の手間を減らせます。また、リン試薬を触媒量にする変法(オキサリルクロリドでオキシドをクロロホスホニウム塩に戻して回す系や、シランでオキシドをホスフィンに還元して回す系)を使えば、副生量そのものを減らせます。
臭化物を作る場合は四臭化炭素を使うのが標準的で、これが現在よく使われるアッペル反応の条件です。塩化物が必要なら塩化チオニルやトシル化を経由する方法を検討します。四塩化炭素はオゾン層破壊物質としてモントリオール議定書で規制されており、研究室でも使用を避ける傾向があります。
