加水分解とは?けん化との違いとエステル・アミド・ニトリルの条件比較
「加水分解」という言葉は、高校化学の塩の水溶液、生物の消化、大学有機化学のエステル・アミド・ニトリル・アセタール……と、驚くほど多くの場面に出てきます。同じ言葉なのに、ある場面では室温で一瞬、別の場面では濃い酸で丸一日加熱してようやく終わる。この差がどこから来るのかを説明できないと、試験で「酸性条件か塩基性条件か」「なぜけん化は不可逆か」を問われたときに暗記で乗り切るしかなくなります。
この記事では、加水分解を「水が求核剤として炭素を攻撃し、脱離基が抜ける反応」という1本の軸で整理し、基質ごとに何が違うのかを比較表にまとめます。個々の反応の詳しい機構は、それぞれの専門記事へ案内します。
加水分解とは——「水で結合を切る」反応の定義
加水分解(hydrolysis)は、文字どおり「水を加えて分解する」反応です。一般式で書くと次のようになります。
結合 A–B が切れ、水の OH が A 側に、H が B 側に付きます。有機化学で切れる結合はほとんどが炭素とヘテロ原子(O・N・ハロゲン)の結合で、A 側が炭素、B 側が酸素・窒素・ハロゲンを含む脱離基になります。
逆向きに読むと、2つの分子から水が抜けて1つにつながる脱水縮合です。エステル化(カルボン酸+アルコール)、アミド化(ペプチド結合の形成)、アセタール化はすべて脱水縮合で、その逆反応がエステル・アミド・アセタールの加水分解になります。「加水分解できる結合=脱水縮合でできた結合」と覚えておくと、どの官能基が加水分解の対象になるかを見落としません。
なぜ水だけでは進みにくいのか——酸と塩基の2つの役割
水は求核剤としてはかなり弱い分子です。酸素に孤立電子対はありますが電荷を持たず、中性の水がエステルのカルボニル炭素を攻撃する速度は、常温ではきわめて遅いままです。そのため有機化学の加水分解のほとんどは、酸か塩基を加えて加熱します。両者が果たす役割はまったく違います。
| 加えるもの | 何を強くするか | 具体的なしくみ |
|---|---|---|
| 酸(H3O+) | 求電子剤を強くする/脱離基を良くする | カルボニル酸素や OR 酸素をプロトン化し、炭素の正電荷を大きくする。抜ける側をプロトン化して、RO− ではなく中性の ROH として抜けられるようにする |
| 塩基(OH−) | 求核剤を強くする | 中性の H2O の代わりに、負電荷を持つ OH− が直接攻撃する |
もうひとつ、加水分解を理解するうえで欠かせないのが可逆か不可逆かという視点です。加水分解の多くは本来は平衡反応で、逆向きの脱水縮合も起こりえます。それでも反応が一方向に進み切るのは、生成物の一方が別の形に変わって、逆反応の出発物質でなくなる(捕捉される)ときです。
- 塩基性でのエステル加水分解:生じたカルボン酸がカルボキシラート RCOO− になる
- 酸性でのアミド加水分解:生じたアミンがアンモニウムイオン RNH3+ になる
どちらも「後ろに速い酸塩基反応がくっついている」ことが不可逆性の正体です。以下の各論は、すべてこの2つの視点(何で活性化するか・何が捕捉されるか)で読むと整理できます。
基質別の比較表——条件・生成物・可逆性
まず全体像です。詳しい機構は各節と専門記事で扱います。
| 基質 | 典型的な条件 | 生成物 | 可逆性 | 機構の要点 |
|---|---|---|---|---|
| エステル(酸性) | 希硫酸・希塩酸、過剰の水、加熱 | カルボン酸+アルコール | 可逆(エステル化の逆) | カルボニル O のプロトン化 → 水の付加 → 四面体中間体 → ROH が脱離 |
| エステル(塩基性=けん化) | NaOH・KOH 水溶液(アルコール共溶媒)、加熱 | カルボキシラート塩+アルコール(酸処理でカルボン酸) | 不可逆 | OH− の付加 → 四面体中間体 → RO− が脱離 → 酸塩基反応で RCOO− に捕捉 |
| アミド | 濃い酸または濃い塩基、長時間加熱 | 酸性:カルボン酸+アンモニウム塩/塩基性:カルボキシラート+アミン | 実質不可逆 | 共鳴安定化で求電子性が低い。抜ける窒素が悪い脱離基 |
| ニトリル | 酸または塩基の水溶液、加熱 | カルボン酸(+NH4+)またはカルボキシラート(+NH3) | 実質不可逆 | C≡N への水(OH−)の付加 → アミド → さらに加水分解 |
| ハロゲン化アルキル | 第三級:水(SN1)/第一級:NaOH 水溶液(SN2) | アルコール+HX(NaOH 使用時は NaX) | 条件次第 | 求核置換。第二級・第三級では E1・E2 と競合 |
| アセタール | 酸の水溶液(塩基では進まない) | アルデヒド・ケトン+アルコール2分子 | 可逆(水の量で向きが決まる) | OR のプロトン化 → オキソカルベニウムイオン → 水の付加 |
| イミン | 希酸の水溶液(室温でも速い) | アルデヒド・ケトン+アミン(酸性ではアンモニウム塩) | 素過程は可逆(イミン生成の逆)。酸性水溶液ではアミンのプロトン化と大過剰の水で加水分解側へ大きく偏る | N のプロトン化 → イミニウムイオン → 水の付加 → カルビノールアミン |
| 酸塩化物 | 水(室温・空気中の湿気でも進む) | カルボン酸+HCl | 不可逆 | Cl− がきわめて良い脱離基 |
表を縦に見比べると、水が来るタイミングで大きく2つのパターンに分かれます。付加が先の型(エステル・アミド・酸塩化物・ニトリル・イミン)は、C=O・C≡N・C=N の多重結合に水(OH−)が付加して中間体をつくり、そのあとで脱離基が抜けます。イミンは窒素がプロトン化されたイミニウムイオンに水が付加するので、この型の酸性版です。ニトリルは、付加のあと互変異性でいったんアミドになり、そのアミドが同じ型で加水分解されます。脱離が先の型(アセタール・第三級ハロゲン化アルキル)は、先に脱離基が抜けてカチオンができ、そこへ水が来ます。ただし両者で酸の要否は違います。アセタールの OR’ はプロトン化しないと抜けないので酸が必須ですが、第三級ハロゲン化アルキルのハロゲン化物イオンはそのままで良い脱離基なので、中性の水だけで SN1 が進みます。
エステルの加水分解——酸性(可逆)とけん化(不可逆)
エステルの加水分解は、加水分解の中でも頻出のテーマです。同じエステルから、酸性ではカルボン酸、塩基性ではカルボキシラート塩が得られ、可逆性も逆になります。エステル化との関係はエステル化反応と加水分解の解説、官能基としての性質はエステル官能基の解説で詳しく扱っています。
酸性条件——フィッシャーエステル化の逆反応
巻矢印で追うと、段階は次の順です。
- カルボニル酸素が H3O+ からプロトンを受け取り、カルボニル炭素の正電荷が大きくなる
- 水の酸素の孤立電子対がカルボニル炭素を攻撃し、四面体中間体ができる
- プロトンが移動して、OR’ の酸素がプロトン化される
- C=O が戻りながら R’OH が中性分子として抜ける
- 脱プロトン化でカルボン酸になり、H3O+ が再生する(酸は触媒)
なぜ可逆なのか。 すべての段階が、エステル化と同じ中間体を逆向きにたどっているだけだからです。生成物のカルボン酸とアルコールは、同じ酸触媒のもとで再びエステルに戻れます。だから加水分解側に寄せるには、大過剰の水を使って平衡を押すしかありません。「水を抜けばエステル化、水を入れれば加水分解」というルシャトリエの原理の典型例です。
塩基性条件(けん化)——なぜ不可逆になるのか
- OH− がカルボニル炭素を直接攻撃し、負電荷を持つ四面体中間体ができる
- C=O が戻りながら R’O−(アルコキシド)が抜け、カルボン酸ができる
- カルボン酸の H を R’O− が直ちに引き抜き、カルボキシラート RCOO− とアルコールになる
決め手は最後の酸塩基反応です。カルボン酸(酢酸の pKa 約4.8)とアルコール(エタノールの pKa 約16)の差はおよそ11桁で、平衡は圧倒的にカルボキシラート側に傾きます。できたカルボキシラートは負電荷が2つの酸素に共鳴で広がっていて、カルボニル炭素の求電子性がほとんど残っていません。アルコキシドが攻撃し直してエステルに戻る道が事実上ふさがれるため、反応は一方向に進み切ります。
ここから2つの帰結が出ます。第一に、OH− は最後にカルボン酸の H と中和されて消費されるので、塩基は触媒ではなく1当量以上必要です(酸性加水分解の H3O+ が触媒なのと対照的)。第二に、カルボン酸として取り出すには、反応後に酸を加えてカルボキシラートをプロトン化する後処理が要ります。
どちらの結合が切れるのか——18O 標識の実験
エステル R–CO–O–R’ には切れる候補が2本あります。カルボニル炭素と O の間(アシル–酸素開裂)か、O と R’ の間(アルキル–酸素開裂)か。これは、アルコキシ側の酸素を同位体 18O で標識したエステルをけん化すると決められます。18O はアルコールの側に残り、カルボキシラートには入りません。つまり OH− はカルボニル炭素を攻撃し、切れたのはアシル–酸素結合です。上に書いた機構(四面体中間体を経る求核アシル置換)はこの実験事実に基づいています。
アミドの加水分解——なぜ強い条件が必要なのか
アミドはカルボン酸誘導体の中で最も加水分解されにくい官能基です。タンパク質を構成アミノ酸まで分解するアミノ酸分析では、6 M 塩酸中 110 °C で24時間ほど加熱するのが標準的な条件として知られています。エステルが希酸で加水分解できるのと比べると、桁違いに丈夫です。理由は2つあります。
① カルボニル炭素の求電子性が低い。 窒素の孤立電子対がカルボニルへ共鳴で流れ込み、C–N 結合が部分的な二重結合性を持ちます(アミドが回転しにくい理由と同じ)。炭素の正電荷が窒素の電子で打ち消されるので、求核剤が攻撃しにくくなります。窒素は酸素より電気陰性度が小さく、電子を手放しやすいので、この共鳴はエステルの OR’ よりずっと強く効きます(アミド官能基の解説)。
② 窒素が悪い脱離基である。 四面体中間体から抜けるのは窒素側ですが、アミドアニオン R’NH− はきわめて強い塩基で、そのままでは抜けません。酸性条件では窒素がプロトン化されて中性のアミンとして抜けられるようになり、塩基性条件でも窒素がプロトンを受け取りながら離れる必要があります。
一方で、いったん進んだアミドの加水分解は実質的に戻りません。酸性では生じたアミンがすぐにプロトン化されてアンモニウムイオンになり、孤立電子対を失ってカルボン酸を攻撃できなくなります。塩基性ではカルボン酸がカルボキシラートになります。どちらの条件でも生成物の一方が捕捉されるので、エステルの酸加水分解とは違って平衡に戻りません。
ニトリルの加水分解——アミドを経てカルボン酸へ
ニトリルの炭素は、電気陰性な窒素との三重結合で正に分極しています。酸性では窒素がプロトン化されて炭素の求電子性が上がり、そこへ水が付加します。塩基性では OH− が直接炭素を攻撃します。どちらの場合も最初にできるのは イミド酸(R–C(OH)=NH)で、これが互変異性化して安定なアミドになります。そのアミドが前節と同じしくみでさらに加水分解され、カルボン酸(またはカルボキシラート)とアンモニア(酸性ではアンモニウムイオン)になります。
厳密には、ニトリル → アミドの段階は分子が切れないので「水和」、アミド → カルボン酸の段階が「加水分解」です。ふつうの酸・塩基・加熱条件では、アミドで止まらずカルボン酸まで進みます。
ニトリルの加水分解が合成で重要なのは、炭素を1つ増やしてカルボン酸を作る経路になるからです。第一級ハロゲン化アルキルに CN− を SN2 で導入し、加水分解すると、元より炭素が1つ多いカルボン酸が得られます。同じ「炭素1つ増」は Grignard 試薬と CO2 でも達成できますが、Grignard 試薬は分子内の OH・C=O などと両立しないので、基質によって使い分けます。ニトリルの合成と反応はニトリル官能基の解説とカルボン酸とニトリルの解説にまとめています。
カルボン酸誘導体の加水分解されやすさの順
エステル・アミドを含むカルボン酸誘導体は、加水分解されやすさに明確な順序があります。
| 誘導体 | 脱離基 | 脱離基の共役酸の pKa(目安) | 加水分解の起こりやすさ |
|---|---|---|---|
| 酸塩化物 RCOCl | Cl− | HCl:約 −7 | 水と速やかに反応し、空気中の湿気でも分解する |
| 酸無水物 (RCO)2O | RCOO− | RCOOH:約 5 | 水で進む(酸塩化物より遅い) |
| エステル RCOOR’ | R’O− | R’OH:約 16 | 酸または塩基+加熱が必要 |
| アミド RCONH2 | NH2− | NH3:35以上 | 強酸・強塩基+長時間加熱が必要 |
この順序は2つの要因が同じ向きにそろった結果です。ひとつは脱離基の安定性で、共役酸が強い酸ほど(pKa が小さいほど)脱離基は弱い塩基で、抜けやすくなります(脱離基の強さの順)。もうひとつはカルボニルへの電子供与で、Cl はほとんど電子を供与しない一方、O・N は孤立電子対を共鳴で押し込み、カルボニル炭素の求電子性を下げます。表の下へ行くほど「攻撃されにくく、抜けにくい」ので、加水分解に強い条件が必要になります。求核アシル置換の全体像はカルボン酸誘導体と求核アシル置換反応、付加してから脱離する段階の詳細は付加-脱離機構を参照してください。
ハロゲン化アルキルの加水分解——SN1とSN2
ハロゲン化アルキルの加水分解は、カルボニルを持たない基質の代表で、中身は求核置換反応です。基質の級数で機構が変わります。
- 第三級(例:tert-ブチルクロリド):C–Cl が先に切れてカルボカチオンができ(律速段階)、そこへ水が攻撃します(SN1)。弱い求核剤の水だけで進むのは、第三級カルボカチオンが超共役で安定だからです(カルボカチオンの安定性)。
- 第一級:カルボカチオンが不安定なので SN1 は起こらず、OH− が脱離基の反対側から攻撃する SN2 で進みます。
- 第二級:SN1 と SN2 の境界にあり、条件で機構が変わります。不斉炭素で SN2 が起これば立体配置は反転します。
- 第二級・第三級を強塩基で処理すると:OH− が塩基として β 位の H を引き抜く E2 が競合し、アルケンが混ざります。加水分解のつもりで NaOH を使うと脱離が主になる場合があるのはこのためです。
可逆性は条件次第です。tert-ブチルアルコールに濃塩酸を加えると tert-ブチルクロリドができる(同じカルボカチオンを経る逆反応)ので、生じる HX が濃くたまる条件では逆向きも起こりえます。機構の選び方はSN1・SN2反応の解説とアルキルハライドの反応:SN1・SN2・E1・E2で詳しく扱っています。
アセタール・イミンの加水分解——酸が必要になる理由
アセタール——オキソカルベニウムイオンを経る
アセタールはカルボニル基を持たないので、エステルのように「付加してから脱離」はできません。代わりに、片方の OR’ 酸素がプロトン化されて R’OH として抜け、残った酸素の孤立電子対が押し込んでオキソカルベニウムイオン(C=O+R’)ができます。そこへ水が攻撃してヘミアセタールになり、同じことをもう一度繰り返してカルボニル化合物に戻ります。
塩基性で進まない理由は、脱離基をプロトン化する手段がないからです。プロトン化されていない OR’ が抜けると R’O−(アルコキシド)になりますが、これは強い塩基で、良い脱離基ではありません。アセタールが塩基・求核剤・還元剤・Grignard 試薬に安定で、希酸の水溶液でだけ外れるという性質が、アルデヒド・ケトンの保護基として使われる根拠です。全段階が可逆なので、水の量で向きが決まります(水を抜けばアセタール化、水を入れれば加水分解)。詳しくはアセタール・ヘミアセタールの解説へ。
糖のグリコシド結合もアセタールです。スクロースやデンプンを酸で加水分解すると単糖になるのは、このアセタール加水分解にあたります(炭水化物(糖質)の解説)。
イミン——イミニウムイオンを経る
イミンはイミン生成の逆をたどります。窒素がプロトン化されてイミニウムイオンになり、炭素の求電子性が上がったところへ水が付加してカルビノールアミンができ、窒素がプロトン化されてアミンとして抜けると、カルボニル化合物に戻ります。
ここで、素過程の可逆性と平衡の偏りを分けて考えます。各段階はイミン生成の逆なので、素過程としてはどれも可逆です(だからこそ、水を除けばイミンが生成します)。一方、酸性水溶液の中では、生じたアミンがプロトン化されてアンモニウムイオンになり、孤立電子対を失ってカルボニルを攻撃できなくなります。そこへ大過剰の水が加わるので、平衡は加水分解側へ大きく偏ります。「不可逆な段階がある」のではなく「平衡が片側に寄る」という点で、けん化とは区別してください。イミンは希酸の水溶液で室温でも加水分解されやすく、エナミンも同様にプロトン化を経てカルボニル化合物に戻ります。最適 pH の考え方を含めてイミンの解説で扱っています。
参考:エポキシドの開環
エポキシドに酸性水溶液を作用させると、環が開いて1,2-ジオールになります。プロトン化された酸素が脱離基になり、水が背面から攻撃するので、2つの OH はアンチの関係になります(シクロヘキセンオキシドならトランス-1,2-ジオール)。厳密には分子が2つに分かれないので「開環」と呼ぶのがふつうですが、教科書によっては加水分解として扱います。酸性と塩基性での位置選択性の違いはエポキシドの開環反応へ。
Grignard反応の「加水分解」は何を切っているのか
Grignard 試薬をアルデヒドやケトンに付加させたあと、「加水分解してアルコールを得る」と書かれます。しかし、ここで起きているのは、ここまでの例とは性質の違う反応です。
R3C–O− MgX+ + H3O+ → R3C–OH + Mg2+ + X− + H2O
付加で生じるのはマグネシウムアルコキシド(O− と MgX+ のイオン対に近い)で、酸の水溶液を加えると酸素がプロトン化されてアルコールになります。切れているのは炭素の共有結合ではなく、O–Mg の結合で、実体は酸塩基反応(プロトン化)です。日本語の教科書・問題文ではこの後処理も慣用的に「加水分解」と呼ぶので、言葉に引きずられずに中身を見分けてください。
これに対して、Grignard 試薬をニトリルに付加させた場合の後処理は本物の加水分解です。付加で生じたイミンのマグネシウム塩が、酸の水溶液でイミンを経てケトンになり、C=N 結合が切れます。
なお、Grignard 試薬そのものに水が触れると、R–MgX + H2O → R–H + Mg(OH)X となって炭素の求核剤が失われます。Grignard 反応で乾燥したエーテル溶媒が必須なのはこのためです。調製から基質別の反応まではグリニャール試薬の完全解説にまとめています。
高校化学の「塩の加水分解」とは別物
高校化学で習う「塩の加水分解」は、有機化学の加水分解とは中身が違います。
CH3COO− + H2O ⇌ CH3COOH + OH− (酢酸ナトリウム水溶液が塩基性を示す) NH4+ + H2O ⇌ NH3 + H3O+ (塩化アンモニウム水溶液が酸性を示す)
これは弱酸の共役塩基(または弱塩基の共役酸)と水との間でプロトンが受け渡されるだけの酸塩基平衡です。プロトン移動はきわめて速く、水に溶かした瞬間に平衡に達します。炭素骨格の結合はどこも切れず、分子の形は変わりません。
| 観点 | 塩の加水分解(高校化学) | 有機化学の加水分解 |
|---|---|---|
| 切れる結合 | O–H・N–H だけ(プロトンの受け渡し) | 炭素–ヘテロ原子の共有結合(C–O・C–N・C–X) |
| 反応の種類 | 酸塩基平衡 | 求核置換・求核アシル置換・カチオン経由の置換 |
| 速さ | 瞬時に平衡 | 遅いことが多く、酸・塩基・加熱が必要 |
| 結果 | 水溶液の pH が変わる | 分子が2つに分かれる |
両者がつながる場所もあります。けん化の最後の段階(カルボン酸 + アルコキシド → カルボキシラート + アルコール)は、まさに酸塩基反応です。そして、けん化で得たカルボン酸ナトリウムの水溶液が弱い塩基性を示すのは、高校化学の意味での「塩の加水分解」によります。せっけん水が塩基性なのはこの理由です。
高校化学でも、エステル(酢酸エチル)・油脂のけん化・二糖や多糖・タンパク質の加水分解は登場しますが、これらは有機化学の意味の加水分解(エステル・アセタール・アミドの加水分解)です。同じ「加水分解」という言葉が、高校化学では2つの別の現象に使われていると整理すると混乱しません。酸塩基の考え方は酸と塩基とは(pKaと共役塩基)で確認できます。
試験での問われ方
院試・定期試験で加水分解が出るときは、主に次の4つの型です。
① 生成物を書かせる(条件の読み取り)。 エステルに「NaOH 水溶液、加熱、その後 HCl 水溶液」とあればカルボン酸とアルコール、「NaOH 水溶液、加熱」だけならカルボン酸ナトリウムとアルコールです。後処理の有無で答えの形が変わる点が狙われます。ラクトン(環状エステル)なら、生成物はヒドロキシ基とカルボキシ基を1分子内に持つヒドロキシ酸(塩基性ではその塩)になります。
② 可逆性の理由を説明させる。 「けん化が不可逆な理由を述べよ」には、生成物のカルボン酸がアルコキシドによって脱プロトン化されてカルボキシラートになり、共鳴安定化されたカルボキシラートはアルコールの攻撃を受けないこと、pKa の差(約4.8 対 約16)で平衡が大きく偏ることを書きます。
③ 機構を巻矢印で書かせる。 酸性エステル加水分解・けん化・アミドの酸加水分解・アセタールの加水分解が定番です。採点で見られるのは、最初にプロトン化する原子(アミドは酸素)、四面体中間体またはオキソカルベニウムイオンの明示、プロトン移動の段階を省略しないことです(巻矢印の書き方)。
④ 合成経路に組み込ませる。 「1-ブロモブタンから炭素数5のカルボン酸を合成せよ」なら、NaCN による SN2 でペンタンニトリルにし、酸加水分解でペンタン酸にします(Grignard 試薬+CO2 も別解)。「ケトンを残してエステルだけを還元せよ」なら、ケトンをアセタールで保護 → 還元 → 希酸で加水分解して脱保護、という流れです。
まとめ
加水分解は、基質ごとにばらばらの反応に見えて、「水をどう求核剤にするか」「脱離基をどう抜けやすくするか」「生成物がどう捕捉されるか」の3点で全部説明できます。個々の反応で迷ったら、まず比較表の行に戻り、カルボニル型かカチオン型かを確かめてから機構を書いてみてください。ほかの反応との位置づけは有機反応10大機構の地図で一覧できます。
よくある質問
互いに逆向きの反応です。カルボン酸とアルコールから水が抜けてエステルができるのが脱水縮合で、エステルに水が加わってカルボン酸とアルコールに戻るのが加水分解です。エステル・アミド(ペプチド結合)・アセタール(グリコシド結合)はすべて脱水縮合でできた結合なので、加水分解の対象になります。
けん化は加水分解の一種で、塩基(NaOH や KOH)を使ったエステルの加水分解を指します。酸性条件のエステル加水分解は可逆ですが、けん化は生成したカルボン酸がカルボキシラートに変わるため不可逆で、塩基は1当量以上消費されます。カルボン酸として取り出すには、反応後に酸を加える後処理が必要です。
完全に進めたいなら塩基性(けん化)が有利です。不可逆なので、大過剰の水を使わなくても最後まで進みます。ただし、分子内にエピマー化しやすい不斉中心や塩基に弱い部分があれば酸性条件を選び、tert-ブチルエステルのように立体的に混んだエステルは酸で切断します。分子内の他の官能基が耐えられる条件を選ぶのが原則です。
2つの理由があります。窒素の孤立電子対がカルボニルへ強く共鳴で流れ込み、カルボニル炭素の求電子性が下がっていること、そして抜ける側の窒素(アミドアニオン)が非常に強い塩基で、悪い脱離基であることです。そのため強酸または強塩基のもとで長時間の加熱が必要になります。
付加で生じたマグネシウムアルコキシドの酸素が、酸の水溶液によってプロトン化され、アルコールになる反応です。炭素の共有結合は切れておらず、実体は酸塩基反応です。第三級アルコールを得るときは、強酸による E1 脱水を避けるために弱酸性の塩化アンモニウム水溶液を使うのが一般的です。ニトリルに付加させた場合の後処理は、イミンの C=N 結合が切れてケトンになる本物の加水分解です。
