はじめに:登山ロープからナイロンまで——カルボン酸誘導体が支える世界

登山家の命を預かるロープの多くはナイロン製です。そしてナイロンは、まさに本章の主役である求核アシル置換反応によって工業的に合成されています。前章で学んだカルボン酸(RCO2H)の–OH基を別の置換基Yに置き換えた化合物群——酸塩化物・酸無水物・エステル・アミド、そして生体内で活躍するチオエステル・アシルリン酸を総称して「カルボン酸誘導体」と呼びます。

これらは実験室化学だけでなく、ほぼすべての生体代謝経路に登場する、有機化学の中でも最も汎用性の高い官能基群です。タンパク質(アミド結合)、脂質代謝(チオエステル=アセチルCoA)、ATPによるエネルギー伝達(アシルリン酸)——生命化学の根幹を理解するためには、本章の求核アシル置換反応のロジックが欠かせません。

第21章のゴール
① カルボン酸誘導体(酸塩化物・無水物・エステル・アミド・チオエステル・アシルリン酸)を命名できる
② 求核アシル置換反応の機構(付加→脱離)をカルボニル化合物の求核付加と区別して説明できる
③ 酸塩化物>無水物>チオエステル>エステル>アミドの反応性順序とその理由を説明できる
④ Fischer エステル化・サポニフィケーション・DCC法によるアミド合成の機構を書ける
⑤ 各誘導体の主要反応(加水分解・アルコリシス・アミノリシス・還元・Grignard反応)を整理できる
⑥ 生体内のチオエステル(アセチルCoA)・アシルリン酸の役割を説明できる
⑦ ナイロン・ポリエステルなど重縮合高分子の合成原理を理解する
⑧ IR・NMRスペクトルから各カルボン酸誘導体を同定できる

21.1 カルボン酸誘導体の命名

カルボン酸誘導体は、カルボニル炭素に結合する電気陰性原子・置換基(–Y)の種類によって6種類に分類されます。酸塩化物・酸無水物は実験室のみで使われ、エステル・アミドは実験室・生体内の両方に存在し、チオエステル・アシルリン酸は主に生体内で見られます。

官能基 一般構造 名称の語尾 主な使用場面
酸塩化物 RCOX RCOCl, RCOBr –oyl halide 実験室のみ
酸無水物 RCO2COR’ acid → anhydride 実験室のみ
エステル RCO2R’ –oate 実験室・生体内
アミド RCONH2 –amide 実験室・生体内(タンパク質)
チオエステル RCOSR’ –thioate 主に生体内(アセチルCoA)
アシルリン酸 RCO2PO32− –oyl phosphate 主に生体内(ATP関連)

酸塩化物の命名は、対応するカルボン酸の-ic acid-oyl(または-carboxylic acidを-carbonylに)変えてハロゲン名を続けます。ただしformic(formyl)・acetic(acetyl)・propionic(propionyl)・butyric(butyryl)・oxalic(oxalyl)・malonic(malonyl)・succinic(succinyl)・glutaric(glutaryl)の8つは-ylのみという例外があります。

CH3COCl          アセチルクロリド
C6H5COBr         ベンゾイルブロミド
シクロヘキサンカルボニルクロリド

対称な酸無水物は「酸」を「無水物」に置き換えるだけです(酢酸 → 無水酢酸)。非対称な無水物は2つの酸名をアルファベット順に並べます。エステルは「アルキル基名+カルボン酸名(-ic acid → -ate)」、アミドは「-oic acid/-ic acid → -amide」(環状は-carboxylic acid → -carboxamide)で命名し、N上の置換基にはN-を付けます。チオエステルはエステルと同様に命名し、慣用名にはthio-を付加(acetate → thioacetate)、系統名は-oate → -thioateと変化させます。

覚え方のコツ
6種類の誘導体の命名は、すべて「カルボン酸の命名規則からの言い換え」で覚えられます。-ic acid → -oyl(酸塩化物)/ -ate(エステル)/ -amide(アミド)/ -thioate(チオエステル)という対応をセットで暗記すると効率的です。

21.2 求核アシル置換反応——カルボン酸誘導体化学の核心

付加・脱離の2段階機構

アルデヒド・ケトンへの求核付加では、四面体型のアルコキシドイオン中間体がプロトン化されてアルコールになるだけでした。しかしカルボン酸誘導体の場合、カルボニル炭素にはもともと–Y(脱離基になれる置換基)が結合しているため、四面体中間体は–Yを脱離基として放出し、新しいカルボニル化合物を再生します。これが求核アシル置換反応です。

アルデヒド・ケトン:  C=O + Nu⁻ → 四面体アルコキシド中間体 →(プロトン化)→ アルコール

カルボン酸誘導体:    C=O + Nu⁻ → 四面体アルコキシド中間体 →(Y⁻脱離)→ 新しいC=O + Y⁻
                     (RCOY)                                    (RCONu)

全体としてはSN2反応(脱離基の背面置換)と似た「置換」の結果になりますが、機構は全く異なります。SN2は1段階の協奏的反応であるのに対し、求核アシル置換は四面体中間体を経る2段階反応です。

SN2との違いに注意
「置換反応」という名前からSN2と混同しがちですが、求核アシル置換はsp²カルボニル炭素への平面的なアプローチと四面体中間体の経由が本質です。立体障害の影響を受ける点(バルキーな基が反応を妨げる)はSN2と共通しますが、反転は起こりません。

反応性を決める要因:立体効果と電子効果

求核アシル置換の速度を決めるのは通常、最初の付加段階です。立体的には、カルボニル炭素周囲が混み合っていない化合物ほど反応性が高くなります。電子的には、カルボニル炭素をより求電子的(δ+が大きい)にする置換基ほど反応性を高めます。

塩素のような電子求引性原子はカルボニル炭素から電子を引き抜いて求電子性を高めるため、酸塩化物は最も反応性が高くなります。一方、窒素・酸素・硫黄は孤立電子対を共鳴によりカルボニル基へ供与してその求電子性を弱めるため、アミドは最も反応性が低くなります。

反応性 誘導体 理由
酸塩化物 Clの強い誘起的電子求引。共鳴供与なし。最も求電子的。
中間 酸無水物 > チオエステル > エステル OやSの共鳴供与は弱め(Sはpが大きく重なりにくい)。
アミド 窒素の孤立電子対が強く共鳴供与し、カルボニルの求電子性を大きく低下。

反応性順序:酸塩化物 > 酸無水物 > チオエステル > エステル > アミド

この順序が重要なのは、より反応性の高い誘導体は、より反応性の低い誘導体へ直接変換できるが、逆方向は直接できないという一方通行のルールがあるためです。たとえば酸塩化物は無水物・チオエステル・エステル・アミドのいずれにも変換できますが、アミドを直接エステルや酸塩化物に変換することはできません。

生体内での反応性のすみ分け
酸塩化物・酸無水物は水と激しく反応してしまうため、生体内では存在できません。アシルリン酸・チオエステル・エステル・アミドだけが「水と共存できるほど安定だが、酵素の助けで反応するには十分な反応性を持つ」絶妙なバランスを保っており、自然界で広く利用されています。

21.3 カルボン酸の反応:他の誘導体への変換

カルボン酸の–OHは脱離基として不適格(強塩基性)なため、直接の求核アシル置換は困難です。酸触媒でカルボニル酸素をプロトン化して求電子性を上げる、または–OHをより良い脱離基に変換する、という2つの戦略で克服します。

酸塩化物への変換:SOCl2

塩化チオニル(SOCl2)はカルボン酸の–OHを、はるかに良い脱離基であるクロロスルフィト基に置き換えてから塩化物イオンが求核アシル置換することで酸塩化物を与えます(アルコール+SOCl2でアルキル塩化物が生じる反応と同じ原理、17.6節既習)。

エステルへの変換:Fischer エステル化

最も重要な変換の一つがエステル化です。カルボキシラートとハロゲン化アルキルのSN2反応のほか、酸触媒下でアルコールと反応させるFischer エステル化が代表的です。

Step 1: H+ がカルボニル酸素をプロトン化 → 求電子性が増大
Step 2: アルコールが求核付加 → 四面体中間体(オキソカルベニウム経由)
Step 3: プロトンの酸素間移動 → –OHが良い脱離基(H2O)に変化
Step 4: H2Oの脱離 + 脱プロトン → エステル生成 + 酸触媒の再生

全反応はすべて可逆で平衡定数はおおむね1付近です。アルコールを大過剰の溶媒として使えばエステル側に、水を大過剰にすれば加水分解側に平衡を移動できます。18Oラベル実験により、アルコールのR–OH結合ではなくカルボン酸のC–OH結合が切れることが確認されています。

Fischer エステル化の限界
立体障害の大きいアルコール(メチル・エチル・プロピル・ブチル以外)には実用上適用しにくく、2,4,6-トリメチル安息香酸のような立体障害の大きい酸も反応しにくいことがあります。そのような場合は酸塩化物経由の合成を選びます。

アミドへの変換:カルボジイミド法

アミンは塩基性のためカルボン酸を中性化してカルボキシラートにしてしまい、直接の反応は進みにくくなります。そこでジシクロヘキシルカルボジイミド(DCC)EDCでカルボン酸を活性化してから、アミンを付加させます。カルボン酸がDCCのC=N結合に付加してから求核アシル置換が起こり、アミドとジシクロヘキシル尿素が生成します。

ペプチド合成への応用
DCC法はアミノ酸同士を結合してペプチド(タンパク質鎖)を作る実験室合成の基幹反応です(第26章で詳述)。–NH2や–CO2Hを保護した2つのアミノ酸をDCCで処理するとジペプチドが得られます。

アルコールへの変換:還元

カルボン酸はLiAlH4で1°アルコールに還元されます(17.4節既習)が、機構としては–Hが–OHを置換してアルデヒドを生じ(求核アシル置換)、それがさらに求核付加で還元される2段階です。アルデヒド中間体は元の酸より反応性が高いため単離されません。BH3/THFも有用な還元剤で、室温で迅速に進み、ニトロ基など他の官能基を残したまま選択的にカルボキシル基だけを還元できます。

生体内での活性化:ATPとアシルCoA

生体内では直接の求核アシル置換は起こらず、まずATPと反応してアシルアデニル酸(カルボン酸とAMPの混合無水物)を生じさせ、続いてコエンザイムAの–SH基が求核アシル置換することでアシルCoAを生成します。ATPとの最初の反応自体も、カルボキシラートがリンのP=O結合へ付加し二リン酸イオン(PPi)を脱離基として放出する求核アシル置換反応です。

21.4 酸塩化物の化学

合成

カルボン酸とSOCl2(エーテル中)で酸塩化物、PBr3で酸ブロミドが得られます。

反応性は最高、変換先は最多

酸塩化物はカルボン酸誘導体の中で最も反応性が高く、ほぼすべての他の誘導体・ケトン・アルコールに変換できます。

反応 試薬 生成物 補足
加水分解 H2O(塩基存在下) カルボン酸 + HCl ピリジンやNaOHでHClを除去
無水物化 RCO2 酸無水物 対称・非対称どちらも可
アルコリシス R’OH(ピリジン) エステル 最も一般的なエステル合成法。立体障害で1°>2°>3°の順
アミノリシス 2 RNH2 アミド 最も一般的なアミド合成法。アミン2当量必要(HCl捕捉用)
還元 LiAlH4 1°アルコール 実用上はカルボン酸の還元で代替可
Grignard反応 2 R’MgX 3°アルコール(左右対称) ケトン中間体は単離不可(反応が速すぎる)
Gilman試薬 R’2CuLi ケトン −78°Cで実施。酸塩化物だけに有効な反応
Grignard反応とGilman試薬の違いに注意
酸塩化物にGrignard試薬を加えると、生成したケトンに2回目の付加が速やかに起こり3°アルコールまで進んでしまうため、ケトンで止めることができません。一方Li+R’2Cu(リチウムジオルガノ銅、Gilman試薬)は反応性が穏やかなため、ケトンの段階で反応を止められます。カルボン酸・エステル・無水物・アミドはGilman試薬と反応しないことも覚えておきましょう。

21.5 酸無水物の化学

酸無水物は酸塩化物とカルボキシラートの求核アシル置換で合成されます。反応性は酸塩化物より低いものの、化学的挙動は類似しています(水でカルボン酸、アルコールでエステル、アミンでアミド、LiAlH4で1°アルコール)。実用上はエステル化・アミド化が中心です。

無水酢酸はその代表例で、アルコールと反応させればアセチル化エステルが得られます。アスピリン(アセチルサリチル酸)はサリチル酸を無水酢酸でアセチル化して工業生産されます。

アミンとの反応も重要で、p-ヒドロキシアニリンを無水酢酸でアセチル化するとアセトアミノフェン(市販鎮痛薬の有効成分)が得られます。このとき–NH2の方が–OHより求核性が高いため、アミド側のみが選択的に反応します。

無水物は「半分」しか使われない非効率な試薬
無水物がエステル化・アミド化に使われるとき、分子のもう半分はカルボキシラートとして脱離基になるだけで消費されます。そのため、アセチル基以外の置換を導入したい場合は通常、より効率的な酸塩化物が選ばれます。

21.6 エステルの化学

エステルは天然界に広く存在し、果物・花の芳香(メチルブタン酸=パイナップル、酢酸イソペンチル=バナナ)や動物脂肪のエステル結合として現れます。

合成

主な合成法は3つ:①カルボキシラートとハロゲン化アルキルのSN2反応(1°ハロゲン化アルキル限定)、②Fischer エステル化(簡単なアルコール限定)、③酸塩化物とアルコールの反応(最も汎用的)。

加水分解(サポニフィケーション)

塩基性条件でのエステル加水分解はサポニフィケーション(ラテン語 sapo「石灰石」に由来。動物脂肪を強塩基で煮てエステル結合を切る石鹸製造に由来)と呼ばれます。

Step 1: HO⁻ がエステルカルボニルに求核付加 → 四面体アルコキシド中間体
Step 2: アルコキシドイオン(R'O⁻)の脱離 → カルボン酸生成
Step 3: 生成したアルコキシドがカルボン酸からプロトンを奪う → カルボキシラート + R'OH
(別工程で水性HClを加えて酸性化すれば遊離のカルボン酸が得られる)

18Oラベル実験により、エチルプロパン酸のエーテル様酸素を18Oラベルして加水分解すると、ラベルはエタノール側に現れ、プロパン酸側には残りません。すなわちC–OR’結合が切断されることが分かります。

酸触媒条件下の加水分解はFischer エステル化の逆反応そのもので、まずプロトン化、水の求核付加、プロトン移動、アルコールの脱離という経路をたどります。生体内では脂質の消化が代表例で、リパーゼ酵素がアルコール基をエステルに求核アシル置換させてアシル酵素中間体を作り、続いて水が加水分解する2段階機構を取ります。

アミノリシス・還元・Grignard反応

エステルはアミンと反応してアミドを与えますが、実際にはアミド合成は酸塩化物経由の方が一般的です。還元はLiAlH4で1°アルコールまで進みますが、DIBAH(ジイソブチルアルミニウムヒドリド)を1当量、−78°Cで用いると還元をアルデヒドの段階で止めることができます。Grignard反応では2当量の試薬が付加し、左右対称な3°アルコールが得られます(ケトン中間体経由)。

ラクトン(環状エステル)も同じ反応性
環状エステルであるラクトンも、鎖状エステルとまったく同じ反応性(加水分解・還元・アミノリシス・Grignard反応)を示します。ラクタム(環状アミド)も同様にアミドの反応性を共有します。

21.7 アミドの化学

アミドはタンパク質・核酸・多くの医薬品に存在し、生体の水性環境で安定なため自然界に最も多く見られるカルボニル化合物の一つです。同時に、最も反応性が低いため、求核アシル置換反応の種類も限られます。

加水分解:酸性・塩基性ともに過酷な条件が必要

酸性条件では、プロトン化されたアミドへ水が求核付加し、酸素から窒素へのプロトン移動で窒素を良い脱離基に変えてから脱離が起こります。塩基性条件ではHOがカルボニルに付加し、アミドイオン(NH2を脱離基として放出します。

なぜアミドの加水分解は特に過酷な条件を必要とするのか
アミドイオン(NH2)は非常に強い塩基であり、脱離基としては極めて不適格です。そのため塩基性条件下での脱離段階が大きな障壁となり、酸塩化物やエステルの加水分解よりはるかに高温・長時間の条件が必要になります。

生体内ではタンパク質の消化がこれに対応し、プロテアーゼ酵素のアルコール基がアミド結合に求核アシル置換してアシル酵素中間体を作り、続く加水分解でペプチド結合が切断されます(脂質のリパーゼ消化と同じ論理)。

還元:アミンへの変換(C=O → CH2

アミドをLiAlH4で還元すると、他の誘導体と異なりアミンが得られます。これはアミド特有の反応で、他のカルボン酸誘導体では起こりません。機構はヒドリドイオンの付加でアルミネート脱離基が放出されイミニウムイオン中間体が生じ、これがさらにLiAlH4で還元されてアミンになります。この反応はラクタム(環状アミド)にも有効で、環状アミンの合成に広く使われます。

RCONH2 →(LiAlH4、ヒドリド付加)→ イミニウムイオン中間体 →(再度ヒドリド付加)→ RCH2NH2

21.8 チオエステルとアシルリン酸:生体内のカルボン酸誘導体

生体内の求核アシル置換反応の基質は、通常チオエステル(RCOSR’)アシルリン酸(RCO2PO32−です。どちらも酸塩化物や酸無水物ほどは反応性が高くありませんが、生体内で安定に存在しながら酵素による求核アシル置換を受けられる、ちょうどよい反応性を持っています。

アセチルCoAの形成

コエンザイムA(CoA)はホスホパンテテインとアデノシン3′,5′-二リン酸がリン酸無水物結合で連結したチオールです。カルボン酸はまずATPと反応してアシルアデニル酸(アシルアデニレート)を形成し、続いてCoAの–SH基が求核アシル置換することでアシルCoA(例:アセチルCoA)が生成します。

RCO2H + ATP → アシルアデニル酸(混合無水物) + PPi
アシルアデニル酸 + CoA-SH → アシルCoA(チオエステル) + AMP

形成されたアシルCoAはさらなる求核アシル置換の基質になります。たとえばグルコサミンとアセチルCoAのアミノリシスでN-アセチルグルコサミン(軟骨成分)が合成されます。また脂質代謝では、(3S)-3-ヒドロキシ-3-メチルグルタリルCoAがNADPHからのヒドリド供与で部分還元され、メバルデヒド(テルペノイド生合成の中間体)を生じます——これはチオエステルのヒドリドによる部分還元という、アルデヒドで反応を止められる珍しい例です。

生体内のアシル基活性化の論理
カルボン酸自体は生理的pHでカルボキシラート(陰イオン)として存在し、反応性が低いままです。そこでATPのエネルギーを使ってまず「より良い脱離基」を持つ高エネルギー中間体(アシルアデニレート、アシルCoA)に変換することで、初めて求核アシル置換に必要な反応性を獲得します。

21.9 ポリアミドとポリエステル:重縮合高分子

ジアミンと二酸塩化物(あるいはジオールと二酸)を反応させると、各分子が両端で結合を形成し続け、巨大な高分子が生成します。アルケン系高分子(鎖成長重合)とは異なり、ポリアミド・ポリエステルは各結合が独立した求核アシル置換反応によって形成される重縮合(step-growth)高分子です。

  • 鎖成長重合(chain-growth):開始剤がC=C結合に付加し、生じた反応中間体が次のモノマーに付加……と連鎖的に進行(ポリエチレンなど、8.10節・14.6節既習)
  • 重縮合(step-growth):各結合が独立した求核アシル置換反応として個別に形成される(ナイロン・ポリエステルなど)

ポリアミド(ナイロン)

最も有名な重縮合高分子はナイロンで、1930年にデュポン社のWallace Carothersがジアミンと二酸を加熱して初めて合成しました。ナイロン66はアジピン酸(ヘキサン二酸)とヘキサメチレンジアミン(1,6-ヘキサンジアミン)を280°Cで反応させて作られ、「66」の数字はジアミンと二酸それぞれの炭素数を表します。高い耐衝撃性・耐摩耕性から金属代替材料として歯車・軸受けに、繊維としては衣料・タイヤコード・ロープに使われます。

ポリエステル

最も広く使われるポリエステルはジメチルテレフタル酸(ジメチル1,4-ベンゼンジカルボキシラート)とエチレングリコール(1,2-エタンジオール)から作られ、衣料繊維・タイヤコードにはDacron、録音テープにはMylarの商標名で知られます。ポリ(エチレンテレフタラート)フィルムの引張強度は鋼に近い値です。ジフェニルカーボネートとビスフェノールAから作られるポリカーボネートLexanは耐衝撃性が極めて高く、自転車用ヘルメットやノートPCケースに使われます。

生分解性ポリマー

ポリ(グリコール酸)(PGA)・ポリ(乳酸)(PLA)・ポリ(ヒドロキシ酪酸)(PHB)はいずれもポリエステルで、エステル結合の加水分解により生分解されます。PGAとPLAの90/10共重合体は吸収性縫合糸として使われ、手術後90日以内に体内で完全に加水分解・吸収されます。

重縮合高分子のキーワード整理
ナイロン66=アジピン酸+ヘキサメチレンジアミン/Dacron・Mylar=テレフタル酸ジメチル+エチレングリコール/Lexan=ジフェニルカーボネート+ビスフェノールA/吸収性縫合糸=PGA/PLA共重合体。すべて求核アシル置換反応の繰り返しで高分子が形成される点が共通しています。

21.10 カルボン酸誘導体のスペクトル解析

IRスペクトル:1650–1850 cm−1のC=O吸収を読み解く

すべてのカルボニル化合物は1650–1850 cm−1に強いIR吸収を示しますが、官能基の種類によって吸収位置が変化するため、これが同定の手がかりになります。

カルボニルの種類 吸収(cm−1
飽和酸塩化物 アセチルクロリド 1810
芳香族酸塩化物 ベンゾイルクロリド 1770
飽和酸無水物 無水酢酸 1820, 1760(2本)
飽和エステル 酢酸エチル 1735
芳香族エステル 安息香酸エチル 1720
飽和アミド アセトアミド 1690
N,N-二置換アミド N,N-ジメチルアセトアミド 1650
(参考)飽和ケトン アセトン 1715
(参考)飽和カルボン酸 酢酸 1710

吸収位置を決める要因はC=O結合の強さ(=結合長)です。電子求引性置換基(Cl、酸無水物のもう一方の酸素)は誘起効果でC=O結合を短く・強くし、吸収を高波数側へシフトさせます。逆にアミドの窒素のように共鳴で電子をカルボニルへ供与する置換基は、C=O結合を長く・弱くして吸収を低波数側へシフトさせます(N上の置換基が増えるほど低波数化)。

NMRスペクトル

カルボニル基に隣接する炭素上の水素はやや脱シールドされ、1H NMRでδ 2付近に吸収しますが、これだけでは誘導体の種類は判別できません。13C NMRでは、アルデヒド・ケトンのカルボニル炭素がδ 200付近に対し、カルボン酸誘導体のカルボニル炭素はδ 160–180の範囲に現れます。

13C NMR:カルボニル炭素の目安
ケトン・アルデヒド:δ ≈ 200–205(酢酸エチルC=O: 170.7、アセチルクロリドC=O: 170.3、酢酸C=O: 177.3、アセトアミドC=O: 172.6、無水酢酸C=O: 166.9)。δ 160–180の範囲なら「カルボン酸誘導体」、δ 200超なら「アルデヒド・ケトン」とまず判断できます。

まとめ:第21章の概念整理

第21章 総まとめ
分類:酸塩化物・酸無水物・エステル・アミド(実験室・生体内)/チオエステル・アシルリン酸(主に生体内)。
機構:求核アシル置換=求核付加で四面体中間体を形成 → 脱離基Yを放出して新しいカルボニル化合物を生成(アルデヒド・ケトンの求核付加とは別物)。
反応性順序:酸塩化物 > 酸無水物 > チオエステル > エステル > アミド。より反応性の高い誘導体から低い誘導体への変換は可能だが逆は不可。
カルボン酸の変換:酸塩化物(SOCl2)/エステル(Fischer エステル化)/アミド(DCC法)/アルコール(LiAlH4、BH3/THF)。
酸塩化物:最も汎用性が高く、加水分解・無水物化・アルコリシス・アミノリシス・還元・Grignard反応・Gilman試薬によるケトン合成すべてが可能。
エステル:サポニフィケーション(塩基性加水分解)はC–OR’結合切断。DIBAHでアルデヒドに部分還元可能。
アミド:最も不活性。加水分解は過酷な条件が必要(NH2が悪い脱離基)。LiAlH4還元では他の誘導体と異なりアミンが得られる(イミニウムイオン経由)。
生体内:アシルCoA(チオエステル)・アシルリン酸はATPによる活性化を経て生成し、適度な反応性で代謝に利用される。
高分子:ナイロン66(アジピン酸+ヘキサメチレンジアミン)・Dacron/Mylar(テレフタル酸+エチレングリコール)・Lexan(ポリカーボネート)は重縮合(step-growth)高分子。
IR:1650–1850 cm−1のC=O吸収。電子求引基で高波数化、共鳴電子供与(アミド)で低波数化。
NMR:カルボン酸誘導体のカルボニル炭素は13C δ 160–180(ケトン・アルデヒドのδ 200超と区別)。

第22章への橋渡し

本章では求核アシル置換反応によるカルボニル炭素での変換を扱いました。第22章ではカルボニル化合物のもう一つの重要な反応性部位——α炭素に着目し、エノール・エノラートを介したα置換反応(ハロゲン化・アルキル化など)を学びます。

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発展:β-ラクタム抗生物質——求核アシル置換が支える抗菌薬
1928年、Alexander Flemingが偶然観察したPenicillium属カビによる黄色ブドウ球菌の溶解現象から発見されたペニシリンは、4員環のラクタム(環状アミド)構造を持つβ-ラクタム抗生物質の原型です。この4員環は通常のアミドより歪みが大きく反応性が高いため、細菌の細胞壁合成に必要なトランスペプチダーゼ酵素のヒドロキシル基が求核アシル置換でラクタム環を開環・攻撃し、酵素を不活性化します。これにより細胞壁の合成・修復ができなくなった細菌は破裂して死滅します。セファロスポリン系(ケフレックスなど)も同じβ-ラクタム骨核を持つ抗生物質群です。