ケトンの α 位に置換基を1つだけ入れたい。実験室で誰もが最初にぶつかる、この単純きわまりない要求が、長いあいだ有機化学の弱点だった。強塩基でエノラートを作って求電子剤を加えると、生成物のケトンがまた脱プロトン化されて、二置換体・三置換体が混ざって出てくる。しかも α 位が2種類あるケトンでは、どちらの側で反応が起きるかを制御できない。

1954年、コロンビア大学に移る直前のギルバート・ストークは、この問題に対して拍子抜けするほど素直な答えを出した。ケトンをいったん二級アミンと縮合させ、エナミンに変えてしまえばいい。エナミンは電荷をもたない中性分子でありながら、β 炭素がしっかり求核的に振る舞う。反応が終わったら水を加えて加水分解すれば、望みの α-アルキルケトンだけが手に入る。

このストーク・エナミンアルキル化は、いまも教科書の必修項目であり、半世紀後にリストとマクミランが切り開いた有機触媒(不斉エナミン触媒)の直接の祖先でもある。だがストークの功績はこれ1つではない。ポリエン環化の立体化学を予言したストーク–エッシェンモーザー則、一時的な結合で反応の場所を縛るケイ素テザー、そして生涯をかけたキニーネ全合成——彼が残したのは反応名ではなく、「立体を偶然に任せず設計する」という全合成の思想そのものだった。

この記事で学ぶこと
・エナミンの生成機構と、β 炭素が求核的になる理由(HOMOの押し上げ)
・ストーク・エナミンアルキル化が過剰アルキル化を防げる仕組み
・位置選択性を決める A1,3ひずみと、LDAエノラートとの使い分け
ストーク–エッシェンモーザー則——二重結合の幾何が環接合の立体を決める
ケイ素テザーによるラジカル環化と「一時的な結合」という設計思想
・キニーネ全合成をめぐる1944年ウッドワード論争の顛末

生涯と略歴——ブリュッセルからコロンビアへ

ギルバート・ストーク(Gilbert Stork)は1921年12月31日、ベルギー・ブリュッセルのイクセルに生まれた。14歳ごろ一家は南仏ニースに移り、そこでリセ(高等中学)を終えている。この時期のストークが得意としたのは化学ではなくフランス文学と作文であり、本人は当時を「あまり自信のない少年だった」と振り返っている。仏領インドシナの植民地官吏になろうかと考えたこともあったという。

進路を決めたのは戦争だった。1939年の第二次世界大戦勃発を受けて一家はニューヨークへ逃れる。ストークは1940年にフロリダ大学へ入学し、1942年に学士号を取得。ここでキニーネの構造と出会い、以後60年つきあうことになる。続いてウィスコンシン大学マディソン校の大学院に進み、1945年にサミュエル・M・マケルヴェインのもとで博士号を取得した。同じ研究室で親しくなったのが、のちに経口避妊薬を合成するカール・ジェラッシである。

1946年からハーバード大学でインストラクター、1948年に助教授。そして1953年にコロンビア大学へ准教授として移り、1955年に教授、1967年からユージン・ヒギンズ記念教授(Eugene Higgins Professor)を務めた。1993年に名誉教授となった後も研究室に通い続け、90歳を超えてなお論文を発表している。2017年10月21日、ニューヨークにて95歳で没した。

「ストークがコロンビアを変えた」
1953年のストーク着任は、コロンビア大学化学科が有機合成の世界的拠点へ成長する起点として語られる。彼が育てた博士・ポスドクには、ヴァン・タメレン、ジョン・マクマリー、ポール・グリエコ、マイケル・ジャン、サミュエル・ダニシェフスキー、クレイトン・ヒースコック、中村栄一らが並ぶ。日本の大学で標準教科書として使われるマクマリー『有機化学』の著者ジョン・マクマリーも、1967年にストークのもとで学位を取っている。
出来事
1921ベルギー・ブリュッセルに生まれる(12月31日)
1939大戦勃発により一家でフランスから米国へ移住
1942フロリダ大学卒業。キニーネの合成に関心をもつ
1945ウィスコンシン大学で博士号(指導:S. M. マケルヴェイン)
1946ハーバード大学インストラクター(1948年 助教授)
1953コロンビア大学へ移籍。以後64年間在籍する
1954エナミンによる α-アルキル化・アシル化を報告(JACS)
1955ストーク–エッシェンモーザー則(ポリエン環化の立体化学)
1963エナミン化学の総括論文。合成の標準手法として普及する
1968リコポジン(アルカロイド)の全合成を達成
1982米国科学賞(National Medal of Science)受賞
1980年代ケイ素テザーを用いた立体制御ラジカル環化を開発
1995ウルフ賞(化学)受賞
2001キニーネの立体選択的全合成を達成(学部時代から59年)
2017ニューヨークにて没(10月21日、95歳)

エナミンとは何か——「中性のエノラート」という発明

エナミン(enamine)は、C=C 二重結合の炭素に窒素が直接ついた構造をもつ化合物である。名前は ene(アルケン)+ amine(アミン)の合成語で、酸素版のエノール(ene + ol)と対応している。

エナミンの作り方

ケトンまたはアルデヒドを二級アミン(ピロリジン、モルホリン、ピペリジンなど)と、酸触媒(TsOH など)存在下に加熱する。生じる水はディーン–スターク装置で共沸的に除き、平衡を生成物側へ寄せる。

【エナミンの生成(シクロヘキサノン+ピロリジン)】

  (1) 求核付加:アミンの N がカルボニル炭素を攻撃
        C=O  +  R2NH   →   C(OH)–NR2   (カルビノールアミン)

  (2) 脱水:H+ により OH が H2O として脱離
        C(OH)–NR2  →  [ C=NR2 ]+   (イミニウムイオン)

  (3) α-H の脱プロトン化:ここが分岐点
        [ C=NR2 ]+  →  C=C–NR2  + H+   (エナミン)

  *一級アミン(RNH2)だと N 上の H が抜けて
    イミン(C=N–R)で止まる。二級アミンには N–H が
    1つしかなく、脱水後は α-H を失うしかない
    → だからエナミンを作るには「二級」アミンが必須
混同注意:イミンとエナミンの分かれ道
・一級アミン(RNH2)+ケトン → イミン(C=N–R、シッフ塩基)
・二級アミン(R2NH)+ケトン → エナミン(C=C–NR2
・三級アミンは N–H をもたないので、そもそも縮合しない
どちらもイミニウム中間体まで共通で、「N から H を失えるか、α 炭素から失うしかないか」だけが分岐点である。カルボニルへの求核付加の一般則がそのまま効いている。

なぜ β 炭素が求核的になるのか

エナミンには形式電荷がない。それなのに、なぜ α-ハロエステルやアリルハライドを攻撃できるほどの求核性をもつのか。答えは窒素の非共有電子対と C=C の π 系の共役にある。

【エナミンの共鳴と電子密度】

     R2N–C=C          ↔          R2N+=C–C
     (中性の主要構造)           (双性イオン性の寄与構造)
        α   β                                  β

  ・N のローンペアが π* ではなく π 系へ流れ込む(p–π 共役)
  ・その結果、末端の β 炭素に 部分負電荷が乗る
  ・分子軌道でいえば HOMO が押し上げられ、
    しかも係数が β 炭素に大きく偏る
    → 「電荷はゼロだが、反応性はエノラートに近い」

  参考:同じ論理で N を O に替えるとエノールになる。
        O のほうが電気陰性度が大きくローンペアを手放しにくいため、
        求核性は エノラート > エナミン > エノール の順になる。

ここでのポイントは、共鳴構造の「見た目」ではなく軌道のエネルギーである。エノラートは負電荷をもつぶん HOMO が高く強力な求核剤だが、そのぶん強塩基(LDA など)と無水・低温条件を必要とする。エナミンは HOMO の押し上げ幅を「ちょうど足りる程度」に抑えることで、中性・穏和な条件で使える求核剤という座を手に入れた。

ストーク・エナミンアルキル化の全体像

【ストーク・エナミンアルキル化(3段階)】

  Step 1  縮合
     ケトン + ピロリジン  −H2O(TsOH cat., benzene, Δ)
        →  エナミン

  Step 2  C–C 結合形成(SN2)
     エナミンの β 炭素 が R–X を攻撃
        →  イミニウム塩(ここで反応は止まる)

  Step 3  加水分解
     H3O+, Δ
        →  α-アルキルケトン + R2NH·H+

  正味の変化:ケトンの α 位に置換基が1つだけ入る
  アミンは触媒的には使われないが、Step 3 で回収できる

相性のよい求電子剤は、SN2 が速い反応性ハロゲン化物——アリルハライド、ベンジルハライド、α-ハロカルボニル化合物(ブロモ酢酸エステルなど)、ヨウ化メチル。逆に、二級・三級ハロゲン化物や単純な長鎖一級ハロゲン化物では反応が遅く、収率が伸びない。これがエナミン法の最大の制約である。

エナミンが解いた3つの問題

問題1:過剰アルキル化(ポリアルキル化)が起きない

エノラートのアルキル化がやっかいなのは、生成物がまた基質になるからだ。α-アルキルケトンは元のケトンとほぼ同じ酸性度をもつので、系内に残った塩基に再び捕まり、二置換体が育っていく。

エナミン法では、この経路が構造的に封じられている。Step 2 で生成するのはイミニウム塩であり、これはケトンよりさらに α-H が酸性ではあるが、系内に強塩基が存在しない。α 位が正電荷を帯びたイミニウム上にある限り、次のエナミンは(中性条件では)ほとんど生成せず、そこで反応は自然に停止する。加水分解して初めてケトンが現れるため、二置換体が生じる余地がない。

「反応が止まる場所」を設計する
ストークの発想の核心は、求核剤を強くすることではなく、1回反応したら不活性になる中間体(イミニウム塩)を経由させることにあった。反応を進める工夫よりも「止める工夫」のほうが選択性を生む——全合成の設計でくり返し現れる考え方である。

問題2:位置選択性を A1,3ひずみが決める

2-メチルシクロヘキサノンのような非対称ケトンでは、α 位が C2(メチルが付いた側、三置換)と C6(無置換側、二置換)の2か所ある。ピロリジンと縮合させると、置換基の少ない側の二重結合をもつエナミンが約9割を占める。理由は立体、それも特殊な立体効果である。

【なぜ置換の少ないエナミンが選ばれるのか】

  エナミンが求核性をもつには、N のローンペアと C=C の p 軌道が
  平行に重なる必要がある → N と C=C はほぼ同一平面でなければならない

  (a) 多置換エナミン(C2 側に二重結合)
        平面配座をとると、二重結合上の CH3 と
        ピロリジン環の CH2 が正面衝突する
        = A1,3ひずみ(アリル位1,3-ひずみ)
        → 逃げるために N がねじれる → 共役が切れて不安定

  (b) 少置換エナミン(C6 側に二重結合)
        二重結合上に大きな置換基がない
        → 平面のまま共役でき、安定

  結論:熱力学支配で (b) が主生成物
        → アルキル化も 置換の少ない C6 側で進む

ここが重要な対比になる。LDA による速度論的エノラートも同じく置換の少ない側を選ぶが、その理由は「立体的に空いた α-H を速く奪う」という速度論である。一方エナミンの選択性は平衡(熱力学)の産物だ。同じ結果でも支配因子が違うため、院試ではここを説明させる問題がよく出る。

項目エナミン(ストーク法)速度論的エノラート(LDA)熱力学的エノラート(NaOEt 等)
条件中性・加熱(縮合)+室温付近強塩基・無水・−78 °Cアルコキシド・室温〜加熱
反応する α 位置換の少ない側(A1,3ひずみ回避)置換の少ない側(立体障害の小さい H を優先)置換の多い側(共役アルケンが安定)
支配因子熱力学(エナミン生成の平衡)速度論(脱プロトン化の速さ)熱力学(エノラートの安定性)
過剰アルキル化起きにくい(イミニウムで停止)条件次第で起こる起こりやすい
求核性中程度(反応性ハロゲン化物に限る)高い(一級ハロゲン化物全般に有効)高い
共存できる官能基エステル・ニトリルなども比較的無事強塩基に弱い基は使えないエステル交換などの副反応あり

問題3:中性条件で官能基を壊さない

天然物合成では、分子の別の場所にエステル・ラクトン・アセタール・ニトリルなどが同居しているのが普通だ。−78 °C の LDA 条件はこれらを壊しかねない。ストーク法が発表当時に歓迎されたのは、ほぼ中性のまま α 位を修飾できる数少ない手段だったからである。1950年代のステロイド・テルペン合成が一気に加速した背景には、この「穏やかさ」があった。

アシル化とマイケル付加——エナミンの応用

1954年の原著論文の題名は「2-アルキルおよび2-アシルケトンの新合成法」である。アルキル化とアシル化は最初からセットで提示されていた。

【エナミンのアシル化】

  エナミン + R–COCl   →   アシルイミニウム
                       →(H3O+)→  1,3-ジケトン

  ・塩基(Et3N)を共存させて発生する HCl を捕捉する
  ・クライゼン縮合の代わりに使える経路
    → 位置制御された 1,3-ジケトン合成として有用


【エナミンのマイケル付加(ストーク・エナミン・マイケル反応)】

  エナミン + CH2=CH–COCH3(MVK)
        → 1,4-付加  →(H3O+)→  1,5-ジケトン

  ・生じた 1,5-ジケトンを分子内アルドール縮合させると
    ロビンソン環化(六員環の構築)へつながる
  ・ステロイド骨格合成の常套ルート
アミンの選び方には理由がある
最もよく使われるのはピロリジン。五員環では窒素まわりの立体反発が小さく、ローンペアが C=C と平面的に共役しやすいため、エナミンの求核性が高くなる。反応性を落として選択性を上げたいときは、酸素の電子求引性で N の電子密度が下がるモルホリンを選ぶ。「ピロリジン=速い、モルホリン=穏やか」と覚えておくと実験計画で迷わない。
よくある誤解:N-アルキル化してしまわないのか
エナミンには求核部位が2つ(N と β 炭素)ある。実際、速度論的には N のほうが先に反応することもある。しかしN-アルキル化で生じる第四級アンモニウム塩は可逆的に戻れるのに対し、C-アルキル化で生じるイミニウム塩は加水分解に向かう一方通行である。結果として、時間をかければ生成物は C-アルキル化体に収束する。「N-アルキル化は起きない」ではなく「起きても引き返せる」と理解しておくと、収率が低いときの対処(加熱・溶媒変更)も見えてくる。

ストーク–エッシェンモーザー則——ポリエン環化の立体化学

1955年、ストークとスイスのアルベルト・エッシェンモーザーはそれぞれ独立に、生体内でスクアレンからステロイド骨格ができる過程について、ある予言を立てた。

ストーク–エッシェンモーザー則
ポリエンのカチオン性環化では、生成物の環接合の立体配置は、出発物の二重結合の幾何(E/Z)によって完全に決まる。各二重結合への求電子付加がアンチ・ペリプラナー的に、かつ協奏的に進むためである。
【スクアレン → ラノステロール(模式)】

  スクアレン(すべて E 配置の6つの二重結合)
        ↓ スクアレンエポキシダーゼ(O2, NADPH)
  2,3-オキシドスクアレン
        ↓ 酵素表面で「椅子–椅子–椅子–舟」型に折りたたまれる
        ↓ エポキシドの開環でカチオン発生 → 連続環化(カスケード)
  プロトステリルカチオン
        ↓ ヒドリド・メチル基の 1,2-転位
  ラノステロール(4つの環と7つの不斉中心が一挙に確定)

  *すべての二重結合が E であることが、
    trans-anti-trans の環接合を必然にしている
    → もし1つを Z にすれば、その位置の環接合だけが cis になる

この規則が画期的だったのは、「立体化学は運ではなく、基質の幾何によって前もって決められる」と明言した点にある。ストーク自身の学生であるユージン・ヴァン・タメレンらが後に生体模倣的ポリエン環化を実験室で実現し、規則の正しさを裏づけた。ウッドワードの時代に始まった全合成が、「作れるか」から「思いどおりの立体で作れるか」へと問いを移していく転換点でもあった。

ケイ素テザー——「一時的な結合」で場所を縛る

1980年代のストークは、ラジカル反応に立体制御を持ち込むという難題に取り組んだ。ラジカルは電荷をもたず、溶媒和にも縛られないため、そのままでは選択性を出しにくい。彼の答えは、反応が終わったら消せる「ひも(テザー)」で反応点どうしを縛ってしまうことだった。

【ケイ素テザーによるラジカル環化(3工程)】

  (1) テザーの取り付け
      基質の OH + BrCH2Si(CH3)2Cl(塩基)
        →  O–Si(CH3)2–CH2Br  シリルエーテル

  (2) ラジカル環化
      Bu3SnH / AIBN(希薄条件)
        →  C–Br が切れて一級ラジカル発生
        →  Si–O のひもに引かれて、近くの C=C だけを
              5-exo 選択的に攻撃(分子間反応より圧倒的に速い)
        →  環化した五員環シラン

  (3) テザーの除去(玉尾–フレミング酸化)
      H2O2, KF, KHCO3
        →  C–Si が C–OH に置き換わる
        →  正味「立体制御されたヒドロキシメチル化」が完了

  *Si–O 結合はフッ化物イオンや酸化条件で容易に切れる。
    「強く結び、あとで跡形もなく外せる」という
    ケイ素の性質が、この戦略の要になっている。

分子間反応を分子内反応に変えることで、位置と立体を同時に制御する——この一時的テザー(temporary tether)という考え方は、その後のディールス–アルダー反応、メタセシス、C–H官能基化など多くの分野に移植された。ストークが「反応名で記憶される人ではなく、戦略で記憶される人」と評される理由がここにある。

キニーネ——59年越しの決着

ストークがフロリダ大学の学部生としてキニーネの構造に魅了されたのが1940年代初頭。その全合成を発表したのが2001年である。この間に横たわるのが、有機化学史でも有数の論争だ。

1944年、ロバート・バーンズ・ウッドワードとウィリアム・ドーリングは「キニーネの全合成」を報告し、戦時下の抗マラリア薬不足という文脈もあって大々的に報道された。だが彼らが実際に合成したのはキノトキシン(quinotoxine)という前駆体であり、そこからキニーネへの変換は、1918年にパウル・ラーベが報告した手順を引用しただけだった。しかもラーベの実験手順には詳細な記述がなく、追試の報告もなかった

ストークは2001年、キニーネの4つの不斉中心すべてを設計どおりに構築する立体選択的な全合成を達成し、あわせて「1944年の仕事は検証されていない反応に依存しており、全合成の完成とは言いがたい」と公然と批判した。

その後の展開——論争は決着した
2008年、スミスとウィリアムズがラーベの1918年変換を現代の条件で再現することに成功した。これによりウッドワード–ドーリングの仕事は「形式全合成(formal total synthesis)」として有効であると確認されている。一方で、立体を制御して不斉中心を構築した最初のキニーネ合成はストークのものという評価も揺らいでいない。両者は矛盾せず、「全合成」という言葉が何を指すのかを問い直させた事例として教科書に残った。

教育者としてのストーク

ストークの門下からは、有機合成の次世代を担う研究者が驚くほど多く育った。ヴァン・タメレン(生体模倣合成)、ジョン・マクマリー(マクマリー・カップリングと教科書)、ポール・グリエコ、マイケル・ジャン、サミュエル・ダニシェフスキー(ダニシェフスキー・ジエン)、クレイトン・ヒースコック、スティーヴン・ワインレブ(ワインレブアミド)、アンドレアス・プファルツ、中村栄一、ヴァリンダー・アガーワル——人名反応の教科書がそのまま同窓会名簿になるような顔ぶれである。

研究以外でも、彼は歯に衣着せぬ物言いとユーモアで知られた。ウィスコンシン時代、冬の窓辺に置いておいたステーキが傷んだので、ガラス器具洗浄用の熱濃硝酸–硫酸浴に放り込んだところ、「肉の脂肪由来のグリセリンがニトログリセリンになるのでは」と青ざめた、という逸話が残っている(高温のため酸化が硝化より速く、事なきを得た)。

この話を実験室で真似しない
上の逸話は「やってはいけない廃棄」の教訓として語り継がれているものである。混酸(硝酸–硫酸)に有機物を投入する行為は、爆発性化合物の生成と激しい発熱をともなう危険な操作にあたる。有機廃液は必ず所定の廃液容器へ分別すること。

現代への影響

ストークが残したものは、大きく3つの流れとして今も生きている。

(1) 不斉有機触媒への直系——2000年、ベンヤミン・リストはプロリン(環状二級アミン)がケトンと縮合して生じるエナミンを、触媒的に回すことで不斉アルドール反応を実現した。エナミンを化学量論的に作って使うのがストーク法、触媒量のアミンで作っては壊し再生させるのがエナミン触媒である。反応の心臓部はまったく同じで、違いはアミンをキラルにして触媒サイクルに乗せた点にある。アルドール反応を扱う際は、エノラート・エナミン・エナミン触媒を一続きの系譜として押さえておきたい。

(2) 立体制御という設計思想——ストーク–エッシェンモーザー則が示した「基質の幾何が生成物の立体を決める」という考え方は、基質制御(substrate control)という語で全合成の標準語彙になった。逆合成解析を体系化したE. J. コーリー、複雑天然物を次々に落としたニコラウらの仕事は、この土台の上に立っている。

(3) 一時的テザーと保護基戦略——ケイ素テザーの発想は、「反応を成立させるためだけの一時的な結合を導入し、目的を達したら消す」という汎用戦略として定着した。シリル保護基の広範な利用も、ストークの一連の仕事が普及を後押ししている。

院試・定期試験で狙われるポイント

エナミンは、カルボニル化学・立体化学・分子軌道論が交差する場所にあるため、出題の切り口が多い。頻出パターンを整理しておく。

問われ方答えの骨子
エナミンの生成機構を書け二級アミンのNがカルボニル炭素へ求核付加 → カルビノールアミン → 酸触媒で脱水しイミニウム → α-H が脱プロトン化されエナミン。巻矢印で電子対の動きを示す
なぜ二級アミンでなければならないか一級アミンは N–H を2つもつため、脱水後にN上のHを失ってイミンで安定化する。二級アミンは N–H が1つで、脱水後は α-H を失うしかない
エナミンが求核的な理由を述べよN のローンペアが C=C の π 系と p–π 共役し、HOMO が押し上げられて β 炭素に大きな係数と部分負電荷が生じる。共鳴構造 R2N+=C–C の寄与で説明してもよい
なぜ過剰アルキル化が起きないかアルキル化の直後に生じるのはイミニウム塩であり、系内に強塩基がないため次のエナミンが生じない。ケトンは加水分解後に初めて現れるので再アルキル化されない
2-メチルシクロヘキサノンの位置選択性置換の少ない側のエナミンが優先。多置換側では、共役に必要な平面配座でメチル基とアミン環が衝突する A1,3ひずみが生じるため。熱力学支配である点が LDA(速度論支配)との違い
エナミンとエノラートを使い分けよ強塩基に弱い官能基がある・単アルキル化したい → エナミン。求電子剤の反応性が低い・低温で位置を厳密に固定したい → LDAエノラート
ストーク–エッシェンモーザー則を説明せよポリエンのカチオン環化では各二重結合への付加が協奏的かつアンチに進むため、環接合の立体は出発物のアルケンの E/Z 幾何によって決定される。スクアレン(全E)→ ラノステロールの trans-anti-trans 接合がその実例
エナミン触媒との関係を述べよプロリン触媒はエナミンを触媒量のアミンから繰り返し生成・分解させる。C–C 結合形成の機構はストーク法と同一で、キラルなアミンを用いることで不斉が発現する
減点されやすい書き方
・エナミン生成を「脱水縮合」の一言で済ませ、イミニウム中間体を書き落とす
・巻矢印を、電子を「動かす原因」であるかのように説明する(巻矢印は電子対の動きを表す記号)
・加水分解の工程(H3O+)を書き忘れ、イミニウム塩のまま答案を終える

まとめ

この記事の要点
ギルバート・ストーク(1921–2017)はコロンビア大学で64年間研究を続け、全合成に「立体制御」という設計思想を持ち込んだ
エナミンは二級アミンとケトンの縮合で生じ、N のローンペアと C=C の共役により β 炭素が求核的になる
ストーク・エナミンアルキル化は「縮合 → アルキル化 → 加水分解」の3段階。イミニウム塩で反応が止まるため過剰アルキル化が起きない
・位置選択性は A1,3ひずみによる熱力学支配で、置換の少ない α 位が選ばれる(LDAは速度論支配で同じ位置を選ぶ)
・アシル化で 1,3-ジケトン、マイケル付加で 1,5-ジケトン(→ ロビンソン環化)へ展開できる
ストーク–エッシェンモーザー則:ポリエン環化の環接合立体は、出発物の二重結合の E/Z 幾何が決める
ケイ素テザー:一時的な Si–O 結合で反応点を縛って 5-exo 環化させ、玉尾–フレミング酸化で外す
キニーネの立体選択的全合成(2001年)を達成し、1944年のウッドワード–ドーリング報告の位置づけを問い直した
・プロリンによる不斉エナミン触媒は、ストークのエナミン化学を触媒サイクルに乗せたもの

よくある質問

ストーク・エナミンアルキル化では、なぜ二級アミンを使うのですか

一級アミンは窒素上に水素を2つもつため、ケトンと縮合して脱水した後、窒素上の水素を失ってイミン(C=N–R)として安定化してしまいます。二級アミンは窒素上の水素が1つしかなく、脱水後にイミニウムイオンから水素を失う場所が α 炭素しか残りません。その結果、C=C 二重結合をもつエナミンが生成します。三級アミンは窒素上に水素がないため、そもそもケトンと縮合できません。

エナミンのアルキル化で過剰アルキル化が起きないのはなぜですか

アルキル化の直後に生成するのはケトンではなくイミニウム塩であり、反応系内には強塩基が存在しません。そのためイミニウム塩から次のエナミンが生成せず、反応はそこで停止します。目的のケトンは最後に水を加えて加水分解した時点で初めて現れるため、二置換体まで進む機会がありません。エノラートを用いる直接アルキル化では、生成した α-アルキルケトンが残存塩基に再び脱プロトン化されるため、多置換体が混入します。

2-メチルシクロヘキサノンのエナミンは、どちらの α 位で反応しますか

メチル基が付いていない側、すなわち置換基の少ない C6 位で反応します。エナミンが求核性を示すには窒素のローンペアと C=C の p 軌道が平行に重なる平面構造が必要ですが、多置換側のエナミンでは、その平面構造をとったときにメチル基とアミン環の水素が衝突します。この A1,3ひずみ(アリル位1,3-ひずみ)を避けるため、平衡は置換の少ないエナミン側へ偏ります。

エナミンと LDA によるエノラートは、どのように使い分けますか

強塩基に弱い官能基(エステル、ニトリルなど)が分子内に共存する場合や、単一のアルキル基だけを導入したい場合はエナミンが適しています。一方、求電子剤の反応性が低い場合や、−78 °C の速度論支配で位置を厳密に固定したい場合は LDA によるエノラートが適しています。エナミンの求核性は中程度であり、反応相手はアリルハライド、ベンジルハライド、α-ハロカルボニル化合物などの反応性の高い求電子剤に限られます。

ストークのエナミン化学と有機触媒には、どのような関係がありますか

プロリンなどの環状二級アミンを用いる不斉エナミン触媒は、ストークのエナミン化学を触媒サイクルに乗せたものです。ストーク法ではエナミンを化学量論量で単離して使いますが、エナミン触媒では触媒量のアミンがエナミンの生成と加水分解を繰り返します。炭素–炭素結合を形成する段階の機構は両者で同一であり、アミンをキラルにしたことで不斉が発現する点だけが異なります。
他の化学者の歩みは有機化学者列伝まとめページから、エナミンと並ぶ炭素求核剤の使い分けは有機化学の反応機構まとめから確認できます。