Contents
  1. はじめに:アルコールとフェノール——有機化学の十字路
  2. アルコールとフェノールの違い
  3. 17.1 アルコールとフェノールの命名
  4. 17.2 アルコール・フェノールの性質
  5. 17.3 アルコールの合成:これまでのまとめ
  6. 17.4 カルボニル化合物の還元によるアルコール合成
  7. 17.5 Grignard 反応によるアルコール合成
  8. 17.6 アルコールの反応
  9. 17.7 アルコールの酸化
  10. 17.8 アルコールの保護
  11. 17.9 フェノールとその用途
  12. 17.10 フェノールの反応
  13. 17.11 アルコール・フェノールのスペクトル解析
  14. まとめ——第17章の全体像
  15. 第18章へ——エーテルとエポキシド

はじめに:アルコールとフェノール——有機化学の十字路

アルコール(R-OH)とフェノール(Ar-OH)は、水(H-OH)の水素原子1つを有機基で置き換えた化合物です。この小さな構造的変化が、溶解性・酸性・反応性に劇的な違いをもたらします。

メタノール(CH3OH)は年間約1.73億トンが工業生産され、ホルムアルデヒドや酢酸の原料として、また溶剤として使われています。エタノール(CH3CH2OH)は穀物の発酵で9000年以上前から製造されており、現在は主に自動車燃料として年間約8800万トンが生産されています。フェノール自体はコールタール由来の消毒剤として知られ、レスベラトロル(赤ワインに含まれるポリフェノール)は抗がん・抗関節炎作用で研究が続いています。

第17章のゴール
① アルコール・フェノールをIUPAC規則で命名できる
② 水素結合が沸点・水溶性に与える影響を説明できる
③ NaBH4 と LiAlH4 の還元選択性を使い分けられる
④ Grignard試薬を用いて1°・2°・3°アルコールを合成できる
⑤ アルコールをハロゲン化物・トシラート・アルケン・エステルに変換できる
⑥ Dess-Martin試薬・KMnO4を使ったアルコールの酸化を説明できる
⑦ シリルエーテルによる保護・脱保護の手順を示せる
⑧ フェノールの酸性・EAS反応性・キノン化学を説明できる
⑨ IR・NMR・質量スペクトルでアルコール・フェノールを同定できる

アルコールとフェノールの違い

どちらも −OH をもちますが、その −OH が何に付いているかで性質が大きく変わります。
アルコールは sp3 炭素に、フェノールは芳香環の炭素に直接付いています。
フェノールが何性か、フェノール性ヒドロキシ基の見分け方、弱酸性になる理由はフェノールとは?何性か・フェノール性ヒドロキシ基で詳しく解説しています。

  アルコール(R–OH) フェノール(Ar–OH)
−OH が付く炭素 sp3 炭素 芳香環の sp2 炭素
酸性度 pKa 約16〜18(水とほぼ同じ) 約10(アルコールの約100万倍強い酸)
何性か 中性(水溶液はほぼ中性) 弱酸性
NaOH 水溶液に溶けるか 塩にならない(低級アルコールはもともと水に溶ける。水に溶けないアルコールは NaOH 水溶液にも溶けない) 溶ける(ナトリウムフェノキシドになる)
検出方法 呈色しない 塩化鉄(III) 水溶液で紫〜青紫に呈色
酸化 アルデヒド・ケトン・カルボン酸へ キノンへ(骨格が変わる)

なぜフェノールだけ酸性なのか

理由はH+ が外れたあとの形にあります。

アルコールが H+ を放すと、負電荷は酸素1個に集中したまま(アルコキシド)で、
逃げ場がありません。一方フェノールが H+ を放すと、生じたフェノキシドの負電荷は
芳香環へ共鳴で広がります
(オルト位・パラ位の炭素へ分散する)。
共役塩基が安定なほど元の酸は強いので、フェノールの方が強い酸になります。

1行で覚えるなら
・アルコール=中性・pKa 16・FeCl3 で呈色しない
・フェノール=弱酸性・pKa 10・FeCl3 で紫に呈色・NaOH に溶ける
・分かれ目は「−OH が芳香環に直接付いているか」

くわしい酸性度の比較は酸と塩基(pKaと共役塩基の安定性)、
共鳴の考え方そのものは共鳴で扱っています。

17.1 アルコールとフェノールの命名

アルコールの分類と IUPAC 命名

アルコールはヒドロキシ基(-OH)が結合した炭素の置換度によって分類します。

分類 構造 例
第一級(1°) -OH 炭素に有機基1個 CH3CH2OH(エタノール)
第二級(2°) -OH 炭素に有機基2個 CH3CHOHCH3(2-プロパノール)
第三級(3°) -OH 炭素に有機基3個 (CH3)3COH(tert-ブタノール)

IUPAC 命名規則(3ステップ):

規則1: -OH を含む最長鎖を選び、アルカン名の語尾 -e を -ol に置換
        例: pentane → pentan-2-ol(旧: 2-pentanol)

規則2: -OH に近い方の端から番号を振る

規則3: 置換基をアルファベット順に並べ、-OH の位置を明示
        例: 2-メチル-2-ペンタノール / cis-4-クロロシクロヘキサノール

よく用いられる慣用名も IUPAC で認められています:ベンジルアルコール(phenylmethanol)、アリルアルコール(2-propen-1-ol)、tert-ブチルアルコール(2-methyl-2-propanol)、エチレングリコール(1,2-ethanediol)、グリセロール(1,2,3-propanetriol)。

フェノールの命名

フェノールは「-benzene」の代わりに「-phenol」を親名として用います。

ヒドロキシベンゼン = フェノール(phenol)
3-メチルフェノール = m-クレゾール(m-cresol)
2,4-ジニトロフェノール(2,4-dinitrophenol)
命名のコツ
母体名の語尾の -e は、母音で始まる接尾語(-ol など)の前では落とす:pentanol(pentaneol ではなく)・cyclohexanol
ただし「-diol」の前は省略しない:cyclohexanediol(-d- は母音でないため)

17.2 アルコール・フェノールの性質

水素結合と沸点

酸素原子は sp3 混成で、C–O–H の結合角は約108.5°(メタノール。水の104.5°に近い)。酸素の大きな電気陰性度のため O-H は強く分極しており、分子間水素結合を形成します。

化合物 分子量 沸点 (°C) 水素結合
1-プロパノール 60 97 あり
ブタン 58 −0.5 なし
クロロエタン 65 12.5 弱い

分子量が近くても、水素結合のある 1-プロパノールの沸点が約100°C 高いことがわかります。

酸性(pKa)

アルコールとフェノールは弱酸として水に解離します:
アルコールとフェノールの酸解離の反応式(構造式)。ROHやArOHが水と平衡でアルコキシドイオン・フェノキシドイオンとH3O+になる弱酸としての解離

化合物 pKa 酸性の強さ
(CH3)3COH(tert-ブタノール) 18 最も弱い
CH3CH2OH(エタノール) 16 ↓
H2O 15.74 ↓
CF3CH2OH(トリフルオロエタノール) 12.43 ↓
フェノール 9.89 ↓
p-ニトロフェノール 7.15 最も強い

酸性を決める要因

溶媒和効果

アルコキシドイオンの酸素が溶媒分子に囲まれやすいほど安定。嵩高い tert-ブトキシドは溶媒和されにくく不安定 → tert-ブタノールは最弱酸

誘起効果

電子求引基(-F, -CF3, -NO2)はアルコキシドの負電荷を分散させて安定化 → 電子求引基の数・距離が大きいほど酸性増大

共鳴効果(フェノール)

フェノキシドイオンの負電荷は芳香環に非局在化(5種の共鳴構造)→ アルコールより約106 倍酸性が強い

アルコールは弱塩基や NaOH とはほとんど反応しませんが、Na金属・NaH・NaNH2・Grignard試薬などの強塩基とは反応してアルコキシドを生成します:
アルコールと強塩基・金属の反応式(構造式)。tert-ブタノールとK、メタノールとNaH、エタノールとNaNH2からそれぞれカリウムtert-ブトキシド、ナトリウムメトキシド、ナトリウムエトキシドが生成する
フェノールは pKa ≈ 10 で、NaOH 水溶液には溶解してナトリウムフェノキシドを生成します(アルコールは NaOH とは塩をつくらない)。

17.3 アルコールの合成:これまでのまとめ

マクマリー第17章の時点で、アルコール合成のルートは多岐にわたります。

アルコールを与える主な反応(既習)
・アルケンへの水付加(酸触媒・マルコフニコフ則)→ 2°・3° アルコール
・アルケンへの水素化ホウ素添加(ヒドロホウ素化-酸化)→ 逆マルコフニコフ・シン付加(末端アルケンなら1°アルコール)
・エポキシドの開環(酸または塩基触媒)→ 1,2-ジオール
・アルケンのヒドロキシル化(OsO4:触媒量+NMO、または OsO4 のあと NaHSO3)→ シン-ジオール(OsO4 は揮発性で毒性が強い)
・カルボニル化合物の還元(NaBH4・LiAlH4)→ 本章で詳述
・Grignard 反応 → 本章で詳述

17.4 カルボニル化合物の還元によるアルコール合成

反応の概要

カルボニル化合物(アルデヒド・ケトン・カルボン酸・エステル)はヒドリド還元剤によってアルコールに変換されます。還元剤から C=O に H−(ヒドリドイオン)が求核攻撃してアルコキシドイオン中間体を経由し、その後プロトン化してアルコールを与えます。
カルボニル化合物のヒドリド還元の反応式(構造式)。H-がC=Oに付加し、H3O+によるプロトン化でアルコールになる

NaBH4 と LiAlH4 の選択性

比較項目 NaBH4 LiAlH4
反応性 穏和(選択的) 強力
溶媒 メタノール・エタノール・水 無水エーテル(プロトン性溶媒不可)
アルデヒド → 1°アルコール ○ ○
ケトン → 2°アルコール ○ ○
エステル → 1°アルコール(×2) 遅い(実用上 ×) ○
カルボン酸 → 1°アルコール × ○
選択性の使い方
エステルと共存するアルデヒドやケトンだけを還元したい場合 → NaBH4 を選ぶ。
カルボン酸やエステルまで含めてすべて還元したい場合 → LiAlH4 を選ぶ。
LiAlH4 は水と激しく反応するため、無水条件・エーテル溶媒が必須。

生体内の還元——NADH・NADPH

生体内ではアルデヒドやケトンの還元を NADH(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)または NADPH(そのリン酸)が担います。構造は実験室試薬より複雑ですが、機構は同じ——補酵素がヒドリドイオンを供与してアルコキシドアニオンを生成し、酸でプロトン化してアルコールを与えます。脂肪酸生合成の一段階、アセトアセチル ACP → β-ヒドロキシブチリル ACP の還元がその典型例です。

17.5 Grignard 反応によるアルコール合成

Grignard 試薬とカルボニル化合物の反応

Grignard 試薬(RMgX)はカルボアニオン(カルバニオンとも、:R−)として振る舞い、C=O に求核付加してアルコキシドを与え、H3O+ で後処理するとアルコールが得られます。

カルボニル化合物 生成アルコール 例(収率)
ホルムアルデヒド(H2C=O) 第一級アルコール シクロヘキシルMgBr + H2C=O → シクロヘキシルメタノール (65%)
アルデヒド(RCHO) 第二級アルコール PhMgBr + 3-メチルブタナール → 3-メチル-1-フェニル-1-ブタノール (73%)
ケトン(R2C=O) 第三級アルコール EtMgBr + シクロヘキサノン → 1-エチルシクロヘキサノール (89%)
エステル(RCO2R’) 第三級アルコール(RMgX が2当量付加) CH3MgBr + ペンタン酸エチル → 2-メチル-2-ヘキサノール (85%)

Grignard 反応の制限

Grignard 試薬(RMgX)は非常に強塩基であるため、プロトン性官能基(-OH, -COOH, -NH2, -SH)と共存できません——これらの官能基が RMgX をプロトン化してしまうからです。また、同分子内にカルボニル・ニトロ基など反応性の高い官能基がある場合も自己反応します。

Grignard 試薬を使えない場合
アルコール・カルボン酸・アミン・チオールを含むアルキルハライドからは Grignard 試薬を調製できません。アルコールの場合は、シリルエーテルによる保護(17.8節)で回避できます(カルボン酸・アミン・チオールにはそれぞれ別の保護基を使います)。

逆合成による切断(院試頻出)

2-フェニル-2-ブタノールの逆合成の3通りの切断(構造式)。PhMgBrと2-ブタノン、CH3MgBrとプロピオフェノン、CH3CH2MgBrとアセトフェノンのいずれからも合成できる

17.6 アルコールの反応

① アルキルハライドへの変換

3°アルコール + HX:SN1 機構(カルボカチオン経由)。0°C でも反応が進む。
3°アルコールのtert-ブタノールがHClと0℃でSN1機構により塩化tert-ブチルと水になる反応式(構造式)
1°・2°アルコール + SOCl2 または PBr3:SN2 機構(立体反転)。
1°・2°アルコールのハロゲン化の反応式(構造式)。SOCl2(Et3N)で塩化アルキル、PBr3で臭化アルキルが得られるSN2反応で立体反転する

② トシラートへの変換

アルコールを p-トルエンスルホニルクロリド(TsCl)でトシル化すると、O-H 結合だけが切れて C-O 結合は保持されます。生成したトシラート(ROTs)はアルキルハライドと同様に SN1・SN2 反応を受けます。

立体化学の使い分け
アルコール → ハライド化(1回目の反転)→ SN2(2回目の反転)→ 元と同じ立体化学の生成物
アルコール → トシラート(反転なし)→ SN2(反転1回)→ 逆の立体化学の生成物
複雑な分子合成で立体化学を制御する際に使い分ける。

③ アルケンへの脱水

3°アルコールは H2SO4/H2O/THF(50°C)で容易に脱水します(E1・Zaitsev則)。強酸を避けたいときは POCl3/ピリジンが有効で、2°・3°アルコールを 0 °C で E2 機構によりアルケンにできます。
アルコールの脱水によるアルケン合成(構造式)。3°アルコールはH2SO4・50℃で2-メチル-2-ブテン(Zaitsev則)、2°のシクロヘキサノールはPOCl3/ピリジンでシクロヘキセンになる

1°: 酸触媒の脱水は起こりにくい(濃硫酸・高温が必要)。アルケンにしたいときは、トシラートやハロゲン化物に変えてから強塩基で E2 を起こす

生体内では、シキミ酸経路における 5-デヒドロキナ酸 → 5-デヒドロシキミ酸の脱水がこの反応の生物的対応です。

④ エステルへの変換

アルコールとカルボン酸は酸触媒存在下で縮合してエステルを与えます。実験室では収率を上げるためカルボン酸を先に酸塩化物(カルボン酸クロリド)に変換することが多いです:
酸塩化物を経由するエステル合成の反応式(構造式)。安息香酸とSOCl2からベンゾイルクロリド、これとメタノールから安息香酸メチルとHClが生じる

17.7 アルコールの酸化

酸化の概要

アルコールの酸化は還元の逆反応で、カルボニル化合物を与えます。3°アルコールは通常の酸化剤とは反応しません(α炭素に水素がないため)。

基質 生成物 推奨試薬
1°アルコール アルデヒド Dess-Martin periodinane / CH2Cl2
1°アルコール カルボン酸 KMnO4/H2O(塩基性、加熱)
2°アルコール ケトン Dess-Martin periodinane または KMnO4
3°アルコール 反応しない —

Dess-Martin Periodinane(DMP)

Dess-Martin periodinane(DMP)はジクロロメタン中で使用し、温和な条件で酸化を行えます。かつて使われていたクロム系試薬(CrO3、PCC、K2Cr2O7)は六価クロムの毒性・発がん性が問題になるため、現在は DMP が好まれます。ただし DMP とその原料の IBX は、加熱や衝撃で爆発的に分解するおそれがあるので、大量に扱ったり加熱したりしないこと。
Dess-Martin酸化(DMP)の反応式(構造式)。ゲラニオール(1°)はゲラニアール(84%)、4-tBu-シクロヘキサノール(2°)は4-tBu-シクロヘキサノン(91%)になる

KMnO4 による酸化

1°アルコールを KMnO4/H2O(塩基性)で加熱するとカルボン酸が得られます(アルデヒドは条件下でさらに酸化される)。
1°アルコールのKMnO4酸化の反応式(構造式)。1-デカノールが水中でデカン酸(収率93%)になる

酸化の機構(E2 類似)

Dess-Martin 酸化では、まずアルコールが DMP のヨウ素(I(V))と置換反応してペリオジナン中間体を形成し、次に I(III) を脱離基として E2 様に β-H が引き抜かれてカルボニル化合物が生じます。

生体内のアルコール酸化
生体内ではアルコールの酸化を NAD+ が担います(NADH を生成)。例:sn-グリセロール-3-リン酸 → ジヒドロキシアセトンリン酸(脂質代謝)。エタノールもまず NAD+/アルコール脱水素酵素でアセトアルデヒドに酸化された後、さらにアセテートに酸化されます。

17.8 アルコールの保護

なぜ保護基が必要か

複雑な分子を合成するとき、ある官能基への操作が別の官能基と干渉することがあります。典型例:アルコールを含むアルキルハライドからは Grignard 試薬を作れない(-OH が RMgX をプロトン化してしまう)。

シリルエーテルによる保護

アルコールをクロロトリアルキルシラン(Cl-SiR3)と塩基(トリエチルアミン)の存在下で反応させると、トリアルキルシリルエーテル(R-O-SiR3)が得られます。
シリルエーテルによるアルコールの保護の反応式(構造式)。ROHがトリメチルシリルクロリドとEt3NでTMSエーテルになり、シクロヘキサノールの例では収率94%
よく使われる保護基:TMS(トリメチルシリル:最も単純・脱保護容易)と TBS/TBDMS(tert-ブチルジメチルシリル:より安定・選択的脱保護に有用)。

なぜ Si で SN2 が起きるか? Si は C よりも大きく(C–Si 結合 195 pm vs C–C 結合 154 pm)、3つのアルキル基があっても立体障害が小さいため、第三級 Si 中心でも SN2 様反応が進行します。

脱保護

シリルエーテルは酸(希 HCl・酢酸)で加水分解するか、フッ化物イオン(Bu4N+F−、TBAF)で Si–O 結合を切って、元のアルコールに戻します。Si–F 結合は非常に強いため、フッ化物は特に効果的な脱保護剤です。

保護のフロー(3-ブロモ-1-プロパノールを Grignard 反応に使う例):

3-ブロモ-1-プロパノールをGrignard反応に使う保護のフロー(構造式)。TMS保護、Grignard試薬調製、アセトアルデヒドとの反応、Bu4NFによる脱保護でジオールが得られる

17.9 フェノールとその用途

クメン法によるフェノールの工業合成

フェノール(世界の生産量は年間千万トン規模)の主要な工業合成法はクメン(イソプロピルベンゼン)の酸化分解です:
クメン法によるフェノールの工業合成の反応式(構造式)。クメンが空気酸化でクメンヒドロペルオキシドになり、酸でフェノールとアセトンに分解する
機構:ヒドロペルオキシ基のプロトン化 → フェニル基が C→O 移動(1,2-アリール転位)→ 水の脱離でカルボカチオン → ヘミアセタール中間体 → フェノール + アセトン。フェノールとアセトンが同時に得られる効率的なプロセスです(ベークライト樹脂・合板接着剤の原料)。

フェノール誘導体の用途

化合物 用途 合成法
ペンタクロロフェノール 木材防腐剤 フェノール + 過剰 Cl2
2,4-D(2,4-ジクロロフェノキシ酢酸) 除草剤 2,4-ジクロロフェノール由来
ヘキサクロロフェン 病院用防腐消毒剤 2,4,5-トリクロロフェノール由来
BHT(ブチルヒドロキシトルエン) 食品の酸化防止剤 p-クレゾール + 2-メチルプロペン(Friedel-Crafts)
BHA(ブチルヒドロキシアニソール) 食品の酸化防止剤 p-メトキシフェノールのアルキル化

17.10 フェノールの反応

求電子芳香族置換(EAS)

-OH 基は強力な活性化・オルト/パラ配向基です(酸素の孤立電子対が芳香環に電子を供与)。このためフェノールはベンゼンより非常に高い EAS 反応性を示します。
フェノールの臭素化の反応式(構造式)。臭素水と反応して2,4,6-トリブロモフェノールが即座に白色沈殿する

(ベンゼンは触媒なしでは Br2 と反応しない!)

フェノールは EAS におけるハロゲン化・ニトロ化・スルホン化・Friedel-Crafts アルキル化いずれも容易に起こります。

フェノールの酸化——キノン

フェノールはアルコールと異なり、α炭素に水素がないため通常の酸化は起こりません。代わりに Fremy 塩((KSO3)2NO)などで酸化するとキノン(2,5-シクロヘキサジエン-1,4-ジオン)が得られます:
フェノールのFremy塩による酸化でベンゾキノン(79%)が得られ、ヒドロキノンと可逆的にレドックスする反応式(構造式)

ユビキノン(コエンザイム Q)——生化学との接続

ユビキノン(CoQ)はミトコンドリア呼吸鎖における電子伝達体で、キノン/ヒドロキノンの可逆的レドックスサイクルを利用します:

ステップ1: NADH + H(+) + ユビキノン   → NAD(+) + ユビヒドロキノン
ステップ2: ユビヒドロキノン + 1/2 O2  → ユビキノン + H2O
─────────────────────────────────────────
正味:       NADH + 1/2 O2 + H(+)       → NAD(+) + H2O + エネルギー
院試ポイント:ユビキノンの構造
ユビキノン(CoQn)はベンゾキノン環にメトキシ基と「(CH2CH=C(CH3)CH2)nH」の長いイソプレノイド側鎖を持ちます。ヒトの主要な CoQ は CoQ10(n=10)で、自然界には n=1〜10 が存在し、「ubiquitous(どこにでもある)」に由来して ubiquinone(ユビキノン)と呼ばれます。

17.11 アルコール・フェノールのスペクトル解析

IR スペクトル

吸収 波数 (cm−1) 特徴
O–H 伸縮(水素結合あり) 3300〜3400 幅広く強い吸収(アルコール・フェノール)
O–H 伸縮(水素結合なし) 3600 付近 シャープな吸収(希薄・気相)
C–O 伸縮 1050 付近 強い吸収(アルコール)
芳香環(フェノール) 1500・1600 通常の芳香環吸収
D2O による O–H の確認
NMR サンプルに重水(D2O)を数滴加えると、O–H プロトンが重水素と交換され、O–H 吸収が消失します。これを利用して「消えるシグナル = O–H(または N–H)」を同定できます。

1H NMR スペクトル

アルコールの O–H プロトンの位置は濃度・溶媒・温度で大きく変わり(おおむね 0.5〜5 δ)、位置だけでは決めにくいので D2O 交換で確かめます。フェノールの O–H は 3〜8 δ です。酸素が付いた炭素上の H(-CH2O- など)は 3.4〜4.5 δ に現れます。通常、O–H プロトンは隣接 C–H とのスピン結合が観測されない——少量の酸性不純物によるプロトン交換が速いためです。DMSO 溶媒では交換が遅くなり、O–H のスピン結合が観測される場合があります。

質量スペクトル

アルコールは質量スペクトルで2種類の特徴的な開裂を示します:

α開裂(alpha cleavage)

O–H に最も近い C–C 結合が切断され、共鳴安定化された酸素含有カチオン([CH2OH]+ = m/z 31 など)が生じる

脱水(dehydration)

M+• から H2O(18)が脱落し、アルケンのラジカルカチオン [M−18]+• が観測される

例(1-ブタノール, M+=74)

m/z = 56:脱水 [M−18]+
m/z = 31:α開裂 [CH2OH]+

まとめ——第17章の全体像

第17章 キーコンセプト整理

■ 命名・分類
・1°/2°/3°の区別、IUPAC 規則(-ol 接尾)、フェノール(-phenol 親名)

■ 性質
・水素結合 → 沸点上昇・水溶性
・酸性(pKa): tBuOH(18) < EtOH(16) < H2O(15.7) < フェノール(9.9) < p-NO2-フェノール(7.1)
・フェノールが酸性なのは共鳴による負電荷の非局在化が主因

■ 合成(カルボニル化合物から)
・NaBH4: アルデヒド・ケトンのみ → 1°・2°アルコール
・LiAlH4: アルデヒド・ケトン・エステル・カルボン酸 → アルコール(アミドはアミンになる)
・Grignard: ホルムアルデヒド→1°、アルデヒド→2°、ケトン→3°、エステル→3°(2当量消費)

■ アルコールの反応
・→ ハライド: 3° + HX(SN1)、1°2° + SOCl2/PBr3(SN2)
・→ トシラート(TsCl/ピリジン)→ SN2 で立体反転
・→ アルケン: 3°は H2SO4/加熱(E1)、2°・3°は POCl3/ピリジン(E2)
・→ アルデヒド/ケトン: Dess-Martin periodinane(DMP)
・→ カルボン酸: KMnO4/H2O(1°のみ)

■ 保護基
・TMS/TBS エーテル形成 → TBAF(フッ化物)または希酸で脱保護

■ フェノール
・EAS で高反応性(o/p 配向)、NaOH 水溶液に溶解
・酸化 → キノン → ユビキノン(CoQ)として呼吸鎖で機能

■ スペクトル同定
・IR: O–H 3300〜3600 cm−1(幅広)・C–O 1050 cm−1
・NMR: O–H は D2O 添加で消えるシグナル
・MS: α開裂(m/z = 31 など)・脱水([M−18]+)

第18章へ——エーテルとエポキシド

第17章でアルコールとフェノールの化学を学びました。次の第18章では、酸素原子が2つの有機基に挟まれたエーテル(R-O-R’)と、三員環に酸素が入ったエポキシドを扱います。エポキシドはアルケンをペルオキシ酸(mCPBA など)で酸化して得られ、求核剤による開環反応は SN2 機構で進行するため anti 開環が立体化学のポイントです。

次章のプレビュー
第18章のキーワード:エーテルの命名・製法(Williamson 合成)、クラウンエーテル、エポキシドの合成(mCPBA 酸化)と開環反応の立体化学、保護基としてのシリルエーテルとの比較

カズ塾有機化学 第2巻「反応編」第1部 sp3炭素の舞台/第5章 アルコールを舞台に載せる — OH を脱離基に変える
・この章を読み終えると:去れない OH を、脱離基に作り変えられる
・この章のほかの記事:アルコールの反応/塩化チオニル/光延反応
・← 前の章:第4章 4つの経路を判定する / 次の章:第6章 エーテルとエポキシド →
・第2巻の目次(全32章)を見る


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・アルコールとフェノールの命名法