十酸化四リンによる酢酸から無水酢酸の合成

十酸化四リン(P4O10)は、実験室で使える乾燥剤・脱水剤のなかで最も強力なもののひとつです。デシケーターの底に入れておくだけで空気中の水分を奪い、固まってしまうほど吸湿します。

この「水を奪う力」は、ただ乾かすためだけのものではありません。平衡を動かして、本来は進みにくい反応を進める道具になります。酢酸から無水酢酸を作る反応がその代表例です。

この記事で学ぶこと
・十酸化四リンの読み方と、「五酸化二リン」という別名との関係
・アダマンタン型のかご構造——なぜ水を奪う力が強いのか
・用途3つ:無水酢酸の合成・アミドからニトリル・乾燥剤
・ほかの乾燥剤(濃硫酸・モレキュラーシーブ)との使い分け
・取扱いで事故になりやすい点

十酸化四リンとは——読み方と「五酸化二リン」の関係

十酸化四リン(P4O10)は「じゅっさんかよんりん」と読みます(「じゅうさんかよんりん」とも読まれます)。英語名は phosphorus pentoxide、または組成を正しく反映した tetraphosphorus decaoxide、酸化数を明示する phosphorus(V) oxide です。

混乱しやすいのは「五酸化二リン」(P2O5、ごさんかにりん)という別名です。これは組成式(元素の比だけを表した式)に基づく古い呼び方で、実際に存在する分子はその2倍のP4O10です。

なぜ2つの名前があるのか
・組成式(=比)で書くと P2O5 → 「五酸化二リン」
・実際の分子式は P4O10 → 「十酸化四リン」
→ 同じ物質を指しています。試薬瓶やカタログには「五酸化二リン」と書かれていることも多いので、
どちらを見ても同じものだと分かれば十分です。

なお、名前が似ていて別物なのがリン酸(H3PO4)と四リン酸(H6P4O13)です。四リン酸はリン酸が4つ縮合したポリリン酸の一種で、P4O10の別名ではありません。

構造——アダマンタン型のかご

P4O10は、4個のリン原子が正四面体の頂点に並んだかご状の分子です。アダマンタン(ダイヤモンド骨格の最小単位)と同じ形をしています。

リン原子      4個(正四面体の頂点)
架橋酸素      6個(P−O−P でリンどうしをつなぐ)
末端酸素      4個(各リンに P=O が1本ずつ)
            ————————————
合計         リン4 + 酸素10 = P4O10

各リンは酸素4つに囲まれた四面体構造をとり、酸化数は+5です。リンがすでに最高酸化数にあるため、この分子は酸化剤としてではなく「酸素と結合したがる相手」=脱水剤としてふるまいます。

なぜ最強クラスの脱水剤なのか

P4O10は水と激しく反応し、最終的にリン酸になります。

十酸化四リンと水の反応式。P4O10は6分子の水と激しく反応し(強い発熱)、4分子のリン酸(構造式)になる

この反応が一気に進むのではなく、かごのP−O−P結合が水で1本ずつ開いていくのが実際の姿です。途中ではメタリン酸やポリリン酸を経由し、水が十分あって初めてリン酸まで分解します。

脱水剤としての強さの理由は2つです。

P4O10が水を奪う力が強い理由
① P−O−P結合の加水分解が熱力学的に大きく有利——開裂してP−OHになる方向に強く傾く
② かご1個が水6分子を飲み込める——重量あたりで吸収できる水の量が多い

ほかの乾燥剤と並べると位置づけが見えます。

乾燥剤 強さ 使いどころ・注意
P4O10 最強クラス 真空デシケーター、乾燥管の最終段。固結して使い切りになる。再生できない
濃硫酸 強い 液体なのでガス洗浄瓶向き。塩基性の気体には使えない
モレキュラーシーブ(3A・4A) 強い 加熱で再生できる。溶媒の保存に最適
塩化カルシウム 中 粗乾燥向き。アルコール・アミンと錯体を作るので使えない
シリカゲル 中 保管用。安価で扱いやすい

用途①:酢酸から無水酢酸をつくる

カルボン酸2分子から水が1分子取れると酸無水物になります。ところがこの反応は、放っておいても進みません。生じた水が逆反応(加水分解)を起こすため、平衡が原料側に偏っているからです。

酢酸から無水酢酸をつくる反応式(構造式)。酢酸2分子と無水酢酸+水の平衡はそのままでは進まないが、P4O10が水を奪うと平衡が右へ動く

ここでP4O10が働きます。生じた水をただちに吸収して系から取り除くため、ルシャトリエの原理により平衡が無水酢酸側へ偏ります。

反応機構

単に水を吸っているだけではなく、P4O10は酢酸を活性化してもいます。

カルボン酸の酸素がリンを攻撃すると、アシルリン酸型の混合酸無水物(C–O–P 結合をもつ中間体)ができます。リン側は非常に優れた脱離基になるため、ここへ2分子目の酢酸が求核攻撃すると、リン酸部分が外れて無水酢酸が生成します。

カルボン酸のカルボニル炭素より、リンのほうが求核攻撃を受けやすいという反応性の差が、この経路の出発点です。

酢酸と十酸化四リンから無水酢酸ができる反応機構
工業的な無水酢酸はこの方法では作らない
実際の工業生産はケテン法(酢酸を熱分解してケテンにし、別の酢酸と反応させる)が主流です。
P4O10による脱水は、実験室規模と、脱水剤のはたらきを理解するための例として重要です。

用途②:アミドからニトリルをつくる

P4O10のもう一つの定番の使い道が、第一級アミドの脱水によるニトリル合成です。

第一級アミドのP4O10による脱水でニトリルができる反応式(構造式)。加熱下でRCONH2がR−C≡Nと水になり、水はP4O10が捕捉する

アミドのC=O酸素がリンに取られ、続いて窒素上の水素が抜けることで三重結合ができます。カルボン酸→アミド→ニトリルという酸化段階を変えない変換の道筋として、逆合成でよく登場します。

用途③:乾燥剤として使う

真空デシケーターや乾燥管に入れて使います。使うときの注意は次のとおりです。

  • 再生できない——吸湿するとリン酸に変わるので、加熱して戻すことはできない
  • 固結する——表面がリン酸の層になると内部まで働かない。皿に薄く広げて使う
  • 塩基性の気体には向かない——アンモニアやアミンは酸性のリン酸に捕まってしまう

製造方法

白リン(P4)を酸素中で燃やして作ります。酸素が不足した条件では六酸化四リン(P4O6、酸化数+3)が生じ、酸素が十分にあるとさらに酸化されてP4O10になります。

白リンの燃焼によるP4O10の製造の反応式。酸素不足ではP4O6(六酸化四リン)、酸素十分ではP4O10(十酸化四リン)が生じる

取扱いと安全

事故になりやすい点
・水と激しく発熱反応する——水に大量を一度に入れると突沸・飛散する。廃棄は少量ずつ、大量の水に撹拌しながら
・生じるのはリン酸=腐食性。皮膚・粘膜への刺激が強い(保護手袋・ゴーグル)
・吸湿性が極端に強いので、秤量は手早く、容器は密栓してデシケーター保管
・空気中の湿気だけでも発熱するため、こぼしたら水をかけずに乾いた方法で回収する

まとめ

この記事のまとめ
・十酸化四リン=じゅっさんかよんりん(P4O10)。「五酸化二リン(P2O5)」は組成式による別名で同じ物質
・構造はアダマンタン型のかご。リンは最高酸化数+5なので、酸化剤ではなく脱水剤として働く
・水と反応してリン酸になる(四リン酸ではない)
・用途は無水酢酸の合成・アミドからニトリル・乾燥剤の3つ
・無水酢酸の工業生産はケテン法が主流

よくある質問

十酸化四リンの読み方は?「五酸化二リン」と何が違うのですか?

「じゅっさんかよんりん」と読みます(「じゅうさんかよんりん」とも読まれます)。「五酸化二リン(ごさんかにりん)」は組成式 P2O5(元素の個数比だけを表した式)に基づく呼び方で、同じ物質を指しています。実際に存在している分子はその2倍の大きさの P4O10 なので、分子式に忠実な「十酸化四リン」のほうが正確です。試薬のラベルやカタログでは今も「五酸化二リン」表記が多く残っています。

P4O10 が水と反応すると何ができますか?

リン酸(H3PO4)です。P4O10 + 6H2O → 4H3PO4 となり、強く発熱します。ただし一気にリン酸まで進むのではなく、かごの P−O−P 結合が順に開いてメタリン酸・ポリリン酸を経由します。水が少ないとポリリン酸の段階で止まります。なお「四リン酸(H6P4O13)」はポリリン酸の一種で、P4O10 の別名ではありません。

濃硫酸やモレキュラーシーブとどう使い分けますか?

乾燥力はP4O10が最も強いので、最後まで水を抜きたいとき(真空デシケーター、乾燥管の最終段)に使います。ただし再生できず、固結して使い切りになります。溶媒を日常的に乾燥させて保存するなら加熱再生できるモレキュラーシーブが現実的です。濃硫酸は液体なのでガスを通して乾かす用途に向きますが、アンモニアのような塩基性気体には使えません。P4O10も酸性なので、塩基性の気体の乾燥には不適です。

なぜ酢酸だけを加熱しても無水酢酸ができないのですか?

生成する水が逆反応(加水分解)を起こし、平衡が原料のカルボン酸側に偏っているためです。酸無水物は水に対して反応性が高く、水がある限り元に戻ってしまいます。P4O10は生じた水をただちに奪って系から取り除くので、ルシャトリエの原理により平衡が無水酢酸側へ動きます。さらにP4O10はカルボン酸をアシルリン酸型の中間体に変えて活性化する役割も担っています。