律速段階と反応次数とは|速度式から反応機構を絞り込む【院試対策】

反応機構は、直接見ることができません。中間体は一瞬で消え、遷移状態にいたっては寿命すら持ちません。それでも化学者が機構を書けるのは、速度を測るという間接的な手がかりがあるからです。
その手がかりの中心が速度式です。速度式には「反応が始まってから、いちばん高い峠を越えるまでに、どの分子が何個関わったか」が記録されています。ハロゲン化アルキルの加溶媒分解が SN1 か SN2 かを、実験室で最初に切り分ける方法もこれです。
そして最も大事な前提があります。速度式は化学反応式を見ても書けません。実験して初めて決まる量です。ここを取り違えたまま暗記すると、院試の速度論はまず解けません。
速度式は実験でしか決まらない
速度式とは、反応速度を各成分の濃度の積で表した式です。
速度 = k [A]m [B]n k ... 速度定数(温度で決まる。濃度には依らない) m ... A について m 次 n ... B について n 次 m+n ... 全体の反応次数
ここで m と n は、化学反応式の係数とは無関係です。各成分の濃度を振って速度がどう変わるかを測り、実験的に決めます。
実際、SN1 反応の全体の式には求核剤が書かれているのに、速度式には出てきません。この食い違いこそが、機構を教えてくれる情報です。
反応次数と分子度は別物
「二次反応」と「二分子反応」は、似た言葉ですが指しているものが違います。答案で取り違えると内容そのものを誤解していると読まれます。
| 反応次数 | 分子度 | |
|---|---|---|
| 何の話か | 実験で測った速度式の形 | 1つの素反応に関わる分子の数 |
| 決まり方 | 測定値。小数にもなりうる | 機構を仮定して数える。必ず整数 |
| 対象 | 反応全体 | 段階ごと |
SN2 の「2」は分子度の2、SN1 の「1」は分子度の1です。たまたま次数と一致しているために混同されますが、名前が指しているのは律速段階の分子度のほうです。
律速段階が速度式に現れる仕組み
多段階反応の全体の速さは、いちばん高い峠を越えられるかどうかで決まります。その段階が律速段階です(エネルギー図の上での見つけ方は反応座標図の読み方で扱いました)。
速度式との対応は、一言でまとめられます。
ハロゲン化アルキルの置換反応で確かめます。
SN1 ①R−X → R+ + X− (遅い=律速。R−X だけが関わる)
②R+ + Nu− → R−Nu (速い)
速度 = k[R−X] ← 求核剤の濃度が入らない
SN2 R−X + Nu− → R−Nu + X− (1段階。両方が関わる)
速度 = k[R−X][Nu−] ← 両方の濃度が効くつまり求核剤を2倍に濃くして速度が変わらなければ SN1、2倍になれば SN2 だと判定できます。分光法も単離もいらず、濃度を振って時間を測るだけで機構の骨格が分かる——これが速度論の威力です。
律速段階の前に速い平衡があるとき
やや進んだ場面として、律速段階の手前に速い可逆平衡がある機構があります。酸触媒反応のほとんどがこの形です。
① S + H+ ⇌ SH+ (速い平衡=前平衡、平衡定数 K) ② SH+ → 生成物 (遅い=律速、速度定数 k2) 速度 = k2[SH+] = k2K[S][H+] → 速度 = kobs[S][H+]
ここが重要です。律速段階そのものは一分子反応(SH+ が壊れるだけ)なのに、観測される速度式は二次になります。前平衡でプロトンを使っているぶん、酸の濃度が式に持ち込まれるからです。
「律速段階の分子度=反応次数」と機械的に覚えていると、ここで必ず間違えます。前平衡を含めて、峠までに何が消費されたかを数えるのが正しい手順です。触媒が反応式に書かれないのに速度式に現れるのも、同じ理由です。
定常状態近似という道具
前平衡が成り立たない場合(中間体が生成する速さと壊れる速さが拮抗している場合)に使うのが定常状態近似です。
SN1 に定常状態近似を適用すると、生成したカルボカチオンが求核剤に捕まる速さと、脱離基と再結合する速さの比が式に現れます。脱離基イオンを加えると反応が遅くなる共通イオン効果は、この形から説明されます。単純な「速度 = k[R−X]」では説明できない現象です。
擬一次条件——大過剰の試薬は式から消える
最後に、実験でよく使われる小技です。
加水分解を水の中で行う場合、水は溶媒として大過剰にあります。反応が進んでも水の濃度はほとんど変わらないので、定数とみなして速度定数に吸収させられます。
速度 = k[基質][H2O] (本来は二次)
[H2O] ≈ 一定
速度 = kobs[基質] (見かけ上は一次=擬一次)このため加溶媒分解の速度式では、溶媒が求核剤であっても式に現れません。SN1 と見分けがつかなくなる、速度論の弱点でもあります。判定にはほかの証拠(立体化学・基質構造の効果・同位体効果)を併せる必要があります。
速度式から機構を絞る手順
| 観測された速度式 | 読み取れること |
|---|---|
| 基質にのみ一次 | 律速段階に基質1分子だけ(SN1・E1・一分子分解) |
| 基質と試薬にそれぞれ一次 | 峠までに両者が関与(SN2・E2) |
| 酸の濃度が式に現れる | 律速段階の前にプロトン化の平衡がある |
| 試薬の次数が0になる(飽和する) | その試薬が関わる段階が律速でなくなった |
| 分数次数になる | 連鎖反応(ラジカル)や会合平衡の関与 |
ラジカル連鎖反応で次数が 1/2 になるのは、開始段階で1分子から2個のラジカルが生じ、停止段階が二次だからです。詳しくはラジカル反応で扱っています。
大学院入試での問われ方
「反応式の係数から速度式を書けるか」
→ 素反応を除いて書けない。速度式は実験で決まる
「求核剤の濃度を2倍にしたが速度は変わらなかった。機構を論ぜよ」
→ 求核剤は律速段階より後で関与。SN1(一分子的)
「酸触媒反応で速度が [H+] に一次だった。律速段階の分子度は」
→ 前平衡でプロトン化されるので、律速段階自体は一分子でもよい
「中間体の濃度を消去して速度式を導け」
→ 定常状態近似(生成速度 = 消失速度)を置くまとめ
速度論が決め手を欠くとき、次に持ち出される証拠が同位体効果です。「律速段階でその結合が切れているか」を直接問える道具として、同位体効果(KIE)へ続きます。
ここで扱った前平衡つきの機構は、酸触媒反応では特異酸触媒と呼ばれます。これを、律速段階そのものでプロトンが動く一般酸触媒とどう区別するかは酸触媒と塩基触媒で扱っています。
よくある質問
1段階で進む素反応を除いて書けません。多段階反応では、全体の反応式に現れる分子が速度式に出てこないこともあれば、反応式に書かれていない触媒が速度式に現れることもあるからです。速度式は各成分の濃度を変えて速度を測定し、実験的に決めるものです。この前提を外すと、速度論の問題はほぼすべて解けなくなります。
反応次数は実験で得られた速度式の形を表す値で、条件によっては小数にもなります。分子度は1つの素反応に何個の分子が関わるかという機構上の数で、必ず整数です。SN2の2は分子度を指しており、たまたま観測される次数と一致しているにすぎません。前平衡を含む機構では、律速段階の分子度と全体の反応次数が一致しなくなります。
その求核剤が律速段階より後の段階で関与しているためです。反応全体の速さは最も高い峠を越えられるかどうかで決まるので、峠を越えたあとに起こる出来事をいくら速くしても全体の速さは変わりません。SN1反応がこの典型で、律速段階であるイオン化には基質だけが関わるため、速度式は基質の濃度だけの一次式になります。
不安定な中間体の濃度は低いまま、ほぼ一定に保たれると仮定する近似です。中間体の生成速度と消失速度が等しいと置くことで、直接測定できない中間体の濃度を式から消去でき、測定可能な量だけの速度式が得られます。SN1で脱離基イオンを加えると反応が遅くなる共通イオン効果は、この近似から導かれる式でなければ説明できません。
水が溶媒として大過剰に存在し、反応が進んでも濃度がほとんど変化しないためです。定数とみなして速度定数に吸収させられるので、本来は二次の反応が見かけ上は一次として観測されます。これを擬一次条件と呼びます。そのため加溶媒分解では、溶媒が求核剤として働いていても速度式からはそれが読み取れず、機構の判定には立体化学などほかの証拠が必要になります。








