パーシー・ジュリアン完全解説|大豆からコルチゾンを作った化学者

1935年、インディアナ州の小さなリベラルアーツ・カレッジから出た論文が、当時の有機化学の頂点にいた男を名指しで否定した。相手はロバート・ロビンソン——のちのノーベル賞受賞者であり、オックスフォードの権威である。論点は、カラバル豆のアルカロイドフィゾスチグミンの合成だった。
ロビンソンは合成の中間体「エセレトール」を得たと報告していた。しかしデポー大学のパーシー・ラヴォン・ジュリアンは、その物質の融点が天然物由来の標品と一致しないことを指摘し、自分の合成した化合物こそが本物であると主張した。結論から言えば、正しかったのはジュリアンである。人種を理由にハーバードで学位を取ることさえ許されなかった化学者が、世界最高の権威に構造論で勝った瞬間だった。
だがジュリアンの本当の破壊力は、その5年後に発揮される。彼は大豆油という、それまで塗料の原料でしかなかった素材からステロイドホルモンを取り出す方法を作り上げ、プロゲステロン・テストステロン・そして関節リウマチの特効薬コルチゾンの価格を桁違いに引き下げた。この記事では、その2つの仕事——アルカロイド全合成とステロイド工業化学——を、有機化学の言葉で追いかける。
生涯と略歴——学位を拒まれた化学者
パーシー・ラヴォン・ジュリアンは1899年4月11日、アラバマ州モンゴメリーに生まれた。祖父母は奴隷として生きた世代であり、父は鉄道の郵便事務員だった。アラバマ州には当時、黒人が通える公立高校がほとんど存在しない。ジュリアンは高校教育を十分に受けないまま、1916年にデポー大学(インディアナ州)へ「準新入生(sub-freshman)」として入学する——昼間は大学の講義に出て、夜は高校レベルの補習を受けながらの学生生活だった。
それでも1920年、彼は首席(valedictorian)で卒業する。だが当時の米国で、黒人の化学者に大学院の門は開かれていなかった。フィスク大学などで教えたのち、1923年にハーバード大学で修士号を取得。しかし博士課程では、「白人学生を指導させられない」という理由で教育助手の職を取り消され、学位取得の道を断たれる。
転機はヨーロッパだった。1929年、ロックフェラー財団などの支援でウィーン大学へ渡り、アルカロイド化学の大家エルンスト・シュペート(Ernst Späth)の下で1931年に博士号を取得する。ウィーンでは人種による扱いの差がほとんどなく、彼は後年「初めて一人の化学者として扱われた」と語っている。ここで身につけた天然物アルカロイドの構造決定と合成の技術が、そのまま次の仕事につながった。
デポー大学に戻り、ウィーン時代の同僚ヨゼフ・ピクル(Josef Pikl)とともに1935年にフィゾスチグミンの全合成を達成。世界的な評価を得たにもかかわらず、デポーは彼を教授に昇任させなかった。理由は明確に人種だった。
1936年、彼はシカゴの塗料会社グリッデン社(The Glidden Company)に大豆製品部門の研究部長として迎えられる。「アカデミアが受け入れないなら産業界で」という選択が、結果的に彼を大豆というありふれた原料と結びつけた。ここで彼は大豆タンパクの工業利用、そしてステロイドホルモンの大量供給という二つの成果を挙げる。
1953年に独立してジュリアン研究所(Julian Laboratories)を設立し、メキシコにも工場を構えてヤムイモ由来原料を扱った。1961年に同社をスミス・クライン・アンド・フレンチ社へ約230万ドルで売却し、アメリカで最初期の黒人富豪のひとりとなる。生涯の特許は130件を超えた。
1950年から51年にかけて、イリノイ州オークパークの自宅は放火とダイナマイトによる爆破未遂の標的になった。彼は移り住むことを拒み、公民権運動を資金・言論の両面で支えた。1973年、全米科学アカデミー(NAS)に選出された初のアフリカ系アメリカ人化学者となる。1975年4月19日、肝臓癌により76歳で死去した。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1899 | アラバマ州モンゴメリーに生まれる(祖父母は奴隷の世代) |
| 1916–20 | デポー大学へ「準新入生」として入学、1920年に首席で卒業 |
| 1923 | ハーバード大学で修士号。人種を理由に博士課程での教育助手職を取り消される |
| 1931 | ウィーン大学でエルンスト・シュペートに師事し博士号(アルカロイド化学) |
| 1935 | ピクルとフィゾスチグミンの全合成を達成、ロビンソンの中間体の同定を否定 |
| 1936 | グリッデン社(シカゴ)大豆製品部門の研究部長に就任 |
| 1940 | 大豆油からスチグマステロールを工業的に単離、プロゲステロン製造を開始 |
| 1943 | 大豆タンパク由来の消火剤Aero-Foamが米海軍に採用される |
| 1949–52 | コルチゾン前駆体(Reichstein の Substance S)の工業合成を確立 |
| 1950–51 | オークパークの自宅が放火・爆破未遂の標的となるも移転を拒否 |
| 1953 | ジュリアン研究所を設立、メキシコにも生産拠点を置く |
| 1961 | ジュリアン研究所をスミス・クライン社へ売却(約230万ドル) |
| 1973 | 全米科学アカデミー会員に選出(アフリカ系アメリカ人化学者として初) |
| 1975 | 死去(享年76)。1990年に全米発明家殿堂入り、1993年に記念切手が発行される |
フィゾスチグミン全合成——権威に勝った1935年
カラバル豆という毒
フィゾスチグミン(physostigmine、別名エセリン eserine)は、西アフリカのカラバル豆(Physostigma venenosum)に含まれるアルカロイドである。現地では「神明裁判」の毒として使われた歴史をもつ一方、19世紀後半には緑内障の治療薬として西洋医学に取り込まれた。
薬理学的にはこの分子はアセチルコリンエステラーゼ(AChE)阻害薬である。AChEは神経伝達物質アセチルコリンを加水分解して信号を止める酵素で、活性中心のセリン残基のヒドロキシ基がアセチル基を受け取ることで働く。フィゾスチグミンはアセチルコリンとよく似た形をしており、酵素に入り込んでアセチル基の代わりにカルバモイル基(−C(=O)NHCH3)をセリンに渡してしまう。
【本来の反応】
Enz−Ser−OH + AcO−choline → Enz−Ser−OAc →(速い加水分解, ms オーダー)→ Enz−Ser−OH
【フィゾスチグミンの場合】
Enz−Ser−OH + carbamate → Enz−Ser−O−C(=O)NHCH3
→(きわめて遅い加水分解, 分〜時間オーダー)
ポイントはカルバマートのアシル−酵素中間体が加水分解を受けにくいことにある。カルバモイル基では窒素の孤立電子対がカルボニルへ非局在化してC=O の求電子性が下がり、水の攻撃が遅くなる。結果として酵素は数分から数時間にわたって働けなくなる——共有結合を作るが最終的には戻るため、これを擬似不可逆的阻害(pseudo-irreversible inhibition)と呼ぶ。有機リン系神経ガスが「完全に戻らない」のとは、この一点で決定的に違う。
構造の難所——C3a の四級炭素
フィゾスチグミンの骨格はピロロ[2,3-b]インドール(ピロリジノインドリン)である。インドリンの5員環に、もう1つの5員環(ピロリジン)がC3a–C8aで縮環した構造をもつ。合成上の急所は次の2点だ。
① C3a が四級炭素である。C3a にはメチル基が付き、さらに3本の環結合が集まっている。炭素上に置換基が4つ——しかもその一部が環の一部——という状況を作るのは、立体障害の面でも位置選択性の面でも難しい。
② C3a と C8a が cis 縮環の不斉中心である。2つの5員環がシス縮環するため、この2炭素の相対配置が固定される。天然物は (3aS,8aR) 体で、当時は光学分割で対応するしかなかった。
ジュリアンとピクルの戦略は、オキシインドールを出発点にすることだった。オキシインドールの C3 は、隣接するアミドカルボニルによって活性メチレンになっている。すなわち塩基で脱プロトン化してエノラートを作り、そこへ求電子剤を打ち込める。この性質を使って C3(のちの C3a)に必要な炭素をひとつずつ据えていく。
【ジュリアン–ピクル法の骨格構築(要点)】 オキシインドール(C3=活性メチレン, 芳香環にアルコキシ基) → ① C3 のアルキル化(メチル基の導入) → ② C3 にシアノメチル基(−CH2CN)を導入 = C3 を四級炭素にする → ③ ニトリルの還元(−CH2CN → −CH2CH2NH2) → ④ アミド × アミンの環化・還元 → ピロロインドリン骨格の形成 → ⑤ N-メチル化 → エセレトール(芳香環はエチルエーテル) → ⑥ 脱アルキル化 → フェノール(エセロール) → ⑦ CH3NCO でカルバマート化 → フィゾスチグミン
最終段のイソシアナートへのアルコール付加は、カルバマート合成の基本形である。フェノールの酸素がイソシアナートの求電子的な炭素を攻撃し、続く分子内プロトン移動でカルバマートが得られる——脱離基が出ないので原子効率100 %の付加反応だ。エステル化との対比で覚えておくとよい(エステル化反応の記事も参照)。
ロビンソンとの論争——融点が語ったこと
1930年代前半、ロバート・ロビンソンのグループも同じ標的を追っていた。ロビンソンは中間体エセレトール(フィゾスチグミンのフェノール部分をエチルエーテルにした化合物)を合成したと報告する。しかしジュリアンが自分の手で作ったエセレトールは、ロビンソンの報告値と融点が一致しなかった。
当時、構造決定の切り札はNMRでもX線でもなく、混融試験(mixed melting point)と誘導体の一致だった。純物質どうしを混ぜて融点が降下しなければ同一物質、降下すれば別物——という素朴だが強力な判定法である。ジュリアンは、自分の合成品が天然フィゾスチグミンの分解生成物から導いた標品と一致することを示し、ロビンソンの化合物は別物であると結論した。デポー大学という無名の場所からの主張だったが、化学界は最終的にジュリアンを支持した。
大豆からステロイドへ——水漏れタンクの白い沈殿
スチグマステロールという入口
グリッデン社に移ったジュリアンの最初の仕事は、大豆タンパクの工業利用だった。しかし彼の関心はすぐに、大豆油に微量含まれる植物ステロールへ向かう。とりわけスチグマステロール(stigmasterol, C29H48O)は特別だった。
理由は側鎖にある。コレステロールやシトステロールの側鎖は飽和していて、切断するには手荒な酸化が必要になる。ところがスチグマステロールの側鎖には C22–C23 二重結合がある。「切りたい場所に、あらかじめ二重結合が入っている」——これは合成化学者にとって願ってもない構造だ。オゾンで狙い撃ちすれば、側鎖をきれいに落とせる。
スチグマステロール ・3β-OH(A環) ・Δ5(B環の C5–C6 二重結合) ← 残したい(後で Δ4-3-one へ) ・側鎖に Δ22(C22–C23 二重結合) ← ここを切りたい ・C24 にエチル基
問題は、大豆油中のスチグマステロール含量がごくわずかであることだった。ここで有名な逸話が登場する——工場の大豆油タンクに水が漏れ込み、油の中に白いスラッジ(沈殿)が生じた。分析するとその沈殿はステロールに富んでいた。ジュリアンはこの事故を工程に変え、油に水を加えてステロール画分を析出・分離する方法を確立する。年間数千トンの油から、数トンのステロールを取り出す道が開けた。
スチグマステロール → プロゲステロン
ここからが有機化学の本番である。目標は側鎖を C20 のメチルケトンまで削り、A環を Δ4-3-ケトンにすること。古典的な工程は次のように進む。
スチグマステロール(3β-OH, Δ5, Δ22) → ① Br2 (Δ5 を 5,6-ジブロミドとして保護) → ② O3 / 還元的後処理(Δ22 を切断) → ③ Zn (脱臭素化 → Δ5 を再生) 3β-ヒドロキシ-ビスノル-5-コレン酸アルデヒド(C22 アルデヒド) → ④ Ac2O (エノールアセタート Δ20,22 の生成) → ⑤ O3 (エノールアセタートを選択的に切断)→ 加水分解 プレグネノロン(3β-OH, Δ5, C20 ケトン) → ⑥ Oppenauer 酸化(Al(OiPr)3 / シクロヘキサノン) プロゲステロン(Δ4-3-ケトン, C20 ケトン)
4つの論点を順に見ていこう。
① 二重結合を臭素で「隠す」。分子内に2つのアルケンがあり、片方だけを切りたい。ならば残したい方を可逆的に潰しておくのが最も確実だ。Δ5 に臭素を付加してビシナルジブロミドにすれば、そこはもうアルケンではないのでオゾンと反応しない。後で亜鉛による脱ハロゲン化(anti 脱離)で元のアルケンに戻す。保護基=官能基を一時的に別の官能基に変換して隠す道具という定義そのものの操作である。
② オゾン分解。オゾンはアルケンに 1,3-双極子付加してモロゾニド(初期オゾニド)を与え、これがレトロ[3+2]開裂を経てカルボニルオキシド+カルボニルへ、さらに再結合して1,2,4-トリオキソラン(オゾニド)となる。後処理を還元的(Zn/AcOH、Me2S、PPh3)にすればアルデヒドで止まり、酸化的(H2O2)にすればカルボン酸まで進む。ここではアルデヒドが欲しいので還元的後処理を選ぶ。酸化段階の使い分けは有機化学の酸化・還元の記事で整理している。
③ エノールアセタートという発想。C22 アルデヒドから C20 ケトンへ——つまり炭素をあと1つ削る。ジュリアンたちは無水酢酸でアルデヒドをエノールアセタート(C20–C22 に二重結合)に変え、その二重結合をオゾンで切った。切った瞬間に C20 がカルボニルになるので、加水分解すればメチルケトン(=プレグナン骨格の20-ケトン)が現れる。「削りたい結合の位置に、エノール化を利用して二重結合を移す」という発想は、現代の合成でも繰り返し現れる。
④ Oppenauer酸化。最後に 3β-OH をケトンにする。これは後述する。
化学選択性——なぜエノールアセタートだけが切れるのか
⑤の段階で、分子には Δ5(ふつうの三置換アルケン)とエノールアセタート(酸素が付いたアルケン)の2つが共存している。それでもオゾンはエノールアセタートを優先的に攻撃する。理由はアルケンの求核性の差だ。
オゾンは求電子的な1,3-双極子であり、アルケンの HOMO とオゾンの LUMO の相互作用で反応が進む。エノールエーテル・エノールエステルでは酸素の孤立電子対が π 系へ供与され、HOMO のエネルギーが持ち上がる。HOMO–LUMO ギャップが小さいほど反応は速い——すなわち電子豊富なアルケンほどオゾンと速く反応する。この「電子密度で速度が決まる」という見方は、フロンティア軌道論の教科書的な適用例である(福井謙一のフロンティア軌道論も参照)。
Oppenauer酸化——アルミニウムが仲介する水素の受け渡し
最終段の Oppenauer 酸化は、Meerwein–Ponndorf–Verley(MPV)還元の逆反応である。触媒はアルミニウムアルコキシド(Al(OiPr)3 など)、水素受容体には大過剰のケトン(アセトン、シクロヘキサノン、p-ベンゾキノンなど)を使う。
R2CH−OH + O=CR'2 <=====> R2C=O + HO−CHR'2
Al(OiPr)3
【六員環遷移状態】
Al
/ \
O O
| ||
R2C–H ··· CR'2 ← ヒドリドが直接 C から C へ移る
要点はヒドリドが金属を経由せず、炭素から炭素へ直接移動することだ。アルコールがアルミニウムに配位してアルコキシドとなり、受容体ケトンも同じアルミニウムに配位する。両者が六員環の環状遷移状態を組むと、α 位の C–H のヒドリドが受容体のカルボニル炭素へ滑り込む。反応は完全に可逆で、受容体ケトンを大過剰に入れることで平衡を酸化側に寄せる——ルシャトリエの原理そのものである。
この反応の実用的な価値は穏和さにある。クロム酸のような強酸化剤と違い、アルケン・アルキン・アセタール・アミンを傷つけない。ステロイド合成に多用されたのは、まさに Δ5 二重結合を残したまま 3β-OH だけを酸化できるからだ。
そして重要な副次効果がある。生成した Δ5-3-ケトンは β,γ-不飽和ケトンであり、共役していない。塩基性のアルミニウムアルコキシド条件下でエノール化を経て二重結合が移動し、より安定な共役 Δ4-3-エノンへ異性化する。つまりOppenauer酸化1段で「酸化」と「二重結合の異性化」が同時に完了する。プレグネノロン → プロゲステロンが1工程で書けるのは、このためだ。
コルチゾンを安くする——Substance S と微生物
1948年から49年にかけて、メイヨー・クリニックのヘンチとケンダルがコルチゾンが関節リウマチに劇的に効くことを報告した。医学界は沸いたが、化学の側には深刻な問題があった——作れないのである。
メルク社の当初の合成は、ウシの胆汁酸(デオキシコール酸)から30段階以上をかけるもので、コルチゾンの価格は1グラムあたり数百ドルに達した。ボトルネックはC11位に酸素を入れることだった。C11 は環の内側を向いた立体的に混み合った位置で、通常の酸化剤では手が届かない。
ジュリアンの貢献は2つの方向から効いた。第一に、大豆由来のプレグネノロン/プロゲステロンを安価かつ大量に供給したこと。第二に、そこからReichstein の Substance S(11-デオキシコルチゾール、17α,21-ジヒドロキシプロゲステロン)を工業規模で作る工程を確立したことである。
大豆油 → スチグマステロール → プレグネノロン → プロゲステロン → Substance S(17α-OH, 21-OH, Δ4-3-one, 20-one。C11 に酸素がない) → ★ 微生物による C11 水酸化(Rhizopus 属などのカビ) → ヒドロコルチゾン(コルチゾール) →(C11 の酸化)→ コルチゾン
決定打となったのが★の段階である。1952年、アップジョン社のピーターソンとマレーが、カビ(Rhizopus arrhizus など)がステロイドの C11 を位置・立体選択的に水酸化することを見いだした。化学者が30段階かけても届かなかった位置に、微生物は1段階で酸素を入れる。ジュリアンの安価な Substance S と、この生物変換が接続されたとき、コルチゾンの価格はグラム数百ドルから数ドルの水準へ崩落した。
Aero-Foam——大豆タンパクが火を消す
ステロイドと並ぶジュリアンの成果に、大豆タンパクの工業利用がある。彼は大豆から単離したタンパク(アルファプロテイン)を紙のコーティング剤や塗料原料として実用化したが、最もよく知られるのは消火用泡剤「Aero-Foam」だろう。
加水分解した大豆タンパクを主成分とするこの泡は、水と混ぜて発泡させると油面を覆って酸素を遮断する。ガソリンや航空燃料の火災は水では消せない——水より軽い燃料が水面に浮いて燃え続けるからだ。タンパク泡は燃料より軽く、粘り強い膜を作って燃料と空気を切り離す。第二次世界大戦中、米海軍は艦上火災の消火にこれを採用し、「bean soup(豆スープ)」と呼んで多くの乗員の命を救った。
タンパク質が界面活性剤として働くのは、疎水性残基と親水性残基が両方あるため気–液界面に吸着し、膜を安定化するからである。ジュリアンは天然物化学者としての目を、アルカロイドにもステロイドにも高分子にも同じように向けていた。
現代への影響
ステロイド薬を「限られた患者のための贅沢品」から標準治療へ変えた。安価な原料と工程設計が医療アクセスを決めるという構図は今も同じ。
→ 反応機構まとめ
骨格は化学合成、1点の精密官能基化は酵素——C11 微生物水酸化で確立したこの役割分担は、現代のバイオ医薬品製造の原型になった。
学位も教授職も人種で拒まれながら130件超の特許を残した軌跡は、才能を活かせない制度そのものが損失であることを示す事例として語り継がれている。
ジュリアンは晩年、若い黒人科学者の支援に力を注ぎ、シカゴ大学やハワード大学の理事を務めた。彼が繰り返し語ったのは「機会さえあれば」という一言である。1993年、米国郵政公社は「Black Heritage」シリーズの記念切手に彼の肖像を採用した——化学者としては異例の扱いだった。
院試・定期試験での狙われ方
ジュリアン本人の名前が問われることはまずないが、彼のルートに含まれる素反応はいずれも標準的な出題範囲である。以下の観点で押さえておくとよい。
| 出題テーマ | 押さえるべき答え方 |
|---|---|
| オゾン分解の機構と後処理 | 1,3-双極子付加 → モロゾニド → レトロ[3+2] → カルボニルオキシド+カルボニル → 再結合でオゾニド。還元的後処理(Zn/AcOH, Me2S, PPh3)ならアルデヒド、酸化的(H2O2)ならカルボン酸 |
| アルケンの化学選択性 | オゾンは求電子的双極子。電子供与基(OR, OAc)の付いたアルケンは HOMO が高く速く反応する。エノールエーテル > エノールエステル > 三置換アルケン > 電子不足アルケン |
| 保護基としての臭素付加 | Br2 の anti 付加(ブロモニウムイオン経由)でアルケンを消す → 別反応 → Zn による anti 脱ハロゲン化でアルケンを再生。立体化学は元に戻る |
| Oppenauer酸化の機構 | Al アルコキシドに基質と受容体ケトンが配位し、六員環遷移状態でヒドリドが C から C へ直接移動。MPV還元の逆。受容体ケトン大過剰で平衡を偏らせる。二級アルコール専用 |
| Δ5-3-one → Δ4-3-one | β,γ-不飽和ケトンがエノール(ジエノール)を経て共役 α,β-不飽和ケトンへ異性化。駆動力は共役による熱力学的安定化 |
| カルバマートによる酵素阻害 | 活性中心セリンをカルバモイル化。N の孤立電子対の非局在化で C=O の求電子性が下がり加水分解が遅い → 擬似不可逆的阻害。有機リン剤の不可逆阻害と区別する |
| イソシアナートへの求核付加 | R−OH + R’−N=C=O → カルバマート。脱離基を出さない付加反応なので副生成物がない(ウレタン樹脂と同じ反応) |
| オキシインドールの C3 反応性 | アミドカルボニルに隣接した活性メチレン。塩基でエノラート化し、アルキル化・Michael付加で四級炭素の構築に使える |
発展:なぜ C11 の水酸化は化学的に難しいのか
C11 はステロイド C 環の β 面側にあり、C18・C19 の2つのアンギュラーメチル基に挟まれた凹みに位置する。この付近には近接する官能基もないため、隣接基効果を使った誘導もできない。加えて C11 の C–H は電子的にごく普通の二級 C–H で、他の多数の C–H と反応性の差がほとんどない——つまり「立体的に届かず、電子的にも区別できない」という二重の困難がある。P450 型酵素はこれを基質全体を鋳型として掴むことで解決する。分子の一部だけを見て反応点を選ぶ小分子試薬と、分子全体の形で反応点を決める酵素——選択性の原理そのものが違う。近年の C–H 活性化研究が「配向基(directing group)」に執着するのは、まさにこの酵素の戦略を小分子で真似ようとしているからである。
まとめ
よくある質問
1923年に修士号を取得した後、博士課程での研究には教育助手(ティーチングアシスタント)の職が必要でした。しかし大学側は「白人学生がアフリカ系アメリカ人の指導を受けることになる」という理由で、いったん与えた助手職を取り消しています。当時の米国では、黒人学生が大学院で学位を得ること自体がきわめて困難でした。ジュリアンは6年後にウィーン大学へ渡り、エルンスト・シュペートの下で1931年に博士号を取得しています。
側鎖に C22–C23 二重結合(Δ22)があるからです。ステロイドホルモンを作るには側鎖を C20 付近で切り落とす必要がありますが、飽和側鎖を切るには過酷な酸化が必要で、収率も選択性も悪くなります。スチグマステロールは切りたい位置にあらかじめ二重結合が入っているため、オゾン分解で狙い撃ちできます。しかも大豆油という安価で大量に流通する原料から得られる点が決定的でした。
同じ反応を逆向きに使っているだけで、機構は同一です。どちらもアルミニウムアルコキシドを触媒とし、六員環遷移状態でヒドリドが炭素から炭素へ直接移動します。MPV還元では溶媒兼水素源として2-プロパノールを大過剰に使い、平衡を還元側へ寄せます。Oppenauer酸化ではアセトンやシクロヘキサノンなどの受容体ケトンを大過剰に使い、平衡を酸化側へ寄せます。どちらの成分を過剰にするかで向きが決まる、平衡反応の典型例です。
分子内に Δ5(B環)と Δ22(側鎖)という2つのアルケンがあり、切りたいのは Δ22 だけだからです。オゾンは両方を切ってしまうため、残したい Δ5 をあらかじめ Br2 の anti 付加で 5,6-ジブロミドに変えて「アルケンでなくして」おきます。オゾン分解が終わったら亜鉛で anti 脱ハロゲン化し、元の Δ5 を復元します。保護基とは、官能基を一時的に別の官能基へ可逆的に変換して隠す道具である、という定義を最もわかりやすく示す例です。
単独の功績ではありません。大きく3つの流れが合流しています。第一に、原料側の革新——ジュリアンの大豆スチグマステロールルートと、メキシコのヤムイモ(ジオスゲニン)を使ったマーカー分解ルートが、ステロイド骨格を安価にしました。第二に、ジュリアンらによる Substance S の工業合成の確立。第三に、アップジョン社のピーターソンとマレーによるカビを使った C11 水酸化(1952)です。化学者が30段階かけても難しかった一点を微生物が1段階で解決したことが決定打になりました。ステロイド工業の原料史についてはレオポルト・ルジチュカの記事も併せてお読みください。
用途は限定されていますが、使われています。抗コリン薬(アトロピン、抗ヒスタミン薬、三環系抗うつ薬など)の過量による中毒の解毒が代表的で、三級アミンであるため血液脳関門を通過して中枢症状にも効くのが強みです。かつて主用途だった緑内障治療は、副作用の少ない他系統の点眼薬に置き換わりました。またフィゾスチグミンのカルバマート構造は、アルツハイマー型認知症治療薬リバスチグミンなど後続薬の設計原型となっています。他の化学者の歩みは有機化学者列伝まとめページから確認できます。







