プラスチックは電気を通さない。だからコードの被覆に使い、コンセントの外装に使い、基板の絶縁層に使う。20世紀の中頃まで、これは疑う余地のない常識だった。高分子=絶縁体は定義に近い前提であって、研究テーマではなかったのである。

1967年秋、東京工業大学資源化学研究所の一室で、その前提を崩す物質が偶然に生まれた。アセチレンを重合させて黒い粉末を得るはずの実験で、ビーカーの液面に銀色に光る膜が張っていたのだ。原因は触媒濃度の取り違え——単位の「m(ミリ)」を見落として1000倍濃い触媒溶液を使ったことだった。

この膜を捨てずに追いかけた助手が白川英樹(Hideki Shirakawa, 1936–)である。そして9年後、ペンシルベニア大学の実験室で、その膜に臭素蒸気をひと滴垂らした瞬間に電気抵抗が1000万分の1まで落ちた。2000年、白川はアラン・マクダイアミッド、アラン・ヒーガーとともに「導電性高分子の発見と発展」でノーベル化学賞を受賞する。

この記事では、「共役していれば電気を通る」という素朴な直感がなぜ間違いなのかから出発して、パイエルス転移によるバンドギャップの発生、ドーピングという名の酸化還元反応、そしてソリトン・ポーラロンという電荷キャリアの正体までを、有機化学の言葉で順に解きほぐしていく。

この記事で学ぶこと
・チーグラー–ナッタ触媒によるアセチレン重合と、膜状ポリアセチレンが生まれる条件
・cis体・trans体の作り分けと、cis → trans 異性化の意味
・共役していても絶縁体である理由——結合交替(パイエルス転移)とバンドギャップ
ドーピングが半導体の不純物ドープとは別物である理由(酸化還元反応としての理解)
ソリトン・ポーラロン・バイポーラロンという電荷キャリアの考え方
・ポリアセチレンが実用化されず、PEDOT・ポリアニリンが使われている理由

生涯と略歴——二浪の学生から「電気を通すプラスチック」へ

白川英樹は1936年8月20日、東京府淀橋区(現・東京都新宿区)に生まれた。父は陸軍の軍医で、その仕事の都合により幼少期は台湾、次いで満州(遼陽・鞍山など)を転々としている。1944年、国民学校3年生のときに朝鮮半島を経由して帰国し、母の実家がある岐阜県高山に落ち着いた。

自然に囲まれた高山で昆虫採集に熱中し、高校時代は真空管ラジオを自作した。この「化学と電気の両方に手を出していた」少年時代が、後年に高分子と電気伝導という異分野を接続する素地になったと本人は振り返っている。中学の卒業文集に「将来はプラスチックの研究をしたい」と書いたことは、ノーベル賞受賞時に広く報じられた(本人は「作文として書きやすかっただけ」と冷静に語っている)。

二浪の末に1957年、東京工業大学に入学。高分子を学びたいと考えて化学工学科を選んだが、卒業研究の配属では希望した合成系の研究室にくじ引きで落選し、高分子物性の研究室に回されている。修士課程で合成系の神原周研究室へ移り、1966年に「共重合体中のブロック鎖に関する研究」で工学博士を取得した。

学位取得後、資源化学研究所(現・東京科学大学化学生命科学研究所)の池田朔次の講座で助手となる。ここで与えられたテーマが、14C 標識を用いたチーグラー–ナッタ触媒によるアセチレン重合機構の解明だった。物性の研究室と合成の研究室を経験し、放射性同位体トレーサーで重合機構を追う——この経歴の重なりが、銀色の膜を「不良品」ではなく「未知の試料」として扱わせることになる。

出来事
1936東京府淀橋区(現・新宿区)に生まれる。幼少期は台湾・満州で過ごす
1944帰国し岐阜県高山へ。以後、昆虫採集と真空管ラジオ製作に熱中
1961東京工業大学理工学部化学工学科を卒業
1966工学博士(共重合体中のブロック鎖に関する研究)。資源化学研究所・池田朔次講座の助手に
1967触媒濃度1000倍の取り違えをきっかけに膜状ポリアセチレンを発見
1969頃IR・ラマン分光により cis → trans 異性化を含む重合機構を解明。以後しばらく別テーマへ
1975資源研を訪れたアラン・マクダイアミッドが銀色フィルムに着目し、その場で共同研究を提案
1976ペンシルベニア大学へ博士研究員として渡米。11月23日、臭素ドープで電気抵抗が107分の1
1977Chem. Commun. に第一報。6月のニューヨークの国際会議で公開実験を行い豆電球を点灯させる
1979筑波大学物質工学系の助教授に着任(1982年に教授)
1984液晶の配向を利用した配向ポリアセチレンの作製に成功し、導電率をさらに向上
1997ネマティック液晶を用いたヘリカルポリアセチレンを合成
2000筑波大学を定年退官。ノーベル化学賞(ヒーガー・マクダイアミッドと共同受賞)、文化勲章を受章

膜状ポリアセチレンの発見——「1000倍の失敗」の実際

それまでのポリアセチレンは「黒い粉」だった

アセチレンの重合そのものは白川の発見ではない。1958年、ジュリオ・ナッタらがすでにチーグラー–ナッタ触媒でアセチレンを重合させ、ポリアセチレン (CH)n を得ている。しかしその生成物は黒色・不溶・不融の粉末だった。

これは高分子研究者にとって致命的である。溶けないので分子量が測れない。成形できないので薄膜にできない。透過スペクトルも電気測定もまともにできない。長い共役系がもたらすはずの特異な電子物性は、測定できないという理由で20年近く放置されていた

【アセチレンの配位重合(チーグラー–ナッタ触媒)】

  n HC≡CH  ——[ Ti(O-n-Bu)4 / AlEt3 ]——>  (CH=CH)n

  Ti(IV) アルコキシド + アルキルアルミニウム
      → その場で Ti−C 結合をもつ活性種を生成
      → アセチレンが Ti に π 配位
      → Ti−C 結合への挿入(migratory insertion)が繰り返される

機構としては、アルキルアルミニウムがチタンアルコキシドをアルキル化して Ti−C 結合をもつ活性種を作り、そこにアセチレンが π 配位して連鎖的な挿入反応が起こる、という配位重合である。アルケンの重合と同じ枠組みだが、生成物が二重結合を残した共役ポリエンになる点が決定的に違う。

単位の「m」を見落とした実験

1967年、池田研究室には韓国原子力研究所から研究員の邊衡直(ピョン・ヒョンチク)が滞在していた。彼がポリアセチレンの重合を経験したいと希望したため、白川はレシピを渡した。ところが、触媒濃度の単位に付いていた「m(ミリ)」を見落とし、1000倍の濃度で触媒溶液を調製してしまう。

結果、期待した粉末はできず、代わりにビーカーの溶液の液面に膨潤したボロボロの膜が張っていた。ここで多くの人は「失敗した」で終わる。白川はその膜を分析にかけ、ポリアセチレンの薄膜である可能性が高いと判断した。そして「触媒濃度の取り違えが原因ではないか」と当たりをつけ、意図的に濃度を上げた条件で追試を重ねた。

数日のうちに、ある濃度以上できれいな薄膜が得られること、とくにガラス表面で重合させるとよいことが判明する。高濃度の触媒溶液の界面でアセチレンの重合が急速に進行するため、生長した鎖が液中に分散する前に界面で膜として堆積するという機構だった。

覚え方:なぜ「濃い」と膜になるのか
触媒が薄い→重合が遅い→生成した鎖が溶液中でバラバラに沈殿→粉末
触媒が濃い→界面での重合が速い→気液界面に鎖が次々と積み上がる→
「反応速度が拡散速度を上回ると、生成物は界面に張り付く」という一般則として理解しておくと、他の界面重合(ナイロン界面重縮合など)にも応用が利く。

cis 体と trans 体の作り分け

得られた薄膜のIRスペクトルには、ナッタが報告していた trans 体の構造から予想されるよりも多くの吸収帯が現れた。白川は因子群解析や行列法によって振動解析を行い、次の結論に達する——アセチレンの三重結合はまず cis 型に開いて cis-ポリアセチレンを与え、それが加熱によって trans 型へ異性化する

【重合温度による cis / trans の作り分け】

   −78 °C 付近で重合   →  cis リッチな銅色のフィルム
   150 °C 付近で重合/熱処理 →  trans リッチな銀色のフィルム

   cis-(CH)n  ——Δ——>  trans-(CH)n     (不可逆)

   ・cis 体:熱力学的に不安定、バンドギャップがやや大きい
   ・trans 体:熱力学的に安定、縮退した二つの結合交替パターンをもつ(後述)

薄膜が極めて薄かったおかげで、吸収スペクトルと電子スペクトルの測定が可能になり、共役数が非常に大きいことも定量的に示された。「測れない物質」が、ここで初めて物性測定の土俵に上がったのである。

よくある誤解:「白川が偶然ポリアセチレン膜を作った」
正確には、取り違えを起こしたのは白川本人ではない(滞在研究員の実験)。白川の貢献は「失敗品を分析にかけたこと」と「原因を仮説化して再現条件を確立したこと」にある。偶然が価値を持つのは、それを追いかける準備があるときだけ——白川自身が講演で繰り返し語るセレンディピティの含意はここにある。

共役していても電気は通らない——結合交替とバンドギャップ

素朴な直感と、その破綻

共役ポリエンでは π 電子が非局在化する。共役化合物と紫外分光法で学ぶとおり、共役が伸びるほどHOMO–LUMOギャップは小さくなり、吸収は長波長側へシフトする。ならば無限に長い共役系=ポリアセチレンではギャップがゼロになり、金属のように電気を通すはずだ——これが素朴な予想である。

ところが実際の trans-ポリアセチレンは導電率がおよそ 10−5 S/cm 程度の半導体にすぎない。銅(約 6×105 S/cm)とは10桁以上の隔たりがある。なぜか。

答え:結合が交替しているから

もしポリアセチレンのC−C結合がすべて等距離(1.40 Å 程度)に並んでいれば、π バンドは半分だけ満たされた金属的なバンドになる。しかしその状態はエネルギー的に不安定で、鎖は自発的に単結合(約1.44 Å)と二重結合(約1.36 Å)が交互に並ぶ構造へと歪む。

この歪みによって単位格子が2倍になり、π バンドは完全に満たされた価電子帯空の伝導帯に分裂する。これがパイエルス転移(Peierls distortion)であり、生じるバンドギャップは trans-ポリアセチレンで約1.5 eV——シリコン(1.1 eV)と同程度の、立派な半導体である。

有機化学の言葉に翻訳すると
パイエルス転移は、無限鎖版のヤーン–テラー効果あるいは「結合交替」にほかならない。ベンゼンでは環状共役の対称性により結合長が均一化するが(ベンゼンと芳香族性)、直鎖ポリエンでは結合長を交替させたほうが安定になる。芳香族性を「結合長が揃うこと」と結び付けて覚えている人ほど、直鎖では逆になることに注意したい。

だからキャリアを注入する必要がある

バンドギャップが1.5 eVあるということは、室温では価電子帯から伝導帯へ電子がほとんど熱励起されない、ということである。電子を運ぶ担い手(キャリア)が存在しない。共役系という「道路」はできているのに、走る「車」がいない状態だ。

ならば車を持ち込めばよい。それがドーピングである。

ドーピング——導電率を7桁上げた酸化還元反応

1976年11月23日の実験

1975年、資源研を訪れたアラン・マクダイアミッドは、金色に輝く硫化窒素 (SN)x の結晶を持参していた。同僚の山本明夫が「似た見た目のものを作っている人がいる」と白川を紹介し、マクダイアミッドは銀色のポリアセチレンフィルムを見てその場で共同研究を提案した。翌1976年9月、白川はペンシルベニア大学へ渡る。

1976年11月23日。測定端子を付けたポリアセチレンフィルムをアルゴンで満たした三角フラスコに入れ、注射器で臭素を1滴滴下した。その瞬間に電気抵抗が4–5桁下がり、最終的には1000万分の1(107分の1)まで減少した。物理学者のアラン・ヒーガーも加わって研究室は騒然となる。

追試の過程で、臭素よりヨウ素のほうが効果的であることが分かった。理由は化学的に明快で、臭素は二重結合に付加してしまい共役系そのものを壊すのに対し、ヨウ素は付加反応をほとんど起こさず電子の受け渡しだけを行うからである。

ここは有機化学の基礎が効く場面
Br2 のアルケンへの付加は、ブロモニウムイオンを経る典型的なアンチ付加。一方 I2 の付加は熱力学的に不利(ΔG > 0 になりやすい)で、実質的に進行しない。「ヨウ素はアルケンに付加しない」という教科書の一文が、そのままドーパントの選択理由になっている。

「ドーピング」という語の誤解

シリコン半導体のドーピングは、Si の格子位置を P や B が置換する現象で、濃度は ppm〜ppb オーダーである。導電性高分子のドーピングは、これとはまったく別の物理化学である。

【p 型ドーピング(酸化的ドーピング)】

  (CH)n + (3x/2) I2  →  [(CH)x+]n + x I3

    ・高分子鎖が 酸化されて電子を失う(正孔が生じる)
    ・I3・I5 は鎖間に入る対アニオンとして電荷を中和する

【n 型ドーピング(還元的ドーピング)】

  (CH)n + x Na  →  [Na+]x[(CH)x−]n

    ・ナフタレンナトリウムなどで 電子を注入する
    ・Na+ が対カチオンとして鎖間に入る

つまりドーピングの実体は高分子鎖と低分子との酸化還元反応であり、ドーパントは格子に置き換わるのではなく鎖の隙間に入る対イオンである。しかも濃度は ppm ではなく数〜数十 mol%という桁違いの量になる。ヨウ素をドープした延伸配向ポリアセチレンでは、最終的に105 S/cm オーダーという金属並みの導電率が報告されている。

よくある誤解3つ
①「ドーピングは半導体と同じ不純物置換」→ 誤り。酸化還元反応であり、ドーパントは対イオンとして鎖間に入る。
②「共役していれば電気を通す」→ 誤り。ドープしない中性のポリアセチレンは半導体(バンドギャップ約1.5 eV)。
③「ヨウ素が電子を運んでいる」→ 誤り。電流を運ぶのは高分子鎖上のキャリア。ヨウ素は電子を抜き取り、生じた正電荷を中和しているだけ。

キャリアの正体——ソリトン・ポーラロン・バイポーラロン

trans-ポリアセチレンだけが持つ「縮退」

trans-ポリアセチレンの鎖には、結合交替のパターンが2通りある——「単結合–二重結合–単結合…」と「二重結合–単結合–二重結合…」。この2つはエネルギー的にまったく等価(縮退している)

そこで、鎖の途中で位相が切り替わる境界を作ることができる。この境界をソリトンと呼ぶ。境界には π 結合に参加できない炭素が1つ生じ、そこには不対電子(中性ソリトン)が乗る。この中性ソリトンは電荷0・スピン1/2という、有機化学の常識では奇妙な粒子である。

【ソリトンの3つの荷電状態】

  中性ソリトン    ラジカル型      電荷 0     スピン 1/2
  正ソリトン      カチオン型      電荷 +e    スピン 0
  負ソリトン      アニオン型      電荷 −e    スピン 0

  ← 通常の有機分子(電荷とスピンが連動する)とは逆の対応

  酸化的ドーピング: 中性ソリトン − e → 正ソリトン
  この正ソリトンが鎖に沿って移動することで電流が流れる

通常、有機化学ではラジカルは電荷0でスピンあり、カチオン/アニオンはスピンなしで電荷ありという対応を暗黙に使う。ソリトンでもこの対応自体は保たれているが、重要なのはこれらが鎖上を自由に動ける「準粒子」として振る舞う点にある。この描像は Su–Schrieffer–Heeger(SSH)模型として定式化され、ヒーガーのノーベル賞受賞理由の理論的な中核をなす。

縮退がない高分子ではポーラロンが担う

ポリチオフェン・ポリピロール・ポリパラフェニレンビニレン(PPV)などでは、芳香環構造とキノイド構造のエネルギーが等しくない(縮退していない)。したがってソリトンは生じず、代わりにポーラロン(ラジカルカチオン:電荷 +e・スピン 1/2)と、さらに酸化が進んだバイポーラロン(ジカチオン:電荷 +2e・スピン 0)がキャリアになる。

実用化されている導電性高分子はほぼすべてこちらの系統であり、院試で問われるのもポーラロン/バイポーラロンの方が多い。「縮退があるか(trans-ポリアセチレンのみ)=ソリトン、縮退がない(それ以外の大半)=ポーラロン」と対にして覚えておくとよい。

キャリア有機化学的な正体電荷/スピン現れる系
中性ソリトン鎖上のラジカル(結合交替の位相境界)0 / 1/2trans-ポリアセチレン
荷電ソリトン鎖上のカルボカチオン/カルボアニオン±e / 0trans-ポリアセチレン
ポーラロンラジカルカチオン(構造緩和を伴う)+e / 1/2ポリチオフェン・ポリピロール・PPV
バイポーラロンジカチオン(キノイド構造として安定化)+2e / 0高ドープ域のポリチオフェン等
導電率を決めるのは鎖内伝導だけではない
現実の導電性高分子は結晶領域と非晶領域が混在する。キャリアは鎖に沿った移動(速い)鎖から鎖へのホッピング(遅い)を繰り返すため、律速はふつう後者になる。白川が1984年に液晶を用いて繊維を一方向に配向させたのは、まさにこの鎖間ホッピングを減らして導電率を上げるためである。「延伸すると導電率が上がる」という現象は、この描像でそのまま説明できる。

公開実験と、査読の壁

発見の第一報は Journal of the Chemical Society, Chemical Communications に掲載された(1977年)。しかし、化学系のマクダイアミッドが投稿した JACS、物理系のヒーガーが投稿した Physical Review Letters は、いずれも査読段階で現象そのものを疑われ、すぐには受理されなかった。「プラスチックが金属並みに電気を通す」という主張は、当時それほど信じ難いものだったのである。

そこでマクダイアミッドが提案したのが、1977年6月にニューヨークで開かれた低次元物質の国際会議での公開実験だった。白川は当初これに反対している。「日本の学会ではやらない子供じみた取り組み」に感じられたうえ、テフロン製ストップコックから空気が漏れてドーピングが進まない懸念もあった。

結局、蒸気圧を高めるためにハロゲン間化合物(臭化ヨウ素 IBr)を使い、ドーパント容器を温める湯まで用意して臨んだ。聴衆の目の前でポリアセチレンの電気抵抗が下がり、豆電球が点灯した。ヒーガーの論文は1977年10月に PRL、マクダイアミッドの論文は1978年2月に JACS に掲載されている。

院試・面接で使える教訓
「常識外れの結果」は、データを揃えるだけでは通らないことがある。再現条件の確立(白川)伝え方の設計(マクダイアミッド)の両輪があって、初めて分野が動いた。研究計画を語るときに引ける、良い実例である。

ポリアセチレンはなぜ実用化されなかったのか

導電性高分子は今日、身の回りのいたるところで使われている。ただしポリアセチレンそのものはほとんど使われていない。理由は単純で、空気中の酸素や水分と反応して共役系が壊れ、導電性を失ってしまうからである。不溶・不融で加工性に乏しい点も致命的だった。

そこで、ポリアセチレンが示した「共役+ドーピング=導電性」という原理だけを受け継ぎ、安定性と加工性を備えた高分子が次々に開発された。

高分子構造の特徴主な用途
ポリアセチレン最も単純な直鎖共役系。空気中で急速に劣化基礎研究のモデル物質(実用化はほぼなし)
ポリピロール五員環含窒素複素環。電解重合で製膜可能固体電解コンデンサ、センサ
ポリチオフェン/P3HT側鎖アルキル基で溶解性を付与有機薄膜太陽電池、有機トランジスタ
PEDOT:PSSエチレンジオキシ基で安定化+高分子酸を対アニオンに使い水分散化透明導電膜、帯電防止、コンデンサ、有機EL
ポリアニリンプロトン酸ドープでも導電化(酸化度とpHで制御)防食塗料、電池電極、帯電防止
PPV系発光性が高い共役系高分子有機EL(PLED)

これらの共役高分子を精密に作り分ける手段として決定的だったのが、クロスカップリング反応である。チオフェンやフェニレンを狙った位置で連結し、分子量分布と位置規則性(レジオレギュラリティ)を制御する——この工程はパラジウム触媒なしには成立しない。鈴木章らのカップリング化学と白川の導電性高分子は、「機能性有機材料」という一つの産業を両側から支えている関係にある。

PEDOT:PSS が普及した理由
① エチレンジオキシ基が α 位を塞ぎ、望まない位置での重合や酸化劣化を抑える
② 電子供与性の酸素がバンドギャップを狭め、可視域の吸収が小さい=透明になる。
③ 対アニオンに高分子酸(PSS)を使うことで水分散液として塗布できる
低分子ドーパントは抜けて失活するが、高分子ドーパントは抜けない——この一手が実用化を決めた。

現代への影響

材料・デバイス

有機EL・有機太陽電池・有機トランジスタ・固体電解コンデンサ・帯電防止膜。「軽い・曲がる・塗れる」電子材料という分野そのものが、この発見から派生した。

化学の方法論

共役系設計とドーピングによるバンドギャップ制御という考え方。
→ 共役系とUV吸収の基礎

研究文化

「失敗した試料を分析にかける」「異分野の訪問者に自分の試料を見せる」。セレンディピティを制度ではなく態度の問題として語った点で、日本の研究教育に影響を与えた。

白川は受賞後、総合科学技術会議の議員として科学技術政策に関わる一方、高校生向けの一日体験教室でみずからテキストを作って教えるなど、教育活動に長く力を注いだ。導電性高分子の「実験の面白さ」を子どもに伝えるための実演キットづくりにも携わっている。

電子の非局在化という有機化学の中心概念が、分子軌道からバンド構造へ、さらにデバイスへと連続的につながっていく——その道筋を最初に通したのが白川の銀色のフィルムだった。フロンティア軌道論によって反応性を軌道の言葉で語れるようになったこと(福井謙一)と同様に、有機化学を電子の科学として扱うという20世紀後半の潮流のなかに位置づけられる仕事である。

まとめ

この記事のポイント
白川英樹(1936–)はヒーガー・マクダイアミッドとともに「導電性高分子の発見と発展」で2000年ノーベル化学賞を受賞した
・1967年、触媒濃度を1000倍取り違えた実験から膜状ポリアセチレンが生まれ、白川が再現条件を確立した(チーグラー–ナッタ触媒による界面重合)
・重合温度で cis 体(−78 °C)/ trans 体(150 °C)を作り分けられ、cis → trans 異性化は不可逆
・共役していても電気を通さないのは、結合交替(パイエルス転移)により約 1.5 eV のバンドギャップが開くから
ドーピングは酸化還元反応である。(CH)n + (3x/2) I2 → [(CH)x+]n + x I3。ドーパントは格子置換ではなく対イオンとして鎖間に入り、量も数〜数十 mol% と桁違い
・キャリアは trans-ポリアセチレンではソリトン、縮退のない共役系ではポーラロン/バイポーラロン
・ヨウ素が選ばれるのは二重結合に付加せず電子授受だけを行うから(臭素は付加して共役系を壊す)
・ポリアセチレン自体は空気中で劣化するため実用化されず、PEDOT:PSS・ポリアニリン・ポリチオフェンが産業を担っている

有機化学者列伝の他の人物は有機化学者列伝まとめから、共役系とスペクトルの基礎は共役化合物と紫外分光法、アセチレンの構造と反応性はアルキンと有機合成入門で確認できる。