E1・E2 脱離反応 完全解説【機構・anti脱離の立体化学・Zaitsev則・SN vs E の使い分け・院試対策】
はじめに——「外す」反応の論理
求核置換(SN1/SN2)がハロゲンを別の基に「交換」するのに対し、脱離反応(Elimination)はハロゲン(脱離基 X)と隣の C–H をセットで「外し」、炭素間に二重結合(C=C)を作ります。E1 と E2 という 2 つの機構があり、どちらが優先するかは基質・塩基・溶媒・温度によって決まります。
脱離反応は置換反応(SN)と常に競合するため、「どの試薬・条件が E を選択するか」を理解することが実践的な合成力の核心です。本記事では E1・E2・E1cb の機構から立体化学・生成物の位置選択性・SN vs E の判断まで体系的に解説します。
脱離反応の概要
一般式
H X
| |
—— C—C —— + Base → ——C=C—— + Base·H + X−
α β
α 炭素:脱離基(X)が結合している炭素
β 炭素:引き抜かれる水素(β-H)が結合している炭素
脱離基 X(ハライドやトシラートなど)が α 炭素から離れ、同時または逐次的に β 炭素の H が塩基に引き抜かれることで C=C 二重結合が形成されます。
| 機構 | 速度則 | 中間体 | 立体化学 | 条件 |
|---|---|---|---|---|
| E2 | v = k[RX][Base](2次) | なし(協奏) | anti 脱離必須 | 強塩基・2°/3° 基質 |
| E1 | v = k[RX](1次) | カルボカチオン | anti/syn 両方可(配座依存) | 弱塩基・3° 基質・極性プロトン性溶媒 |
| E1cb | v = k[カルバニオン][Base] | カルバニオン | anti 優先(一般的) | 強塩基・悪い脱離基・β-H が酸性 |
E2 反応機構
協奏的 anti 脱離
【E2 機構(1ステップ・協奏的)】
Base:
|
H X
| |
——— Cβ —— Cα ———
① Base が β-H を引き抜く
② 同時に Cβ—H が切れて電子が Cβ—Cα に流れる
③ Cα—X が切れて X− が脱離
→ 3つの結合変化が協奏的(concerted)に起きる
→ 速度則:v = k[RX][Base](2次)
【遷移状態のイメージ】
δ− δ−
Base···H—Cβ—Cα—X (直線状の流れ)
anti 脱離の立体要件(Periplanar 配置)
E2 では H と X が anti periplanar(二面角 ≈ 180°)の配座でなければ反応できません。これは遷移状態で H と X の両方が σ 軌道から p 軌道系(π 系)へ電子移動するときに軌道の重なりが最大になる配置だからです。
【anti periplanar(反平面)配置】
Newman 投影式:
H H
| |
R — Cβ ⇒ 脱離 ⇒ C=C + X− + Base·H
| / \
Cα — X
|
(他の置換基)
H と X が 180° 反対方向(スタッガード型の anti 配座)
→ 軌道の重なり最大 → 協奏的脱離が可能
【syn periplanar(同面)は原則不可】
H と X が 0°(eclipsed に近い配座)では軌道の重なりが悪い
→ E2 ではほぼ起きない(特殊な剛直系を除く)
シクロヘキサン系の立体化学
シクロヘキサンでは anti periplanar = ジアキシャル配座 【脱離が起きる条件】 X と H が両方ともアキシャル(diaxial)の配座を取れること アキシャル X —— C —— アキシャル H(隣の C) → H と X が anti periplanar → E2 脱離 OK エクアトリアル X + アキシャル H(または逆) → H と X が gauche(60°)or syn(0°)→ E2 不可 例:trans-1-クロロ-2-メチルシクロヘキサン Cl と H が diaxial 配座をとれる立体異性体のみ E2 で脱離できる
E2 生成物の E/Z 立体化学
例:meso-2,3-ジブロモブタン + KOH(E2)
meso 体では Br と H が anti periplanar になる配座を書き、
脱離すると:
H Br
| |
CH3—C———C—CH3 (meso 体の Newman式・anti配座)
| |
Br H
→ anti 脱離すると (E)-2-ブテンが主生成物
((±)-2,3-ジブロモブタンからは Z が主生成物になる—Newman 式で確認)
E1 反応機構
2段階機構(カルボカチオン中間体)
【E1 機構(2ステップ)】 Step 1(律速段階):脱離基の解離 → カルボカチオン形成 R—X →(遅い)→ R+ + X− Step 2:塩基(または溶媒)が β-H を引き抜く R+ + Base →(速い)→ アルケン + Base·H+ 速度則:v = k[RX](基質のみの 1 次反応;Base 濃度に無関係)
E1 は SN1 と同じカルボカチオン中間体を経るため、両反応は常に競合します。3° アルキルハライドを弱塩基性の極性プロトン性溶媒(H2O, EtOH など)に溶かすと、同一のカルボカチオン中間体から SN1(Nu が攻撃)と E1(B が H を引き抜く)の両生成物が混合して得られます。高温は E1 を促進します。
E1cb 反応機構
【E1cb 機構(2ステップ;カルバニオン中間体)】 Step 1(律速段階):強塩基が β-H を引き抜く → カルバニオン形成 Base + H—Cβ—Cα—X → Base·H + −Cβ—Cα—X Step 2:カルバニオンから X− が脱離 −Cβ—Cα—X → Cβ=Cα + X− 起きやすい条件: ① β-H が酸性(電子吸引基でカルバニオンが安定) ② 脱離基が悪い(F など) ③ 強塩基が存在
位置選択性——Zaitsev 則と Hofmann 則
Zaitsev 則(最多置換アルケン)
複数の β-H が存在する場合、どちらが引き抜かれるか?
Zaitsev 則:より多く置換された(内部)アルケンが主生成物
(熱力学的に安定なアルケンが優先)
例:2-ブロモブタン + KOH / EtOH(E2)
H H Br
| | |
CH3—CH—CH2—CH3 または CH3—CH—CH2—CH3
(β1 の H を引き抜く) (β2 の H を引き抜く)
β1 脱離(Zaitsev)→ CH3—CH=CH—CH3 (2-ブテン; 二置換アルケン)← 主
β2 脱離(Hofmann) → CH3—CH2—CH=CH2 (1-ブテン; 一置換アルケン)← 副
Hofmann 則(最少置換アルケン)
嵩高い塩基(t-BuO−, LDA 等)を使うと Hofmann 型(最少置換)が主生成物
理由:嵩高い塩基は立体障害のない β-H を選択的に引き抜く
→ アクセスしやすい末端(一級炭素側)の H を優先
例:2-ブロモブタン + KO-t-Bu
β2(末端)の H を優先引き抜き
→ CH3—CH2—CH=CH2 (1-ブテン; Hofmann 生成物)← 主
四級アンモニウム塩の Hofmann 脱離も同じ原理:
R4N+ + OH− → 最少置換アルケン + R3N + H2O
| 則 | 塩基 | 主生成物 | 原理 |
|---|---|---|---|
| Zaitsev 則 | 小さい強塩基(KOH, NaOEt) | 最多置換アルケン(安定なアルケン) | 熱力学的安定性が支配 |
| Hofmann 則 | 嵩高い強塩基(KOt-Bu, LDA) | 最少置換アルケン(速度論的) | 立体障害が支配(アクセスしやすい H を優先) |
SN vs E の競合——条件による使い分け
E を優先させる条件
| 因子 | E を促進 | SN を促進 |
|---|---|---|
| 塩基/求核剤の嵩高さ | 嵩高い(t-BuO−, DBU) | 小さい(OH−, I−) |
| 塩基の強さ | 強塩基(E2 を促進) | 弱求核剤(SN1)または強求核剤(SN2) |
| 基質の級数 | 3°(SN2 が遅い) | 1°(E2 が遅い;β-H が少ない) |
| 温度 | 高温(E の活性化エネルギーが SN より高い) | 低温 |
| 溶媒 | 極性非プロトン性(DMSO, DMF)で E2 促進 | 極性プロトン性(H2O, ROH)で SN1 促進 |
典型的な組み合わせ
【3° RX の挙動まとめ】 条件 A:3° RBr + KO-t-Bu / t-BuOH, 加熱 → E2(Hofmann 生成物;嵩高い塩基 + 高温) 条件 B:3° RBr + NaOH / H2O, 室温 → SN1 + E1 の混合(弱塩基 + 極性プロトン性;高温では E1 増加) 条件 C:3° RBr + NaI / アセトン → E2(強求核剤 I− → ただし嵩高い基質では E が競合) ※ 実際には SN2 も一部起きるが 3° では E が多い 【1° RX の挙動まとめ】 条件 A:1° RBr + NaOH / H2O → SN2 優先(1° は SN2 速い;E は β-H が少ない) 条件 B:1° RBr + KO-t-Bu(過剰) → E2(Hofmann)も増えるが依然 SN2 が競合
E2・E1・E1cb のエネルギープロファイル比較
【E2】1つの遷移状態(協奏的) E ↑ TS | /\ | / \ | / \ | / \ |/ \ 出発物 アルケン + HB + X− ─────────────────── 反応座標 【E1】2つの遷移状態(カルボカチオン中間体) E ↑ TS1 TS2 | /\ /\ | / \ / \ | / R+(中間体)\ 出発物 アルケン ─────────────────── 反応座標 【E1cb】2つの遷移状態(カルバニオン中間体) E ↑ TS1 TS2 | /\ /\ | / \ / \ | / −Cβ(中間体)\ 出発物 アルケン ─────────────────── 反応座標
院試・定期試験の頻出パターン
パターン① シクロヘキサン系の E2 立体化学
Q. trans-1-ブロモ-4-tert-ブチルシクロヘキサン と KOH(E2)の 反応で得られる主生成物を示せ。 A. trans 体では Br が axial(eq の t-Bu が ring を固定し Br が ax に固定)。 → Br がアキシャルのとき、隣の β-H もアキシャルのものを探す。 4-tert-ブチル基でリングが固定(t-Bu は eq を強く選ぶ)。 trans 体 → Br が ax(t-Bu が eq の安定な配座) Br と anti の β-H(diaxial)が存在する → E2 が起きる 生成物:4-tert-ブチルシクロヘキサ-1-エン(二重結合が環内に形成) (cis-1-ブロモ-4-tert-ブチルシクロヘキサン では Br が eq 固定 → diaxial H と X が取れない → E2 がほぼ起きない) 【ポイント】シクロヘキサンは Br + 隣の H がジアキシャルであることが必須
パターン② Zaitsev vs Hofmann 生成物を問う問題
Q. 2-ブロモ-2-メチルブタンを以下の条件で処理した。 それぞれの主生成物を示せ。 条件 A:KOH / EtOH, 加熱 条件 B:KO-t-Bu / t-BuOH, 加熱 A. 基質の構造:(CH3)2CBr—CH2CH3(3°) β-H が 2 種類:メチル側(β1)とエチル側(β2) 条件 A(KOH, 嵩高くない強塩基): → Zaitsev:2-メチル-2-ブテン(三置換; 最多置換)が主 (CH3)2C=CHCH3 条件 B(KO-t-Bu, 嵩高い): → Hofmann:2-メチル-1-ブテン(二置換; 末端 β2-H を優先)が主 (CH3)2C=CH2 ... いや、末端 CH2CH3 側の H が引き抜かれて 実際は CH2=C(CH3)CH2CH3 ... 【正確な回答】 2-ブロモ-2-メチルブタンの構造: CH3 | CH3—C—CH2CH3 | Br β1(CH3 側)を引き抜く → CH2=C(CH3)CH2CH3 (2-メチル-1-ブテン; 二置換; Hofmann型) β2(CH2CH3 の CH2 側)を引き抜く → (CH3)2C=CHCH3 (2-メチル-2-ブテン; 三置換; Zaitsev型) 条件 A(KOH)→ 主: 2-メチル-2-ブテン (Zaitsev) 条件 B(KO-t-Bu)→ 主: 2-メチル-1-ブテン (Hofmann)
パターン③ SN2 か E2 かを判断する問題
Q. 以下の反応の主生成物と機構を示せ。 (CH3)3C—Br + KO-t-Bu / t-BuOH, 80 °C → ? A. 基質:3° RBr → SN2 は立体障害で不可 試薬:KO-t-Bu(嵩高い強塩基)→ E2 を選択 溶媒:t-BuOH(極性プロトン性; ただし嵩高い塩基なので E が優先) 温度:80 °C(高温 → E が増加) → E2 が優先 主生成物:(CH3)2C=CH2 (2-メチルプロペン, イソブチレン) β-H は全て等価なため Zaitsev も Hofmann も同じ生成物
まとめ
よくある質問(FAQ)
Q. E2 では「syn 脱離」は絶対に起きませんか?
原則として E2 は anti 脱離ですが、剛直な環系(架橋環など)で anti periplanar の配座が取れない場合や、ヘテロ原子が関与する特殊な基質では syn 脱離(syn periplanar, 二面角 0°)が観測されることがあります。ただし試験レベルでは「E2 = anti 脱離」と覚えておけば十分です。syn 脱離は活性化エネルギーが高く、通常は起きないと考えます。
Q. DBU とはどんな塩基ですか?E2 でよく使われる理由は?
DBU(1,8-ジアザビシクロ[5.4.0]ウンデク-7-エン)は求核性が非常に低い嵩高い非求核性強塩基です。SN2 を起こさずに E2 のみを選択的に進行させたい場合に使います。同様の非求核性強塩基として DBN(1,5-ジアザビシクロ[4.3.0]ノン-5-エン)もよく使われます。「求核性なし・塩基性あり」という組み合わせが E 選択のポイントです。
Q. アリルハライドやベンジルハライドで E2 は起きますか?
起きます。アリルハライドに強塩基を加えると E2 で共役ジエンや置換アルケンが生じます。ベンジルハライドでも E2 でスチレン誘導体が得られます。ただしアリル・ベンジル位では SN2 も速いため、実際には E と SN の混合になることが多く、強塩基・高温・嵩高い塩基で E を増やします。
Q. E1 と SN1 の生成物が混合する場合、どうやって分離しますか?
通常は蒸留・再結晶・カラムクロマトグラフィーで分離します。ただし合成計画の段階で「主目的が SN1 なら温度を下げ、E1 を減らす」「E1 が目的なら高温」という条件コントロールをするのが現実的です。一般的に 3° 基質では E と SN の完全な分離は困難で、前掲の嵩高い塩基(E 優先)や弱求核剤(SN1 優先)で比率を制御します。
Q. Hofmann 脱離(四級アンモニウム塩)はなぜ最少置換アルケンを与えるのですか?
四級アンモニウム塩(R4N+)の脱離では、N+(R3N は良い脱離基)が付いた炭素(α-C)は電子不足ですが、β-H を引き抜く塩基(OH−)が嵩高い N に邪魔されず最も空いている末端の H を優先的に引き抜きます。これは電子的な理由ではなく立体的な理由(末端 C の H がアクセスしやすい)です。Hofmann 脱離と Zaitsev 脱離の違いは塩基の嵩高さに由来する立体制御の結果と理解してください。
