「アルデヒドとケトン:求核付加反応」完全解説|還元・Grignard・イミン/エナミン・アセタール・Wittig反応を徹底整理
- はじめに:バラの香りからビタミンA合成まで——カルボニル化学の本舞台
- 19.1 アルデヒドとケトンの命名
- 19.2 アルデヒドとケトンの合成
- 19.3 アルデヒドとケトンの酸化
- 19.4 求核付加反応の基本機構
- 19.5 水の求核付加:水和
- 19.6 HCNの求核付加:シアノヒドリン形成
- 19.7 ヒドリド・Grignard試薬の求核付加:アルコール合成
- 19.8 アミンの求核付加:イミン・エナミン形成
- 19.9 ヒドラジンの求核付加:Wolff-Kishner反応
- 19.10 アルコールの求核付加:アセタール形成
- 19.11 ホスホニウムイリドの求核付加:Wittig反応
- 19.12 生体内の還元——Cannizzaro反応とNADH
- 19.13 α,β-不飽和アルデヒド・ケトンへの共役付加
- 19.14 アルデヒド・ケトンのスペクトル解析
- コラム:Sharpless不斉エポキシ化——なぜ一方の鏡像異性体だけが欲しいのか
- まとめ——第19章の全体像
はじめに:バラの香りからビタミンA合成まで——カルボニル化学の本舞台
バラの優雅な香りの正体は、ケトンの一種であるβ-ダマセノンをはじめとする揮発性カルボニル化合物です。前章末で「カルボニル化学への4つの基本機構」を予告しましたが、第19章はその最初の主役、アルデヒドとケトンの求核付加反応を扱います。
ホルムアルデヒド(H2C=O)は接着剤・建材用に年間5000万トン以上、アセトン((CH3)2C=O)は工業溶媒として年間800万トンが生産される——アルデヒド・ケトンは工業的にも生物学的にも最も重要な官能基の一つです。ビタミンB6誘導体のピリドキサールリン酸(PLP)は数多くの代謝反応に関与する補酵素として働き、副腎から分泌されるステロイドホルモン・ヒドロコルチゾンもケトンです。
この章で学ぶ求核付加反応は、「カルボニル炭素に求核剤が攻撃し、四面体型アルコキシド中間体を経て、プロトン化でアルコールになるか、脱水してC=Nu二重結合になるか」という単純な枠組みの繰り返しです。この枠組みを軸に置くと、Grignard反応・還元・イミン形成・アセタール形成・Wittig反応といった一見バラバラな反応が、すべて同じパターンの変奏曲であることが見えてきます。
19.1 アルデヒドとケトンの命名
アルデヒドの命名
アルデヒドは対応するアルカン名の語尾 -e を -al に置き換えて命名します。–CHO基を含む鎖を親鎖とし、–CHOの炭素を1位とします。
CH3CHO エタナール(慣用名:アセトアルデヒド) CH3CH2CHO プロパナール(慣用名:プロピオンアルデヒド) 2-エチル-4-メチルペンタナール(最長鎖はヘキサンだが-CHOを含まないため親鎖にならない)
–CHO基が環に直接結合した環状アルデヒドは「環名 + カルバルデヒド」で命名します(シクロヘキサンカルバルデヒドなど)。
| 化学式 | 慣用名 | 系統名 |
|---|---|---|
| HCHO | ホルムアルデヒド | メタナール |
| CH3CHO | アセトアルデヒド | エタナール |
| H2C=CHCHO | アクロレイン | プロペナール |
| C6H5CHO | ベンズアルデヒド | ベンゼンカルバルデヒド |
ケトンの命名
ケトンは語尾 -e を-oneに置き換え、カルボニル炭素に近い端から番号を振ります。アセトン・アセトフェノン・ベンゾフェノンはIUPACが慣用名の使用を認めています。
置換基として–COR基を表す場合は「アシル基」と呼びます:–COCH3 = アセチル基、–CHO = ホルミル基、–COC6H5 = ベンゾイル基。他の官能基が優先される場合、カルボニル酸素はオキソ-接頭辞で表します(3-オキソヘキサナールなど)。
19.2 アルデヒドとケトンの合成
アルデヒドの合成
最も簡便な方法は1°アルコールの酸化です(17.7節既習)。室温・ジクロロメタン中でDess-Martinペルヨージナンを使うのが標準的です。
ゲラニオール --[DMP, CH2Cl2]--> ゲラニアール (84%)
もう一つの方法はエステルの部分還元です。DIBAH(ジイソブチルアルミニウムヒドリド)をトルエン中−78°C(ドライアイス温度)で用いると、エステルをアルデヒドの段階で止めることができます(21.6節で詳述)。
ドデカン酸メチル --[DIBAH, トルエン, -78°C → H3O+]--> ドデカナール (88%)
ケトンの合成
2°アルコールの酸化(Dess-Martinペルヨージナンまたは旧来のクロム酸試薬)に加え、以下の方法があります。
二置換側のアルケン炭素からケトンが得られる(8.8節既習)
芳香環 + 酸塩化物 + AlCl3触媒(16.3節既習)。ベンゼン + 塩化アセチル → アセトフェノン (95%)
リチウムジオルガノ銅試薬との反応(10.7節既習)。ヘキサノイルクロリド + (CH3)2CuLi → 2-ヘプタノン (81%)
19.3 アルデヒドとケトンの酸化
アルデヒドは容易に酸化されてカルボン酸を与えますが、ケトンは通常の酸化剤に対して不活性です。この違いは構造に由来します——アルデヒドには酸化で引き抜かれる–CHOの水素がありますが、ケトンの場合カルボニル炭素に水素がありません。
ヘキサナール --[KMnO4, H2O]--> ヘキサン酸 (85%)
アルデヒドの酸化は、カルボニル基への水の可逆的な求核付加で生じる1,1-ジオール(ヒドラート)中間体を経由します。平衡では少量しか存在しないヒドラートですが、通常の1°アルコールと同様に酸化されてカルボン酸になります。
ケトンは大半の酸化剤に不活性ですが、熱した塩基性KMnO4で処理するとカルボニル基隣のC–C結合がゆっくり切断されます(実用上はほとんど使われません)。
19.4 求核付加反応の基本機構
アルデヒド・ケトンの最も一般的な反応は求核付加反応です。求核剤はカルボニル酸素の反対側から約105°の角度(Bürgi-Dunitz角)で電子求引的なカルボニル炭素を攻撃します。同時にカルボニル炭素はsp2からsp3に再混成し、C=O結合の電子対が酸素側に移動して四面体型アルコキシドイオン中間体が生じます。酸でプロトン化するとアルコールが得られます。
求核剤には負電荷を帯びたもの(HO−、H−、R3C−、RO−、N≡C−)と、中性のもの(H2O、ROH、H3N、RNH2)の2種類があります。
2つの反応経路
四面体アルコキシド中間体が水・酸でプロトン化され、そのままアルコールになる(還元・Grignard反応・水和など)|||経路②:C=Nu生成
カルボニル酸素がプロトン化された後HO−またはH2Oとして脱離し、C=Nu二重結合を持つ生成物になる(イミン形成・Wittig反応など)
アルデヒドはなぜケトンより反応性が高いか
| 要因 | 説明 |
|---|---|
| 立体効果 | アルデヒドはカルボニル炭素に大きい置換基が1つだけ→求核剤が接近しやすく遷移状態が低エネルギー |
| 電子効果 | 1°カルボカチオンが2°より不安定・反応性が高いのと同じ理由で、アルデヒドの部分正電荷は1個のアルキル基でしか安定化されず、ケトンより求電子的 |
芳香族アルデヒド(ベンズアルデヒドなど)は、芳香環からの電子供与共鳴効果でカルボニル基の求電子性が下がるため、脂肪族アルデヒドより反応性が低くなります。
19.5 水の求核付加:水和
アルデヒド・ケトンは水と反応して1,1-ジオール(ジェミナルジオール、gem-ジオール)を可逆的に生成します。
アセトン (99.9%) + H2O ⇌ アセトンヒドラート (0.1%) ホルムアルデヒド (0.1%) + H2O ⇌ ホルムアルデヒドヒドラート (99.9%)
平衡の位置は立体効果でカルボニル体側に偏ることが多いですが、ホルムアルデヒドのような単純なアルデヒドではヒドラート側が優勢です。α-ケトカルボン酸(隣接する正電荷を帯びた炭素がケト型を不安定化する)もヒドラート側に偏り、ピルビン酸は60%、α-ケトグルタル酸は50%がヒドラート型です——これらは生体経路で頻繁に登場する化合物です。
塩基触媒と酸触媒——速さの理由が違う
負電荷のHO−がカルボニル炭素を攻撃しアルコキシドを生成、水でプロトン化されて生成物とOH−を再生。水よりOH−がはるかに良い求核剤であることが速さの理由
カルボニル酸素がH3O+でプロトン化され強い求電子剤に変化。中性のH2Oが攻撃し、水で脱プロトンされて生成物とH3O+を再生。カルボニル化合物が良い求電子剤に変わることが速さの理由
どちらも「弱い求核剤・求電子剤同士の反応を、触媒で強化する」という発想は同じ。これは後続のシアノヒドリン形成・アセタール形成にも共通する考え方
H–Y型の求核剤(Yは電気陰性で負電荷を安定化できる原子)の付加は基本的に可逆的で、平衡はカルボニル体側に偏ります。CH3OH・H2O・HCl・HBr・H2SO4を単純なアルデヒド・ケトンに加えても、通常は安定な付加物は得られません。
19.6 HCNの求核付加:シアノヒドリン形成
アルデヒドと立体障害の小さいケトンはHCNと反応してシアノヒドリン(RCH(OH)C≡N)を生成します。1900年代初頭のArthur Lapworthの研究により、この反応は可逆的かつ塩基触媒であることが示されました。少量の塩基でCN−を生成させると速やかに進行します。
ベンズアルデヒド + HCN --[触媒量の塩基]--> マンデロニトリル (88%)
シアノヒドリン形成は、平衡が付加物側に有利な数少いH–Y型付加の例です。これが有用な理由は後続変換のしやすさにあります——ニトリル(–C≡N)はLiAlH4で1°アミンに還元できますし、熱濃酸で加水分解すればカルボン酸が得られます(マンデロニトリル→マンデル酸 90%)。つまりシアノヒドリン形成は、アルデヒド・ケトンを別の官能基に変換する手段として使えます。
19.7 ヒドリド・Grignard試薬の求核付加:アルコール合成
ヒドリド還元
17.4節既習の通り、NaBH4はアルデヒドを1°アルコールに、ケトンを2°アルコールに還元します。LiAlH4・NaBH4はヒドリドイオン:H−の供与体として働き、生じたアルコキシドイオン中間体は酸でプロトン化されます。逆反応にはヒドリドという非常に悪い脱離基の放出が必要なため、この還元は事実上不可逆です。
Grignard反応の機構
Grignard反応はLewis酸であるMg2+がカルボニル酸素と酸塩基錯体を形成することから始まり、カルボニル基をより良い求電子剤に変えます。続いてR−の求核付加で四面体型マグネシウムアルコキシド中間体が生じ、別工程で水(または希酸)を加えて加水分解すると中性のアルコールが得られます。
アルデヒド + R'MgX --[エーテル → H3O+]--> 2°アルコール ケトン + R'MgX --[エーテル → H3O+]--> 3°アルコール
カルバニオンも脱離基として非常に悪いため、Grignard付加も還元と同様に事実上不可逆です。
19.8 アミンの求核付加:イミン・エナミン形成
1°アミン(RNH2)はアルデヒド・ケトンに付加してイミン(R2C=NR)を、2°アミン(R2NH)はエナミン(R2N–CR=CR2)を生成します。
イミン形成の機構
可逆的・酸触媒の過程で進行します。①1°アミンの求核付加で四面体中間体ができ、②窒素から酸素へのプロトン移動で中性のカルビノールアミン(アミノアルコール)が生じ、③酸触媒がヒドロキシ基をプロトン化して良い脱離基(–OH2+)に変え、④E1様の脱水でイミニウムイオンが生じ、⑤窒素からのプロトン脱離でイミンが完成します。
生体内ではイミンは「シッフ塩基」としてよく登場します。例えばアミノ酸アラニンは、ビタミンB6誘導体ピリドキサールリン酸(PLP)と反応してシッフ塩基を形成し、さらに代謝されます。
エナミン形成——プロトンを失う場所が違うだけ
2°アミンとの反応では、イミニウムイオンの段階まではイミン形成と同じですが、窒素上に脱離できるプロトンがないため、代わりに隣接するα炭素からプロトンが脱離してエナミンが生成します。
ヒドロキシルアミンや2,4-ジニトロフェニルヒドラジンとの反応で得られるオキシムや2,4-DNP誘導体は結晶性が高く、液体のアルデヒド・ケトンを精製・同定する目的で古くから利用されています。
19.9 ヒドラジンの求核付加:Wolff-Kishner反応
イミン形成の応用として、アルデヒド・ケトンをヒドラジン(H2N–NH2)とKOHで処理すると、カルボニル基がそのままアルカンに変換されます(R2C=O → R2CH2)。
プロピオフェノン --[H2NNH2, KOH]--> プロピルベンゼン (82%)
機構は①ヒドラゾン中間体(R2C=N–NH2)の生成、②塩基がN–Hプロトンを引き抜きヒドラゾンアニオンを生成(共鳴により負電荷が炭素側、二重結合が窒素間に移動)、③炭素上での再プロトン化、④残るN–Hの脱プロトンとN2放出によるカルバニオン生成(N2の熱力学的安定性が駆動力)、⑤プロトン化でアルカン完成、という5段階です。
Wolff-Kishner還元は、アシルベンゼンの接触水素化(16.10節既習)と同じ変換を達成しますが、アルキルケトンにもアリールケトンにも有効なため、より汎用性が高い手法です。
19.10 アルコールの求核付加:アセタール形成
アルデヒド・ケトンは酸触媒下で2当量のアルコールと可逆的に反応し、アセタール(R2C(OR’)2。ケトン由来は「ケタール」とも呼ぶ)を生成します。
シクロヘキサノン + 2 CH3OH --[HCl触媒]--> シクロヘキサノンジメチルアセタール + H2O
機構:ヘミアセタール経由の2段階付加
①プロトン化されたカルボニル基にアルコールが求核付加しヘミアセタール(ヒドロキシエーテル、水和反応のgem-ジオールに対応)が生じます。②ヘミアセタールのヒドロキシ基がプロトン化され、E1様の脱水でオキソニウムイオン(R2C=O+R)が生成し、③2当量目のアルコールが求核付加してプロトン化アセタールとなり、④脱プロトンで中性のアセタールが完成します。
全ての段階が可逆的なため、条件次第で正反応(カルボニル→アセタール)・逆反応(アセタール→カルボニル)のどちらにも進められます。生成する水を蒸留で除けば正反応に、過剰の希酸で処理すれば逆反応に進みます。
保護基としてのアセタール
アセタールは、アルコールに対するTMSエーテル(17.8節既習)と同じ発想で、アルデヒド・ケトンの保護基として使われます。塩基・ヒドリド還元剤・Grignard試薬・接触水素化には不活性ですが、酸では開裂します。
4-オキソペンタン酸エチル(エステル+ケトン共存) 1. エチレングリコールで環状アセタール保護 2. LiAlH4でエステルのみ還元 3. 希酸でアセタールを脱保護 → ケトン部分を保護したままエステルだけを選択的に還元できる
19.11 ホスホニウムイリドの求核付加:Wittig反応
アルデヒド・ケトンをアルケンに変換する反応がWittig反応です(ドイツの化学者Georg Wittigが1979年ノーベル化学賞を受賞)。トリフェニルホスホニウムイリド(R2C–PPh3、ホスホランとも呼ぶ)がカルボニル基に付加し、4員環中間体「オキサホスフェタン」を経て、自発的にアルケンとトリフェニルホスフィンオキシド(O=PPh3)に分解します。
アルデヒド/ケトン + イリド --[オキサホスフェタン経由]--> アルケン + Ph3P=O
イリドは、1°(一部2°)アルキルハライドとトリフェニルホスフィンのSN2反応でホスホニウム塩を作り、ブチルリチウム(BuLi)などの強塩基で脱プロトンして調製します。
Wittig反応の最大の利点:生成物の構造が予測可能
Grignard試薬付加+脱水でアルケンを作ると通常は位置異性体の混合物になりますが、Wittig反応ではC=C結合は必ず元のC=O位置にできるため、(E/Z異性体を除き)単一の構造のアルケンが得られます。
シクロヘキサノン --[CH3MgBr → POCl3]--> 1-メチルシクロヘキセン + メチレンシクロヘキサン(9:1混合物) シクロヘキサノン --[Ph3P=CH2, THF]--> メチレンシクロヘキサンのみ (84%)
Wittig反応は医薬品工業で広く使われ、BASF社のビタミンA合成は15炭素のイリドと5炭素のアルデヒドとのWittig反応を利用しています。
19.12 生体内の還元——Cannizzaro反応とNADH
求核付加反応はアルデヒド・ケトンに特徴的な反応で、カルボン酸誘導体では通常起こりません(四面体中間体が脱離基を持たないため)。例外が1853年発見のCannizzaro反応です。
ベンズアルデヒドを水酸化ナトリウム水溶液で加熱すると、一方の分子がOH−の求核付加でヒドリドを放出して酸化され(安息香酸)、もう一方がそのヒドリドを受け取って還元されます(ベンジルアルコール)。
Cannizzaro反応は実用上はほとんど使われませんが、生体内のカルボニル還元の機構的なモデルとして重要です。生体内ではNADH(還還型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)がヒドリドイオン供与体として働き、Cannizzaro反応の四面体アルコキシド中間体と同じようにヒドリドを脱離基として放出します。
19.13 α,β-不飽和アルデヒド・ケトンへの共役付加
これまでの反応はすべてカルボニル基への直接付加(1,2-付加)でした。α,β-不飽和アルデヒド・ケトンでは、C=C結合への共役付加(1,4-付加)も起こります。生成する共鳴安定化エノラートイオンは通常α炭素でプロトン化され、飽和カルボニル化合物になります。
なぜβ炭素が求核剤を受け入れるのか
カルボニル基の電気陰性な酸素がβ炭素から電子を引き出すため、通常のアルケン炭素より電子不足・求電子的になります。これがカルボニル基のない単純なアルケンには起こらない共役付加が、α,β-不飽和カルボニル化合物では起こる理由です。
アミンの共役付加——速度論支配と熱力学支配
1°・2°アミンはα,β-不飽和アルデヒド・ケトンに付加してβ-アミノカルボニル化合物を与えます。直接付加(不飽和イミン)と共役付加(β-アミノカルボニル)はどちらも速く起こりますが、両方が可逆的なため熱力学支配が働き、より安定な共役付加物が選択的に得られます。
水の共役付加——生体内のクエン酸回路
水はα,β-不飽和アルデヒド・ケトンに可逆的に付加してβ-ヒドロキシ化合物を生成しますが、平衡は不飽和体側に偏ります。α,β-不飽和カルボン酸への類似の付加は生体内で頻繁に起こり、クエン酸回路のcis-アコニチン酸→イソクエン酸の変換がその例です。
アルキル基の共役付加——ジオルガノ銅試薬(Gilman試薬)
α,β-不飽和ケトン(アルデヒドは不可)へのアルキル基の共役付加には、リチウムジオルガノ銅試薬(R2CuLi、Gilman試薬)を使います。ヨウ化銅(I)1当量と有機リチウム試薬2当量から調製します。
| 試薬 | α,β-不飽和ケトンへの反応様式 |
|---|---|
| Grignard試薬・有機リチウム | 直接付加(1,2-付加)が優勢 |
| ジオルガノ銅試薬(Gilman試薬) | 共役付加(1,4-付加)が選択的 |
2-シクロヘキセノン --[CH3MgBr → H3O+]--> 1-メチル-2-シクロヘキセン-1-オール (95%, 直接付加) 2-シクロヘキセノン --[Li(CH3)2Cu → H3O+]--> 3-メチルシクロヘキサノン (97%, 共役付加)
1°・2°・3°アルキル基に加え、アリール基・アルケニル基も共役付加できますが、アルキニル基の反応性は低いとされています。
19.14 アルデヒド・ケトンのスペクトル解析
IRスペクトル
アルデヒド・ケトンはIR領域1660–1770 cm−1に強いC=O吸収を示します。さらにアルデヒドは2700–2760・2800–2860 cm−1に特徴的な2本のC–H吸収を示し、ケトンとの区別に役立ちます。
| カルボニルの種類 | 例 | 吸収位置 (cm−1) |
|---|---|---|
| 飽和アルデヒド | CH3CHO | 1730 |
| 芳香族アルデヒド | PhCHO | 1705 |
| 飽和ケトン | CH3COCH3 | 1715 |
| シクロペンタノン | — | 1750 |
| シクロブタノン | — | 1785 |
| 芳香族ケトン | PhCOCH3 | 1690 |
| α,β-不飽和ケトン | H2C=CHCOCH3 | 1685 |
1H・13C NMRスペクトル
アルデヒドプロトン(RCHO)は1H NMRで約10 δという非常に特徴的な位置に現れ、他に吸収する官能基がないため一目で判別できます(隣接プロトンとのJ≈3 Hzのスピン結合あり)。カルボニル隣接の水素は2.0–2.3 δに現れ、メチルケトンは2.1 δ付近にシャープな3プロトン一重線を示すのが特徴です。
カルボニル炭素は13C NMRで190–215 δという他に類を見ない範囲に現れるため、この範囲の吸収はカルボニル基の明確な証拠になります(飽和カルボニル:200–215 δ、芳香族・α,β-不飽和カルボニル:190–200 δ)。
マススペクトル:McLafferty転位とα開裂
γ炭素の水素がカルボニル酸素に転位し、α–β結合が切れて中性のアルケンが脱離する。電荷は酸素側のフラグメントに残る
カルボニル基とα炭素の間の結合が切れ、中性ラジカルと共鳴安定化されたアシルカチオンを生成する
m/z = 58:McLafferty転位(2-メチルプロペン脱離)
m/z = 43:α開裂([CH3CO]+)
コラム:Sharpless不斉エポキシ化——なぜ一方の鏡像異性体だけが欲しいのか
アキラルな試薬同士の反応で生じるキラルな生成物は、通常2種の鏡像異性体が等量生成するラセミ体になります。例えばゲラニオールをm-クロロ過酸化ベンゾイルでエポキシ化すると、(2S,3S)体と(2R,3R)体が50:50で得られます。
しかし医薬品の多くは一方の鏡像異性体だけが望む生物活性を持ち、他方は不活性、あるいは有害な場合もあります。この問題を解決する不斉合成の重要性から、2001年のノーベル化学賞はWilliam S. Knowles、K. Barry Sharpless、野依良治の3氏に贈られました。
最も効率的な不斉合成法は、キラルな触媒で基質を非対称な環境に一時的に固定し、片方の面からの反応を優先させる手法です。その代表例がSharpless不斉エポキシ化で、アリルアルコール(ゲラニオールなど)をtert-ブチルヒドロペルオキシドで処理する際、チタンテトライソプロポキシドとキラル補助試薬の酒石酸ジエチル(DET)を組み合わせます。(R,R)-DETを使うとゲラニオールは98%の選択性で(2S,3S)エポキシドに変換され、(S,S)-DETを使うと(2R,3R)エポキシドが得られます(鏡像体過剰率96%)。
