絶対配置と相対配置の決め方|J値・NOE・旋光度・Mosher法【院試対策】

論文や実験レポートに「(R)-体が得られた」と書くとき、その根拠は何でしょうか。
この問いは院試の口述試験で実際に出ます。そして「核磁気共鳴(NMR)で確認しました」という答えは、原理的に誤りです。エナンチオマーのNMRスペクトルは完全に同一で、区別できないからです。
立体配置の決定には、決まった順序があります。相対配置はNMRで決まり、絶対配置はNMRでは決まらない——この線引きを最初に押さえると、どの測定をいつ出すかが自動的に決まります。
立体の問いは、2つに分かれている
平面構造(どの原子がどの原子とつながっているか)が決まったあとに残る問いは、実は2種類あります。
| 問い | 決める道具 | |
|---|---|---|
| 相対配置 | 2つの置換基は同じ側か、反対側か(cis/trans・syn/anti) | NMR で決まる(J・NOE) |
| 絶対配置 | その不斉中心は R か S か | NMR では決まらない(X線・Mosher法・既知物との相関) |
この2つを対応づけると、使う道具が自動的に決まります。相対配置はジアステレオマーの問題、絶対配置はエナンチオマーの問題です(分類の定義は四面体中心の立体化学、命名のしかたはR/S配置の決め方で扱っています)。
なぜNMRでエナンチオマーは区別できないのか
(R)-2-ブタノールと (S)-2-ブタノールの 1H NMR は、シグナルの数・化学シフト・カップリング定数・積分がすべて一致します。
理由は測定環境です。ふつうのNMRはアキラルな溶媒(CDCl3 など)で測ります。アキラルな環境では、エナンチオマーどうしは物理的に完全に等価です。等価なものは同じスペクトルを与えます。
一方、ジアステレオマーは物理的性質が違うので、NMRではっきり区別できます。ここから、立体化学の測定を貫く1つの戦略が出てきます。
相対配置① カップリング定数は二面角を映す
カップリング定数 J は「隣り合っている証拠」として使われますが、もう1つの顔があります。J の大きさは、2つのC−H結合のなす二面角で決まります。
この関係を表したのが Karplusの関係です。式を覚える必要はなく、3点で足ります。
| 二面角 | J(Hz) | 軌道の重なり |
|---|---|---|
| 180°(anti) | 最大(10–14) | よく重なる |
| 90° | ほぼ 0 | 直交して重ならない |
| 0°(重なり形) | 中くらい(6–9) | 中くらい |
アルケンの cis/trans
trans(H が反対側・二面角 180°) J = 12–18 Hz cis (H が同じ側・二面角 0°) J = 6–12 Hz 同一炭素上(geminal) J = 0–3 Hz
12 前後で範囲が重なるので、同じ分子の中で比較できるときは比較します。1,3-ジエンで2つの二重結合の J を比べれば、どちらが trans かは確実です。
シクロヘキサンのアキシアル判定(いちばん実用的)
いす形シクロヘキサンでは、隣接する水素の二面角が関係によって決まっています(いす形そのものはシクロヘキサンの立体化学を参照)。
ax−ax(両方アキシアル・約 180°) J = 10–13 Hz ← 大きい ax−eq (約 60°) J = 2–5 Hz eq−eq (約 60°) J = 2–5 Hz
大きい J(10 以上)が見えたら、そこは ax−ax です。水素が両方アキシアルということは、置換基は両方エカトリアル——すなわち trans-1,2-二置換体だと決まります。
相対配置② NOEは距離を映す
J は結合を介した情報なので、結合でつながっていない2つの原子の関係は分かりません。そこを埋めるのが核オーバーハウザー効果(NOE)です。2次元で測る場合は NOESY と呼びます(二次元NMRも参照)。
| 知りたいこと | NOE の見方 |
|---|---|
| 環の置換基が cis か trans か | cis なら、2つの置換基の水素どうしに相関が出る |
| 四置換アルケンの E/Z | 二重結合上に水素がなく J が使えない。同じ側にある基の水素どうしの相関で決める |
| どの配座が優勢か | その配座でだけ近づく2か所に相関が出る |
J と NOE は相補的です。J は結合を通して近い関係、NOE は空間的に近い関係——この2つがそろって、相対配置は決まります。
光学純度を測る——旋光度と鏡像体過剰率
旋光度は「測れるが、予測はできない」
キラルな化合物の溶液に直線偏光を通すと偏光面が回転します。これを規格化したものが比旋光度です(測定の意味は鏡像異性体と光学活性で扱っています)。
[α]DT = α観測 / ( l × c ) α:観測された回転角(°) l:光路長(dm) c:濃度(g/mL) D:ナトリウム D 線(589 nm) T:温度(°C)
ここが最も誤解されるところです。符号(+か−か)から R/S を予測することはできません。
(R) 体が必ず (+) になるという規則は存在しません。旋光度の符号は分子全体の電子分布で決まるので、同じ R 配置でも置換基が変われば符号が逆になります。溶媒・濃度・温度・波長でも変わり、波長を変えて符号が反転することさえあります。
鏡像体過剰率(ee)は「差」である
不斉合成をしたら、どれだけ片方に偏ったかを測ります。
ee = | R の割合 − S の割合 |(%)
98 − 2 = 96 → 96% ee ✔
96 − 4 = 92 → これは 92% eeee の測り方
| 方法 | やること | 注意 |
|---|---|---|
| キラルHPLC・GC | キラル固定相で2つを分離し、面積比を出す | 現在の標準。どちらのピークがどちらかは別に決める必要がある |
| キラルシフト試薬・キラル溶媒 | キラルな環境でジアステレオマー的に振る舞わせ、NMRで分ける | アキラルな溶媒では絶対に分かれない |
| 旋光度との比較 | 実測の [α] を文献の最大値で割る | 文献値の信頼性に依存する。微量の不純物で大きくずれる |
絶対配置① X線結晶構造解析
波長 0.15 nm 程度のX線は、C−C結合長(0.154 nm)と同程度です。だから結晶中の原子の位置を回折パターンから決められます。X線を使う理由は「ものさしの目盛りを原子の大きさに合わせる」ことで、可視光(数百 nm)では長すぎて分子が見えません。
手順は4段階——①結晶化、②回折データの収集、③電子密度マップの計算、④構造の決定。最難関は ①です。結晶が育たなければ何も始まりません。
絶対配置② Mosher法——誘導体化してNMRで読む
結晶が得られないときの定番です。油状の化合物でも使えます。
原理はこうです。得られた2つのエステルはジアステレオマーなのでNMRが違います。MTPAのフェニル基が、優先配座において不斉中心の片側の置換基だけを遮蔽するため、Δδ の符号が左右で系統的に分かれます。
この方法の思想は、この記事の冒頭で述べた戦略そのもの——エナンチオマーの問題をジアステレオマーに変換して、ふつうのNMRで見るです。アミンにも適用できます。
絶対配置③ 既知化合物との相関
立体を壊さない反応で既知の化合物へ変換し、旋光度やX線で決まっている構造と突き合わせます。
条件は1つだけです。保持か反転かが確実に分かっている反応しか使えません。たとえばアルコールのトシル化はC−O結合に触れないので立体配置が保持され、その後のSN2では1回だけ反転する——このように各段の立体の行方が確定している経路を選びます。
立体を決める5手順
実際の作業は安い順に進みます。J と NOE はふつうのNMRで測れるのでほぼ無条件に使えますが、X線は単結晶が要ります。
1 不斉中心の数と、ジアステレオマーの数を数える(2n が上限) 2 J を読んで相対配置と配座を決める(10 以上なら anti/ax−ax) 3 NOE で、J では届かない関係を埋める(四置換アルケン・環をまたぐ関係) 4 旋光度で光学活性の有無を確認し、キラルHPLCで ee を測る 5 絶対配置が必要なら、X線(重原子・異常分散)か Mosher法へ
大学院入試での問われ方
「エナンチオマーを 1H NMR で区別できない理由を述べよ」
→ アキラルな環境では2つが物理的に等価。キラルな環境が必要
「J = 11 Hz から、シクロヘキサン環の立体を述べよ」
→ ax−ax(二面角 180°)。置換基は両方エカトリアル=trans
「隣接する水素があるのに分裂が見えない。理由を述べよ」
→ 二面角が 90° 付近で J がほぼ 0
「四置換アルケンの E/Z をどう決めるか」
→ J が使えないので NOE
「キラルHPLCで面積比 98 : 2。ee はいくらか」
→ 96% ee(ee は差)
「(+) 体は R か S か」
→ 決められない。符号と配置に一般的な対応はない
「Mosher法の原理を述べよ」
→ キラルなMTPAの両エナンチオマーで誘導体化し、
ジアステレオマーの Δδ の符号から左右を決めるまとめ
よくある質問
通常の核磁気共鳴はアキラルな溶媒中で測定するため、鏡像異性体どうしが物理的に完全に等価になり、スペクトルが一致するからです。シグナルの数も化学シフトもカップリング定数も積分も同じになります。絶対配置を決めるには、キラルな環境を持ち込んで鏡像異性体をジアステレオマーの関係に変換するか、X線結晶構造解析で異常分散を測る必要があります。
二面角が分かります。2つの炭素-水素結合のなす角度が180度に近いとカップリング定数は10から14ヘルツと大きくなり、90度付近ではほぼ0になります。この関係をKarplusの関係と呼びます。シクロヘキサン環で10ヘルツ以上の値が見えれば両方の水素がアキシアルであり、したがって置換基は両方エカトリアルでトランスの関係にあると決まります。
結合を介さない空間的な近さを知りたい場面です。カップリング定数は結合を通した情報なので、二重結合上に水素がない四置換アルケンではE/Zを決められません。このときNOEで、同じ側にある置換基の水素どうしに相関が出るかを見ます。環をまたいだ置換基の関係や、優勢な配座の決定にも使われます。強度は距離の6乗に反比例します。
98対2です。鏡像体過剰率は2つの鏡像異性体の割合の差として定義されるため、98から2を引いた96が鏡像体過剰率になります。96対4だと差が92になるので92パーセントの鏡像体過剰率です。キラルHPLCのピーク面積比から計算する問題で最も多い誤りがここなので、割合ではなく差であることを必ず確認してください。
言えません。旋光度の符号と R/S 配置のあいだに一般的な対応関係は存在しません。符号は分子全体の電子分布で決まるため、同じ R 配置でも置換基が変われば逆の符号になることがあり、溶媒や濃度、温度、測定波長によっても変化します。旋光度の使い道は、光学活性があることの確認と、文献値との比較による推定の2つに限られます。
化学シフトの差の符号を読むために、比較対象が必要だからです。光学的に純粋なMosher酸のR体とS体でそれぞれエステル化すると、2つのジアステレオマーが得られます。対応するプロトンごとに化学シフトの差を計算し、その符号が不斉中心の左右どちらに偏っているかを見ることで絶対配置が決まります。1つだけ作っても、基準がないので符号を判定できません。









