アルケンの立体化学:cis/trans と E/Z配置
アルケンは、炭素‐炭素二重結合をもつため、アルカンとは異なる立体化学を示します。
単結合であれば結合のまわりを自由に回転できますが、二重結合ではその回転が強く制限されます。
そのため、同じ結合順序をもつ分子であっても、置換基の空間的な配置が異なる異性体が生じます。
このようなアルケンの立体化学は、有機化学の初学段階で必ず押さえておくべき重要事項です。
反応性や物理的性質にも関わるため、単なる命名の問題としてではなく、構造の本質として理解することが大切です。
ここでは、アルケンにおける cis/trans 異性と E/Z 配置の考え方を整理します。
なぜアルケンに立体異性が生じるのか
アルケンの二重結合は、σ結合一つと π 結合一つから成り立っています。
σ結合は炭素原子同士の正面衝突によって形成され、π結合は未混成 p 軌道どうしの側方重なりによって形成されます。
この π 結合は、二つの p 軌道が平行に重なっていることによって成立しています。
したがって、二重結合のまわりで炭素原子を回転させると、この重なりが壊れてしまいます。
その結果、二重結合は自由に回転できません。
この回転制限のため、二重結合の両側にある置換基の位置関係が固定されます。
これが、アルケンに立体異性が生じる根本的な理由です。
cis/trans 異性とは何か
アルケンの二重結合の両側に、それぞれ比較対象となる置換基がある場合、それらが同じ側にあるか反対側にあるかによって異性体が生じます。
この関係を表すのが cis/trans 異性です。
同じ種類の置換基が二重結合の同じ側にある場合を cis と呼びます。
反対側にある場合を trans と呼びます。
たとえば 2-butene では、二つのメチル基が同じ側にあるものが cis-2-butene、反対側にあるものが trans-2-butene です。
これらは互いに構造異性体ではなく、立体異性体の関係にあります。
cis/trans 表記の限界
cis/trans 表記は分かりやすい反面、すべてのアルケンに適用できるわけではありません。
この表記は、二重結合の両側に「比較できる同種の置換基」がある場合に有効です。
しかし、二重結合の両側に四種類の異なる置換基が存在する場合には、どれを基準に同じ側・反対側と判断するかが曖昧になります。
このような場合には、より一般的で厳密な表記法が必要になります。
それが E/Z 表記です。
E/Z配置とは何か
E/Z 表記は、Cahn–Ingold–Prelog の順位則、いわゆる CIP 順位則に基づいてアルケンの立体配置を表す方法です。
この方法では、二重結合の左右それぞれの炭素について、結合している二つの置換基の優先順位を決めます。
そのうえで、左右の炭素でそれぞれ優先順位の高い置換基どうしが同じ側にある場合を Z、反対側にある場合を E と表します。
Z はドイツ語の zusammen に由来し、「一緒に」という意味です。
E は entgegen に由来し、「反対に」という意味です。
CIP順位則の基本
E/Z 配置を決定するには、まず CIP 順位則に従って置換基の優先順位を決める必要があります。
基本原則は、二重結合炭素に直接結合している原子の原子番号を比較することです。
原子番号が大きい原子ほど優先順位が高くなります。
もし直接結合している原子が同じ場合には、その次に結合している原子どうしを比較します。
この比較を差が現れるまで順に続けていきます。
このルールによって、四種類の異なる置換基をもつアルケンでも、一意に立体配置を決定できます。
E/Z配置の決め方
まず、二重結合の左側の炭素で二つの置換基の優先順位を決めます。
次に、右側の炭素でも同様に優先順位を決めます。
その後、それぞれで優先順位が高い置換基どうしの位置関係を見ます。
それらが同じ側にあれば Z 配置、反対側にあれば E 配置です。
この方法は cis/trans よりも一般性が高く、複雑なアルケンにも適用できます。
有機化学では、立体配置を厳密に示したい場合には E/Z 表記を使うことが多くなります。
立体配置が性質に与える影響
アルケンの立体異性体は、同じ分子式と結合順序をもっていても、物理的性質や安定性が異なることがあります。
たとえば cis 体では置換基どうしが近づきやすいため、立体反発が大きくなる場合があります。
一方、trans 体や E 体では置換基どうしが離れるため、より安定になることが少なくありません。
また、分子全体の形や双極子モーメントも変化するため、沸点や融点などの物理的性質に差が生じることがあります。
したがって、立体配置は命名だけでなく、分子の性質そのものに関わる重要な情報です。
シクロアルケンとの関係
環状構造をもつアルケンでは、立体配置がさらに制約を受けます。
小さい環では trans 配置をとることが難しい、あるいは不可能な場合があります。
これは、環構造そのものが分子の立体配置を厳しく固定するためです。
このように、アルケンの立体化学は、二重結合だけでなく分子全体の骨格とも深く関わっています。
練習問題
解答:二重結合の π 結合が存在するため、炭素‐炭素二重結合のまわりで自由回転できず、置換基の位置関係が固定されるからです。
解答:二重結合の両側に比較できる同種の置換基があり、それらが同じ側にあるか反対側にあるかを表す場合に用います。
解答:左右の炭素で優先順位の高い置換基どうしが同じ側にある場合が Z、反対側にある場合が E です。
解答:CIP 順位則(Cahn–Ingold–Prelog 順位則)です。
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