反応機構の矢印ルール:出発点と到着点の作法
有機化学の機構(メカニズム)が書けない原因の多くは、知識不足というより「矢印の作法」が崩れていることです。
曲矢印(curved arrow)は“原子を動かす記号”ではなく、“電子対を動かす記号”です。
この記事では、矢印の出発点と到着点を迷わないためのルールを、テンプレとして固定します。
この記事でできること
- 曲矢印が「何を表すか」を説明できる
- 矢印の出発点(電子源)と到着点(電子不足)のルールを使える
- よく出る操作(攻撃・脱離・π結合移動・プロトン移動)を機械的に書ける
- やりがちなミス(矢印が原子から出る、電荷が破綻する)を潰せる
先に結論(ここだけ読めばOK)
- 矢印は「電子対」を動かす(原子は動かさない)
- 出発点=電子がある場所(孤立電子対/負電荷/π結合)
- 到着点=電子が欲しい場所(正電荷/δ+/空軌道/結合を作る原子)
- 矢印1本=電子対1組の移動(通常2電子)
- 各ステップ後に「形式電荷」と「原子の価数」チェック
前提:曲矢印は「電子対(2電子)」の移動
曲矢印の基本はこれだけです。
・曲矢印:電子対(通常2電子)の移動
・半矢(fishhook):1電子の移動(ラジカル機構で使用)
まずは曲矢印だけを確実にして、ラジカルは別枠として扱うのが安全です。
ルール1:矢印の出発点は「電子源」
出発点になれるもの(3つだけ覚える)
- 孤立電子対(:N、:O、:S など)
- 負電荷(O−、X−、CN− など)
- π結合(C=C、C=O、芳香環など)
重要:矢印は「原子」から出すのではなく「電子対」から出す
例えばアミンなら N 原子そのものではなく、「N 上の孤立電子対(:)」から矢印を出します。
これが崩れると、以降の電荷計算が全部破綻します。
ルール2:矢印の到着点は「電子不足」
到着点になれるもの(頻出)
- 正電荷(C+、N+ など)
- δ+(分極した結合の正側:特にカルボニル炭素)
- 脱離基のついた炭素(R–X の炭素など)
- プロトン(H+)(酸性条件では“求電子的H”)

ルール3:最初の一手は「求核源 → 求電子先」
機構で迷ったら、最初の矢印はほぼこれです。
・電子源(Nu:孤立電子対/負電荷/π結合)
・電子不足(E:正電荷/δ+/脱離基つき炭素/プロトン)
この対応が取れれば、矢印の方向で迷うことが激減します。
頻出操作テンプレ(これだけで機構が組める)
テンプレA:求核攻撃(結合を作る)
目的:Nu が E に攻撃して新しい σ結合を作る
矢印:Nu の電子対 → E の原子(多くは C)
例:CN− → カルボニル炭素、:NH3 → R–X の炭素
テンプレB:脱離(結合を切る)
目的:脱離基が電子対を持って去る(結合が切れる)
矢印:切れる結合(C–LG)の電子対 → LG
コツ:脱離は「LG が電子対を持って出ていく」絵になる
テンプレC:π結合の移動(共鳴・付加の基本)
目的:π電子を別の場所へ移す(電荷分散や付加の準備)
矢印:π結合の中心 → 新しい結合先、または原子(孤立電子対)
例:カルボニル付加では C=O の π電子が O に移動して O− になる
テンプレD:プロトン移動(酸塩基操作)
目的:H+ の受け渡しで中性化・活性化する
ルール:矢印は必ず「塩基(電子対)→ H」
同時に「H–A 結合の電子対 → A」も描く(A は共役塩基)
ここを省略すると、電荷収支が合わなくなる
チェック手順:1ステップごとに必ず確認する2項目
形式電荷(プラス/マイナス)が合っているか
矢印の後に、電子が動いた分だけ電荷が変わります。
例:N の孤立電子対で結合を作る → N は形式的に +1 になることが多い(第四級アンモニウムなど)
価数(結合数)が無理をしていないか
C が5本結合していないか、O が3本結合していないか、などを確認します。
機構の誤りは、ここでほぼ検出できます。
例題:矢印を1〜2本で書いてみる(文章でOK)
例1:R–Cl に :NH3 が攻撃(置換の入口)
1本目:N の孤立電子対 → R–Cl の炭素
2本目(同時でも可):C–Cl 結合の電子対 → Cl(Cl−として脱離)
これが書ければ「出発点=電子対」「到着点=電子不足」「脱離は結合電子がLGへ」の3点が揃います。
例2:カルボニルへの求核付加(C=O に Nu−)
1本目:Nu− の電子対 → カルボニル炭素
2本目:C=O の π電子 → O(O−になる)
「到着点は炭素、π電子は酸素へ逃げる」という定番形です。
例3:プロトン化(酸性条件での活性化)
1本目:塩基(:O など)の電子対 → H(酸のH)
2本目:H–A 結合の電子対 → A(共役塩基)
プロトン移動では「Hをもらう側」だけでなく「酸が共役塩基になる」矢印もセットです。
よくあるミスと対策
矢印が原子から出ている
対策:出発点は必ず「:」「−」「π」のどれかにする
迷ったら、分子の孤立電子対を「点」で書き足してから矢印を引く
脱離で矢印を「LG → C」に引いてしまう
対策:脱離は「結合電子がLGへ移動」
C–LG 結合の電子対 → LG が基本
プロトン移動で矢印が1本しかない
対策:塩基 → H、H–A 結合 → A を必ずセットで描く
これを守ると電荷が自然に合う
矢印を引いた後に電荷が合っていない
対策:1ステップごとに「形式電荷」と「価数」をチェック
ここをルーティン化すると、機構の正答率が一気に上がる
練習問題(演習)
次の各問で、(1)矢印の出発点 (2)矢印の到着点 を明確にして、最初の矢印を文章で答えてください。
可能なら「同時に必要な2本目の矢印」も書いてください。
解答:
出発点:OH− の O 上の孤立電子対(/負電荷)
到着点:CH3Br の炭素(C–Br が分極し C が電子不足、Br は脱離基)
最初の矢印:O の電子対 → CH3Br の炭素
2本目(同時):C–Br 結合の電子対 → Br(Br−として脱離)
解答:
1本目:CN−(主にC端)の電子対 → カルボニル炭素(δ+)
2本目:C=O の π電子 → O(O−になる)
解答:
1本目:アルコール O の孤立電子対 → 酸(HA)の H
2本目:H–A 結合の電子対 → A(共役塩基 A−)
次に読む記事(この作法を“判定問題”に落とす)
- 求核剤・求電子剤の見分け方:反応点の探し方(矢印の方向が決まる)
- pKaの考え方:暗記から比較へ(プロトン移動が整理できる)
- 共鳴構造の書き方:電子はどこまで動かせる?(π電子の移動が理解できる)
- SN1/SN2の入口:基質・溶媒・求核剤で一発判定(矢印テンプレの実戦)
