SN1・SN2 反応完全解説【機構の違い・立体化学・反応性の決定因子・院試対策】
はじめに——有機化学の土台、求核置換反応
有機化学で最初に学ぶ反応機構のひとつが求核置換反応(Nucleophilic Substitution)です。アルキルハライド(RX)の X(脱離基)を別の原子・原子団(求核剤 Nu)に置き換えるこの反応は、SN1 と SN2 という 2 つのまったく異なる機構で進行します。「どちらの機構で進むか」は基質・求核剤・溶媒・温度によって決まり、この判断ができることが有機化学の第一関門です。
本記事では、SN1 と SN2 の機構・立体化学・反応性の決定因子を系統的に解説し、「与えられた条件でどちらが優先するか」を迷わず答えられる力を身につけます。
求核置換反応の概要
一般式
Nu:− + R—X → Nu—R + X− Nu:求核剤(nucleophile)— 電子対を供与する種 R:アルキル基(炭素骨格) X:脱離基(leaving group)— 電子対を持ち去る種
求核剤 Nu が炭素に電子対を供与しながら結合を形成し、脱離基 X が電子対をもって離れる反応です。この反応には2つの機構があります。
| 機構 | 意味 | 速度則 | 中間体 | 立体化学 |
|---|---|---|---|---|
| SN2 | Substitution Nucleophilic Bimolecular | v = k[RX][Nu](2次) | なし(協奏的) | 完全反転(Walden 反転) |
| SN1 | Substitution Nucleophilic Unimolecular | v = k[RX](1次) | カルボカチオン(中間体) | ラセミ化(主)+ 部分反転 |
SN2 反応機構
協奏的背面攻撃(Backside Attack)
【SN2 機構(協奏的・1 ステップ)】
Nu:− ← C — X
|
(Nu が C に背面(X の反対側)から攻撃し、X が脱離する)
遷移状態(TS):
δ− δ−
Nu ┉┉┉ C ┉┉┉ X (Nu—C—X が 直線状; 5配位の TS)
/ | \
R1 R2 R3
→ 中間体なし;Nu が入る速度と X が出る速度が連動(協奏)
Walden 反転(立体反転)
R1 R1
| |
Nu: + C—X → [TS] → Nu—C + X−
/ \ / \
R2 R3 R3 R2
(カサが傘返しのように反転する)
(S)-配置 + Nu: → (R)-配置(絶対配置は変わることも変わらないこともある—
優先順位の変化による)
SN2 では Nu が X の真後ろから侵入するため、中心炭素のすべての基が傘返しのように反転します。これをWalden 反転と呼びます。光学活性な基質(R または S 配置)を SN2 で反応させると、必ず立体反転した生成物が得られます(ただし CIP 優先順位の変化によって R/S 表記が逆になるかどうかは場合によります)。
SN2 の反応性
SN2 では Nu が C に直接攻撃するため、中心炭素の立体障害が速度に直結します。
SN2 反応性(基質の順): CH3X(メチル) > 1°RX > 2°RX >> 3°RX(ほぼ不可) (3°では中心炭素への背面攻撃が立体的に完全にブロックされる) ネオペンチル(立体障害の強い 1°):CH3C(CH3)2CH2—X → 1° だが β炭素に大きな置換基 → SN2 が著しく遅い(特殊例)
SN1 反応機構
2段階機構:カルボカチオン中間体
【SN1 機構(2 ステップ)】 Step 1(律速段階):脱離基の解離 → カルボカチオン形成 R—X →(遅い)→ R+ + X− Step 2:求核剤がカルボカチオンを攻撃 R+ + Nu:− →(速い)→ R—Nu カルボカチオン(R+)は平面(sp2)→ Nu が両面から攻撃できる
立体化学:ラセミ化(± 部分反転)
カルボカチオン(sp2, 平面)への Nu 攻撃: 上面から Nu: → (R)-生成物 (または立体) 下面から Nu: → (S)-生成物 → 理想的な SN1 ではラセミ体(1:1)が生成 実際には「イオン対」がわずかに X 側をブロックするため わずかに反転体が多い(完全なラセミ化よりやや偏る)
カルボカチオンの安定性
カルボカチオンの安定性: 3° > 2° > 1° > CH3+ 安定化要因: ①超共役(hyperconjugation):隣接 C—H の σ 軌道が空の p 軌道に電子を供与 ②アリル位・ベンジル位:π 系との共鳴で電荷が非局在化(さらに安定) ③環状化合物の転位(カルボカチオン転位)にも注意 不安定なカルボカチオン → SN1 が起きにくい(1°、メチルではほぼ不可)
SN1 と転位反応
カルボカチオン中間体は転位を起こすことがある:
2° カルボカチオン → 1,2-ヒドリドシフト(または 1,2-アルキルシフト)
→ より安定な 3° カルボカチオンへ
例:
(CH3)2CHCH2+ →(1,2-Hシフト)→ (CH3)2C+CH3
→ 転位体が生成物になることがある(院試頻出の落とし穴)
反応性の決定因子
① 基質の級数(最重要)
| 基質 | SN2 | SN1 | コメント |
|---|---|---|---|
| メチル(CH3X) | 速い(最良) | 不可(CH3+ は不安定) | SN2 のみ |
| 一級(1° RX) | 速い | 非常に遅い | 主に SN2 |
| 二級(2° RX) | 遅い | 遅い | 条件依存(求核剤・溶媒が鍵) |
| 三級(3° RX) | ほぼ不可(立体障害) | 速い | 主に SN1(または E1) |
| アリル/ベンジル | 速い(共鳴安定化TS) | 速い(共鳴安定化カチオン) | 両方とも速い;条件で選択 |
② 脱離基の脱離能
脱離能(leaving group ability)の順序:
I− > Br− > Cl− >> F−
OTs−(トシラート) ≈ OMs−(メシラート) > I−
脱離能 = 共役塩基(X−)の安定性
= 弱酸の共役塩基ほど安定 = 弱酸に対応するほど脱離しやすい
(pKa 低い酸の陰イオン → 安定 → 良い脱離基)
不良な脱離基:F−(HF pKa 3.2, 強塩基性で脱離しにくい)
OH−, OR−(脱離前にプロトン化が必要)
③ 求核剤の強さ
【強い求核剤(SN2 を促進)】 I− > CN− > RS− > Br− > N3− > OH− > Cl− > F− > ROH > H2O 求核性に影響する因子: ① 電荷:陰イオンの方が中性より強い(OH− > H2O, RO− > ROH) ② 同族元素では下ほど強い(I− > Br− > Cl−;S より O が弱い) — 分極率(polarizability)が大きいほど C へ近づきやすい ③ 立体障害が少ない方が強い(1° アミン > 2° アミン > 3° アミン) 【塩基性と求核性の違い】 塩基性:H+ への親和性(熱力学) 求核性:炭素への攻撃速度(速度論) → 嵩高い強塩基(t-BuO−)は塩基性は高いが求核性は低い(E2 優先)
④ 溶媒の効果
| 溶媒の種類 | 例 | SN1 への効果 | SN2 への効果 |
|---|---|---|---|
| 極性プロトン性 (polar protic) |
H2O, MeOH, EtOH, HCOOH | 促進(イオン対を溶媒和) | 抑制(Nu− を H 結合でトラップ) |
| 極性非プロトン性 (polar aprotic) |
DMSO, DMF, アセトン, CH3CN | やや促進 | 促進(Nu− を「裸」に保つ) |
SN1 vs SN2 の総合判断フロー
【SN1 vs SN2 の判断チャート】 1. 基質の級数を確認 ├─ 3° RX → SN1(SN2 は立体障害で不可) ├─ 1°(非嵩高)RX + 強求核剤 → SN2 ├─ 1°(ネオペンチル等)RX → どちらも遅い └─ 2° RX → 次のステップへ 2. 求核剤の強さを確認(2° の場合) ├─ 強求核剤(I−, CN−, RS−, N3− 等)→ SN2 優先 └─ 弱求核剤・溶媒自体が求核剤 → SN1 優先 3. 溶媒を確認 ├─ 極性プロトン性(H2O, ROH)→ SN1 優先 └─ 極性非プロトン性(DMSO, DMF, アセトン)→ SN2 優先 4. 温度・濃度 高温 → 脱離(E1/E2)の比率が増す(特に 3°)
アリル/ベンジル位の特殊性
アリル/ベンジルハライドは SN1・SN2 ともに高反応性: SN2:共鳴安定化された遷移状態(π 軌道が Nu 攻撃を安定化) SN1:アリル/ベンジルカチオンが共鳴で安定 アリル SN2 では「アリル転位(SN2')」が起きることがある: Nu: が γ 位を攻撃し α 位から X が脱離 → 二重結合位置が変わる
SN1・SN2 のエネルギープロファイル比較

【SN2 のエネルギープロファイル(1 TS のみ)】 E ↑ TS(5配位) | /\ | / \ | / \ | / \ |/ \ 反応物 生成物 ───────────────── 反応座標 【SN1 のエネルギープロファイル(2 TS + カルボカチオン中間体)】 E ↑ TS1 TS2 | /\ /\ | / \ / \ | / R+(中間体)\ | / \ / \ |/ \ / \ 反応物 生成物 ───────────────── 反応座標
SN2 は遷移状態が 1 つの滑らかな山型、SN1 はカルボカチオン中間体を挟む 2 つの山型(TS1 が律速段階)です。カルボカチオンが安定なほど TS1 の活性化エネルギーが低くなります。
隣接基関与(Neighboring Group Participation)
分子内の官能基(OH, NHR, SR, COOR 等)が脱離基の反対面から
環状遷移状態(エピソニウム塩)を形成して反応速度を増大させる現象
例:β-ハロアルコールの反応
OH O OH
| | |
Br—CH2—CH2 → [エポキシド中間体] → 2回の反転 = 保持
見かけ上「立体保持」になるが、実際は「2回の反転」の結果
→ 異常に速い SN1 的反応速度だが立体は保持 → 「隣接基関与の証拠」
院試・定期試験の頻出パターン
パターン① SN1 か SN2 かを答える問題
Q. 以下の反応は SN1 と SN2 のどちらで進みやすいか。 (CH3)3C—Br + H2O → ? A. SN1 理由: ① 基質が 3°((CH3)3C—Br)→ SN2 は立体障害で不可 ② 求核剤は H2O(弱求核剤) ③ 溶媒が H2O(極性プロトン性)→ SN1 カルボカチオンを安定化 ④ (CH3)3C+ は 3° カルボカチオン → 安定 生成物:(CH3)3C—OH(2-メチル-2-プロパノール) 立体:ラセミ体だが 3° には不斉炭素なし → 関係なし
パターン② 立体化学を問う問題(SN2)
Q. (R)-2-ブロモブタン と NaCN(DMSO 中)の反応の生成物の構造と立体を示せ。
A.
NaCN は強求核剤(CN−)、DMSO は極性非プロトン性溶媒
→ SN2 が優先 → 立体反転(Walden 反転)
(R)-CH3CHBrCH2CH3 + CN− → (S)-CH3CH(CN)CH2CH3
【検証】(R)-2-ブロモブタンの優先順位:Br > CH2CH3 > CH3 > H
生成物 (S)-2-メチルブタンニトリルの優先順位:CN > CH2CH3 > CH3 > H
Br→CN で基の順位が変わるので配置表記が変わることに注意
パターン③ 転位を伴う SN1 問題
Q. (CH3)2CHCH2Br(1-ブロモ-2-メチルプロパン)を H2O/EtOH で 加溶媒分解したときの主生成物を示せ。 A. Step 1:Br が脱離して一次カルボカチオンが生じる (CH3)2CHCH2+(1°, 不安定) Step 2:1,2-H シフト → 三次カルボカチオンに転位 (CH3)2CHCH2+ → (CH3)2C+CH3(3°, 安定) Step 3:H2O が攻撃 → H+ 脱離 (CH3)2C+CH3 + H2O → (CH3)2C(OH)CH3 主生成物:2-メチル-2-プロパノール(転位体) (直接生成物の 2-メチル-1-プロパノールは少量) 【ポイント】1° カルボカチオンが生じる場合は転位を必ず疑う
まとめ
よくある質問(FAQ)
Q. 「速度則が 1 次 = SN1」は絶対ですか?
SN1 の速度則は v = k[RX] で求核剤濃度に依存しませんが、これは「律速段階が求核剤を含まない脱離基の解離だから」です。ただし実際には求核剤が溶媒として大量に存在する(例:H2O, MeOH)場合には形式的に 1 次に見えることがあります。速度則だけで機構を断定せず、立体化学・カルボカチオンの安定性・溶媒効果を組み合わせて判断します。
Q. ベンジル位は SN1 と SN2 のどちらですか?
ベンジル位は両方とも速いため条件依存です。一般に 1° ベンジル(PhCH2X)では SN2 が優先しますが、2° ベンジル(PhCHRX)では SN1 も競合します。ベンジルカルボカチオン(PhCH2+)は π 共鳴で安定化され、SN1 の活性化エネルギーが低下します。また SN2 の遷移状態も芳香環の π 系が安定化するため両者が速くなります。
Q. OTs(トシラート)は脱離基として OH より良いのですか?
OH− は pKa ≈ 15.7 の強塩基的な脱離基であり、脱離しにくい不良脱離基です(OH− がそのまま出ていくことは通常ありません)。これをトシル化(SOCl2 や TsCl/ピリジンで反応)すると OTs−(pKa ≈ −1, 強酸の共役塩基)になり、優れた脱離基として機能します。立体化学を保持しながら脱離基を活性化したい場合は OTs/OMs 化が有用です。
Q. SN2 では必ず「立体反転」なのに、CIP 表記で R→R になる場合はありますか?
あります。SN2 では中心炭素の立体(傘の向き)は必ず反転しますが、CIP 優先順位が Nu と X の交換によって変わる場合、R→R や S→S になる(表記上保持)ことがあります。たとえば (R)-2-ブロモブタン に OD− を SN2 で反応させると、Br から OD に変わることで優先順位が変わり (R)-2-ブタノールが得られる場合があります。「SN2 = 立体反転」は物理的な傘返しの話であって、R/S 表記の話ではありません。
Q. 3° アルコールを塩素化するとき、SOCl₂(ピリジン)は使えますか?
3° アルコールに SOCl2/ピリジンを使うと SN2 機構での置換は立体障害のため難しく、クロロスルフィネートエステル形成後に SN1 的(またはカルボカチオン中間体経由)でハロゲン化が進むことがあります。一方で脱離(E 反応)が競合しやすく収率が低下します。3° RCl が必要な場合は HCl(g)を溶媒なし、または ZnCl2(Lucas 試薬)を使う方法も検討します。院試では「3° に SOCl2/ピリジンを使うと E2 が競合する」ことを覚えておきましょう。
