アンリ・カガン完全解説|DIOPと非線形効果で不斉合成を変えた化学者

2001年、ノーベル化学賞は不斉触媒に贈られた。受賞者は3人——ノウルズ、野依良治、シャープレス。フランスの化学界はこの発表に沸騰した。科学大臣がノーベル財団とスウェーデン王立科学アカデミーに抗議の書簡を送るほどだった。
名前が無かったのはアンリ・B・カガン。ノーベル賞は1部門あたり最大3人という規定があり、4人目は存在できない。一方、同じ2001年のウルフ賞化学部門は「不斉触媒の開発における先駆的・創造的かつ決定的な業績」に対して、野依・シャープレスとカガンの3人に贈られている。ウルフ賞には入り、ノーベル賞の枠からは外れた。
25年後の2026年、賞のほうが追いついた。アンリ・B・カガン(Henri B. Kagan, 1930–)は硤合憲三とともにノーベル化学賞に決まった。受賞理由は「不斉有機合成における非線形効果と自己触媒の発見」。95歳での受賞である。この記事では、DIOPから非線形効果まで、半世紀にわたるカガンの仕事を人物の側からたどる。
生涯と略歴——偽名で戦争を生き延びた少年
アンリ・ボリス・カガンは1930年12月15日、パリ近郊のブローニュ=ビヤンクールに生まれた。ユダヤ系の一家で、第二次世界大戦中は南フランスの村に偽名で身を隠して迫害を逃れている。化学者としての歩みは、この時代を生き延びたところから始まっている。
戦後、ソルボンヌ(パリ大学)で物理化学を修め、1954年にパリ国立高等化学学校(ENSCP、現 Chimie ParisTech)を卒業。1960年、コレージュ・ド・フランスでジャン・ジャックのもとステロイド化学と立体化学の研究により博士号を取得した。1960年代は同じくコレージュ・ド・フランスで、フランス立体化学の重鎮アラン・オローの研究員を務める。
1968年、オルセーのパリ第11大学(パリ=シュド大学、現在のパリ=サクレー大学)に自分の研究室を構え、1973年に正教授。1999年に名誉教授となった。フランス科学アカデミーには1978年に通信会員、1991年に正会員として選ばれている。
この50年あまりのあいだに、カガンは不斉触媒・ランタノイド試薬・不斉酸化・光化学という異なる領域で、それぞれ「教科書に載る仕事」を残した。1つの反応を掘り続けた硤合とは対照的に、カガンは領域を横に広げていったタイプの研究者である。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1930 | ブローニュ=ビヤンクール(パリ近郊)に生まれる(12月15日) |
| 1940年代 | 第二次世界大戦中、一家は南フランスの村に偽名で潜伏 |
| 1954 | ソルボンヌで学んだのち、パリ国立高等化学学校(ENSCP)を卒業 |
| 1960 | コレージュ・ド・フランスで博士号(指導=ジャン・ジャック。ステロイド化学・立体化学) |
| 1960年代 | アラン・オローのもとで研究員。立体化学の方法論を学ぶ |
| 1968 | オルセーのパリ第11大学に研究室を構える(1973年 正教授) |
| 1971 | DIOPを報告(T·P·ダンと共同)。同年、円偏光でヘキサヘリセンの不斉合成 |
| 1977 | ヨウ化サマリウム(II) SmI2(カガン試薬)を有機合成に導入 |
| 1984 | スルフィドの不斉酸化(カガン酸化)を報告 |
| 1986 | 非線形効果を発見・定式化(J. Am. Chem. Soc. 108, 2353) |
| 1991 | フランス科学アカデミー正会員(1978年に通信会員) |
| 2001 | ウルフ賞化学部門を野依良治・シャープレスと共同受賞 |
| 2026 | ノーベル化学賞の受賞が決まる(硤合憲三と共同)。95歳 |
1971年 DIOP——「配位子を設計する」時代の幕開け
1960年代末、ロジウム触媒による不斉水素化はすでに存在していた。ただし使われていたのはリンに不斉中心を持つ単座ホスフィンで、得られるeeは低かった。ノウルズはこの路線を進め、P-キラルな単座ホスフィンを二座に束ねたDIPAMPでL-DOPAの工業合成に到達する。
カガンがT·P·ダンと1971年に報告したDIOPは、発想がまるで違った。
C2対称であることには実務的な意味がある。配位子が非対称だと、基質が金属に近づく向きの数だけ遷移状態の種類が増えてしまう。C2対称なら2つの向きが等価になり、考えるべき遷移状態が半分に減る。選択性を設計で制御できる見込みが立つ、ということである。
DIOPそのもののeeは、のちのBINAPほど高くはない(最大でee 70〜80%程度)。しかし二座でC2対称という枠組みは、ノウルズのDIPAMPを含むその後の配位子に共通の設計になった。さらに「骨格のキラリティーを設計して金属に着せる」というDIOP固有の方針は、野依良治の軸不斉配位子BINAPへとつながっている。
円偏光でヘリセンをつくる——1971年のもう1つの仕事
同じ1971年、カガンはまったく違う方向の実験も報告している。円偏光(CPL)を光源にした光環化で、らせん形の芳香族分子ヘキサヘリセンに光学活性を持たせた(J. Am. Chem. Soc. 93, 2353)。
右円偏光と左円偏光は、それ自体がキラルな「光」である。キラルな試薬を一切加えずに、光のキラリティーだけで生成物を偏らせる——いわゆる絶対不斉合成の先駆的な実験だった。ただし得られたeeはごくわずかで、実用の水準ではない。
この「極微小な偏り」をどう育てるかという問いに、別の角度から答えを出したのが硤合の不斉自己触媒である。硤合も円偏光を不斉源に使った実験を行っており、2026年の2人の受賞者は、30年以上の時を隔てて同じ問いの両端に立っていたことになる。
DIOPの陰に隠れがちな2つの仕事
カガン試薬(SmI2)——1977年、カガンらはヨウ化サマリウム(II)を有機合成に持ち込んだ。THF中で濃い青緑色の溶液になるこの試薬は、おだやかな条件で働く1電子還元剤である。酸化されてSm(III)になると黄色に変わるため、色の変化で反応の進行を追える。カルボニル化合物に電子を1個渡してケチルラジカルを発生させ、ピナコールカップリングやバルビエ型反応、分子内環化に使える。全合成の現場では今も定番の試薬で、英語圏では文字どおり「Kagan’s reagent」と呼ばれる。
カガン酸化——1984年には、スルフィドを酸化して片方の鏡像のスルホキシドに大きく偏らせる方法を報告した(嵩の差が大きい基質でee 90%超)。シャープレスの不斉エポキシ化で使われるチタン+酒石酸ジエチル(DET)の系に水を加えて組み替えたもので、硫黄原子上のキラリティーを作り分ける。当初はキラルなチタン錯体を1当量使う化学量論反応として報告され、のちに触媒量で回す条件へ発展した。スルホキシド型の医薬品の工業スケールの合成に実際に使われている。
1986年 非線形効果——「当たり前」が崩れた日
不斉触媒には長いあいだ、暗黙の前提があった。触媒のeeが50%なら、生成物のeeもおよそ50%になるという比例関係である。キラリティーは触媒から生成物へ「写し取られる」だけなのだから、当然そうなるはずだ——と考えられていた。
カガンはこの前提を疑った。金属には配位子が2分子結合することがある。R体とS体が混ざった配位子を使えば、できる触媒はR–R・R–S・S–S の3種類になるはずだ。もしヘテロキラルなR–S触媒がほとんど働かないなら、反応を回しているのはR–RとS–Sだけで、その比は配位子のeeよりも偏る。
1986年、カガンのグループは3つの不斉反応でこれを実証した(J. Am. Chem. Soc. 108, 2353–2357)。触媒のeeより生成物のeeが高くなる現象——正の非線形効果(+NLE)である。金属1つに配位子2つが付く場合を数式モデル(ML2モデル)として整理したのは、1994年のカガンらの論文である。
2001年の空席と、2026年の電話
2001年のノーベル化学賞がノウルズ・野依・シャープレスに決まったとき、フランスの化学界からは強い異議が上がった。DIOPという出発点を置いた人物が外れていたからである。ノーベル賞は1部門あたり最大3人という規定があり、4人目は存在できない。フランスの科学大臣がノーベル財団と王立科学アカデミーに抗議文を送る事態になった。
ただし、この抗議に乗ったのは周囲であって、カガン本人は動きに加わらず、当時の取材にもコメントを控えている。それでもカガンは研究を続けた。2002年にはフランス・レジオンドヌール勲章シュヴァリエ、2005年にベンジャミン・フランクリン・メダル、2013年にラヴォアジエ・メダル。日本からも1998年の名古屋メダル、2002年の野依賞を受けている。
そして2026年、95歳での受賞が決まった。これは化学賞史上2番目に高齢での受賞にあたる(最年長は2019年のジョン・グッドイナフ、97歳)。受賞理由に選ばれたのはDIOPではなく、1986年の非線形効果だった。
現代への影響
1. 配位子が「設計するもの」になった
DIOPが示したのは、天然のキラル源から骨格を借り、C2対称の二座配位子に組み上げるという手順である。BINAP・DuPhos・BOXなど、現在の不斉配位子のライブラリはこの延長線上にある。
2. eeの数字の読み方が変わった
非線形効果が知られる前は、生成物のeeのズレは実験誤差として処理されがちだった。いまは触媒の会合状態を知る手がかりとして、ee対eeのプロットが機構研究の標準的な道具になっている。
3. 「キラリティーはどこから来るのか」という問いに橋が架かった
円偏光によるヘリセン合成(1971年)と非線形効果(1986年)は、それぞれキラリティーの発生とキラリティーの増幅に対応する。硤合の不斉自己触媒がこの2つをつないだことで、2026年の受賞理由は1つの文章になった。
まとめ
よくある質問
フランスの有機化学者で、不斉触媒の分野を切り開いた一人です。1971年に酒石酸由来のC2対称二座ホスフィンDIOPを報告して配位子設計という考え方を広め、1977年には1電子還元剤のSmI2(カガン試薬)を有機合成に導入、1986年には非線形効果を発見して定式化しました。2026年に硤合憲三とノーベル化学賞に決まっています。
不斉の情報をリン原子ではなく炭素骨格に持たせ、安価で両方の鏡像が手に入る酒石酸から作れる二座配位子にした点が新しかったからです。さらにC2対称にすることで、考えるべき遷移状態の数が半分に減り、選択性を設計で狙えるようになりました。DIOP自体のeeは後発のBINAPほど高くありませんが、その後の不斉配位子はほぼこの設計思想の上に立っています。
ノーベル賞は1部門につき最大3人という規定があり、2001年の不斉触媒の賞はノウルズ・野依良治・シャープレスの3人で埋まりました。DIOPを置いたカガンが外れたことにフランスの化学界は強く反発し、科学大臣がノーベル財団と王立科学アカデミーに抗議の書簡を送っています。同じ2001年、ウルフ賞化学部門は野依・シャープレスとカガンに贈られました。
ヨウ化サマリウム(II)のことで、1977年にカガンらが有機合成に導入しました。THFに溶かすと濃い青色の溶液になり、おだやかな条件で働く1電子還元剤として使われます。カルボニル化合物に電子を1個渡してケチルラジカルを作るため、ピナコールカップリング・バルビエ型反応・分子内環化などに応用でき、天然物の全合成では現在も定番の試薬です。
共同研究ではありません。2人は独立に研究しており、受賞理由も「非線形効果」(カガン)と「自己触媒」(硤合)という別の発見です。ただし無関係でもなく、硤合はカガンが1986年に示した非線形効果に注目した研究者の一人で、大きな非線形効果を示す不斉反応を調べる過程で不斉自己触媒の着想に至りました。発見の順序としては、カガンの仕事が硤合の仕事の土台になっています。
戦時下に偽名で身を隠した少年が、酒石酸から配位子を組み立て、サマリウムを還元剤に変え、「触媒のeeと生成物のeeは比例する」という常識を崩した——そして95歳でその知らせを受け取った。アンリ・カガンの経歴は、化学の賞が人の時間よりずっとゆっくり動くことも教えてくれる。
他の化学者の歩みは有機化学者列伝まとめページから、同時受賞者の歩みは硤合憲三の解説、受賞理由そのものは2026年ノーベル化学賞の解説から確認できる。









