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カール・ジェラッシ完全解説|経口避妊薬ピルを生んだステロイド合成

1951年10月15日、メキシコシティの小さな研究所で、ひとりの大学院生が実験ノートに白色結晶の記録を残した。名前はルイス・ミラモンテス(Luis Miramontes)、22歳。指導したのは28歳の研究部長カール・ジェラッシと、社長兼化学者のジョージ・ローゼンクランツである。その結晶、ノルエチンドロンは、飲んで効く初めての強力な黄体ホルモン(プロゲスチン)だった。

10年足らずのうちに、この分子は「ピル」という名でアメリカと世界の女性の手に渡り、20世紀の人口動態・労働・法制度・宗教論争を動かすことになる。ある化学者は後に「20世紀の分子を1つだけ選ぶなら、これだ」と書いた。

だが有機化学の教室でこの分子を扱う価値は、社会的影響よりもむしろ「なぜこの構造でなければならなかったのか」という設計の論理にある。天然のプロゲステロンは経口では効かない。効かせるには何を足し、何を削ればよいのか。ジェラッシたちの答えは、C17に三重結合を1本生やし、C19のメチル基を1つ消すという、驚くほど小さな2つの改変だった。この記事では、その論理と実際の合成経路を機構のレベルまで降りて追いかけ、さらに彼がステロイドの後に残したORD(旋光分散)・質量分析・人工知能DENDRALという三つの遺産までを見ていく。

この記事で学ぶこと
・プロゲステロンが経口で効かない理由と、17α-エチニル基がそれを解決する仕組み
19-ノル(C19メチルの除去)が黄体ホルモン活性を高める意味と命名法
・エストロン 3-メチルエーテルからBirch還元を経てノルエチンドロンに至る合成経路
・C17ケトンへのアセチリド付加が α 面から進む立体選択性の理由
マーカー分解とジオスゲニン——メキシコのヤムイモがステロイドを安くした話
・ジェラッシが築いたORD・質量分析・DENDRAL(初期AI)という分析化学の遺産

生涯と略歴——ウィーンの難民からピルの化学者へ

カール・ジェラッシは1923年10月29日、ウィーンに生まれた。父はブルガリア出身の医師サムエル・ジェラッシ、母はウィーンの医師アリス・フリードマン。両親ともユダヤ系である。1938年のアンシュルス(ナチス・ドイツによるオーストリア併合)で生活は一変し、少年はいったんブルガリアのソフィアへ逃れ、1939年、16歳で母とともにアメリカへ渡った。

渡米時の所持金はほとんどなく、進学資金もなかった。ジェラッシはエレノア・ルーズベルト大統領夫人に手紙を書いて奨学金の相談をしたという逸話を残している。実際に彼はオハイオ州のケニオン大学へ進み、1942年に最優等(summa cum laude)で卒業した。

卒業後すぐ、ニュージャージー州サミットのチバ(CIBA)社で職を得る。ここで19歳の彼は初期の抗ヒスタミン薬トリペレナミン(ピリベンザミン)の開発に加わり、20歳前で特許発明者に名を連ねた。「大学院に行く前にすでに医薬品を1つ世に出していた」という異例の出発点である。

1943年にウィスコンシン大学マディソン校の大学院へ進み、アルフレッド・ウィルズ(Alfred Wilds)の下で1945年に博士号を取得する。学位論文のテーマが後の運命を決めた——テストステロンをエストラジオールへ変換する研究、すなわちA環を芳香化し、その過程でC19のアンギュラーメチル基を失わせる化学である。「A環が芳香環であるステロイドは、定義上 19-ノル体である」という感覚を、彼は学位研究で身体化していた。

再びチバに戻ったのち、1949年、メキシコシティのシンテックス(Syntex)社へ研究部門の責任者として招かれる。当時27歳前後。同僚のアメリカ人化学者からは「なぜメキシコなどへ行くのか」と訝しがられたが、そこにはジオスゲニンという安価なステロイド原料と、ローゼンクランツという有能な同僚がいた。ここで彼はコルチゾンの植物原料からの合成(1951)ノルエチンドロンの合成(1951)という、生涯の二大成果を同じ年に成し遂げる。

1959年にスタンフォード大学教授へ。以後は旋光分散(ORD)、質量分析、そして人工知能プロジェクトDENDRALへと関心を広げ、同時にZoecon社を設立して昆虫幼若ホルモン類縁体による「第三世代の殺虫剤」を実用化した。晩年は小説家・劇作家として「science-in-fiction(科学を含む小説)」というジャンルを提唱し、2015年1月30日、サンフランシスコで91歳の生涯を閉じた。

ノーベル賞は受けなかったが、アメリカの二大メダルは両方受けた
ジェラッシはノーベル賞を受賞していない。しかし基礎科学に対する米国科学賞(National Medal of Science, 1973)と、技術・イノベーションに対する米国技術賞(National Medal of Technology, 1991)の両方を受けた、きわめて少数の科学者のひとりである。「発見」と「社会実装」の両端を1つの仕事で貫いた人物だと言える。
出来事
1923 ウィーンに生まれる(両親とも医師)
1938–39 アンシュルスによりブルガリアへ避難、16歳で渡米
1942 ケニオン大学を最優等で卒業。チバ社で抗ヒスタミン薬トリペレナミンの開発に参加
1945 ウィスコンシン大学で博士号(テストステロン → エストラジオール変換)
1949 メキシコシティのシンテックス社へ、研究部門責任者として着任
1951 ジオスゲニンからのコルチゾン合成を達成
1951.10.15 ミラモンテス・ローゼンクランツとともにノルエチンドロンを合成(特許出願は同年11月)
1959 スタンフォード大学教授に就任
1960–61 ORD(旋光分散)の教科書を出版、オクタント則の提唱に参加
1962 ノルエチンドロン配合剤が米国で経口避妊薬として承認される
1965– レーダーバーグ・ファイゲンバウムとDENDRALプロジェクト(初期の人工知能)を開始
1968 Zoecon社を設立、昆虫幼若ホルモン類縁体を開発
1973 / 1991 米国科学賞 / 米国技術賞を受賞(1978年ウルフ賞化学部門、1992年プリーストリー賞)
1979– 芸術家滞在プログラム(Djerassi Resident Artists Program)を創設。以後、小説・戯曲を執筆
2015 サンフランシスコにて91歳で死去

前提——ステロイドはなぜ高価で、なぜ経口で効かないのか

ジオスゲニンとマーカー分解

ジェラッシの仕事を理解するには、まず1940年代のステロイドが途方もなく高価だったことを知る必要がある。当時プロゲステロンは動物の臓器や尿から抽出されており、1グラムが数百ドル——現代の貨幣価値に直せば車が買えるほどだった。

これを崩したのがラッセル・マーカー(Russell Marker)である。彼はメキシコに自生するヤムイモ(Dioscorea 属、現地名バルバスコ)に含まれるサポゲニンジオスゲニンに注目し、その側鎖のスピロケタール部分を段階的に切り落としてプロゲステロンに変換する経路(マーカー分解)を確立した。1944年、彼はメキシコシティでシンテックス社の設立に参加する。

ジオスゲニン(ヤムイモ由来サポゲニン, スピロケタール側鎖をもつ)
    →  無水酢酸 / 加熱(スピロケタールの開環 → 擬体(pseudo 体)へ)
    →  CrO3 酸化(側鎖の切断)
    →  加熱・脱離/加水分解
16-デヒドロプレグネノロン酢酸エステル(16-DPA)
    →  C16≡C17 二重結合の水素化、Oppenauer 酸化(3β-OH → Δ4-3-ケトン)
プロゲステロン

マーカー自身は1945年にシンテックスを去るが、彼が残した「植物からステロイドを安く作る」という基盤の上に、ローゼンクランツとジェラッシが乗る形になった。ステロイドの価格は数年で1グラム数ドルの水準まで落ち、「作れるかどうか」ではなく「何を作るべきか」を考えられる時代が始まる。

スケール感
マーカー分解が実用化される前後で、プロゲステロンの価格はおよそ1グラム80ドルから2ドルへと落ちたと言われる。原料はメキシコの農村で採集されるヤムイモの根で、この産業は「バルバスコ景気」と呼ばれる地域経済まで生んだ。安価な原料が化学の可能性を決める——有機合成が常に「原料からの距離」で評価されるのは、このためである。

プロゲステロンの弱点:初回通過効果

ステロイドが安くなっても、避妊への応用にはもうひとつ壁があった。プロゲステロンは経口投与するとほとんど効かないのである。理由は代謝にある。

消化管から吸収された分子は、全身に回る前にまず肝臓を通る(初回通過効果)。プロゲステロンは肝臓の酵素によって速やかに還元・水酸化・抱合を受け、活性を失って排泄される。C20のケトン基とC3のエノン部位は、いずれも代謝酵素にとって恰好の標的である。注射なら効くが、毎日注射する避妊法は現実的ではない。

したがって課題は明確だった——肝臓で壊されにくく、かつ黄体ホルモン受容体には強く結合する分子を設計すること。ジェラッシたちが手にしていたヒントは、当時すでに2つ知られていた。

設計の論理——「三重結合を足し、メチル基を削る」

ヒント1:17α-エチニル基(エチステロン)

1938年、ドイツのシェーリング社で H・インホッフェンW・ホールヴェークが、テストステロンのC17にエチニル基を導入したエチステロン(17α-エチニルテストステロン)を合成した。これは経口で活性を示す初のプロゲスチンだったが、効力が弱く、大量投与が必要だった。

なぜエチニル基が経口活性を与えるのか。ポイントはC17である。テストステロン型の骨格ではC17に第二級アルコール(17β-OH)があり、肝臓の17β-ヒドロキシステロイド脱水素酵素によって容易に17-ケトンへ酸化されて失活する。ここに17α-エチニル基を入れると、C17は第三級アルコールになる。

ここが試験で問われる
第三級アルコールは、酸化しようにも炭素上に引き抜くべき水素がない。したがって C–O 結合を保ったままの単純な酸化ができず、代謝的に安定になる。さらにエチニル基は立体的に酵素の活性部位への接近を妨げ、代謝速度をさらに落とす。「17α-アルキル化=経口活性化」は、ステロイド医薬に共通する古典的戦略である。

ヒント2:19-ノル化(C19メチルの除去)

もうひとつのヒントは、1944年にペンシルベニア大学の M・エーレンシュタイン(Maximilian Ehrenstein)が報告した観察だった。彼はストロファンチジンの分解から得た、C19のメチル基を欠いたプロゲステロン類縁体が、天然のプロゲステロンに劣らない——条件によってはそれ以上の——黄体ホルモン活性を示すことを見いだした。ただし得られた量はごくわずかで、当時は化学的な珍事として扱われた。

ここで命名法を整理しておく。ステロイド骨格でC10に付いたアンギュラーメチル基がC19、C13に付いたものがC18である。有機化学の接頭語「ノル(nor-)」はメチレン基(CH2)1つ分の除去を意味するので、19-ノルとは「C19のメチル基が水素に置き換わった」骨格を指す。19-ノルテストステロンは筋肉増強剤ナンドロロンとしても知られる。

よくある誤解:「ノル」は「ノルマル」の略ではない
「n-ブチル」の n(normal)とは無関係である。ノルアドレナリン(noradrenaline)がアドレナリンから N-メチル基を除いた構造であるように、nor- は炭素が1つ少ない同族体を表す接頭語(語源は “N ohne Radikal” 等、諸説ある)。19-ノルステロイドを「正常型ステロイド」と読み違えないこと。

2つを重ねる——ジェラッシの一手

1951年、ジェラッシはこの2つを同じ分子の上で足し合わせることを提案した。すなわち——

テストステロン
   + 17α-エチニル基  →  エチステロン(経口活性はあるが弱い)
   + 19-ノル化           →  19-ノルテストステロン(活性は強いが経口では不利)
   + 両方                →  ノルエチンドロン
                              = 17α-エチニル-19-ノルテストステロン
                              (C20H26O2, 経口で強力なプロゲスチン)

結果として得られたノルエチンドロンは、エチステロンのおよそ5–10倍の経口黄体ホルモン活性を示した。分子量300程度の分子に対する改変は、三重結合1本とメチル基1つ。設計としては最小限である。

合成経路——なぜエストロンから始めるのか

出発物質の選択が最大の発想

19-ノル骨格をどう作るか。すでにあるステロイドからC19メチル基を「削る」のは、当時の技術では極めて難しい。ジェラッシの答えは逆転の発想だった——削るのではなく、最初から持っていない分子を使う

女性ホルモンのエストロンは、A環が芳香環である。芳香環になるためにはC10がsp2炭素として環に組み込まれる必要があり、その結果C19メチル基は構造上存在しない。つまりエストロンは天然に存在する 19-ノルステロイドである。あとはこの芳香環を、黄体ホルモンに必要なΔ4-3-ケトンへ戻してやればよい。

この着想が、テストステロンをエストラジオールへ変換した学位論文の経験と直結していることは明らかである。彼は芳香族A環と 19-ノル骨格が同じものの表と裏であることを、誰よりも身体で知っていた。

ステップを追う

エストロン 3-メチルエーテル
   (A環=芳香環, C19メチルなし, C17=ケトン)
        →  ① HC≡CH / KO-t-Am(アセチリドのC17への求核付加, α面から)
17α-エチニルエストラジオール 3-メチルエーテル
        →  ② Li / NH3(l), EtOH (Birch 還元)
2,5(10)-ジエン-3-イル メチルエーテル(エノールエーテル)
        →  ③ 希酸で加水分解 → Δ5(10)-3-ケトン(非共役)
        →  ④ 酸または塩基で異性化 → Δ4-3-ケトン(共役エノン)
ノルエチンドロン(17α-エチニル-19-ノルテストステロン)

4段階の要点を、有機化学の言葉で順に確認しよう。

① エチニル化。アセチレンを強塩基(カリウム tert-アミラート等)で脱プロトン化してアセチリドとし、C17のケトンに求核付加させる。末端アルキンの pKa は約25で、アルカン(≈50)やアルケン(≈44)に比べ桁違いに酸性が高い。これは C–H 結合の炭素が sp 混成で s 性が50 %と高く、生じる carbanion の孤立電子対が核により強く引きつけられるためである。詳しくはカルボニルへの求核付加の記事で扱っている。

② Birch還元。液体アンモニア中のリチウム(またはナトリウム)が溶媒和電子を供給し、芳香環を1,4-シクロヘキサジエンへ還元する。メトキシ基のような電子供与基が付いた芳香環では、置換基の付いた炭素は還元されずに sp2 のまま残る——これが Birch 還元の位置選択性の基本則である。結果として、C3にOMeを保持したエノールエーテル(2,5(10)-ジエン)が得られる。

末端アルキンはBirch条件を生き延びる
「内部アルキンは Na/NH3trans-アルケンに還元されるのに、なぜC17のエチニル基は無傷なのか?」——答えは末端アルキンが真っ先に脱プロトン化されてアセチリドになるから。アニオンになった三重結合はもう電子を受け取らず、還元されない。すなわちアセチリド化が保護基として働いている。反応後の水系処理で元の末端アルキンに戻る。院試の「なぜこの官能基は反応しないのか」型の設問で狙われやすい論点である。

③④ 加水分解と異性化。エノールエーテルは希酸で速やかに加水分解され、まず非共役の Δ5(10)-3-ケトンが生じる。これを酸または塩基でエノール化させると、より安定な共役 Δ4-3-エノンへ異性化する。共役によって π 系が伸び、熱力学的により安定な位置へ二重結合が移動する——エノール互変異性と共役の安定化を同時に問える、教科書的な場面である。

立体化学:なぜエチニル基は α 面に入るのか

ノルエチンドロンの C17 は17α-エチニル・17β-水酸基と決まっている。これは偶然ではなく、基質支配の立体選択性の結果である。

ステロイド骨格を平面に描いたとき、β 面(紙面手前)にはC13のアンギュラーメチル基(C18)が突き出している。C17のカルボニル炭素へ試薬が近づく経路のうち、β 面からの接近はこのメチル基と1,3-ジアキシャル的な立体反発を受ける。一方 α 面(紙面奥)にはこれを阻む置換基がない。

したがってアセチリドは立体的に空いた α 面から C17 を攻撃し、生じたアルコキシドは反対側の β 面に残る。結果は17α-エチニル-17β-ol——まさに天然型のC17β-OH の立体配置が保たれる。かさ高い置換基が近い側の面をブロックする、という単純な議論だけで生成物の立体化学が予測できる好例である。

C17周辺は「面選択性」の教材の宝庫
ステロイドは剛直な縮環系であるため、環反転による配座平衡がほとんどなく、α 面/β 面という2つの明確な反応面が固定されている。求核付加・水素化・エポキシ化・還元のいずれでも「C18・C19メチルがどちらの面を塞いでいるか」を最初に確認すれば、多くの立体選択性が説明できる。配座固定と立体選択性の関係については、デレク・バートンのコンフォメーション解析も併せて読むと理解が深まる。

ピルになるまで——化学者が作ったのは分子であって、薬ではない

1951年11月に特許が出願され、化合物は完成した。しかしノルエチンドロンが「ピル」になるまでには、化学とは別の10年が必要だった

生物学的な検証と臨床試験を主導したのは、マサチューセッツの生物学者グレゴリー・ピンカスと婦人科医ジョン・ロックである。資金と政治的推進力を与えたのは、産児制限運動のマーガレット・サンガーと、その支援者で自身も科学教育を受けた資産家キャサリン・マコーミックだった。

1960年に最初に米国で経口避妊薬として承認されたのは、シンテックスの化合物ではなく、サール社のノルエチノドレル(エノビッド)である。ノルエチノドレルはノルエチンドロンのΔ5(10)異性体にあたり、興味深いことに胃酸中で一部が異性化してノルエチンドロンになる。二重結合の位置がひとつ違うだけの姉妹分子が、先に市場に出たことになる。シンテックスのノルエチンドロン配合剤は1962年に承認され、その後長く経口避妊薬の主力となった。

よくある誤解:「ジェラッシがピルを発明した」
ジェラッシ自身が繰り返し訂正していた点である。彼が行ったのはノルエチンドロンという化合物の合成であり、それが避妊薬として機能することを示したのはピンカスとロックの生物学・臨床研究、社会に届けたのはサンガーとマコーミックの運動と資金だった。合成そのものもミラモンテスの手とローゼンクランツの経営判断があってのものである。「ピルの父」という称号を彼はしばしば辞退し、「発明は個人ではなくネットワークに属する」という立場を晩年まで語り続けた。

ステロイドの後——分析化学とコンピュータへ

ORDとオクタント則

1950年代後半、ジェラッシは旋光分散(ORD, optical rotatory dispersion)を有機構造決定の道具として体系化した。1960年の著書 Optical Rotatory Dispersion: Applications to Organic Chemistry は、この分野を一気に普及させた一冊である。

核心はケトンの n→π* 遷移に伴うコットン効果にある。カルボニル基のまわりの空間を3つの節面で8つの象限(オクタント)に分割し、そこに置換基がどう分布しているかからコットン効果の符号を予測する——これが1961年に発表されたオクタント則である。提唱者にはモフィット、R・B・ウッドワード、モスコウィッツ、クラインとジェラッシが名を連ねた。NMRが普及する以前、絶対配置と配座を非破壊で決められるほとんど唯一の手法だった意義は大きい。全合成における構造決定の歴史についてはR・B・ウッドワードの記事も参照してほしい。

質量分析の「文法」を作る

1960年代、ジェラッシは質量分析を天然物構造決定へ本格的に導入した。ステロイド・アルカロイド・テルペンについてどの結合が切れ、どのフラグメントが観測されるかを系統的に整理し、ブジキェヴィッチ・ウィリアムズとの共著 Mass Spectrometry of Organic Compounds(1967)にまとめた。今日われわれが「マクラファティ転位」「α 開裂」といった語彙でスペクトルを読むとき、その延長線上にジェラッシの仕事がある。

DENDRAL——化学が生んだ最初の人工知能

質量分析の解釈規則が体系化されると、次の問いが自然に浮かぶ——その規則を機械に実行させられないか。1965年、ジェラッシは遺伝学者ジョシュア・レーダーバーグ、計算機科学者エドワード・ファイゲンバウムとともに、スタンフォード大学でDENDRALプロジェクトを立ち上げた。

DENDRALは、分子式から可能な構造異性体を網羅的に生成し、質量スペクトルの規則と照合して候補を絞り込む。専門家の知識をルールとして明示的に書き下し、機械に推論させるという設計は、後に「エキスパートシステム」と呼ばれる人工知能の一大潮流の出発点になった。人工知能史の最初期の実用システムが、有機化学の構造決定問題から生まれたことは記憶に値する。

Zoecon——昆虫を殺さずに制御する

1968年、ジェラッシはZoecon社を設立し、昆虫の幼若ホルモン(juvenile hormone)の類縁体を農薬として開発した。神経毒で殺す従来型と異なり、これらは変態のホルモンバランスを撹乱して成虫になれなくする。メトプレンに代表されるこの「第三世代の殺虫剤」は、標的種への選択性が高く哺乳類毒性が低い。ホルモン化学の論理を、ヒトから昆虫へ移植した仕事だと言える。

現代への影響

医薬品設計

代謝安定性のために官能基を1つ加える(17α-アルキル化)という発想は、現代の medicinal chemistry における代謝ソフトスポットの遮蔽そのもの。
→ 試薬まとめ

分析と計算

ORD/CD・質量分析の体系化と、それをルール化したDENDRAL。構造決定の自動化・AI創薬の系譜はここから始まる。

化学と社会

分子1つが人口動態と法制度を動かした事例として、科学技術社会論・生命倫理の教材になり続けている。

教育の場でジェラッシが繰り返し強調したのは、「化学者は自分の分子が社会でどう使われるかを考える責任がある」という点だった。晩年の彼は小説『Cantor’s Dilemma(カンターのジレンマ)』などで研究者の功名心や倫理を描き、ロアルド・ホフマンとの共作戯曲『Oxygen』では「発見者とは誰か」という問いを舞台にのせた。science-in-fiction——科学的事実を正確に保ったまま、科学者の行動を虚構で描くというジャンルの提唱である。

院試・定期試験での狙われ方

ジェラッシ本人の名前が出題されることは少ないが、ノルエチンドロンの合成に含まれる素反応は頻出である。以下の観点で整理しておくと得点源になる。

出題テーマ 押さえるべき答え方
末端アルキンの酸性度 sp 混成炭素は s 性50 %で電子を強く引きつけるため、生じる carbanion が安定。pKa ≈ 25 で NaNH2t-BuOK 系で脱プロトン化できる
Birch還元の位置選択性 電子供与基(OMe)付きの炭素は還元されずsp2のまま、電子求引基(COOH等)付きの炭素は還元されてsp3になる。ラジカルアニオン中間体の電荷分布で説明する
還元条件での官能基選択性 末端アルキンはアセチリドとして脱プロトン化されるため還元されない。内部アルキンなら trans-アルケンまで還元される
エノールエーテルの加水分解 プロトン化 → オキソカルベニウム → 水付加 → ヘミアセタール → アルコール脱離、でケトンへ。生成直後は非共役エノンで、異性化して共役体へ
面選択的求核付加 C18メチルが塞ぐ β 面を避け、求核剤は α 面から接近。生成物は 17α-置換・17β-OH
「ノル」の意味 CH2 1つ分少ない同族体。19-ノル=C10のメチル基(C19)が水素に置き換わった骨格
ここにタイトルを入力

発展:なぜ Δ4-3-ケトンでなければならないのか
プロゲステロン受容体・アンドロゲン受容体はいずれも、A環のΔ4-3-オン部位のカルボニル酸素が受容体側のアルギニン・グルタミンと水素結合することで基質を認識している。共役エノンは平面性が高く、この結合様式に適合する。加水分解直後の非共役 Δ5(10) 体では A環の形が異なり、結合が弱くなる——だからこそ最終段階の異性化が「仕上げ」として不可欠になる。ノルエチノドレル(Δ5(10)体)が胃酸中でノルエチンドロンへ異性化して効く、という事実もこの文脈で理解できる。

まとめ

この記事のポイント
カール・ジェラッシ(1923–2015)はウィーン生まれの難民から出発し、メキシコのシンテックス社で1951年にノルエチンドロン(17α-エチニル-19-ノルテストステロン, C20H26O2)を合成した
・プロゲステロンが経口で効かないのは肝臓での初回通過効果17α-エチニル基によりC17を第三級アルコールにして酸化を封じ、経口活性を獲得する
19-ノル化(C10のC19メチル除去)は黄体ホルモン活性を高める。両者を重ねたのがノルエチンドロン
・合成はエストロン 3-メチルエーテル(=天然の19-ノル体)から、①アセチリドのC17付加 → ②Birch還元 → ③エノールエーテル加水分解 → ④Δ4共役エノンへの異性化
・末端アルキンはアセチリド化により自己保護され、Birch条件を生き延びる
・求核剤はC18メチルが塞ぐ β 面を避けて α 面から接近し、17α-エチニル-17β-ol を与える
・原料面ではマーカー分解によるジオスゲニン → プロゲステロン変換が価格を劇的に下げ、設計の自由を生んだ
・ステロイド以後はORD・オクタント則・質量分析・DENDRAL(初期AI)・幼若ホルモン農薬と領域を広げ、晩年は科学と社会を描く作家として活動した

よくある質問

ノルエチンドロンとノルエチノドレルは何が違うのですか

二重結合の位置だけが異なる異性体です。ノルエチンドロン(シンテックス)はA環に共役した Δ4-3-ケトンをもち、ノルエチノドレル(サール)は非共役の Δ5(10)-3-ケトンをもちます。ノルエチノドレルは胃酸中で一部がノルエチンドロンへ異性化するため、体内では実質的に近い挙動を示します。1960年に米国で最初に経口避妊薬として承認されたのはノルエチノドレル配合剤(エノビッド)で、ノルエチンドロン配合剤の承認は1962年でした。

なぜ17α-エチニル基を入れると経口で効くようになるのですか

C17が第二級アルコールのままだと、肝臓の17β-ヒドロキシステロイド脱水素酵素によって17-ケトンへ酸化され、活性を失います。17α位にエチニル基を導入するとC17は第三級アルコールとなり、酸化に必要な炭素上の水素が存在しなくなります。加えてエチニル基が立体的に酵素との接触を妨げます。この二重の効果で初回通過代謝を潜り抜け、経口投与でも血中に活性体が残るようになります。

Birch還元でC17のエチニル基は還元されないのですか

還元されません。末端アルキンは pKa ≈ 25 と酸性度が高く、液体アンモニア中の強塩基条件でただちに脱プロトン化されてアセチリドアニオンになります。負電荷を帯びた三重結合はそれ以上は電子を受け取れないため、溶媒和電子による還元を受けません。反応後の水系処理でプロトン化され、元の末端アルキンに戻ります。内部アルキンにはこの逃げ道がないため、trans-アルケンまで還元されます。

「19-ノル」の「ノル」とはどういう意味ですか

メチレン基(CH2)1つ分だけ炭素が少ない同族体を表す接頭語です。ステロイドではC10に付くアンギュラーメチル基がC19なので、19-ノルとはそのメチル基が水素に置き換わった骨格を指します。「ノルマル(normal, n-)」の略ではない点に注意してください。ノルアドレナリンがアドレナリンから N-メチル基を除いた構造であるのと同じ用法です。

ジェラッシはなぜノーベル賞を受賞しなかったのですか

理由は公表されていませんが、しばしば指摘されるのは、ノルエチンドロンの合成が新しい反応や理論の発見ではなく既知の変換を組み合わせた分子設計であったこと、そして成果が化学よりも医学・社会の領域で評価されたことです。ジェラッシ自身は米国科学賞(1973)、ウルフ賞化学部門(1978)、米国技術賞(1991)、プリーストリー賞(1992)を受けており、基礎科学と技術の両方の国家メダルを受けた稀有な例となっています。
他の化学者の歩みは有機化学者列伝まとめページから、個々の反応の機構は有機化学の反応機構まとめから確認できます。ステロイドとテルペンの構造化学を切り開いた先駆者についてはレオポルト・ルジチュカの記事を、剛直な環系の立体化学についてはデレク・バートンの記事を併せてお読みください。

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