はじめに:アルキンが有機合成の入り口になる
第8章でアルケンの豊かな反応化学を学びました。第9章では、三重結合を持つアルキン(alkyne)を取り上げます。アルキンはアルケンほど生体内に多くはありませんが、実験室では非常に重要な合成中間体です。
なぜこの章が重要なのか。それはアルキン化学を通じて、有機合成の基本戦略「逆合成解析(retrosynthetic analysis)」を初めて体系的に学ぶからです。ビタミン A や天然物合成などの例を通じ、「目標分子からさかのぼって出発原料を導く」思考法を身につけましょう。
9.1 アルキンの命名
アルキンの命名は、アルカン・アルケンのルール(Section 3.4, 7.3)を踏まえ、語尾を -yne にします。三重結合の位置は、最初の三重結合炭素の番号で示します。
命名の基本ルール
- 最長の炭素鎖を選び、三重結合に最も小さい番号が付くように番号を振る
- 二重結合と三重結合が同じ鎖に含まれる場合は エンイン(enyne) と呼び、二重結合に優先して低い番号を振る(ynene とは言わない)
- 置換基として扱う場合は アルキニル基(alkynyl group)(例:but-1-ynyl)
CH3CH2CH(CH3)CH2C≡CCH2CH3 → 6-メチル-3-オクチン(6-Methyl-3-octyne) ※ 三重結合に小さい番号(C3)が付くよう右から番号を振る 4-ヘプテン-6-イン(hept-1-en-6-yne): 二重結合を優先して C1 に
| 化合物名(旧) | 化合物名(新) | 構造 |
|---|---|---|
| アセチレン | エチン(ethyne) | HC≡CH |
| プロピン(propyne) | prop-1-yne | CH3C≡CH |
| 1-ブチン(1-butyne) | but-1-yne | HC≡CCH2CH3 |
| 2-ブチン(2-butyne) | but-2-yne | CH3C≡CCH3 |
| 4-ヘプテン-6-イン | hept-1-en-6-yne | HC≡CCH=CH- 系鎖(二重結合優先) |
9.2 アルキンの調製法:ジハライドの脱離反応
アルキンの主要な合成法は、1,2-ジハロアルカン(ビシナルジハライド)から KOH または NaNH2 を用いた二重脱ハロゲン化水素化(double dehydrohalogenation)です。
1. ビシナルジハライド → アルキン
R-CH(Br)-CH(Br)-R' + 2 KOH(エタノール)
または 2 NaNH2(NH3)
→ R-C≡C-R' + 2 KBr + 2 H2O
2. ビニルハライドからも合成可
R-CR'=CH-Cl + NaNH2 → R-C≡C-R' + NaCl + NH3
アルケン → ビシナルジハライド → アルキン のシーケンス
アルケンに Br2 を付加してビシナルジブロミドを作り、続いて強塩基で二重脱離することで、アルケンからアルキンへ変換できます。
スチルベン(C6H5CH=CHC6H5) →(Br2)1,2-ジブロモ-1,2-ジフェニルエタン(meso または dl 体) →(2 KOH, エタノール)ジフェニルアセチレン(85%)
9.3 アルキンの反応:HX と X2 の付加
アルキンはアルケンと同様に求電子的付加反応を受けます。ただし三重結合を持つため、反応が1当量停止か2当量進行かで生成物が異なります。
HX の付加
HBr や HCl はアルキンに付加し、マルコフニコフ則に従ってビニルハライドを与えます。1 当量では反応を止めることができ、過剰量(2当量)では1,1-ジハライドが得られます。
1-ヘキシン + 1 HBr → 2-ブロモ-1-ヘキセン(ビニルブロミド) 1-ヘキシン + 2 HBr → 2,2-ジブロモヘキサン(1,1-ジハライド) 3-ヘキシン + HCl(1当量)→ (Z)-3-クロロ-3-ヘキセン(trans 付加)
X2(Cl2、Br2)の付加
ハロゲンもアルキンに付加し、trans(アンチ)立体選択性でビニルジハライドを与えます。過剰量では四ハロゲン化物まで進行します。
2-ブチン + Br2(1当量)→ (E)-2,3-ジブロモ-2-ブテン(trans 付加) 2-ブチン + Br2(2当量)→ 2,2,3,3-テトラブロモブタン
| 試薬 | 当量 | 生成物 | 立体化学 |
|---|---|---|---|
| HX(HBr, HCl) | 1 | ビニルハライド | Markovnikov、通常 trans |
| HX | 2 | 1,1-ジハライド | — |
| X2(Br2, Cl2) | 1 | 1,2-ジハロアルケン | trans(アンチ付加) |
| X2 | 2 | テトラハライド | — |
9.4 アルキンの水和
アルキンはアルケンと同様に、2 通りの方法で水和できます。それぞれ異なる位置選択性を示し、生成物のカルボニル化合物も異なります。
9.4a 水銀(II)触媒による水和(マルコフニコフ型)
アルキンを硫酸水銀(II)(HgSO4)触媒下で水和すると、最初はエノール(enol)が生成しますが、これは直ちにケト-エノール互変異性(keto-enol tautomerism)を起こしてカルボニル化合物(ケトンまたはアルデヒド)に変換されます。
1-ヘキシン + H2O(H2SO4, HgSO4) → エノール中間体(CH2=C(OH)CH2CH2CH2CH3) →(互変異性化)2-ヘキサノン(78%) ← 末端アルキン → メチルケトン 内部アルキン(例:R-C≡C-R')では 2 種のケトン混合物が生じるため、 末端アルキンへの適用が実用的。
反応機構(Hg(II)触媒水和)
- Hg2+ が π 結合に求電子攻撃 → ビニルカルボカチオン中間体(Hg 含有)
- 水の求核攻撃 → プロトン化エノール中間体
- 脱プロトン化 → Hg 含有エノール
- 酸性条件下で Hg を H に置換(NaBH4 不要)
- エノール → ケトンへ互変異性化
9.4b ヒドロホウ素化-酸化(non-Markovnikov 型)
アルキンは BH3 によるヒドロホウ素化も受けます。生成したビニルボランを H2O2/NaOH で酸化するとエノールを経てアルデヒドまたはケトンを与えます。
末端アルキン(R-C≡CH)の反応比較: ① Hg(II)触媒水和: R-C≡CH + H2O(H2SO4, HgSO4)→ R-CO-CH3(メチルケトン) ② ヒドロホウ素化-酸化(ジシアミルボラン使用): R-C≡CH + ジシアミルBH → R-CH2-CHO(アルデヒド) (R-CO-CH3 ではなく R-CH2-CHO が生成することに注意!)
9.5 アルキンの還元
アルキンは水素化によって段階的に還元でき、触媒の種類と反応条件によって得られる生成物(アルカンか、cis アルケンか、trans アルケンか)が変わります。
完全水素化(Pd/C 触媒)
パラジウム炭素(Pd/C)を触媒とした H2 との反応では、アルキン → アルケン → アルカンと進み、アルカンまで完全に還元されます。
4-オクチン + 2 H2(Pd/C)→ オクタン
Lindlar 触媒(cis アルケン)
Lindlar 触媒は炭酸カルシウム担体上のパラジウムを酢酸鉛とキノリンで不活性化したものです。アルキンは 1 当量の H2 だけを吸収して止まり、syn(cis)付加でcis アルケンを与えます。
4-オクチン + H2(Lindlar 触媒)→ cis-4-オクテン(syn 付加)
Li/NH3 還元(trans アルケン)
液体アンモニア中のナトリウムまたはリチウム金属によるアルキンの還元では、Lindlar 還元とは逆にtrans アルケンが得られます。この反応はバーチ還元に類似した溶解金属還元(dissolving metal reduction)です。
5-デシン + Li(NH3 中、−33 °C)→ trans-5-デセン(78%)
反応機構(Li/NH3 還元)
- Li が π 結合に電子を供与 → アニオンラジカル(anion radical)中間体(負電荷 + 奇数電子)
- NH3 からプロトンを引き抜き → ビニルラジカル
- 第 2 の電子付与 → ビニルアニオン(より安定な trans 構造に速やかに平衡)
- NH3 からプロトン引き抜き → trans アルケン
| 還元法 | 試薬・条件 | 生成物 | 立体化学 |
|---|---|---|---|
| 完全水素化 | H2(excess), Pd/C | アルカン | — |
| Lindlar 還元 | H2(1当量), Lindlar 触媒 | アルケン | cis(syn 付加) |
| 溶解金属還元 | Na または Li / 液体 NH3 | アルケン | trans |
9.6 アルキンの酸化的開裂
アルキンもアルケンと同様に、オゾン(O3)や過マンガン酸カリウム(KMnO4)のような強酸化剤で酸化的開裂を受けます。ただし三重結合はアルケンの二重結合より反応性が低く、収率も低い場合があります。
内部アルキン(R-C≡C-R')+ KMnO4(または O3) → RCO2H + R'CO2H(カルボン酸 2 種) 末端アルキン(R-C≡CH)+ KMnO4 → RCO2H + CO2(二酸化炭素)
9.7 アルキンの酸性:アセチリドアニオンの生成
アルキンとアルケンの最も顕著な違いの一つが、末端アルキンの相対的な酸性です。末端アルキン(R—C≡C—H)は NaNH2 などの強塩基で脱プロトン化され、アセチリドアニオン(acetylide anion)を生成します。
R—C≡C—H + NaNH2 → R—C≡C− Na+ + NH3
酸性の強さの比較
| 炭化水素 | 例 | pKa | 対応アニオン |
|---|---|---|---|
| アルキン | HC≡CH(アセチレン) | 25 | アセチリドアニオン(sp) |
| アルケン | H2C=CH2 | 44 | ビニルアニオン(sp2) |
| アルカン | CH4 | 60 | アルキルアニオン(sp3) |
NaNH2(NH3 の共役塩基、pKa(NH3) = 35)は末端アルキン(pKa ≒ 25)を脱プロトン化するのに十分な塩基です。KOH(H2O の共役塩基、pKa(H2O) = 15.7)では弱すぎて脱プロトン化できません。
9.8 アセチリドアニオンのアルキル化
アセチリドアニオンは強力な求核剤です。一級アルキルハライドとの求核置換反応(アルキル化)により、C—C 結合が形成されて新しいアルキン骨格が生成します。
一般式: R—C≡C− Na+ + R'—CH2Br → R—C≡C—CH2R' + NaBr 具体例: アセチレン + NaNH2 → HC≡C−Na+ HC≡C−Na+ + BrCH2CH2CH2CH3 → HC≡C(CH2)3CH3(1-ヘキシン) 1-ヘキシン + NaNH2 → HC≡C(CH2)3CH2−(誤) 正確には: CH3(CH2)3C≡C−Na+ + BrCH2CH2CH2CH3 → 5-デシン(76%)
アルキル化の適用範囲と制約
アルキル化を逐次的に利用することで、炭素骨格を段階的に伸長できます。
→(NaNH2, R-X)→ 末端アルキン(RC≡CH)
→(NaNH2, R’-X)→ 内部アルキン(RC≡CR’)|||合成での活用例
1-ペンチン + NaNH2 → CH3(CH2)2C≡C−Na+
+ CH3I → 2-ヘキシン(末端 → 内部)
+ Lindlar H2 → cis-2-ヘキセン
9.9 有機合成入門:逆合成解析
第9章の最大のテーマが、逆合成解析(retrosynthetic analysis)の考え方です。有機合成とは、単純な出発原料から複雑な目標分子(target molecule)を実験室で構築することです。
逆合成解析の戦略
代表的な逆合成解析の例
例1:1-ペンチンと RX から cis-2-ヘキセンを合成(WORKED EXAMPLE 9.1)
目標物:cis-2-ヘキセン(CH3/CH2CH2CH2 がシス配置の C=C) 逆合成: cis-2-ヘキセン ← [Lindlar H2還元] 2-ヘキシン 2-ヘキシン ← [アルキル化] 1-ペンチンアニオン + CH3I 合成(3ステップ): ① 1-ペンチン + NaNH2/NH3 → ペンチニルアニオン ② + CH3I(THF)→ 2-ヘキシン ③ + H2(Lindlar 触媒)→ cis-2-ヘキセン
例2:アセチレンと RX から 2-ブロモペンタンを合成(WORKED EXAMPLE 9.2)
目標物:2-ブロモペンタン(CH3CHBrCH2CH2CH3) 逆合成: 2-ブロモペンタン ← [HBr 付加(Markovnikov)] 1-ペンテン 1-ペンテン ← [Lindlar H2還元] 1-ペンチン 1-ペンチン ← [アルキル化] アセチレンアニオン + 1-ブロモプロパン 合成(4ステップ): ① HC≡CH + NaNH2/NH3 → HC≡C−Na+ ② + BrCH2CH2CH3(THF)→ 1-ペンチン ③ + H2(Lindlar 触媒)→ 1-ペンテン ④ + HBr(エーテル)→ 2-ブロモペンタン(Markovnikov)
例3:アセチレンと RX から 5-メチル-1-ヘキサノールを合成(WORKED EXAMPLE 9.3)
目標物:5-メチル-1-ヘキサノール((CH3)2CHCH2CH2CH2CH2OH) 逆合成: 5-メチル-1-ヘキサノール ← [BH3/H2O2] 5-メチル-1-ヘキセン 5-メチル-1-ヘキセン ← [Lindlar H2] 5-メチル-1-ヘキシン 5-メチル-1-ヘキシン ← [アルキル化] アセチレンアニオン + 1-ブロモ-3-メチルブタン 合成(4ステップ): ① HC≡CH + NaNH2 → HC≡C−Na+ ② + (CH3)2CHCH2CH2Br → 5-メチル-1-ヘキシン ③ + H2(Lindlar)→ 5-メチル-1-ヘキセン ④ + BH3/H2O2 → 5-メチル-1-ヘキサノール(non-Markovnikov 水和)
第9章まとめ
第10章へのつながり
第9章でアルカン・アルケン・アルキンという脂肪族炭化水素の化学をひと通り学びました。第10章からは、立体化学(stereochemistry)を本格的に扱います。キラリティー・エナンチオマー・ジアステレオマーといった概念は、有機化学の全般にわたる基礎になります。これまで学んだ反応(アルケンへのハロゲン化、エポキシ化など)の立体化学的意味がいっそう明確になるでしょう。
