右手と左手が鏡に映した関係で重ならないように、分子にも「右手型」と「左手型」がある。医薬品では、片方だけが効き、もう片方は無効どころか毒になることさえある。ではどうやって望みの片方だけを選んで作るのか——この難題に、触媒でひとつの答えを出したのがウィリアム・S・ノウルズだ。
ノウルズは、企業(モンサント社)に勤める一介の研究者でありながら、キラルなリン配位子をもつロジウム触媒を設計し、世界で初めて「触媒的不斉合成」を工業プロセスにのせた。その成果が、パーキンソン病の治療薬L-DOPA(レボドパ)の製造である。ごくわずかな量の光学活性な触媒が、大量の原料を望みの立体配置へと導く——この「不斉増幅」の思想は、現代の医薬品合成を根底から変えた。
2001年、ノウルズは野依良治・K・B・シャープレスとともにノーベル化学賞を受賞する。この記事では、院試でも問われる不斉水素化のしくみを、キラル配位子DIPAMPとL-DOPA合成を軸にたどりながら、企業研究者として偉業を成した彼の生涯を紹介する。
生涯と略歴——企業の一研究者が拓いたノーベル賞
ウィリアム・スタンディッシュ・ノウルズは1917年6月1日、アメリカ・マサチューセッツ州トーントンに生まれた。ハーバード大学で学士号を、1942年にコロンビア大学で博士号を取得すると、化学メーカーのモンサント社に入社し、まもなく研究拠点のミズーリ州セントルイスへ移る。以後、退職する1986年まで一貫して同社で研究を続けた。大学教授ではなく企業の研究者としてノーベル化学賞を受賞した稀有な例である。
転機は1960年代後半。ノウルズは、均一系水素化で知られるウィルキンソン触媒のトリフェニルホスフィン配位子をキラルなリン化合物に置き換えれば、生成物にキラリティを刻めるのではないかと考えた。1968年、彼はキラルなホスフィンを用いた不斉水素化を報告する。初期の光学純度はわずか数〜十数%と低かったが、これは金属錯体触媒による不斉合成が実際に可能であることを世界で初めて示した歴史的な一歩だった。
そこから配位子の改良を重ね、二座のキラルリン配位子DIPAMPにたどり着く。これを用いたL-DOPA合成は、B・D・ヴィニヤードやM・J・サバキーら同僚との共同研究として1970年代半ばにモンサント社で工業化され、触媒的不斉合成が「研究室の夢」から「生産技術」へと現実になった。2001年、84歳でノーベル化学賞を受賞。2012年6月13日、ミズーリ州チェスターフィールドで95年の生涯を閉じた。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1917 | マサチューセッツ州トーントンに生まれる |
| 1939 | ハーバード大学で学士号を取得 |
| 1942 | コロンビア大学で博士号取得、モンサント社に入社 |
| 1965 | ウィルキンソン触媒の報告に触発され不斉水素化を構想 |
| 1968 | キラルホスフィンによる不斉水素化を報告(世界初) |
| 1972頃 | キラル二座配位子DIPAMPを開発 |
| 1974頃 | L-DOPAの不斉水素化プロセスを工業化(モンサント法) |
| 1986 | モンサント社を退職 |
| 2001 | 野依良治・シャープレスとノーベル化学賞を共同受賞 |
| 2012 | ミズーリ州で死去(享年95) |
不斉水素化とは——プロキラルな二重結合に「向き」を与える
アルケンやC=Nなどの二重結合を水素で還元する水素化(hydrogenation)そのものは、サバティエ以来の古典的な反応だ。しかし、平面的な二重結合を含むプロキラルな基質を水素化すると、通常は水素が上面からも下面からも等確率で付加するため、右手型(R)と左手型(S)が半々(ラセミ体)で生じてしまう。
ノウルズの発想は、金属に配位する配位子そのものをキラルにしておくことだった。キラルな触媒は、基質の一方の面(たとえば Re 面)のほうに近づきやすい遷移状態をつくる。すると水素はいつも決まった面から付加し、生成物は片方の鏡像体に大きく偏る。この偏りの度合いを表すのが光学純度(ee:鏡像体過剰率)である。
ウィルキンソン触媒からキラル触媒へ
出発点になったのは、1960年代にウィルキンソンが見出した均一系水素化触媒 RhCl(PPh3)3(ウィルキンソン触媒)である。この錯体はロジウム(I)にトリフェニルホスフィンが配位した構造をもち、常温・常圧付近でアルケンを水素化できた。
ノウルズが着目したのは、このホスフィン配位子を取り替えれば触媒の性質を自在に設計できるという点だ。そこでアキラルなPPh3を、リン原子まわりが不斉中心となるキラルなホスフィンに置き換えた。触媒がキラルになれば、水素が付加する面を選べるはずだ——この読みは正しかった。
ウィルキンソン触媒(アキラル) RhCl(PPh3)3 → ラセミ体(R:S = 50:50) ノウルズのキラル触媒 Rh(I) + キラルなホスフィン配位子 → 片方の鏡像体に偏る(高 ee)
初期に用いたのはリン原子上にメチル・プロピル・フェニルが結合したP-キラルな単座ホスフィンで、eeは十数%程度。続くCAMPで改善が進み、決定打となったのが二座配位子DIPAMPだった。
DIPAMP配位子——高い光学純度の鍵
DIPAMPは、エチレン鎖の両端に「(2-メトキシフェニル)(フェニル)ホスフィノ」基が結合した二座(キレート)配位子である。二つのリン原子がそれぞれ不斉中心(P-キラル)で、分子全体が C2 対称になるよう設計されている。
二座であることが決定的だった。二つのリンが同時にロジウムに配位して硬いキレート環(五員環)をつくると、触媒の立体環境がしっかり固定される。単座配位子のように自由に回転しないぶん、基質が近づける向きが強く制限され、片面だけが優先的に反応する。結果として、L-DOPA前駆体の水素化で 95% ee という当時としては驚異的な選択性が得られた。
L-DOPA合成(モンサント法)——世界初の工業的不斉触媒反応
L-DOPA(レボドパ)は、脳内でドーパミンに変換されるパーキンソン病の治療薬である。効くのはL体(S体)だけで、D体は無効なうえ副作用の懸念もあるため、L体だけを選んで作ることが医薬品として不可欠だった。ノウルズの不斉水素化は、この要求にまさに応えるものだった。
プロセスの核心は、バニリン由来のアリール基をもつプロキラルなエナミド(置換アクリル酸誘導体)を、Rh–DIPAMP錯体を触媒として水素化する段階にある。二重結合が片面から還元され、望みの(S)配置のN-アシルアミノ酸が高い ee で得られる。最後に保護基を加水分解で外すと、L-DOPAが得られる。
【L-DOPA不斉合成の流れ(模式)】
プロキラルなエナミド基質
(アリール-CH=C(NHAc)-COOH)
|
| H2 / [Rh(R,R)-DIPAMP]+ 触媒
| (不斉水素化・約95% ee)
↓
(S)-N-アセチルアミノ酸誘導体
|
| 加水分解(保護基の除去)
↓
L-DOPA(レボドパ)
この工程が画期的だったのは、ごく少量のキラル触媒が大量の基質を望みの立体配置へ導ける点だ。原料の分子ひとつひとつにキラルな補助基を付けて後で外す、という従来の非効率な手法とは根本的に異なる。触媒による不斉増幅を工業スケールで実証した最初の例として、化学史に刻まれている。
現代への影響
ノウルズの仕事は、単なる一反応の開発にとどまらず「触媒で立体を制御する」という合成化学の大きな潮流を生んだ。その影響は次の3つの観点で整理できる。
キラル配位子で金属触媒を不斉化する設計思想を確立。野依のBINAP不斉水素化など後続の触媒開発の礎になった。
L-DOPA製造で触媒的不斉合成を初めて工業化。片方の鏡像体だけを効率よく作る技術は現代の創薬に不可欠となった。
不斉水素化・ee・キラル配位子は立体化学と有機金属化学の定番テーマ。ノーベル賞2001の文脈で頻出する。
まとめ
ノウルズと同じ2001年ノーベル化学賞を、不斉水素化のもう一方の立役者野依良治(BINAP不斉水素化)と、不斉酸化を切り拓いたK・B・シャープレスが分かち合った。触媒的水素化の源流にあたるポール・サバティエの接触水素化とあわせて読むと、水素化という一つの反応が「無選択」から「立体選択」へと進化した100年の流れが見えてくる。

