今回は、早稲田大学先進理工学部 化学・生命化学科のB3に向けて、研究室を紹介する。
研究室選びは、その後の2年間(博士まで行くなら5年間)をどこで過ごすかを決める選択でありながら、判断材料は驚くほど少ない。公式サイトに載っているのは研究テーマだけで、実際に知りたいこと——どんな一日を送るのか、どんな人が集まるのか——はどこにも書いていない。
そこでこの記事では、化学・生命化学科の全14研究室を4つの部門ごとに整理し、それぞれが「何をやっている研究室なのか」を、化学の中身に踏み込んで説明する。
本記事の内容はあくまでも個人的な意見・感想であり、化学・生命化学科公式のものではない。研究テーマ・教員構成は2026年9月時点の公式サイトに基づくが、配属の前には必ず最新の情報を確認してほしい。
研究室見学はできるだけ事前にアポを取ってください
化学・生命化学科の全体像
化学・生命化学科は、物理化学部門・無機分析化学部門・有機化学部門・生命化学部門の4部門、計14研究室で構成されている。
同じ先進理工学部の応用化学科と混同されやすいが、性格はかなり違う。応用化学科が化学工学・ものづくりまで含めた応用寄りの構成なのに対し、化学・生命化学科は理学寄り——理論計算、分光、錯体、全合成、生体分子といった、現象そのものを解き明かす方向に軸足がある。
| 部門 | 研究室 | 指導教員 |
|---|---|---|
| 物理化学部門 | 電子状態理論研究室 | 中井浩巳 教授 |
| 光物理化学研究室 | 井村考平 教授 | |
| ケム・インフォマティクス研究室 | 清野淳司 准教授 | |
| Molecular Simulation研究室 | Aditya Wibawa Sakti 准教授 | |
| 構造化学研究室 | 廣井卓思 准教授 | |
| 無機・分析化学部門 | 錯体化学研究室 | 山口正 教授 |
| 無機物質化学研究室 | 石井あゆみ 准教授 | |
| 有機化学部門 | 化学合成法研究室 | 中田雅久 教授 |
| 生物有機化学研究室 | 山本佳奈 准教授 | |
| 機能有機化学研究室 | 鹿又宣弘 教授 | |
| 反応有機化学研究室 | 柴田高範 教授 | |
| 生命化学部門 | 生物分子化学研究室 | 小出隆規 教授 |
| 分子生物学研究室 | 寺田泰比古 教授 | |
| ケミカルバイオロジー研究室 | 中尾洋一 教授 |
物理化学部門
理論・計算と分光が中心の部門。この学科で最も「非実験系」の選択肢が集まっているのがここで、プログラミングや数式に抵抗がないかで向き不向きがはっきり分かれる。
電子状態理論研究室(中井浩巳 教授)
量子化学計算で、原子・分子の中の電子のふるまいを解き明かす研究室。スーパーコンピュータを使った大規模計算が武器で、分子軌道法や密度汎関数理論(DFT)を「使う」だけでなく手法そのものを開発する側にいる。
有機化学的に言えば、反応機構を推定するときに「本当にこの経路を通るのか」を計算で検証する——そのための理論を作っている研究室、というイメージが近い。実験系の研究室と共同研究する機会も多い。
| 指導教員 | 中井浩巳 教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 量子化学・電子状態理論・大規模計算 |
| コアタイム | 10:00–17:00(研究室HP記載) |
| ゼミ | 全体ゼミ:毎週金曜/データ報告会:月1回(修士以上は英語で発表) |
| 場所 | 63号館4-10室 |
| 連絡先 | TEL 03-5286-3452 / FAX 03-3205-2504 |
光物理化学研究室(井村考平 教授)
レーザーと顕微鏡を組み合わせた先端分光で、ナノ構造の中で電子がどう波として振る舞うかを可視化する研究室。金属ナノ粒子のプラズモンなど、光と物質が強く結合する現象を実際に「見る」ことを目指している。
装置を自分で組む場面が多く、光学系や電子回路に触れることになる。化学というより物理に近い手触りを求める人に向く。
| 指導教員 | 井村考平 教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 先端分光・ナノ光学・プラズモニクス |
| 場所 | 62号館E棟地下2階(居室・実験室) |
ケム・インフォマティクス研究室(清野淳司 准教授)
化学データをAIで解析する研究室。合成経路を設計するシステムや、反応条件の自動最適化といった、いま最も伸びている領域を扱う。
「有機合成は好きだが、フラスコを振るより設計側に回りたい」という人にとっては有力な選択肢。機械学習の素養はあった方がよいが、入ってから身につける人も多い分野である。
| 指導教員 | 清野淳司 准教授 |
|---|---|
| 研究分野 | ケムインフォマティクス・機械学習・合成経路設計 |
| 場所 | 55号館S棟702号室 |
| 連絡先 | TEL 03-5286-2145(内線73-6226)/ j-seino[at]aoni.waseda.jp |
Molecular Simulation研究室(Aditya Wibawa Sakti 准教授)
分子シミュレーションで、電池・触媒・創薬・多孔性材料の設計に取り組む研究室。CMMDEというシミュレーション基盤の開発も進めている。
指導教員が英語話者である点は、実際の研究室選びで効いてくる要素。日常的に英語を使う環境になるため、負担と捉えるか鍛える機会と捉えるかで評価が分かれる。留学や海外での就職を視野に入れているなら大きな利点になる。
| 指導教員 | Aditya Wibawa Sakti 准教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 分子シミュレーション・材料設計・CMMDE開発 |
| 連絡先 | aditya[at]aoni.waseda.jp |
構造化学研究室(廣井卓思 准教授)
高分子やコロイドといったソフトマターの構造を、自作の光学装置や大型放射光施設を使って解析する研究室。
自分で装置を作る文化と、SPring-8のような外部施設に出張してビームタイムで測定する文化の両方がある。装置づくりが好きな人には面白い環境。
| 指導教員 | 廣井卓思 准教授 |
|---|---|
| 研究分野 | ソフトマター・散乱法・構造解析 |
| 場所 | 62号館B1階05号室 |
| 連絡先 | TEL 03-5286-2748(内線73-3199) |
| メンバー | 修士1年 4名・学部4年 4名・研究補助者1名(研究室HP記載) |
無機・分析化学部門
2研究室と小さな部門だが、扱うテーマは金属錯体から光デバイスまで幅広い。
錯体化学研究室(山口正 教授)
金属錯体、特に混合原子価状態を持つ配位高分子やMOF、金属−金属結合をもつ多核錯体を扱う研究室。
混合原子価とは、同じ金属が異なる酸化数で1つの化合物中に共存する状態のこと。電子がその間を行き来することで、導電性や磁性といった特異な性質が現れる。無機化学の講義で出てくる配位子場理論や結晶場理論が、そのまま研究の道具になる。
| 指導教員 | 山口正 教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 錯体化学・配位高分子・MOF・混合原子価 |
| 場所 | 65号館5階 08・10室 |
| 連絡先 | yama[at]waseda.jp |
無機物質化学研究室(石井あゆみ 准教授)
単一光子レベルの微弱な光や近赤外光を捉える材料を作る研究室。有機–無機ハイブリッドのナノ構造を設計し、光の情報を取り出す。
センサーやイメージング、量子技術につながる出口を持っており、材料メーカー志望とも相性がよい。
| 指導教員 | 石井あゆみ 准教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 有機無機ハイブリッド・光機能材料・近赤外検出 |
有機化学部門
化学・生命化学科の有機化学は4研究室。全合成・触媒設計・超分子・不斉合成と、有機化学の主要な方向がひと通り揃っている。有機志望なら、この4つの違いを理解しておくことが研究室選びの核心になる。
ざっくり言えば、中田研は「複雑な分子を作りきる」、柴田研は「新しい反応を作る」、山本研は「効率よく・環境にやさしく作る」、鹿又研は「分子の形と機能を設計する」という違いがある。
化学合成法研究室(中田雅久 教授)
天然物の全合成を軸に、触媒反応・不斉触媒の開発、新しい生理活性分子の創出まで手がける研究室。
全合成は、天然にごく微量しか存在しない複雑な分子を、市販の原料から何十段階もかけて組み立てる仕事である。有機化学の総合格闘技と呼ばれ、逆合成解析・保護基戦略・立体制御といった講義で学んだ知識を全部使う。手を動かす量は多くなるが、有機合成の腕は最も鍛えられる。
製薬企業の合成研究職を志望するなら、ここでの経験は直接効いてくる。
| 指導教員 | 中田雅久 教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 天然物全合成・不斉触媒・生理活性分子 |
| 場所 | 62号館地下1階 |
反応有機化学研究室(柴田高範 教授)
遷移金属錯体触媒による炭素−炭素結合形成と、エナンチオ選択的反応の開発を行う研究室。医薬品や機能性材料につながる不斉合成が主戦場。
炭素−炭素結合をどう作るかは有機合成の中心課題であり、鈴木–宮浦カップリングに代表される遷移金属触媒はその主役である。この研究室はその触媒そのものを設計する側にいる。「既存の反応を使う」のではなく「教科書に載る反応を作る」ことを目指したい人に向く。
| 指導教員 | 柴田高範 教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 遷移金属触媒・不斉合成・C−C結合形成 |
| 連絡先 | tshibata[at]waseda.jp |
生物有機化学研究室(山本佳奈 准教授)
効率的な合成手法の開発と、環境にやさしい触媒の設計を行う研究室。生理活性物質や医薬品類縁体の合成にも取り組む。
グリーンケミストリーの観点——廃棄物を減らす、貴金属を使わない、温和な条件で進める——を重視する方向性で、近年の製薬・化学産業のニーズとも合致している。
| 指導教員 | 山本佳奈 准教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 合成方法論・グリーン触媒・生理活性物質 |
| 場所 | 61号館408号室 |
| 連絡先 | TEL 03-5286-3145(内線3084)/ kana.yamamoto[at]aoni.waseda.jp |
機能有機化学研究室(鹿又宣弘 教授)
補酵素のような機能をもつシクロファン分子の設計や、化学平衡を利用した分子構造の制御、機能性アミンの合成を行う研究室。
シクロファンは芳香環を橋かけでつないだ環状分子で、内部に空孔を持つ。そこに別の分子を取り込ませることで、酵素のような選択的な反応場を人工的に作り出せる——超分子化学・ホストゲスト化学の領域である。「作る」より「設計する」面白さに惹かれる人に向く。
| 指導教員 | 鹿又宣弘 教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 超分子化学・シクロファン・分子認識 |
| メンバー | 博士1名・修士9名・学部4年5名・教員1名(2026年4月時点/研究室HP記載) |
生命化学部門
化学と生物の境界領域。「化学の手法で生命現象を解く」のが共通する姿勢で、有機化学の知識を活かしながら生物系に進みたい人の受け皿になっている。
生物分子化学研究室(小出隆規 教授)
コラーゲンの三重らせん構造とその生合成を解析し、医療応用に向けた人工コラーゲンを開発する研究室。ペプチドライブラリーを使った創薬にも取り組む。
コラーゲンは3本のポリペプチド鎖が撚り合わさった特殊な構造をもち、その形成原理はまだ完全には解明されていない。ペプチド合成が主要な技術になるため、有機合成のスキルがそのまま活きる生命系研究室である。
| 指導教員 | 小出隆規 教授 |
|---|---|
| 研究分野 | コラーゲン・ペプチド化学・創薬 |
| 連絡先 | TEL 03-5286-2569 / koi[at]waseda.jp |
分子生物学研究室(寺田泰比古 教授)
染色体分配におけるAurora Bタンパク質の機能や、動原体の張力センサー、Rasシグナルの遮断によるがん細胞の正常化を研究する研究室。
この学科の中では最も生物学寄りで、細胞培養や分子生物学的手法が日常になる。有機合成をやりたい人には向かないが、がん研究や創薬の上流に関心があるなら強い選択肢。
| 指導教員 | 寺田泰比古 教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 細胞分裂・Aurora B・がん生物学 |
| 場所 | 65号館502A |
| 連絡先 | TEL 03-5286-3307 / yterada[at]waseda.jp |
ケミカルバイオロジー研究室(中尾洋一 教授)
海洋生物や食品由来の天然有機化合物を探索し、遺伝子スイッチの制御や細胞機能の操作につなげる研究室。健康と環境の持続性を出口に据えている。
海洋天然物化学は、未知の生物から新規骨格の化合物を単離・構造決定する分野で、NMRやMSによる構造解析のスキルが徹底的に鍛えられる。フィールドワークの要素が入ることもある。
| 指導教員 | 中尾洋一 教授 |
|---|---|
| 研究分野 | 海洋天然物化学・ケミカルバイオロジー・構造決定 |
| 場所 | 教授室:55号館S棟601号室/実験室:65号館1-15号室 |
| 連絡先 | TEL 03-5286-3100(内線73-3717) |
研究室見学で必ず聞くべきこと
公式サイトを見ても絶対に分からないことがある。見学に行ったら、以下は必ず確認しておきたい。
特に「コアタイム」と「実際の在室時間」は別物である。コアタイムが10時–17時と書かれていても、周りが誰も帰らない環境なら実質的な拘束時間はもっと長い。これは先生ではなく、学生に聞くのが鉄則。
もう一つ、意外に見落とされるのが装置の充実度。NMRを研究室で所有しているか、共用機の予約待ちがどれくらいかは、研究の進むスピードを直接左右する。
情報提供のお願い
この記事の研究室情報は、学科および各研究室の公式サイトで確認できる範囲でまとめている。所在地・連絡先・研究テーマはそこから取れるが、B3が本当に知りたいこと——実際の在室時間、ゼミの負荷、研究室の雰囲気、修了生の進路——は、どの公式サイトにも書かれていない。
実際、化学・生命化学科の研究室でコアタイムを公開しているところはごくわずかだった。
そこでお願いがある。在籍中の方・修了された方で、差し支えない範囲で教えていただける方は、下記のフォームから送っていただけないだろうか。いただいた情報は研究室ごとに整理して、この記事に反映していく。後輩の研究室選びが、それだけ確かなものになる。
よくある質問
どちらにも有力な有機化学研究室があり、優劣ではなく方向性の違いです。化学・生命化学科は全合成(中田研)・触媒開発(柴田研)・超分子(鹿又研)と理学寄りの構成、応用化学科はより応用・産業寄りの色があります。両学科の研究室を見比べてから決めるのが確実です。
必須ではありません。配属後に学び始める人が大半です。ただしPythonなどに全く抵抗がある状態だと最初の半年が苦しくなるので、見学までに入門書を1冊触っておくと判断材料になります。
配属の意思決定時期から逆算して、少なくとも1か月前には動き始めたいところです。人気研究室は見学希望が集中するため、早い時期のほうが個別に話を聞ける可能性が高くなります。メールは教員宛に、所属・学年・見学希望の趣旨を簡潔に書けば十分です。
行けますが、講義の成績よりも「手を動かし続けられるか」が効いてきます。全合成系は特に実験量が多くなるため、見学時に一日の流れを具体的に聞いて、自分の生活と噛み合うかを確かめてください。
研究室選びに絶対の正解はないが、情報を集めた人ほど後悔が少ないのは間違いない。この記事が最初の地図になれば幸いである。

