同じ原料、同じ試薬。なのに、反応を−80°Cでやると主生成物Aが、40°Cでやると主生成物Bが出てくる——有機化学にはこんな不思議な反応があります。温度と時間を変えるだけで、まるで別の反応のように結果が変わる。この現象を読み解くカギが速度論支配と熱力学支配です。
この2つは、「速くできる生成物」と「安定な生成物」が別物であるときに、どちらが勝つかを決める考え方です。反応の主生成物を予測する力は、そのまま院試・大学入試の得点力になります。とくに共役ジエンへの付加は、この考え方を問う定番テーマです。
この記事は、反応速度論の入口に立った人から、院試で「主生成物と条件の関係を説明せよ」と問われる人までを対象に、速度論支配と熱力学支配を解説します。反応座標図を1枚読めるようになれば、丸暗記なしで判断できます。
この記事は、ハモンドの仮説や反応座標図の読み方を前提にします。あわせて読むと、遷移状態と生成物の関係がつながります。
2つの生成物——「速い」と「安定」は別物
ある原料から生成物Aと生成物Bの2つができるとします。ここで重要なのは、次の2つが必ずしも一致しないことです。
速度論生成物(kinetic product)は、活性化エネルギーが低く速くできるほうの生成物です。熱力学生成物(thermodynamic product)は、より安定なほうの生成物です。両者が同じなら悩む必要はありませんが、食い違うときに条件で勝敗が変わります。
反応座標図で見る
原料から2つの生成物へ向かう反応座標図を思い浮かべます。速度論生成物へ向かう山(遷移状態)は低いが、できた生成物はやや高い(不安定)。熱力学生成物へ向かう山は高いが、できた生成物は低い(安定)。この「山の高さ」と「谷の深さ」が逆転しているのがポイントです。
エネルギー ↑ 低い山 高い山 | /\ / \ | / \ / \ | 原料/ \___ / \___ | 速度論生成物 熱力学生成物 | (やや不安定) (安定) +-----------------------------------→ 反応の進行
温度と時間で勝敗が決まる
どちらが主生成物になるかは、反応が後戻りできるか(可逆か)で決まり、それを温度と時間が左右します。
| 条件 | 起きること | 主生成物 |
|---|---|---|
| 低温・短時間 | 低い山だけ越えられる。後戻りしない | 速度論生成物 |
| 高温・長時間 | 高い山も越え、後戻りして安定な側へ移る | 熱力学生成物 |
低温では、越えられるのは低い山だけ。だから速くできる速度論生成物がたまり、いったんできると戻れないので、それが主生成物になります。高温では、高い山も越えられ、生成物から原料へ戻る反応も起きます。すると、時間をかけるほど系全体がいちばん安定な熱力学生成物へ流れ込みます。可逆性が開くことが、熱力学支配のスイッチです。
代表例——共役ジエンへのHX付加
1,3-ブタジエンに臭化水素 HBr を1分子付加させると、1,2-付加体と1,4-付加体の2つができます。共通のアリルカチオン中間体を経たあと、どちらの位置に Br が付くかで分かれます。
この反応は温度で主生成物が入れ替わる、教科書的な例です。低温(−80°C付近)では1,2-付加体が主(速度論生成物)、高温(40°C付近)では1,4-付加体が主(熱力学生成物)になります。1,4-付加体のほうが二重結合が多置換で安定なため、高温・長時間では可逆的にこちらへ集まります。
よくある質問
速度論生成物は活性化エネルギーが低く、速くできるほうの生成物です。熱力学生成物は生成物自体のエネルギーが低い、より安定なほうの生成物です。この2つが一致しないとき、反応条件によってどちらが主生成物になるかが変わります。
低温では、越えられる活性化エネルギーの山が低いものに限られるため、速くできる速度論生成物が優先してたまります。さらに低温では生成物から原料への逆反応も起きにくく、いったんできた速度論生成物がそのまま残るからです。
高温では高い活性化エネルギーの山も越えられ、生成物から原料へ戻る逆反応も進みます。反応が可逆になると、時間をかけるほど系全体が最も安定な熱力学生成物へと集まっていくためです。
共通のアリルカチオン中間体から1,2-付加体と1,4-付加体ができ、低温では速くできる1,2-付加体(速度論生成物)が、高温では二重結合が多置換で安定な1,4-付加体(熱力学生成物)が主になります。高温では付加が可逆になり、安定な1,4-付加体へ集まるためです。
なりません。熱力学生成物が主になるのは、反応が可逆で、高温・長時間など系が平衡に達しやすい条件のときだけです。低温・短時間で逆反応が起こらない場合は、安定さに関係なく速くできる速度論生成物が主になります。

