「グルコースの構造を紙の上に書き表すことができれば、その分子を理解したも同然だ。」——エミール・フィッシャーは、当時まだ謎に満ちていた糖の世界に果敢に踏み込み、16種類もの単糖の立体配置を一挙に解明してみせました。今日、有機化学の教科書で誰もが最初に学ぶ「フィッシャー投影式」は、彼が考案した糖の構造を描くための記法です。
フィッシャーが生きた19世紀後半〜20世紀初頭は、有機化合物の構造がまだほとんど未解明の時代でした。そのなかで彼は、糖化学・プリン化学・アミノ酸化学という3つの分野を独力でほぼ確立し、1902年にノーベル化学賞を受賞しました。有機化学の基礎を学ぶうえで、フィッシャーの仕事を知ることは避けて通れません。
生涯と略歴
エミール・フィッシャーは1852年、ドイツのオイスキルヒェン(現在のノルトライン=ヴェストファーレン州)に生まれました。父は実業家で、当初は家業を継ぐことを期待されていましたが、化学への情熱は抑えがたく、ボン大学・シュトラスブール大学で化学を学びます。指導教官はケクレ(#03、ベンゼン環の発見者)やアドルフ・フォン・バイヤー(#06)であり、フィッシャーはバイヤーのもとで博士号を取得しました。
その後、ミュンヘン大学・エアランゲン大学・ヴュルツブルク大学を経て、1892年にベルリン大学の教授となります。ベルリン時代に彼の研究は最も実り豊かとなり、1902年、糖・プリン研究の功績でノーベル化学賞を受賞しました。晩年は第一次世界大戦で息子2人を失った悲しみに加え、長年フェニルヒドラジンを扱い続けたことが一因とされる末期の腸がんと診断され、1919年、66歳で自ら命を絶ちます。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1852 | ドイツ・オイスキルヒェンに生まれる |
| 1871 | ボン大学に入学(翌年シュトラスブールへ転学) |
| 1874 | バイヤーの指導のもと博士号取得 |
| 1875 | シュトラスブール大学でフェニルヒドラジンを発見 |
| 1882 | エアランゲン大学教授。プリン研究を本格的に開始 |
| 1884 | 「プリン」という名称を提唱 |
| 1888 | フェニルヒドラジンを用いた糖のオサゾン反応を発見 |
| 1891 | グルコース・フルクトース・マンノースの立体配置を決定。フィッシャー投影式を発表 |
| 1892 | ベルリン大学教授に就任 |
| 1895 | カフェインの完全合成に成功(尿酸の合成は1897年) |
| 1902 | ノーベル化学賞受賞(糖・プリン研究の功績) |
| 1907 | アクスハウゼンと共同で18個のアミノ酸からなるペプチド鎖の合成に成功 |
| 1919 | ベルリンにて死去(享年66歳) |
業績①:糖化学とフィッシャー投影式
フェニルヒドラジンとオサゾン反応
フィッシャーが糖の研究に踏み込む武器となったのは、彼自身が1875年に発見した試薬「フェニルヒドラジン(C6H5NHNH2)」でした。糖にフェニルヒドラジンを過剰に反応させると、特徴的な黄色い結晶「オサゾン(osazone)」が生成します。
糖(アルドース/ケトース) + 3 PhNHNH2 → オサゾン(黄色結晶) + PhNH2 + NH3 + H2O
オサゾンは糖の種類によって融点・結晶形が異なるため、当時の技術では困難だった糖の同定を劇的に容易にしました。さらに、C1・C2の立体化学だけが異なる糖(例:グルコースとフルクトース)は同じオサゾンを与えるという性質が、立体配置解析の重要な手がかりとなりました。
フィッシャー投影式と立体配置の決定
フィッシャーが直面した最大の課題は、炭素鎖に不斉炭素が複数ある糖分子の立体配置を決定することでした。グルコース(C6H12O6)には4つの不斉炭素があり、理論上24 = 16種類の立体異性体が存在します。
彼はこれを解析するために、フィッシャー投影式を考案しました。これは炭素鎖を縦に並べ、紙面手前に向かう結合を横線、奥に向かう結合を縦線で表す規則です。
CHO
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H ---C--- OH ← C2:OH が右 → D配置
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HO ---C--- H ← C3
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H ---C--- OH ← C4
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H ---C--- OH ← C5
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CH2OH
(D-グルコースのフィッシャー投影式)
フィッシャーは巧みな合成・分解反応を組み合わせ、当時の旋光度測定データを駆使して、1891年にグルコース・マンノース・フルクトースの絶対配置を決定しました。のちにX線結晶解析によってその正しさが証明されましたが、驚くべきことに彼は50%の確率で正しいと賭けた仮定(グルコースが D配置であるという)が実際に正解だったのです。
糖の合成と相互変換
フィッシャーはアルドール縮合や糖の伸長反応(キリアニ・フィッシャー合成)を用いて、異なる糖を相互変換することにも成功しました。
キリアニ・フィッシャー合成(炭素数を1増やす): アルドース(Cn) + HCN → シアノヒドリン → アルドン酸 → ラクトン → 新しいアルドース(Cn+1)
この方法でアラビノース(C5)からグルコースとマンノース(C6)が合成できることを示し、16種類の単糖の立体関係を体系的に整理しました。
業績②:プリン化学
「プリン」の発見と命名
カフェイン・テオブロミン・尿酸・アデニン・グアニンはすべて共通の骨格を持ちます。フィッシャーは1884年にこの骨格化合物を「プリン(purine)」と命名し(ラテン語のpurum uricum:純粋な尿酸に由来)、その後カフェイン(1895年)・尿酸(1897年)の完全合成、そしてプリンそのものの合成(1898年)に次々と成功しました。
プリン骨格(ピリミジン環とイミダゾール環が縮合した二環性化合物)の環番号: ピリミジン環:N1 - C2 - N3 - C4 - C5 - C6(C6からN1に戻る) イミダゾール環:C4 - C5 - N7 - C8 - N9(N9からC4に戻る) → C4とC5を共有して2つの環が縮合している
これらの完全合成によって、天然物と人工合成物が同一であることが化学的に証明されました。これは「生命力説」(生命体の物質は人工合成できないとする考え)への強力な反論であり、ヴェーラー(#01)の尿素合成(1828年)の延長線上にある大きな成果です。
業績③:アミノ酸・ペプチド化学
アミノ酸の分離と合成
フィッシャーはタンパク質の加水分解産物であるアミノ酸に注目し、多くのアミノ酸を純粋に分離・同定しました。プロリン(1900年)やバリン(1901年)の発見もフィッシャーによるものです。
彼はまた、アミノ酸のエステル化と蒸留を組み合わせた分離法(フィッシャーのエステル法)を開発し、混合物からアミノ酸を単離する技術を確立しました。
ペプチド結合の解明と合成
フィッシャーは「タンパク質はアミノ酸が互いにアミノ基とカルボキシ基で結合したものではないか」という仮説を検証するため、人工的にアミノ酸をつなぎ合わせる実験を行いました。アミノ酸どうしがアミド結合(—CO—NH—)でつながった化合物を「ペプチド」と命名したのも彼です。
グリシン + グリシン → グリシルグリシン(ジペプチド) + H2O H2N-CH2-COOH + H2N-CH2-COOH → H2N-CH2-CO-NH-CH2-COOH + H2O
1907年、フィッシャーは助手のアクスハウゼン(Axhausen)と共同で、18個のアミノ酸からなるポリペプチド(オクタデカペプチド)の合成に成功しました。当時の技術としては驚異的な成果であり、タンパク質の化学的本質を明らかにする道を切り開きました。
教育・人的影響
フィッシャーはベルリン大学において多くの弟子を育てました。彼のもとで学んだ研究者には、オットー・ディールス(#14、ディールス・アルダー反応で1950年ノーベル賞)など後に著名となる化学者が名を連ねます。また彼は、ドイツ化学工業の振興にも深く関与し、染料・医薬品産業の発展に貢献しました。エミール・フィッシャーが切り開いた複素環化学の系譜は、ピロール系色素の構造を解明したハンス・フィッシャー(#11、ヘミンとクロロフィルの全合成で1930年ノーベル賞)にもつながっています。
著書『プリンの研究(Untersuchungen in der Puringruppe)』(1907年)と『糖の研究(Untersuchungen über Kohlenhydrate und Fermente)』(1909年)は、それぞれの分野の古典として長く参照されました。フィッシャーはまた、実験化学の方法論として「目的の化合物を純粋に単離してから構造を決定する」という厳格な手順を実践し、のちの有機化学の標準的アプローチとなりました。
現代への影響
フィッシャー投影式は今も糖の立体配置を表記する標準的手法。糖生物学・グライコミクス(糖鎖科学)の基礎はフィッシャーの業績に立脚している。
プリン骨格はDNA/RNAの構成塩基のコアであり、抗ウイルス薬・抗がん剤・痛風治療薬など多くの医薬品の設計に利用されている。
ペプチド結合の化学を確立したフィッシャーの研究は、固相ペプチド合成(メリフィールド法)や現代のタンパク質工学の礎となっている。
